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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最愛の護衛騎士を良かれと思って解任した王女の顛末

作者: はるの霙

おおよそ一年ぶりの新作です。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。


「ルドヴィカ殿下、お願いいたします。わたくしのオリヴァー様を解放してください……っ」


 私にそう発言してきたのは、鮮やかな金の髪と朝露に濡れた赤薔薇のような瞳を持つ美しい令嬢だった。名は確かキール伯爵家のグリゼルダ。冬の空みたいなどんよりした鈍い銀髪に辛気臭い紺色の瞳の私よりも、よほど王族のような豪奢な色彩を纏う彼女に勝手に劣等感を抱いてしまいそうになる。同じ十八歳という年齢もあって余計に。


 そんなグリゼルダの口から飛び出したオリヴァーとは、六年以上に亘って私の護衛騎士を務めてくれているオリヴァー・ガーランド次期侯爵のことだろう。


 ちなみに今は私が主催した茶会の最中である。他の令嬢たちは王家の庭園見学に出ており、この場に居るのは私とグリゼルダだけ。少し離れた位置には護衛騎士や侍女たちの姿もあるが、幸か不幸か本日の護衛担当は女性騎士でオリヴァーではなかった。

 私は内心の激しい動揺をなんとか隠しながら、眼前のグリゼルダへ問う。


「……もしかしなくても、貴女とオリ……ガーランド卿は恋人、もしくは婚約者同士ということかしら?」

「ええ、わたくしとオリヴァー様は将来を誓い合った恋人同士ですわ」

「将来を……つまり、婚姻も近いと?」

「そうです。ですから彼には殿下の護衛騎士をすぐにでも辞めていただきたいのです。殿下にもわたくしのお気持ちは分かっていただけるのではないでしょうか?」


 表面上は冷静さを取り繕うものの、私の胸中は荒れに荒れ狂っていた。オリヴァーに恋人がいたなんて知らない。だってそんな素振り見せたこと一度もなかった。それどころか、彼は護衛騎士になってからのこの六年以上、ほとんど非番も取らずに私の傍に侍っていたのだ。俄かには信じがたい。

 あの笑顔が、あの優しさが、私以外の女性にも向けられているなんて、今まで想像もしていなかった。


 だけどもしグリゼルダの言葉が真実ならば、彼女の主張は尤もだろう。

 誰だって自分の恋人が他の女性を優先するところなど見たくないはずだ。その対象が王族で、たとえ職務であったとしても……感情はそんなに単純に割り切れるものではない。


「お話は分かりました。すぐには判断できませんので、この件は持ち帰らせていただくわ」

「っ……わたくしは一刻も早くオリヴァー様を自由にして差し上げたいのです」


 自由。その言葉がずくりと胸の奥の方を無遠慮に刺す。

 果たして私の護衛騎士になってから、彼に自由は与えられていなかったのだろうか。


「お願いいたします、殿下。わたくしにオリヴァー様を返してくださいませ」


 悲痛な表情をしたグリゼルダの懇願の直後、庭園から他の令嬢たちが戻ってきたため、話は強制終了となった。

 そして次の日。


「おはようございます、殿下。オリヴァー・ガーランド、ただいまより殿下の護衛を務めさせていただきます」


 普段と全く変わらない調子で、柔らかな笑みを湛えたオリヴァー・ガーランドが私のもとへ参じた。職務だから当然だが、昨日のことが頭から一向に離れない私は彼と上手く目を合わせることが出来ない。いつもの私なら笑顔で「おはようオリヴァー、今日もよろしくね」と明るく告げていたことだろう。


「……殿下? いかがしましたか? 私が不在の間に何か問題が? それともご体調が優れませんか?」


 心配そうにこちらの様子を窺おうとする彼は今年で二十四歳。漆黒の髪と瞳を持つ長身の美丈夫で、次期侯爵でもある彼にそもそも婚姻話の類が出ていないことそれ自体が不自然だったのだ。なのに私は全くその可能性に思い至らなかった。だって私が十二歳の頃からずっと、彼は変わらず傍に居てくれたから。


