プロローグ「サンタ苦労する」→第一章「三択ロスト」
男は困っていた。
本やらノートやらが山のように積まれた自身のオフィスの中で、黙って思案を続ける。
視線の先には、男が開発した野良猫型ロボットのアイカメラのライブ映像が映し出されたモニター。今はちょうど、神奈川県にある高校のあたりをふらついているようだ。
ウィン、と音がなって自室の扉が開く。さながらSFに登場するようなそれは、技術の発展が凄まじい現代——二〇二〇年代においてもまだ珍しい。というより、これはある種のロマンだろう。三つに分割して開く扉など、効率を考えれば技術があっても作らない。
「……研究を深めるのは構わないのですが、せめて私が通れる道くらい用意してもらえると助かります」
扉から入ってきた秘書らしい女は、大して呆れた様子もなくそう言って、床にまで散らばったノートやメモやらを片付け始めた。男はそれを気にするでもなく、相変わらずモニターと虚空の間を眺めている。
やがて片付けが終わると、女はパンプスで床を鳴らし、男のデスクに持っていた資料を積んだ。
「各部署からの報告書と追加のスケジュール表、スポンサーからの手紙です。時間がある時に目を通しておいてください」
男は何も言わない。視線を動かしもしない。
「……いつも通り、手紙の返事は私がしておきました。報告書とスケジュールについても、特筆すべき点はありません。これは、メモ用紙にでもしておいてください」
女はそう言うと、部屋の隅にあるポットでコーヒーを入れ始めた。
「ところでサンタロー、トナカイ達がまた言い争いをしていたようです。このところ毎日ですね」
女の言葉に、男——サンタローはようやく振り返る。
「あいつらがケンカ別れでもしたら、花火があがらなくなる。そうしたら、今年のクリスマスはめちゃめちゃだな」
「……何か考えがあるみたいですね」
女は自分の分だけ用意したコーヒーをすすりながら言う。
サンタローはニヤリと笑い、視線を元のモニターに戻した。
「ルドルフだよ。……バラバラになってしまった八頭も、暗い夜道も同じ。困ってしまったサンタを助けるのはいつだって、気弱で心優しい、赤鼻のトナカイなのさ」
その言葉を受けて、女もサンタローのモニターを覗き込む。
——そこには、ひどく肩を落とした一人の男子高校生が映し出されていた。
第一章 「三択ロスト」
「お前ら、サンタっていつ頃まで信じてた?」
文化祭が迫る九月の終わり。どことなくソワソワした空気も混じる二年二組の教室で、友人の何気ない話題に、二宮太郎は肩をすくませた。
「ん〜、小学校六年くらい?」
「俺は小三くらいかな〜」
一緒に雑談をしていた友人達が口々に答えていく中、太郎はどうしてもスムーズに答えを出すことができない。
「太郎は? いつまでサンタ信じてた?」
「俺は……、……俺は今でも、サンタを信じてるよ」
太郎が予期していた通り、友人達の反応が一瞬止まる。
「いや、もちろんさ、プレゼントは親が用意してるんだってわかってるよ! ……でも、なんていうかその、サンタは、サンタはいると思ってる……」
声と共に弱々しくなっていく空気感に、友人の一人がすかさずツッコミを入れる。
「いや、どっちだよ! 矛盾してるだろ!」
それをきっかけとして、空気は明るいからかいのモードに変わる。
「確かに。親がサンタってわかってるのに、まだ信じてるってどういうこと⁈」
「いやでもなんか、太郎っぽいわ! そういう感じ!」
そんな他愛ない雑談の空気に合わせて、太郎も笑う。自然に、空気に合わせて、「バカにすんなよ〜」と、友人達がいじりやすいように立ち回る。そんな行動を反射的にとってしまう自分が、太郎は嫌いだった。
「——あっ、そんなことよりどうなんだよ! お前、本当に今日……」
友人の一人が空気を切り替えるように大声をだし、それから秘密を確かめるように太郎に言ってきた。その言葉を聞いて太郎も先ほどまでのモヤモヤを振り払い、拳を固める。
「……放課後、話がしたいって呼んである」
「「「おおぉ〜‼︎」」」
「シ〜ッ‼︎」
友人たちの反応を抑制しながら、太郎はチラリと視線を彼女に向ける。
廊下側の一番後ろの席に座る、森下寧桜さん。
——太郎は、彼女のことが好きだった。
