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クエスト1 『ダッシャーとティラノ』

 ダッシャー、本名:国崎暁音くにさきあかねは真っ直ぐで誠実な女の子だった。性格は明るく、自分にも他人にも真正面から向き合う素直さを持ち、目の前の課題や目標に向かってひたむきに努力する強さを持っていた。また、彼女には走りの才能があった。中学で陸上部に入部すると、一年生のうちから全国大会に出場する選手になった。努力を怠らないその愚直さによって、その才は怠けることなく磨かれ、中学三年生では全国大会女子一〇〇メートルで優勝、リレーでも好成績を残すという大選手になった。目標に向かって努力する、彼女はそのプロセスが好きだった。

 しかし高校生になった時、暁音あかねは大きな壁にぶつかる。自分よりも速い選手の出現である。中学では圧倒的な成績を残していた彼女も、高校では二番手三番手となり、上位数名の一人という立ち位置になっていった。一番になれないこと、狙った成果を出せないこと——それは彼女にとって、大きな壁だった。目標を持ち、努力を重ね、成長していく。それでも、簡単には届かない目標。これまでのやり方では届かない目標。——彼女は変化を求めていた。

 サンタローに出会ったのは、そんな時だった。高校一年生の冬、暁音はサンタローにトナカイになって欲しいと言われた。また、彼は陸上競技のための新たな環境も提供してくれると言った。彼の話とその人柄に魅力を感じた暁音は提案を承諾、彼女はダッシャーとなった。

 サンタローが与えてくれた新たな環境は、陸上選手としての彼女にも良い変化を与えた。暁音は成長の活路を見出し、実力を高め、成績を少し上げた。それと同時に、彼女はダッシャーとしての自分にもやりがいを見出していた。彼女は持ち前の真面目さを発揮し、トナカイの仕事にも真摯に、積極的に取り組んだ。

 しかしそこで、彼女は新たな壁にぶつかった。自分と同じポジションにいながら、自分とは別格の存在——コメットとの出会いである。初めて、「届かない」と思った。「かなわない」と思った。努力を続けた先で、彼に勝てるビジョンが見えない。そういう思いを直視してしまった。それは、胸のどこかで秘めていた気持ちの蓋も開けてしまった。陸上競技においても、彼女は高校で突然現れた怪物に対して「勝てないかもしれない」という言葉がよぎるようになった。

 それでも、ダッシャーは努力を重ねた。陸上選手としても、トナカイとしても、自分の掲げた目標に向かって真摯に努力した。それでも、その差は充分には埋まらなかった。

 そして数日前、チーム対抗トナカイ対決において、ダッシャーはコメットに大敗した。表面上は平静を装いながら、彼女は深い迷いのなかにいた。不安を覚えた。未来に対して、そして現在に対して。この先、自分は望むところまで辿り着けるのだろうか、と。今、自分がしていることは正しいのだろうか、正しい未来へ続いているのだろうか、と。そんな不安が、ダッシャーの胸の内をいっぱいにしていた。

 ——あるいはそれが理由だろう。この気分を変えたかった。なんでもいいからきっかけが欲しかった。だからその日、ダッシャーは声を掛けた。高校生の通常就業時刻を過ぎ、ダンサーとの訓練を終えてもなお、一人で歯を食いしばり練習を続けていた見習いトナカイ——トレーニングルームでティラノを見かけた時、ダッシャーは声を掛けていた。

「お! ティラノじゃん! ダンサーとの特訓が終わったのにまだ自主練? 頑張るねぇ」

「ダッシャー……。ハハ、結局チーム練習は休止したままだからね。その間に少しでも力をつけようと思って」

 ティラノはスーツでの旋回トレーニングを続けたまま返事をした。それをみて、自身も自主トレ終わりだったダッシャーは叫びかける。

「まだ続ける? 私もスーツに着替えてくるから、ちょっと待ってて! 久しぶりに一緒にトレーニングしようよ」

 そう言って、返事を聞くこともせず更衣室へ駆け出した。まだ今日は、身体を動かしたりない気分だった。

 それからダッシャーは、ティラノと一緒にトナカイスーツの自主練に励んだ。助言を求めるティラノに指導をするのが中心だったが、それは気が紛れて丁度よかった。

 ——それにしても。ダッシャーは思う。この短期間でずいぶん力をつけた。もちろん、まだ実戦で活躍するには遠く及ばないが、それでもその動きには積み重ねた努力の跡が伺える。ダンサーとの特訓の後だというのに、こちらの指導に粘り強くついてくる。噂では、あの厳しい態度をとっているドンダーに対しても、挫けることなく関わり続けているという。