 いつだって私を一番に考えて行動してくれて、楽しい時も悲しい時も共に過ごしてきた人。

 お父様ともお兄様たちとも違う男の人。

 私だけの護衛騎士で、初恋の人で、今この瞬間も大好きで大切な人。


 だからこそ確かめなければならない。昨日のグリゼルダの言葉が果たして事実なのかを。


「あのねオリヴァー、聞きたいことがあるの」

「なんなりと」

「あの……貴方、結婚するって本当?」


 私の脈絡ない問いに彼は当然ながら目を瞠っていた。けれど何か思い当たる節があったのかすぐに表情をあらため、穏やかに、とても嬉しそうに首肯する。


「ええ、私もいずれはガーランド侯爵家を継ぐ身ですので。陛下のお許しがいただけるのであれば婚約期間も出来るだけ短縮して、すぐにでも婚姻の上で我が家にお迎えしたいのですが」

「……そう、なの」


 愛おしいものを見るように凛々しい目元を柔らかく細めるオリヴァーの表情で確信する。グリゼルダの言葉が真実だったことを。

 同時に、私の初恋があっけなくも粉々に砕け散ったことを。


「お父様……陛下にも既に婚姻のお話をしているということよね?」

「はい。もう二年以上は前から打診をさせていただき、先日ようやく色よいお返事をいただけたところです。殿下に黙って内密に話を進めていた点においては、少々申し訳なく思っておりますが……」

「別に……私に対して貴方がわざわざ伺いを立てる必要なんてないわ。貴方には自由でいてほしいから」

「安心いたしました。もし勝手に進めて殿下のご気分を損ねるようなことがあればと、少しだけ気を揉んでおりましたので」


 オリヴァーのその言葉に人知れず強い衝撃を受ける。

 もしかしてお父様よりも先にグリゼルダとのことを話したら、私が嫉妬や執着から貴方を護衛騎士として縛り付けるとでも思ったの? そんな恥知らずでみっともない真似はしないわ……馬鹿にしないで!


 そんな風に喚きたくなる気持ちを必死に抑えて、私は静かに目を伏せる。こんなことで彼との六年間の思い出を台無しにしたくはないし、何より幻滅されたくない。だからこそ出てくるのは、本音とは真逆の言葉。


「……良かったわね、お父様の許可が下りて」

「ええ。承諾いただけた時には天にも昇る気持ちでした。出来ればその瞬間を殿下とも分かち合いたいほどでしたよ」

「へぇ……そんなに、結婚したかったの?」

「無論です。最愛と添い遂げることが私の幸福そのものですから」


 それは私自身、密かに夢見ていたことだった。

 いつか、愛するオリヴァーのもとに嫁げたのなら。彼の妻になれたなら。彼の子を産み、温かな家庭を築くことが出来たのなら。それはどれほど幸福なことなのだろうかと。

 まぁ、夢は所詮、ただの夢だ。現実はそう甘くはない。むしろこのタイミングで気づけたことは僥倖なことだろう。


「……ん……か……、殿下!」

「……え? どうかした、かしら?」

「どうもなにも、顔が真っ青です! やはり具合が悪いのではないですか? 今すぐに医者をお呼びしましょう! ……くそ、こんなことなら昨日もお傍についているべきだった」

「ううん、平気よ。大丈夫。ありがとうオ……」


 オリヴァー、と。親し気に呼ぶのはもはや適切ではない。それに体調不良と思ってもらった方が今は好都合だ。私はもう、グリゼルダのものになってしまうオリヴァーを傍には置いておけない。置きたくない。


「……ごめんなさい、やはり気分が優れないので休むことにするわ。寝室に籠っているから、貴方も今日は戻っていいわよ」

「いえ、私は寝室の扉の外で待機しておりますので。何かあればすぐにお呼びください」


 失礼します、と言ってオリヴァーは私を軽々抱き上げようとする。十二歳からの付き合いだからか、彼は私を抱き上げることに一切の躊躇がない。無論、私自身もそれをどこか当然のように受け入れてきた。けれどもう、それも終わりだ。許されない。