あまり外交的ではなく友達も少ないため、クラスではどこか浮いたような印象のある彼女。去年の秋頃に退部したらしいのだが、かつてはダンス部に所属していた。容姿・雰囲気ともに、『気品高い』という表現がよく似合うと太郎は思っている。胸の辺りまでサラッと伸びた髪に、スッと据えられた綺麗な瞳。ダンサーとしての彼女が生み出すのであろう、軸の通った美しい立ち姿に、引き締まった四肢。スカートから覗く生物的魅力に溢れたふくらはぎ太ももは、容易に太郎の性癖を変えた。クラスには「彼女には胸が足りない」と揶揄する男子もいるようだが、その控えめ具合も彼女の魅力だとなぜ気づかないのか、太郎には不思議でならなかった。
高校生の一大イベントの一つである文化祭、それを寧桜と回りたい。それも恋人として。そのために、文化祭前のこの時期を告白の日に選んだ。
今日は人生を左右する重要な日——太郎はそう確信し、意気込んだ。
放課後。人通りの少ない校舎の隅にある空き教室で待つ太郎のもとに、寧桜がやってきた。普段と変わらない冷静な佇まいで、夕陽が差し込む放課後の空き教室に入ってくる。対する太郎は、足をプルプル振るわせながら頭に残ったわずかな余裕でなんとか表情だけ平然を装っていた。先程から心臓もうるさい。何度も何度も繰り返した告白のシュミレーションはその八割がどこかに飛んだ。
「ごめん、待たせた?」
寧桜はそう言い、太郎の目の前に立った。実は、太郎は寧桜とまともに喋ったことがなかった。それは二人のコミュニティの違いと太郎の気弱な性格によるところが大きかったのだが、ともかく太郎は寧桜に対して憧れにも近い一方的な好意を抱いていた。故に、普段は目の端で追うだけの存在である彼女が目の前にいて、目を合わせ会話をしている二人きりのこの空間は、太郎にとって彼女への想いを再確認するのに十分な幸福感を与えた。
「ううん、待ってないよ。ごめんね、急に呼び出したりして。……お、驚いたでしょ」
「ううん、大丈夫。確かに少しは驚いたけど。これまであんまり話したことなかったし」
「だ、だよね……‼︎」
「うん」
「……そ、それでさ! は、話っていうのは……」
「うん」
「えっとね……、えっと……。急にこんなこと言われても困ると思うんだけど……、僕、森下さんのことが、森下さんのことが……、森下さんのことが、好きです!」
瞬間、太郎は自分の視界が真っ白になるのを感じる。それはまるで立ちくらみの時に見る景色のようで、太郎にはもはや目の前の寧桜の表情すら見えていなかった。
「二年生で同じクラスになって、一目見た時から綺麗な人だなって思ってて……、綺麗って言っても見た目の話じゃなくて! あっ、もちろん見た目もすっごく綺麗だなって思ってるんだけど、そうじゃなくて生き方というか、振る舞いとか考え方とか、発言一つとっても何か信念見たいなものが感じられて、そういうのめちゃめちゃカッコいいなっていつも思ってて……」
直後に訪れる沈黙を埋めようと矢継ぎ早に話す太郎に、もはや冷静な思考などない。余裕もない。頭に浮かんだことをそのまま、この告白の成功率が上がることを願ってひたすらに垂れ流す。
「……そんな森下さんのことを、もっと深く知りたいな、って思ってます。だから……、もしよかったら、僕と付き合ってください! お願いします!」
そう言って太郎は、右手を前に差し出しながら深々と頭を下げた。これ以上寧桜と顔を合わせていられなかった。心臓の音がうるさい。多分、呼吸も荒い。けれど、その全神経は彼女へと向けられていた。どんなに些細な反応でも、逃さず捉えようとしていた。
「……二宮くん、でいいかな? 呼び方」
「う、うんっ!」
告白の瞬間から今まで、寧桜から拒絶らしい反応は見られない。かといって、ポジティブな反応も得られていない。太郎は、寧桜の腹の底が読めずにいた。
「——二宮くんはさ、サンタクロースって、いると思う?」
「……え?」
思わず顔を上げる太郎、視線の先には変わらぬ表情の寧桜がいた。
「え……、サンタクロース、って言った? 今……」
「うん。いると思う? ……今日、教室でそんな話をしてたよね」
教室での自分の姿を見てくれていた、という喜びが一瞬生まれ、それはすぐに疑問と困惑の声にかき消された。寧桜がなぜそんなことを聞くのか、太郎にはまったくわからなかった。ただ、告白直後のこのタイミングである。この質問に対する返答が、告白の成功を左右するものであると直感的に判断した。
