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その42

 かかりつけのクリニックで診察してもらったところ、風邪であると言う。

「不治の病の前兆かと思った」

 診察後、注射を打たれなくてほっとした勢いから結子(ユイコ)が飛ばした軽口を、母は容赦なくたしなめた。

 家に帰っておかゆを夕食としたあと、処方された薬を飲む。結子は、すぐに眠くなってベッドに入った。散々な一日だった。カレシに怒られ、カレシに背負われ、カレシの聞かん気を知り、カレシに手を引かれ、

――恭介(キョウスケ)がらみばっかじゃん!

 と思えば逆にいい日だったのかもしれないが、そんな気もしない。彼には何かしら鬱屈(うっくつ)した気持ちがあって、それを聞かない限りは落ちつかない。

――何をそんなに怒ってたんだろう……。

 考えながら目をつぶった結子はすぐに眠りに落ちた。落ちつかないと眠れないというようなロマンチックなところは無かったようだ。いや、これは体調と薬のせいであると結子は断ずるものである。

 そのまま朝を迎えた。

 どうやら一晩でしっかりと熱は下がったようで、締め付けるような頭痛も消え、起きぬけの気分はすがすがしい。体を覆っていた倦怠感もすっかりと拭い去られている。ベッドから出た結子は、調子に乗って、空手の正拳突き――まっすぐ前に拳を突き出すヤツ――をやってみた。ちょっとフラッとした。アホなことはやるな、という体からの警告だろう。

 残念なことに今日は土曜日。休日である。これが平日だったら、一日学校を休めたのに、と結子は悔しがった。

 昨夜と同様、おかゆで味気ない朝食を取ると、

「昨日、大和(ヤマト)くんから、うちにお見舞いの電話があったわよ。あとで、お礼の電話をしておくようにね」

 と母に言われた。携帯電話にではなく、家の電話にかけてくるとはなかなか味な真似をする、と結子は思った。部屋に帰って早速、携帯からかけてみたところ、大和はすぐに出た。

「もういいのか?」

 その心配そうな声の調子は結子の胸を心地よく温めた。

「プリンが食べたい」

 大和は笑ったようである。「後で持ってってやるよ」

「いいわ。今日、明日香(アスカ)ちゃんとデートでしょ」

「え、何で知ってるんだよ?」

 大和はまともに驚いた声を上げた。

 今度は結子が笑う番である。

「当てずっぽ。アスカちゃんなら、週末は毎回あんたとデートしたいって言うかなと思ってさ」

 そう言った結子は、何か大切なことを忘れているような気がした。

「そうなんだよ。まあ、別にいいんだけどさあ、たまには一人になりたいときも――」

 忘れているような気がして、学校のカバンの中に入れっぱなしにしておいた手帳を引っ張りだして開いてみた。今日の日付のところを見てみたところ、思わず、「うげ」という花も恥じらう乙女にあるまじき声が自分の口から上がるのを聞いた。

「どうした? 虫でも踏んづけたのか?」

「乙女はそんなことしない。じゃあ、切るね」

「おい、『じゃあ』って何だよ」

 応えず、電話を切った結子は、手帳の一隅に書かれている文字をじっと見た。そこには、「アクアパーク」と赤字で記されている。それは、結子の住んでいるところの近くでは、一番有名な水族館の名であって、デートスポットでもあった。なぜその名が手帳にあるのかといえば、他でもない。そこで今日デートする約束をしていたからである。恭介と。

「わーーーっ!」

 結子は頭を抱えると、部屋の中をうろうろと歩いて気を静めようとして失敗してから、恭介に電話をかけた。そうして、開口一番謝った。

「ごめんなさい。すっかり忘れてたの」

「ユイコ」

 答えた恭介の声は落ちついている。人は本当に怒っている時、むしろ静かになるらしい。

 結子は慌てて語を継いだ。

「今すぐ用意するから、待ってて。お母さんに車で送ってもらえるか頼んでみる」

「ユイコ」

「なに?」

「今日は中止にしよう」

「中止? ええ、中止ね。いいわ、そっちはお父さんに頼んでみる。……って、え、何て言ったの?」

「『中止』だよ。ついでに言うと、明日もダメだよ。二日間ちゃんと休んで体を治して」

 結子はベッドに腰かけた。それからそろそろと、「怒ってるの?」と訊いてみた。

「いや、今日は怒ってないよ。でも、今の言葉で怒りそうだけど」

「どういうこと?」

「どうもこうもないよ。昨日倒れたカノジョを今日連れ出すわけないだろ。オレのことそういうヤツだと思ってたの?」

 結子は、ほお、と息をついた。安心の吐息である。

「ごめんなさい。埋め合わせするから。明日は空いてる?」

「空いてるけど、ダメだよ。聞いてなかったのか? 明日もちゃんと休むんだ」

「でも、今日だってもう元気なんだよ。明日だったら完全に大丈夫だって」

「かもしれないけど、大事を取ってゆっくりするように」

「そんなこと言って、麗子さんと会う気でしょ?」

「え、誰、麗子って?」

「わたしの空想上の恋敵。西園寺麗子さんはね、栗色の髪の美少女なの。手足がすらりと長くて、肌は雪のように白く、スポーツ万能で、漢字検定三級」

「そんな子より、オレはユイコの方がいいよ」

「ならいいけど。じゃあ、来週は?」

「いいよ。とにかく今日と明日はちゃんと休むようにね」

「はい、ママ。……あ、あと、もう一つ大事なことを思い出した」

「なに?」

「訊きたいことが一つ。正直に答えてね」

 結子が真面目な声を出すと、

「分かった」

 恭介も神妙な調子で待つ。

 結子は間を作った。

「わたし、重くなかった?」

「え?」

「背負ったとき、重くなかったかなって」

「ユイコ――」

「答えて」

「覚えてないよ。そんなこと気にしている余裕無かったから」

「ホントに?」

「本当。そうだな、でも、今思い出してみると――」

「もうその話はおしまいにして」

 結子は、じゃあね、と電話を切った。

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