「やめて、自分で歩けるわ。貴方も待機せずに自室か騎士団に戻って。これは命令です」

「……ルドヴィカ? 本当に今日はどうしたんだ?」


 彼は明確に焦った声で、ふいに昔のように私を名前で呼んだ。本来であれば王族を呼び捨てにするなど不敬だが、心から私のことを案じているからこその失言だと分かる。けど、無自覚だろうがなんだろうが、その優しい態度こそが私を苦しめる。本当に、残酷な人だ。私は泣きたくなった。泣かなかったけど、心は確かに悲鳴を上げていた。


「なんでもないの。ごめんなさい、ガーランド卿」


 結局、私は困惑するオリヴァーを無視して自室に籠った。手配された侍医の診察を受け、軽い疲労と診断される。どうやら微熱も出ていたらしく、本当に体調は悪かったらしい。

 なおオリヴァーが私の命令を無視して寝室扉の外で待機していたことを知ったのは翌朝のことだった。基本的に護衛騎士は朝と夜の交代制になっていて、現在の担当は壮年の男性騎士だ。オリヴァーは本日の夜担当となっている。だから急がなければならない。


 私は身づくろいを終えるとお父様――国王陛下に謁見を願い出た。

 するとお父様の方も私に用があったらしく、昼食を共にすることが決まる。王族専用の食堂で待っていると、ほどなくお父様が現れた。すぐさま料理が運ばれてきて、軽い談笑を交えながら二人してテーブルの上のそれに舌鼓を打つ。私自身は、緊張からか食事の味がいまいち分からなかったけれど。


「それでルドヴィカ、何やら話があると聞いたが」

「……ええ、でもお父様も私にお話があるのでしょう?」

「それなんだが……ルドヴィカ、お前も十八歳。そろそろ婚約を考える時期だ」

「はい。むしろ遅いくらいですわね」

「あ、ああ……それについては私もお前の兄たちも可愛いお前を手離しがたくてな。だが、流石にそろそろ話を進めていくべきだと各方面からも進言されてね」


 この話ぶりだと、どうやら父や兄たちが私の縁談を遠ざけていたようだ。ただでさえ私は王女にもかかわらず冴えない容姿をしているのに、こんなことをしていれば纏まる縁談も纏まらないだろう。

 色々と言いたいことはあるが、私は単刀直入に「それで、お相手の方はどなたをお考えなのですか?」と問う。


「お前の護衛騎士でもあるオリヴァー・ガーランドを第一候補と考えている」

「ふざけないでください!!」


 反射的に叫んでいた。自分でも驚いた。たぶん、今までの人生で一番大きな声だったかもしれない。

 その証拠にお父様は目を白黒させている。だけどこればかりは酷い。酷すぎる。私は震える両手を膝の上で固く握りしめながら、一度深呼吸をした後で改めて口を開いた。


「……申し訳ありません、お父様。ガーランド卿だけはどうかご容赦ください」

「な、何故だ!? ルドヴィカ、お前はオリヴァーのことを好いていたんじゃないのか?」


 なんと、私の気持ちはお父様に筒抜けだったらしい。身内に恋心を暴かれるなどあまりにも恥ずかしいことだが、それならそれで話は早い。


「ガーランド卿には既に将来を誓い合ったお相手がおります」

「なんだと!? それは確かなのか!?」

「はい。お相手のご令嬢はキール伯爵家のグリゼルダ嬢です。彼女の口からはっきりとそう聞きましたし、ガーランド卿にも確認を取りましたから間違いありません」

「そ、そんなはずは……」

「そもそもこの件はお父様も認識されていたはず。聞けば二年以上も前から婚姻許可の打診をしていたとか。何故、すぐに許可をお出しにならなかったのですか?」

「それは……ん? 二年前から? その話は誰に聞いたんだ?」

「もちろんガーランド卿ご本人からです。ずっと陛下に婚姻の許可を求めていて、ようやく先日色よい返事が貰えた、と」


 私がなるべく感情的にならないようにしながらそう告げると、お父様は「あー……」と呟きながら遠い目をした。その後、どこか疲れたように大きくため息を吐く。


「……何やら認識の齟齬があるようだが、いずれにせよ現状のままではオリヴァーにお前を任せることは出来そうもないな」

「それでは、お相手の方は再考いただけると?」

「ああ。少なくともお前が望まない限りはオリヴァー・ガーランドとの縁組を進める気はないよ」


 その言葉に私は心底安堵した。私はオリヴァーには誰よりも幸せになって欲しいのだ。王家からの縁談なんて強制でしかないもので、彼を愛する人から引き離すことなど絶対にしたくない。