「えっと、サンタね……。サンタクロースは……」
頭の中に様々な思考がよぎる。告白の結果、謎の問いかけ、クラスでの会話、そして、彼女と付き合いたいという願い。彼女に、嫌われたくないという願い。
「サンタは、高校生になる前までは信じてたよ。……結構長いかな? 今日も、友達に少しバカにされたっていうか、ハハ……」
太郎はそう言って、茶化すように笑った。
「……なにそれ」
直後、耳に届いた声が誰のものであるか、太郎は一瞬わからなかった。それほどまでに毒々しく、これまでの雰囲気を一変させたような声を寧桜は放った。
突然の変化に戸惑ったのも束の間、鋭い目つきのまま踵を返した寧桜を、太郎は慌てて引きとめる。
「ちょっ、森下さん! ちょっと待って! 今の質問なに⁈ というかその、返事は……」
「——私、自分の愛を簡単に曲げる人なんか、好きじゃない」
それだけ言い残して、寧桜は太郎の前から去っていった。生まれて初めての失恋に、太郎はしばらくその場から動けなかった。
校舎を出た時、すでに太陽は地平に隠れ東の空から暗闇が近づいていた。
太郎は天を仰ぎ、空気を体いっぱいに吸い込んでから、それを吐かずに止めた。やがて体が酸素を求めだした頃、栓を抜くようにして息を吐き、それから乾いた笑みを浮かべた。
太郎が通う高校から最寄り駅までは、徒歩二十分の距離がある。わずらわしく感じることのあるこの距離が、今日ばかりはありがたかった。
頭の中で先ほどのやりとりが何度も繰り返される。与えられた結果に対して、それを受け入れられない自分。今日に至るまでの過程に誤りはなかったか——そんなことばかり考えてしまう。ふと思い出すのは、寧桜の最後の言葉。そして、自分が曲げてしまった言葉。
——サンタは、高校生になる前までは信じてたよ。
あの瞬間、太郎は寧桜に嫌われることを恐れた。教室でからかわれた時と同じように、彼女にバカにされ、受け入れられないことを恐れたのだ。
その結果、自分で自分を曲げてしまった。そしてそれこそが、彼女に突き放される理由となったのだ。なんとも皮肉な話だ、太郎はあざけるように一人で笑った。
「——君は、サンタはいると思うかい?」
突然、前の方から声がして太郎は顔を上げる。しかし誰もいない。気のせいか、と太郎は再び歩き始める。
「——君だよ君、そこのひどく肩を落とした黒髪短髪の男子高校生!」
明らかに自分のことを指しているその言葉に、太郎はもう一度周囲を見回す。
「違う、下だ。足もとのネコだよ」
言われるがまま視線を落とした先、黄金色の毛並みをした一匹の野良猫がこちらを見上げて座っていた。
「そう、このネコさ。ああ、あんまり驚かないで。魔法にでもかかったつもりでいてくれよ」
確かに人の言葉を話している猫に驚く太郎を、彼(?)はすかさず制する。
「そんなことより、質問に答えてほしい。君は、サンタはいると思うかい?」
昼と夜の境目——トワイライト、彼は誰時、もしくは逢魔時。世界の輪郭がぼやけて、人ならざる者に出会うかもしれない時間。太郎は目の前に現れた不思議な存在を、そんな時間が連れてきた魔物だとでも思うことにした。この際、細かいことはどうでもよかった。なぜなら、このネコはあの質問をしてきたからだ。今の太郎にとって、それは胸の内を明かすのにこれ以上ないトリガーだった。
「……小さい頃、サンタは本当にいるって信じてた」
ゆっくりと語りだす。遠くから迫る大波の、波より先に届く音のように。
「……だから、サンタがいないって教えられた時、プレゼントを置いていたのが親だったって両親に明かされた時、心の底からショックを受けた。世界の何かが、崩れた気がした」
ネコは何も言わずに太郎を見上げている。その顔では、聞いているのかすらわからない。
「……友達もみんな、サンタはいないと言う。ネットを見れば、サンタがいないことは事実として扱われている。誰も彼も、サンタは本当はいないんだと、本気でそう言ってる……。でもさ……」
太郎は歯を食いしばり、拳を力の限り握りしめる。
「——それでも、サンタはいるんだよ……‼︎ 存在の証明方法なんて知らない! 人が作り出した幻想であり架空の存在、それが事実だ——なんて言う声なんか知らない! サンタは、サンタはいるんだよ……。世界のどこかに、絶対……」
