その28
「分かったわよ。やればいいんでしょ!」
半ば、いや九割九分がたの脅迫に結子はやむなく膝を折った。承諾しなければカレシに危険が及ぶのである。愛しいカレシを美少女の好意から守ってやらなければならない。仮に明日香が恭介に何らの感情を持たなかったにせよ、カレシが他の女の子のために時間を使うこと自体がよろしくない。そんなことを許していては、カノジョとしての結子の沽券に関わる。
「ユイコならきっとそう言ってくれると思ったよ」
大和はムカツクくらい爽やかな笑みを見せると、「後は若い二人に任せて」などというくだらない冗談を飛ばしたのち、速足でその場を離れていった。逃げたのである。さすが、十年来の友。このまま三人でいると、家の前で恭介が別れ二人きりになったら、自分が何をされるかということが分かっているのだ。
「怖い顔になってるよ、ユイコ」
「怖い顔でもカワイイでしょ?」
結子が言うと、恭介は如才なくうなずいた。
その後、ひとしきり、カノジョの気持ちを黒々とさせてまで男友達の願いに応える素振りを見せたカレシに対して、結子は文句をぶつけた。恭介は男らしく一切の反論をせず、あまつさえ立ち止まると軽く両手を広げてみせて、一言、
「一発殴れよ」
とまで言ってきたが、しかし、それは、
「え、なに。わたしってそういうキャラ? ていうか、そういうキャラだと思ってるってことね。キョウスケのわたしに対するイメージが良く分かった」
いっそう結子の機嫌を悪くしただけだった。
いつものように家の前で別れた結子は、「一体いつ家に寄ってってくれるんですか」と喉元まで出かかかった言葉をいつものように飲み込もうとして、いつものように失敗した。それを聞いた恭介は笑って、「また今度な」とだけ言って、去った。
「今度っていつよ!」
ということまではさすがの結子も言わなかった。
「押し過ぎるのは禁物よ」
とは、押しすぎて再三に渡り付き合っていた男性に逃げられた悲しい過去を持つ、近所のカフェの三十代前半女性オーナーの談である。
さて、全く意に沿わぬこととはいえ、いったん引き受けたからには半端はできない。それが結子の性質である。家に帰って、自室のベッドにその身を横たえると、どうやって明日香嬢と友人になろうか、早速もやもや考えてみた。しかし、これまで意識して人の手を握ったことがない結子には何にも思い浮かばない。三十分もすると、考えるのに飽きた。分からないことは人に訊くに限る。聞くは一時の恥である。恥には多少耐性がある。
「スゴイこと言いだしたね、ヤマトくん」
携帯電話で現在の窮状を訴えて助けを求めたところ、友の第一声がそれだった。結子は、自分と同じ神経を持っている子がいたことを喜んだ。大和と恭介と一緒にいると、二体一で常に結子の方が数的不利に立つので、ひょっとしたら自分の方がおかしいのかも、という気持ちになってくるが、やはりそんなことはなかった。友の同情の声に勇気づけられた結子は、大和の悪辣さについては思いきり、恭介の思いやりの無さについては控えめに、自分の置かれている境遇については切々とかつ美しく述べた。
「じゃあ、がんばってね、ユイコ。ちょっとこれから用があるから」
結子の演説は友に何らの感動も与えなかったようである。
「ええっ! まだ何もアドバイスもらってないよ」
「って言われてもなあ、わたしも作ろうと思って友達作ったことないしなあ」
役に立たないなあ、と自分勝手なことを考えていると、
「……あ、でも、ひとりだけいたな。環と友達になったときは、こっちからアピールしたんだっけ」
思い出したような声が携帯の向こう側から聞こえてきた。
「環って、川名さん?」
「そう」
結子は、先日図書室で会った学校一の美少女のことを思い出した。
友人は弾んだ声を出した。
「自然に仲良くなるまで待って時間を無駄にしたくなかったから、こっちからね」
「アピールってどうやったの?」
「メアド書いた紙渡して、『わたしと友だちになってください』って言ったの」
「男らしいねー」
「……電話、切っていい?」
「何か一つ役に立つアドバイスしてくれたらね。わたしの場合は、いきなりメアドなんか渡しても、その場で破り捨てられそうな気がするから」
「うーん……」
それからものの十秒ほどでできあがった即席アドバイスは、「彼女の趣味や好きなことを調べてその話題で盛り上がったらいいのではないか」というものだった。なるほど人はそうやって親交を深めていくのかと結子は一つ賢くなった。
「じゃあ、切るね」
「ありがとう、日向。持つべきものは親友だなー。でも、もう一つだけ訊いてもいい? 趣味を調べるのは構わないけど、そもそも最初どういう風に片桐さんに話しかければいいの?」
電話は切れた。
結子は女の友情が男の友情に比べると随分淡白なものであるように思われたが、そう思うのもなんか寂しいので、日向のそっけなさは結子への信頼ゆえであるということにしておいた。日向は信じてくれているのだ。結子はうまくやり遂げるだろうと。そうして、大和も恭介もそう信じていることは間違いない。
信頼――。
何と良い言葉だろう。
そう、何と都合の良い言葉だろう、と結子は苦々しく思いながら、取り合えず腹ごしらえをするため、夕食をねだりに部屋を出た。