 私なんかとの縁談が本格的に進む前で本当に良かった。


「お父様、もうひとつお願いがございます。これを機にガーランド卿を私の護衛騎士の任から外していただけますか?」


 そもそも私が父に謁見を願い出た理由はこれだった。グリゼルダに懇願されたことも合わせて、彼を私から一日でも早く自由にしてあげたかった。そして私自身も、彼から離れることでこの恋心を無理やりにでも葬りたい。そうしないと、近く成立するであろう私の縁談相手に申し訳ないから。


 お父様は「本当にそれで後悔しないな?」と念を押してきた。それにしっかりと頷き返すと、私の願いは無事に聞き届けられ――


 その日のうちに、オリヴァー・ガーランドは私の護衛騎士を解任された。



 これで彼も大手を振ってグリゼルダのもとへ行ける。私はそう思っていた。

 しかし予想を覆し、オリヴァーは解任された次の日から一日も欠かすことなく私に謁見を申し込んできた。断っても断っても、毎日毎日朝から謁見の申請が届く。

 確かに私がしたことはある種、彼に対して不誠実であると言える。せめて別れの挨拶と、グリゼルダとの婚姻を祝う言葉、今までの労に報いるような褒賞やらを直接渡すのが筋というものだろう。


 だが私はそこまで気持ちを器用に切り替えられる性質ではない。少なくとも今は無理だ。せめて私自身の婚約が調えば、ある程度の区切りはつくだろう。それまでは絶対にオリヴァーに会いたくなかった。


 そんな事情から、私はお父様に婚約者候補との顔合わせを早急に望んだ。最初は渋っていたお父様だったが、私の必死さが伝わったのか、近いうちに必ず機会を設けると約束してくれた。

 と同時に、オリヴァーが抜けた穴を埋めるために私の新たな護衛騎士の選定を始めるとも仰った。


「選定って、騎士団に所属している方なら別にどなたでも構いませんわ。出来れば既婚者の方か女性騎士で、私なんかの護衛を自ら希望してくれる方がいればいいのだけれど」


 そう自室で刺繍をしながらぼやくと、その日の護衛を務めていた壮年の男性騎士バルナバスが驚きとも哀れみともつかない表情をこちらへ向けてきた。


「殿下……そのようにご自身を卑下することはおやめください。それに殿下の護衛騎士の任は騎士団に属する者なら誰もが我先にと立候補するでしょう」

「そんなはずないわ。だってオリ……ガーランド卿が言っていたもの。私の護衛騎士を務められる人材はごく限られているって。それって私の護衛騎士になりたい人がそもそも少ないってことでしょう?」


 王族の専属護衛は確かに騎士団所属の者にとっては花形と言われている。けれど私は八人いる王家の末子で、政治的な影響力も強くはない。おまけに王族の中でもパッとしない地味な容姿で、外交もほとんどしない。実力至上主義で勤勉な騎士団の人間からすれば、私の護衛任務はさぞかし暇でつまらないだろう。

 そう考えると、こんな退屈な任務を次期侯爵であるオリヴァーに六年以上も強いてしまったことに罪悪感が湧いてくる。まぁ、次期侯爵だからこそ危険性の少ない私の護衛に任命された側面はあったのだろうけど。オリヴァーの剣の実力なら、もっと……例えば王太子であるお兄様の護衛騎士に任じられても全くおかしくはなかったはずだ。