いつの間にか、太郎は涙を流していた。小さい頃はいつもそうだった。怒るときには、いつも涙が流れていた。理不尽にあらがう時、心か身体のどちらかが、いつも泣いていた。
ネコは変わらぬ表情で太郎を見つめている。
「僕は今日……、否定してしまったんだ。自分自身で……。サンタを信じることは、恥ずかしいことだって、そう言うかのような行動をしてしまった。森下さんがああ言うのだって当然さ。僕だって……、こんな自分が大嫌いだ」
——こんな、人や空気に流されただけで自分を見捨ててしまう、己の弱さが。
「……くそっ、なんだよ。今だって『信じる』って言い方をしちゃってる。結局僕も、『サンタは事実として存在する』って言い切れてない。そんな言い方をしちゃうからダメなのかな。本当は、どこかでわかってるのかな——やっぱりサンタなんかいない、って」
——それでも。それでも僕は、自分を諦められない。
「……でもそうじゃないじゃん。そうじゃないんだよ! サンタはいる、わからないけど、きっといるんだ! だって——」
風が波となり木々を揺らした。
「サンタがいないなんて、つまらないじゃないかっ……‼︎」
その時、これまで表情のわからなかった野良猫が、ニヤリと笑った気がした。
——次の瞬間、猫の目の前の空間がグニャリとゆがんだ。かと思えば、太郎は謎の力でそこに引き寄せられる。太郎はそのまま、栓を抜いたお風呂のお湯が流れているようにしてどこかに連れていかれた。
『ふぁーっはっは‼︎ 最高だ‼︎』
自分の叫び声を聞きながら、太郎はどこからかその声を聞いた気がした。
目を開くと、山のように積まれた本や書類などの紙片が視界を埋め尽くした。すっかり抜けてしまった腰でなんとか立ちあがろうとするが、足元の紙で手を滑らせ転んでしまう。その衝撃で周囲に積まれていた書類が崩れ、太郎はあっという間に紙に埋もれてしまった。
それらを払いのけて起き上がると、山が崩れクリアになった視界によってこの部屋がかなり広いということがわかった。パッと見だが、太郎の教室を横に二つ並べたくらいのサイズはあるだろう。床は木目調のフローリング、壁は白く、天井は高校の教室の倍くらいの高さ。正面の壁には黒板を二枚積み上げたようなサイズのモニターがあり、その前に大きなデスクが教卓と同じようにこちらを向く形で置かれている。デスクの上にはデスクトップパソコンのモニターが六枚、それがアームによって立体的に配置されているのが見えた。
「あっはっは! さっきはあんなにカッコよかったのに、滑って転んでキョトンの顔! いいね、やっぱり君は最高だ‼︎ それでこそ俺が探し求めていたトナカイだ‼︎」
モニターの裏から先ほどのネコの声が聞こえてくる。直後、六枚のモニターは電動アームによって左右に分かれ、その奥にいた人物の姿をあらわにした。パッと見は二十代くらいの白髪の男性。顔立ちからして日本人だろう。眉毛が黒いことから、髪は白染なのだとわかった。髪はそれなりに長さがあり、それらを後ろで一つにまとめている。顔立ちは精悍、けれどそれとは似つかないほど感情がよく出たあたたかい笑みを浮かべている。その瞳は森の木々を思わせる穏やかさがあった。服装は黒いデニムパンツに白のパーカー。体型はパーカーの上からだとわかりづらいが、顔立ちから察するにそこまで太くはないのだろう。胸元にある赤いワンポイントが夜空に浮かぶ月のように目をひいた。
男は愉快そうに笑いながら、デスクを迂回し太郎の元に歩み寄って来た。
「大丈夫か? ケガは?」
差し出された手に太郎は困惑する。何をするにも、まず説明が欲しかった。
「サンタロー、まずは説明を! それと、彼はまだトナカイではありませんよ」
突然背後から声がして太郎は振り返る。そこには黒タイツにスーツ姿の絵に描いたような秘書姿の女性が立っていた。赤い髪を後頭部の辺りでワニクリップによって一つにまとめ、手にはコーヒーカップを持っている。角のある大人びた顔にはうっすらと化粧が施されて、赤い口紅が太郎に大人の印象を与えた。一方で、その態度は秘書というにはいささかイメージが外ており、袖はまくられ片手を腰に、重心を片足に寄せて、わがもの顔で目の前の男に発言していた。秘書というより、美人教師の方だったかもしれない。
困惑している太郎の目に気がついたのだろう、秘書姿の女性はニッコリと太郎に微笑み、「大丈夫よ」と言った。その笑顔が、フラれたばかりの太郎の心によく刺さった。
