一般論
お利口な一般論にはどこか忌避感を覚える。耳障りの良い言説は何となくしっくりこない。その堂々たる口ぶりが鼓膜の表面を微かに震わせただけで怖気がする。何を適当なことをぬけぬけと。そこいらの占いの方が何万倍もましだ。占いに謝れ。無論そうではない。そうではないことは我々自身が一番分かっていることだろう。何故なら一般論も呪いもどうしようもなく有用だからだ。それが有用であると誰もが確信しているからだ。有用なものは素晴らしい。素晴らしい? ええ、残念ながら素晴らしいのよ。それ自体に意味が宿るからだ。塞ぎ込んで何も喋らなくなるより、頭のネジが弾け飛んでぱっぱらぱーになるよりも!
伝わらなかったら、小鳥の囀りが1ミリも理解できなかったらしょうがないじゃないか。でも、他にどうすることが出来ただろうか。鳩の牛歩。稚拙な口論。噛み合わない線路。ずれたテーブルクロス。ああ、何てまどろっこしい。前提ごと吹き飛ばせ、根底から覆せ、そんなくだらない問いなんか。ちゃぶ台返し。そんなものはあってもなくてもちっとも変わりやしないのだから。固有の、固有の、固有の、固有の!
人魚の唄は聞こえない。耳を澄ませど澄ませど。