 私はオリヴァーと過ごせた六年間に感謝しかないけれど……考えれば考えるほど、私はやはり彼の自由を奪ってきたような気がしてならない。


「……オリヴァー卿はそのようなことを? それはなんとまぁ……」


 私の説明にどこか呆れたような声を漏らすバルナバスだったが、すぐに表情を引き締めると目線をしっかりこちらへ合わせながら言った。


「殿下。それは誤解です。いえ、全ては殿下に誤解させるような言い回しを敢えてしていたと思われるオリヴァー卿が悪いのですが……ともかく、私は殿下の護衛騎士に任じられたことを誇りに思っておりますし、今後も誠心誠意務めさせていただく所存です。きっとこれから新たに任命される騎士も、望んで殿下の護衛を務めるはずですので、くれぐれも誤解なさらず」


 その優しい言葉に心が少しだけ軽くなる。私は自然と頬を綻ばせた。


「……こちらこそ、いつも護衛してくれてありがとうバルナバス。ガーランド卿が抜けた分、今は負担が大きいとは思うけど、すぐに補充されるそうだからそれまでよろしくね」

「仰せのままに。しかし、このまま奴が大人しく護衛騎士の座を明け渡すとは思えないのですがねぇ」


 そんな会話の数日後、私の新たな護衛騎士が決まったと連絡を受けた。

 そして配属初日に現れた人物に、私は思わず絶句した。


「――ルドヴィカ殿下、お久しぶりでございます。オリヴァー・ガーランド、本日より護衛騎士の任を賜りました。再び御身のお目に掛かれる日を、待ち焦がれておりました」

「な、ななな……なんで……!?!?」


 王女らしからぬ、はしたない声が抑えられないほどに私は動揺していた。どうして解任したはずのオリヴァーが戻ってきたのか。意味が分からない。

 対するオリヴァーはその場で跪くと、下から私をジッと見上げてきた。その普段は活き活きと艶めいて美しい黒い瞳が今はどこか薄暗く淀んでいるように感じるのは、果たして気のせいだろうか。


「あ、貴方のことは先日解任したはずです! どうして再び私の護衛に就いているのですか?」

「正式な手順を踏みました」

「手順?」

「ルドヴィカ殿下の護衛騎士を希望した百五十八名の騎士全員と一対一で模擬戦を行ない、その全てに勝利しました。その上で貴女の護衛を務められる人材は私しかいないと陛下や王太子殿下に直談判し、最終的には護衛騎士に返り咲くことをお許しいただきました」


 あまりにも信じがたい言葉の数々に、私は瞠目するほかなかった。そもそも私の護衛希望者が百五十八名もいることもおかしければ、その全てに勝利したというオリヴァーはもっとおかしい。

 しかし今この場に彼がいるということ自体が、お父様に許されたという証左である。決して嘘偽りではないだろう。


 それにしても皮肉なこともあったものだ。あれほど断腸の思いで遠ざけたにもかかわらず、初恋の人は再び私のもとへと戻ってきてしまった。しかも先ほどから一瞬たりともこちらから目を逸らさない。何か言いたげな眼差しを向けてきているが、実際に私に問うことはしてこない。その居心地の悪さに耐えられなくて、私の方は早々に彼から視線を背けざるを得なかった。


 何より、本当に今日は日が悪かった。何故なら今日の午後から、私は婚約者候補との顔合わせを控えていたからだ。つまり初恋の人の前で、これから伴侶になるかもしれない男性と親しく会話するということである。場合によっては相手側から口説かれる可能性も僅かばかりだが存在するのだ。気まずいったらない。


 しかし国王が認めた職務である以上、彼を私の一存で遠ざけることは難しいだろう。何より正当な理由がない。私はなるべくオリヴァーを視界に入れないようにしてやり過ごすことにした。そうする以外に道はなかった。

 だから気づかなかったのだ。そんな私の拒絶的な態度にオリヴァーがどんな顔をしていたのかを。


 結局オリヴァーは私から片時も離れることなく、しかしこちらに声を掛けてくることもなく、ただその場にいた。護衛としては正しい対応だが、かつてのオリヴァーは暇さえあれば私に話題を振ったりして場を和ませたり楽しませようとしてきていたので、これはこれで違和感が凄い。