一度きちんと説明させて——という美人教師の言葉で、この場は一度しきり直すことになった。崩れて散らかってしまった紙は大雑把に片付けられ、太郎には椅子と紅茶が用意された。太郎はコーヒーが苦手だった。
「……少しは落ち着いた?」
「まあ……。相変わらず、状況がまったくわからなくて困惑してますけど……」
悪い人達ではなさそうだ、それが太郎の抱いている印象だった。もっとも、それすらも確信することはできない状況、出してもらった紅茶にも口をつけていなかった。
「もういいか⁈ じゃあ早速だが——」
「——まだダメです」
美人教師の一言で、白髪の男はつまらなそうに口を閉じる。
「ごめんね、急にこんなところに連れて来ちゃって。ただ安心して、私たちはあなたに危害を加えるつもりはないわ。私の名前はレーラ。この人は……、私たちはサンタローと呼んでいるわ。よかったら、気軽に名前で呼んでくれると嬉しいな」
冗談みたいな名前だな、と第二外国語でドイツ語を学んでいる太郎は思う。レーレリンだったら完璧だったのだが、さすがに名前としては不自然だろうか。
「僕は……、二宮太郎です」
礼儀として名乗り返す。太郎の言葉にレーラは大人の女性らしい上品な笑みを浮かべ、「よろしくね、太郎くん」と言った。一瞬手詰まりのような沈黙の時間が流れ、その隙を使って太郎は聞けずにいた疑問を口にした。
「ここは……、どこなんですか? というか、僕はどうやってここまで?」
「ここは、地球上のとある場所にある私たちの秘密基地よ。場所は言えないの、ごめんなさい。でも安心して、帰れるわ。太郎くんをここに連れて来たのは、簡単に言えばワープ技術。ここにいる身勝手さんが開発したの。……こう見えて、このひと世紀の大天才なのよ」
「ワープ⁈ そんな技術が実在するんですか⁈ そんなの大ニュースじゃないですか! ……でも、もし仮にそれが本当なら、それが世に出てないのはおかしくないですか?」
被験者にワープと錯覚させるトリックを、太郎はかつて映画で見たことがあった。太郎があの猫と話しているうちに背後から近づき頃合いを見て気絶させ、気絶した身体をここに運んでから目覚めさせた、という可能性もある。ワープという非現実的な技術の存在を信じるより、目の前にいるのはそのような手荒なマネをする人達であると認識することの方が太郎には簡単だった。
「……太郎くんの主張はもっともよ。それは、彼の天才ぶりを知った大人が全員思うこと。この人は活動のためにしか、自分の技術を使わないし、明かさないの。でもそれがサンタローの魅力であり、だからこそ私たちは彼のことを……って、少し余計なことを言ってしまったわね!」
レーラは慌てたように言葉を切ると、わざとらしく咳払いをした。正体を見破るような指摘をしたつもりが、返ってきたのは頬を赤らめる彼女とキョトンとするサンタローの表情。太郎は意味がわからなかった。
「ともかく、サンタローの技術は誰にも公開されていないの。けれど、あなたは確かに彼のワープ技術でここまで来た。わずか一分足らずでね」
太郎はスマホを取り出し時間を確認する。スマホの時計は、太郎が学校を出てから三十分後の時刻を指していた。もちろん日付も、太郎が寧桜にフラれた記念すべきこの日のままだ。
「……信じてもらえた?」
さすがにこれは信じざるを得ない。……いや、けれど携帯に細工されている可能性も——
「——もういいだろ」
疑念を膨らませる太郎の前で、白髪の男——サンタローがそう言って腰をあげた。
「いくら証拠を並べたって納得できないことだってある。俺たちが共にしている信念は、まさにそういうものじゃないか。だから、疑われたままならそれで構わない! 俺たちは俺たちの真実を伝えるだけだ!」
サンタローはそう言って太郎のそばにやってきた。先ほどは順序を優先しそれを止めたレーラも、今回は何も言わなかった。
サンタローは比較的安定している紙の山に腰を下ろすと、真剣な目をして太郎を見た。
「……サンタがいないなんてつまらない、確かに君はそう言った。教室では、『サンタを信じている』と、プレゼントを用意する存在としてのサンタが親であると知っていながら、それでもサンタはいるのだと、友人達に伝えていた」
なぜ教室でのことを知っているのだろう、浮かんできた疑問は向けられた瞳の熱でどこかに隠れてしまった。
