その48
結子が明日香を導いたのは、行きつけの和菓子店だった。安価でおいしい和菓子を提供してくれる人気のお店である。洋菓子まで扱っているので厳密には和菓子店ではないような気もするが、内装は和装である。結子はよく学校の友達と利用していた。
「アスカちゃんは来たことある?」
「吾郎庵」と書かれたのぼりが数本、夕べの風にハラハラと軽く揺れている。
明日香は結子の問いに答えずに、そっぽを向いていた。そんなことあなたに関係あるの、という風である。どうやらコミュニケーションを楽しむ気は無いらしい。結子は暖簾をくぐって、店に入った。給仕係のお姉さんとは顔なじみである。結子は案内を遠慮して、代わりに「いつものヤツ二つ、お願いします」と言ってそのまま奥の席につくという常連ぶりを見せつけた。対面に座った明日香はもちろん、特に感心したようでもない。
「それで、頼みたいことってなに?」
さっさと用件を済ませたい風の明日香を、結子はまあまあとなだめるようにした。
「まずういろうを食べてからね」
明日香は片方の眉を上げた。「なに、ういろうって?」
結子は大げさに驚いてみせた。
「知らないの? アスカちゃんが知らないなんて意外だなあ。この辺のおしゃれな女の子はみんな知ってるのに」
すぐに給仕係のお姉さんは来てくれた。その手にある盆の上から、和菓子の塗り皿とティカップがそれぞれ結子と明日香の前に置かれる。それぞれの皿の上にはかなり分厚い羊羹のようにも見えるピンク色と抹茶色をした和菓子があり、カップの中にはミルクティが注がれていた。
「さ、召し上がれ」
結子は軽く手を広げた。
明日香は相変わらず仏頂面をしながらも、フォーク型の黒文字をピンクのういろうに向けた。一口大に切り取って、口元へ運ぶ。小さくもぐもぐして、ごくん。明日香は、微妙な顔をして、
「……味がしないんだけど」
言う。
「よく噛んで。ほんのり甘いから。その奥床しさが名菓たるゆえんなのよ」
明日香は出されたものを残すような行儀の悪さを見せなかった。
しばらく二人でういろうを黙々と食べたあとに、明日香が口を開いた。
「で、何、相談って?」
結子は現在の恭介との状況を洗いざらい話した。恭介は、結子が自分のことを好きかどうか、確信が持てないという。どうやったら恭介ラブのこの気持ちを確信してもらえるのか、あるいはそれができないにしてもせめて彼の気持ちを慰めることはできないのか。
聞き終わった明日香は、何とも言えないような表情である。
「あのさあ……」
「なに?」
早速有効なアドバイスを得られるのかと結子は身を乗り出した。
「あなた、バカじゃないの?」
「バカは分かってる。だから、どうすればいいか訊いてるんでしょ」
「そうじゃなくて、それ以前の話なんだけど。何で友達でもないわたしにそこまで詳しく話せるの?」
プライバシーをさらすことは相談のデメリットとして既に計上済みである。だからどうということもないのだが、結子は、
「友達ではないかもしれないけど、アスカちゃんのことは信頼してるの。事情を話しても、それを誰かに言いふらしたりはしないって」
おだてるような言い方をした。
明日香は、不意をつかれたような顔をしたあとに、唇の端で笑みを作った。
「いい気味」
はっきりとした声で言う。
「これで自分が何をしてるのかってことが良く分かったでしょ」
その皮肉げな声を、結子は平然と聞き流した。自分への批難の声などいくら聞いても意味は無い。自分を批難する段階はもう終わったのだ。今は解決に向かって行動する段階である。そのための指針を明日香に示してもらいたくてここにいる。
反応がなくてつまらなくなったのか、明日香はそれ以上、罵りの言葉を投げてきたりはしなかった。
結子は、両手を膝の上にのせて、ピシっとした格好を作った。師の言葉を待つ弟子のごとく。
明日香の桃色の唇が開いた。
「で、何を言えばいいの?」
結子は、ズルと椅子から落っこちたい気持ちを懸命に抑えた。さっきの話を聞いていなかったのだろうか。結子は我慢強く、
「ヤマトなんかよりもずっとキョウスケのことが好きだってことをキョウスケ自身に分かってもらうようにするためにはどうすればいいのか教えてもらいたいんです。マスター」
とさっき言ったことと同じことを口にした。明日香は首を横に振ると、
「そんなの無理」
にべもなく答えた。結子がどうしてか訊くと、
「だって、あなたは実際に、本田くんよりもヤマトの方が好きなんでしょう」
明日香はごまかしは許さないとでも言いたげな強い目を据えてきた。
さすがに結子の我慢も限界に達しようとしていた。そこから説明しないといけないのかと思うとうんざりする。しかし、結子は耐えた。この険しい丘を越えればきっと、眼下に美しい湖が広がっているはずである。
結子は、大和のことは弟のように――けして兄ではない――思っているだけで、確かに彼に何かがあった場合は何をおいても駆けつけるかもしれないが、それは恋人に対するような気持ちではないのだと、いつかしたのと同じような説明をもう一度繰り返した。
「じゃあ、その恋人に対する気持ちってどういう気持ち? 本田くんに対するあなたの気持ちってどういうのなの?」
聞き終わった明日香が重ねて訊いた。
結子は、え、と呆気にとられた。
明日香の質問の趣旨は明瞭そのものだったが、なぜかすぐに言葉が出てこなかった。