 じりじりしながらも、やがて婚約者候補との顔合わせの時間になり、私は待ち合わせ場所である王家の温室へと足を運んだ。当然、背後にはぴったりとオリヴァーが付いてくる。

 王家の温室は私の母が管理しており、普段は許可がないと王族ですら入室することは出来ない。つまり秘密裏に話をするにはうってつけの場所なのである。色とりどりの珍しい草花が目隠しの役割もしてくれる温室内は適度に温かく、どこか春の陽気に似ていた。


 入室して事前に用意されていたテーブル席に腰かけようとする私を察して、すぐにオリヴァーが椅子を引いてくれる。素直にその厚意を受け入れて席に着けば、何故か彼は私の背後に待機せず、テーブルを挟んだ向かい側に歩を進めた。そして誰の許可を得ることもなく、私の向かい側の席にスッと腰を下ろしたのである。


「……あの、ガーランド卿? どうして貴方がそこに座るのですか? 今から大事なお客様がいらっしゃるのです。すぐに席をお立ちなさい」


 心の中では焦りながらも努めて冷静に諭す私を、その時、オリヴァーの鋭い眼光が貫いた。そのような視線を向けられたことは今まで一度もなくて、その苛烈さと冷たさに思わず息を呑む。


「ルドヴィカ」


 彼はまたしても私を呼び捨てにした。

 以前とは違い、親愛を感じさせないとても冷たい声だった。


「今日、この場で貴女が会う予定の人物は俺です」

「…………ふざけないで。自分の言っている意味が分かっているの?」

「無論です。貴女の婚約者は……婚姻相手は、この俺です。誰にも譲る気はない」


 とても冗談を言っているとは思えなかった。六年以上の付き合いなのだ。それくらいは分かる。

 だからこそ信じられない。だってこれじゃあまるで――


「――貴方が、私の婚約者になりたいって言っているように聞こえるわ」

「だからそう言ってるだろ。俺の結婚相手はルドヴィカだ。他の奴なんてあり得ない」

「嘘よ」

「嘘じゃない」

「嘘! だって、貴方はグリゼルダ嬢と結婚するのでしょう!?」


 堪らずその場で立ち上がってテーブルに手を突き身を乗り出した私を、オリヴァーは座ったまま見上げる。その視線は明らかに怒りを内包していた。


「何故、俺がグリゼルダとかいう女と結婚しなければならないんだ?」

「え? だ、だって貴方たち恋人同士なんでしょう……?」

「そんな事実は一切ないが」

「……えっ!?」


 呆気に取られた私に対し、オリヴァーが苛立たし気に髪を掻き上げる。最近では滅多に見ることがなくなった粗野な態度。そう、これは彼が私のことを二人きりの時にだけルドヴィカと呼び捨てにしていた頃の態度だ。貴族的でない言葉遣いもそう。どこか懐かしさが込み上げると同時に、私は決定的に何かを間違えたのだとようやく理解し始めていた。


「ルドヴィカ、こっちにおいで」


 否を言わせないオリヴァーの圧力に負けた私は、恐る恐る彼の方へと近寄る。すると手の届く範囲に入った瞬間に腕を取られ、気づけば膝の上に乗せられていた。流石に膝の上に乗せてもらっていたのは十三歳の頃が最後だったはずなので、実に五年ぶりのことである。どうしたらいいか分からず固まる私をしり目に、オリヴァーは私の髪を掻き分けるとうなじを露出させ――そのまま顔を近づけると躊躇うことなく吸い付かれた。堪らず「ひゃぁあ!?」と情けない声を出した私に、彼が喉の奥で笑う。


「なぁルドヴィカ。君は俺がこんなこと、他の女にすると本気で思うのか?」

「……そ、れは……思わないけど……っ、や、耳元で喋らないでっ」

「今までは護衛騎士として節度ある接触しかしてこなかったからな。俺の気持ちが全く伝わっていなかったことに正直愕然としたから、今度は絶対に勘違いさせないように身体にも教え込もうと思って」