「——サンタはいる。俺もそう思うし、それは事実だと思っている。サンタは確かに存在しているんだ。ただ、多くの人がそれを認めないだけで」
突然の言葉に、太郎は目をパチクリさせる。今日初めて、自分以外の口からその言葉が出るのを聞いた。
「俺の名前はサンタロー、サンタクロース代理だ。サンタがいないなんて言うつまらない世界を変えるために、サンタを信じやすい世界を作るために、本物のサンタとしてプレゼントを配る活動をしている」
「サンタクロース代理? プレゼントを配る活動って、それはどういう……」
「——よく聞いてくれた‼︎」
サンタローの大きな声に、太郎はのけぞり、レーラは苦笑いを浮かべた。
「今の世の中、情報があまりに統制されすぎている。科学的論証に基づいた情報が事実として幅を利かせ、空想や誤った情報を許さない。それによって、曖昧さが生み出した数多くの素晴らしい産物が否定され、消えていった。そして、サンタもその一つとなりつつある」
急に話が難しくなった。サンタローの背後では、レーラがどこか申し訳なさそうな顔をしている。どうやら墓穴を掘ってしまったのだと、太郎は理解した。
「俺が小さい頃、『サンタはいないんだよ』と言うのは周りの友達ぐらいのものだった。親に聞けばサンタはいると言うし、友に否定されたところで、サンタがいるという事実は変わらなかった。だが今はどうだ? 友達は言うだろう、ネットに書いてあったと。多くの人がそう言っているし、それは紛れもない事実だ、それなのにお前は何を寝ぼけたことを言っているのだ、と——そう罵られるだろう」
身に覚えのあるような話に、太郎は想像してみる。もしも小学生の頃にそんな体験をしていたら、果たして自分は、もはや信念と呼んでもいいこの想いを、守り通すことができただろうか。
「俺からすれば、サンタはいないと言い切ることの方が難しい。世の中には、見えないけれど確かに存在するものがいくらでもある。そういうものが、世界をつくっている。見えないこと、存在が証明できないことは重要ではない、それでサンタの存在は揺るがない。大人だって、サンタの存在を信じてしかるべきなんだ。……だが結果として、サンタはいないと信じる者、子供が増えていった。サンタがいないことは、事実として広く認知されるようになった」
サンタローは残念そうな顔をしていた。けれど、太郎はその逆の顔をしていた。今、肯定された気がした。自分が感じていたけれど言葉にできなかったこと、どう言葉にすればいいのかわからなかった主張を、サンタローが言葉にしてくれた気がした。
「——だがそれはつまらん‼︎ サンタがいることを信じられない世界なんて、つまらなくてしょうがない‼︎ そうだろ? だから俺は考えた、どうすればサンタを信じやすい世界にできるか、ってな。そして思いついた! 俺がサンタになろう、俺が本物のサンタの役をしようってな‼︎ 俺が本物のサンタとして振る舞うことで、サンタの存在をわかりやすい事実にする。そうすれば、表面上の事実しか信じられない人間も言い出すだろう『サンタっぽいことをしてる人間はいる』と。サンタを否定された子供は言うだろう、『だってサンタさんからプレゼントが届いたじゃん。君もでしょ?』と。それが俺たちの活動だ。どうだ、面白いだろ?」
コクリ、太郎はなんとなくうなずいていた。
「ですが——」
冷静で理知的なレーラの声が、熱い流れを断ち切るように部屋に響いた。正面のモニターが起動し、何かのデータが映し出される。
「実はその活動は失敗続き。これまで二度クリスマスイブを迎えてきましたが、いずれもプレゼントを配れたのは一つの都道府県だけ。そのため、我々にとって今年のクリスマスで結果を出すことは絶対条件なのです」
「——大丈夫だ‼︎ 今年は一味も二味も違う。去年は試験運用に留めていたトナカイシステムが、今年は本格的に機能する。もちろんそれだけじゃない。今年は確実に、日本中の子供たちにプレゼントを配ってみせるさ!」
気合い十分という様子のサンタローを見て、何かワクワクしたものを感じる太郎。
——しかしここで、実は一番大切なことを教えてもらっていないことに気づく。
「……それで、僕はいったい何のためにここに連れてこられたんですか?」
「ん……? ああそうだった‼︎ 一番の本題がまだだった。実は君には、俺たちの手伝いをしてほ——」
——カシャン、ウィン!