 練習終わり、すっかりヘトヘトとなり壁沿いに腰掛けるティラノに、ダッシャーはドリンクボトルを差し出した。

「はいこれ。結構ガッツリやっちゃったね、大丈夫だった?」

 言いながら、ダッシャーはティラノの横に腰をおろす。

「ありがとう。いやまあ、結構疲れた……、へへ」

 そう言いながらも、疲労が溜まったその顔には少しの笑みも浮かんでいる。まるでこの疲労を楽しんでいるようにすら見える。ティラノだって、この間のトナカイ対抗戦は参加していた。だから確実に目にしたはずだった、自分よりも確実に格上の存在達を。そして、直接的な否定の言葉もぶつけられていた。にも関わらず、ティラノはへこたれた様子もなく、こうして今日も努力を続けている。それは、ダッシャーがその質問をするのに十分な姿だった。

「ねえ、……どうしてそんなに頑張るの?」

 突然の質問に、ティラノは驚いたような顔をみせる。何を聞かれているのかわからない、という表情だ。

「いまどんなに努力を重ねたって、クリスマスには間に合わないかもしれないんだよ……? もし間に合ったとしても、ローズチームに勝てるかどうかなんてわからない。次なんてないかもしれない。全部無駄になっちゃうかもしれない……。それなのになんで、ティラノはそんなに頑張れるの……?」

 すべて言い終わった後で、ダッシャーは自身の失態に気づく。

「あっ、ごめん! 別に否定したいわけじゃなくて! ……ごめん、忘れて‼︎」

 そう言って手を合わせるダッシャーの前で、ティラノはやはりきょとんとした顔をしていた。

「……え? どうしたの?」

「……あ、いや。ダッシャーみたいな努力家にそこまで言ってもらえるなんて思わなかったから。ほんと、こんな程度でダッシャーにそこまで言ってもらえるなんて畏れ多いなって。 だからちょっとびっくりしてた」

 ティラノはそう言って笑い、それからトレーニングルームの高い天井を見上げた。

「僕もさ……、何度も思ったよ。できない、間に合わない、無駄だ、やめてしまえ、って。実際、僕はそうやって何度も逃げてきた。だから、僕は別にダッシャーが言ってくれるほど大した人間じゃないんだよ」

「……でも今は——」

「——でもね、気づいたんだ。それでも僕は、前に進むことをやめたくないんだ、って」

 ティラノは確信した表情で正面を見据える。

「僕はさ、何度も逃げてきた人間なんだ。だからこそ思うんだ。向き合うのは怖いし、とっても辛いことだってある。でも、追い求めなくなる自分になることはもっと怖い、前に進もうとしていないことはもっと辛いんだ、って。……ううん、違うな。僕さ、いま楽しいんだよ。こうやって目標に向かって努力するのが楽しい。練習終わりの達成感が心地いい。少しずつでも、自分が成長していると思えるのが嬉しい。……たとえ成果が出なくても、僕は続けると思う。だって知ってしまったから! 向き合うことを、『たのしい』と思ってしまったから……!」

 ティラノの言葉に、ダッシャーは心を震わせた。それは、決して新たな考え方に出会った感動などではなかった。

 ——そうだよ。その通りだよ。私はその考え方を知っている。ずっと思ってきた。真剣に取り組むことは面白い、目標に向かって努力することは楽しい、自分の変化を感じられた時は嬉しい——そんなこと、何万回だって感じてきた。それはずっと、私の中心だった。

 ……なんで忘れていたんだろう。いつの間にか成果にとらわれ、一番大切にしていたことを忘れていた。自分の根っこを見失っていた。

 ——そうだ。最初から悩む必要なんてなかったのだ。たとえ成果が出なくても、それは今努力することをやめる理由にはならない。だってやりたいのだ! 取り組むことが、楽しいのだ! 努力している自分でありたい、そういう自分が好きなのだから。

 急に笑い出したダッシャーを見て、ティラノは困惑しているようだった。

 涙が出るほど笑ったあとで、ダッシャーは跳ね上がるように立ち上がった。

 ——もう大丈夫だ、と思った。

「えっと……、どうしたの?」

 脈絡のない行動の数々に、ティラノが恐る恐るといった調子で声をかけてくる。

 ……まさかティラノに気づかされるなんてね。

 その頼りない顔がなんだかとてもおかしくて、そして可愛らしくて、ダッシャーは笑った。目を細め、口の端を思いっきり引っ張って、満面の笑みを浮かべた。そして一言——イタズラっぽく、精一杯の皮肉を込めて。

「ティラノ……、生意気‼︎」


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