「教え込むって、何を――」

「俺がどれだけルドヴィカを愛しているかってことをだよ。まさか別の女との仲を疑われる日が来るなんて想像もしてなかった」


 六年以上だ、と彼はどこか悔しそうに呻いた。


「六年以上、傍に居た。離れることなんて考えたことはない。本当なら休みなんて一日も要らなかった。ずっと、俺が守ると出会った瞬間から決めていた。……ルドヴィカ、覚えてるか? 俺が初めて忠誠を誓った時のこと」


 私は僅かに身体を震わせた後、ゆっくりと首肯した。勿論覚えている。忘れられるはずがない。

 隣国との小競り合いが続き、国内はあわや戦争に発展するかもしれない緊張状態にあった。当然ながら王城内は常に緊迫していて、両親はもちろん兄姉も私になど構っている余裕は全くなかった。そんな、あの頃のこと。


「私は一人で居ることが多くて……仕方がないことだけれど凄く寂しくて。だから貴方が……オリヴァーが来てくれて、嬉しかった。最初は新しいお兄ちゃんが出来たみたいに思ったけど、手の甲に口づけされた時に目が合った瞬間から――……貴方は私の特別だったの」


 初めてだった。心から忠誠を誓われるということが。その一点の迷いも曇りもない眼差しが、真摯な声が、態度が。


「私は兄様や姉様みたいに綺麗じゃないから、周りからも見下されてるのは分かってた。それも仕方がないと思ってたし、お父様たちからは愛されていたから辛くもなかった。でも、オリヴァーは最初から私を真っ直ぐに見てくれてた。それが嬉しくて……私、貴方にすぐ恋をしたのよ」


 華やかで美しい兄姉たちでなく、地味でちっぽけな私を。

 貴方だけが、一番においてくれた。隣に居てくれた。寂しい時は手を繋いで、たくさんたくさん、話をしてくれた。ドキドキすると同時に、安心させてくれた。大好きなオリヴァー。私の初恋。


「……俺も同じだよ。侯爵家の肩書なんて関係なく、ただ俺自身を欲してくれている素直で可愛い女の子に、絆されないはずがないだろう? この六年間、どうしたらこの子を俺だけのものに出来るか、それだけを必死で考えてきたんだ。今さら手放すなんて馬鹿なことするはずがない」


 愛してるよ、とオリヴァーは私を背中側から強く抱きしめてくる。その痛くて苦しいくらいの抱擁が、堪らなく幸福だった。



 ――その後、私はどういう経緯でグリゼルダとの仲を誤解するに至ったか事細かに説明する羽目になった。

 話している最中もオリヴァーは私を決して膝から降ろそうとはせず、それどころか拘束は強くなる一方で。結局、状況窺いに来た侍女頭が窘めるまで、オリヴァーは攻勢の手を緩めてはくれなかったのである。おかげですっかり私の首筋には彼の執着の痕跡が色濃く残された。


 ちなみにお父様は私との昼食の席でだいたいの事情は把握していたようで、オリヴァーとの縁談を進めて欲しいと後日お願いに行った際には盛大に笑われてしまった。それでもあの瞬間は本気でオリヴァーとの縁談を進める気はなくなっていたらしく、私には別の相応しい伴侶を見繕うつもりだったとのこと。

 おそらくオリヴァーがしぶとく食らいつかなければ、私たちの縁もそこで途切れてしまったことだろう。彼が私のことを諦めないでくれて良かったと、今は感謝しかない。


 最後にグリゼルダについて。

 彼女は昔からオリヴァーに片思いをしていたようで、私の護衛騎士の任さえ解かれれば彼も結婚を考えざるを得なくなる、つまりは自分にも機会が巡って来ると思い、今回の件を画策したとのこと。

 しかし色恋沙汰とはいえ、王族や高位貴族を謀るというのはそれそのものが重罪である。極刑こそ免れたものの、罪を認めた彼女は戒律の厳しい修道院へと送られることとなった。