「——ありえない! まじ最低、マジ最悪! ちょっと聞いてよサンタロー‼︎ プランサーのやつ、私が練習してる姿を見て『お腹の脂肪が揺れてるのが気になった』って言ってきたの! ひどくない⁈」
背後の扉がSFチックな音と共に開き、そこから一人の少女が何やら怒った様子で声を上げながら入室してきた。
若干色素の薄い茶色がかった髪はさっぱりとしたショートカットに切り揃えられ、それが幼さの残る丸みのある顔、大きな瞳とよくマッチしている。身長は太郎より少し低い一六〇センチくらいだろうか。問題は少女の格好にある。極端に短いズボン、ほぼスポブラと言ってもよさそうな胸のあたりまでしか布地のないノースリーブのトップス——いわゆる、陸上競技の走る種目などで着用される服装である。それによってあらわになったハリのある太もも、ウエストのくびれに、控えめなおへそ。身体のラインがこれでもかと言うほど強調され、普段学校生活では見ることのないレベルの露出に思わず目を逸らしてしまう。運動性に特化させるベく鍛え抜かれたその身体には、しなやかな筋肉とそれが生み出す動物的な美しさがあり、そこに共存する控えめな胸の膨らみが太郎の性的趣向にぶち刺さった。
少しバサついた髪とうっすら滲む汗、どうやら彼女は先ほどまで走っていたようだ。この部屋の外はどうなっているのだろう、太郎は脳裏でそんなことも考えていた。
「まあまあダッシャー、一度落ち着いて。サンタロー、笑うのをやめてください」
「笑うとかひどくない⁈ 大体、私そんなに太ってないし! っていうか、こういう格好してる女子高生にあんなこと言うなんて、ほんっとプランサーのやつ最低!」
「あっはっは! あ、間違えた。ふぁーっはっは〜‼︎」
「……ウザすぎ」
あれ、僕の話はどうなったんだろう——そんなことを思う太郎だったが、今はこの話をどんな顔で聞いていればいいのかわからず、ひたすら愛想笑いを浮かべていた。
「まったく……。それでダッシャー、あなたはプランサーとまた喧嘩をしたの?」
ダッシャーと呼ばれている短髪の少女はこくりとうなずく。
「喧嘩するほど仲がなんとか、ってな……、イタッ!」
秘書がボスを叩いた……。レーラは先ほどコーヒーを片手にしていた時とは打って変わり、見た目相応の年上女性の空気を目一杯に放ちながらダッシャーを見つめた。
「……そうね、確かにプランサーは女心の勉強が足りてなかったみたい。でもねダッシャー、もしかしたらあなたも、男心の勉強が足りてなかったのかもしれないわね」
「……なにそれレーラさん、どういうこと?」
「照れ隠しをしている男の子って、とっても可愛いんだから……」
ダッシャーは『はてなマーク』でいっぱいの顔をしていたが、太郎には少しだけプランサーという人の言葉の意味がわかった気がした。
「……あれ、ところでこの人は誰?」
突然向けられた視線に、太郎は激しく動揺してしまう。日陰男子である太郎は、キラキラした女子に注目されるのがとても苦手だった。
「ああ、こいつは新入り。今日からトナカイ見習いとして、お前らの手伝いとかをしてもらう予定」
「「え?」」
キラキラ女子と声が重なった。サンタローは「ジンクス! っしゃ〜!」とか言ってる。わけがわからん。——じゃなくて。
「えっ、どういうことですか⁈ 手伝いって、僕まだ何も聞いてないし言ってないんですけど‼︎」
「俺たちの活動については説明しただろ? 君もそれを聞いてワクワクしていたように見えた。それに、俺は君の言葉に震えたんだ。サンタに対する強い想い、それこそ、俺たちに最も必要な力だ。君を見込んで頼んでいるんだよ。頼む、今年のクリスマスまででいい! 一緒に働いて俺たちを助けてくれ!」
「え〜…………。後出しが過ぎますよ……。というか手伝うって、いつ何をするんですか」
「毎日学校が終わったらここに来てくれ! こう見えて、サンタは今から大忙しなんだ! できれば休日も全部!」
「ブラックすぎる……」
「ちょっと待ってよ! 私たち、別に手伝いなんて必要ないよ!」
「本当にそうかしら。このところ、徐々に手が回らなくなってるというデータがあるわ。彼は、それを解消してくれるかもしれない存在としてサンタローが選んだ人物よ。私も、太郎くんには手伝ってもらうべきだと思うわ」
「……レーラさんがそう言うなら」
「——ちょっ、ちょっと待ってくださいって! そんな責任、僕負えませんよ! なんのスキルもないし、そもそも何にもわかってないし! ……ほら、僕勉強とかありますし、それに人間関係とか、付き合いとかありますから、やっぱり毎日は……」
「勉強なら教えてもらえばいい。俺は教えるのは苦手だが、ここにいる連中は皆んな超優秀な奴らばかりだ。人間関係とかは……、ここで作れ!」
「そんな無茶な……。だいいちそんな紹介のされ方してこんなポンコツが来たら皆さんからガッカリされるに決まってるじゃないですか。僕、そんな怖いことしたくないですよ……」