「本当に、一時はどうなるかと思いましたが……オリヴァー卿の粘り勝ちでしたね」


 そう言ったのは、私の大事な護衛騎士のひとりであるバルナバスだった。ちなみに私たちは今、ティータイムの後で王家の庭園内をのんびり散歩しているところである。


「そもそも殿下の護衛希望者は例年あとを絶ちませんが、その全てをオリヴァー卿が返り討ちにしてきたわけですからね。私が任につけたのも、子だくさんの既婚者というのが一番の理由ですし」

「それ、未だに信じられないのだけど……騎士団の方々は私の護衛なんて暇な任務を本当に引き受けたがっていたの?」

「暇などとはとんでもない! 殿下は我々のような下々の者にも分け隔てなく接してくださる尊きお方。いつもふんわりとした愛らしい笑顔を浮かべる癒しの姫君として大層な人気を誇っているのですよ」


 王族の方々はだいたい近寄りがたいですからね、とバルナバスが笑う。確かにお父様を筆頭に兄姉たちはだいたいが煌びやかで気高く少し近寄りがたい雰囲気を持っている。話しているとそんなことはないのだけれど、黙っていると怜悧な刃物のような鋭い印象を持つことも多いのだ。その点、私だけは唯一外国から嫁がれたお母様似――つまり、地味な色合いの狸顔なのだけれど、どうやらそれがプラスに働くこともあるらしい。


「……バルナバス卿、そこまでにしていただけますか。あまり殿下に余計なことを吹き込まないでいただきたい」


 そこで唐突に私たちの会話に割り込んできたのは、騎士の制服に身を包んだオリヴァーだった。どうやら交代の時間が来たらしい。彼はバルバナスが持っていた日傘をさっと奪うと、私を外敵と日差しから守るように傍へと寄った。以前よりも距離が近しく感じるのは、たぶん勘違いじゃない。


「余計なこと、ではないでしょう? どうやらルドヴィカ殿下はご自身のことをあまり客観視出来ていない様子。臣下として、その認識を正すことに何か問題が?」

「……必要なら私がしますのでお気遣いなく。さぁ、交代の時間です」


 あれよあれよとバルナバスを庭園内から追い出すオリヴァー。次いで彼は少しだけ面白くなさそうな表情をしながらもの言いたげに私をジッと見下ろしてくる。こういう素の子供っぽいところも、あの日以来少しずつ見せてくれるようになった。実はそれが、私はとても嬉しい。


「オリヴァー? どうかしたの?」

「いえ、殿下の人気を再確認して気が急くというか……もう一秒でも早く我が家に嫁いで来てくれないかなと思っただけです」

「ふふっ……それは流石に難しいわ。婚約期間は最低でも一年と、お父様も仰っていたから」


 臣籍降下や結婚式の準備にも何かと時間が掛かるのだ。せっかくなら、万全の状態でオリヴァーのもとに嫁ぎたい。それに彼だって私との婚姻に合わせて侯爵家を正式に継ぐのだ。本来ならば、こんな風に私の護衛騎士をしている暇なんてないはずなんだけれど――


「ねぇオリヴァー、貴方いつまで私の護衛騎士でいるつもりなの?」

「無論、貴女が私のもとに嫁いでくる日までこの座を譲る気はありません」


 解任してもまた全員倒して復帰しますからね、と真剣な表情で宣言するオリヴァーに。

 私は珍しく声を上げて笑ってしまったのだった。



【完】


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― 新着の感想 ―
…つまりオリヴァーは姫様が周りから愛されていることを気取らせず、自己肯定感の芽ををプチプチと摘み取ってきたということでしょうか。18歳の男が12歳の少女に対して。 偏愛という名の情報操作が怖いですね。…
合法ストーカーオリヴァーさんマジ怖いんですが、王家に大事にされてる王女さまを悪意や敵意や暴力から守り通すにはこれくらい偏執狂じみてないと無理なのかもな〜。数年前は戦争の危機があったということだし、世情…
オリヴァー、一途と見せかけた最悪の不忠者なんですけど。しかもヒロインに何も言わずに勝手に結婚の話進めるとか、本当に好きなのか?単なる執着なのでは? ヒロインがトチ狂った令嬢の妄言を本人に確認しないの…
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