太郎は顔を伏せ、尻すぼみでそう言った。
「……まあまあそう言うなって。俺はダッシャー違って女心も男心もよくわかっているからな。この話は、君にとっても悪い話じゃないと思うんだがな〜?」
サンタローは何やらとぼけた顔をしてそう言った。
「その発言がもうわかってない……」
「サンタローはある意味ダッシャーよりも酷いですよ」
「ある意味って何⁈」
ダッシャーとレーラからは全く肯定されていなかったが、サンタローは依然として愉快そうだ。
「えっと、それってどういう……」
太郎が顔を上げながら聞き返した瞬間——
——カシャン、ウィン。背後で扉の開く音がした。
「すみません遅れました。ちょっと学校で用事があって……って、え?」
聞き間違うはずもない。新たに部屋に響き渡ったその声は、今、太郎の耳に最も焼き付いているあの声だった。
「……え、も、森下さん⁈」
「二宮くん……、なんであなたがここに……」
諸々全てを乗り越えた今日一番の衝撃に声をあげる太郎。想像もしていなかった再会に、森下寧桜も同じレベルで驚いていた。
「え、なに、ダンサーこの人と知り合いなの?」
二人の反応を見て疑問を抱いたダッシャーが尋ねる。サンタローは、全てを知っていたかのように笑いを噛み殺していた。
「……うん。彼は学校のクラスメイトよ。……どういうことか、説明してもらえますよね、サンタロー」
「くっく……、ああもちろん。彼は新しい俺たちのメンバー、見習いトナカイ君だ。主にお前達トナカイの手伝いをしてくれる。仲良くしてやってくれ、ダンサー……、ブフッ」
「っ、メンバーって……。大体彼は、サンタローの手伝いをするような器ではないです! 今日だって——」
「——彼は涙を流して、『サンタはいる』と俺に宣言したよ。ダンサー、君の前でした発言のことを、心の底から後悔してた」
「そんな、まさか……」
「彼は、俺が直接選んで決めた人間だ。日本中の様々な人間を見て、話して、そうして見つけたのが彼だ。……みんな、俺の目を信用してくれないか?」
「え?」
振り返ると、部屋の入り口付近には六人の男女が立っていた。この騒ぎを聞きつけて集まってきたのだろう。サンタローは彼らを見て、力強く微笑んだ。先ほどまで笑い転げていたのが嘘のように、真っ直ぐに向けられたその瞳と言葉はこの場にいる全員を説得するのに十分な迫力があった。
「……サンタローがそこまで言うなら……」
寧桜はそう言い、太郎を見た。
「ちょ、ちょっと待ってください! 僕、まだ何にも……」
「まあまあ、もう観念してくれ。俺もここまで言ってしまった手前、もう後に弾けないんだ。頼むよ〜。いいじゃないか、好きな女の子と毎日一緒にいれるんだぞ〜? 一緒に作業ができるんだぞ〜? うちは皆んなで食事もとるし、土日は泊まり込みの作業もある。青春チャンス盛りだくさん! 願ったり叶ったりだぞ〜?」
先ほどまでの迫力が嘘のように、おどけた調子でサンタローが言う。
「いや、そう言うことじゃなくて……」
「——それに、俺には君が、きっかけを探しているように見えたけどな」
サンタローはそう言って、先ほど皆を説得した時と同じ瞳で太郎を見た。
それを受けて、太郎はこの男がどうして皆を惹きつけているのかわかった気がした。
——きっかけ。
そう。太郎はあの涙の中で、確かに叫んでいた。『変わりたい』と、叫んでいた。
「……覚悟はできたみたいだな」
黙ったままの太郎の顔を見たサンタローが、そんなことを言う。
その言葉に、太郎は覚悟を持ってコクリとうなずき——
「そ、れ、に! そもそも君に断る権利はないのさ! もし君が断ったら、これをSNSで世界中にばら撒く!」
「え?」
直後、背後の巨大なモニターが点灯し、そこに太郎と寧桜の二人が映し出された。それはちょうど、あの空き教室での様子を外から撮影したもののようで——
「——ちょっ! ちょっとそれって‼︎」
「はっはっは〜‼ 言っただろう? 見ていたと! 君の世紀の大告白は、俺の頭とこの野良猫ロボットから取り出したメモリーチップにバッチリ保存されているのさ!」
「んなっ‼︎」
「——ちょ、ちょっとサンタロー! それは盗撮です! 消してください!」
「ふぁーっはっは! 不法侵入を生業とするサンタが今さらそんなこと気にするか! わかったかい新人くん、君はどちらにしろ、このお願いを受け入れるしかないのさ! 断ったらこれを拡散する! ついでに、仕事でやらかしてもしまった場合も大勢に公開する! さ〜あ、どうする?」
高らか、そして愉快そうに笑うサンタローの姿に、太郎はなまじ諦める形で腹を決めた。
「……わかりました、わかりましたよ! やります。サンタの手伝い、やってやりますよ‼︎」
こうして太郎は、サンタローとそのトナカイ達のもとで働く『トナカイ見習い』となった。




