第88話 異世界直行宮島キック
結局、美取については表面的なことしか分からないままだが、俺と郁は手際良くヤマガクを抜け出すことが出来た。数時間ぶりに裏手の林道に足を降ろすと、堪っていた疲れに突然重力がのしかかってくる。
俺に続いて郁が体重を感じさせない着地をすると、軽々と歩道を歩き始める。こっちはまだ足が痺れているっていうのに……何とか足を持ち上げて、着いていく。
「あ~ドキドキした! なんか今日の私達、青春してなかった?」
郁は暗闇の中で爛々と輝く目を向けてくる。俺は心底うんざりして溜息を吐いた。
「なあにが青春だ。無駄に準備手伝わされてヘトヘトだよ。こっちは」
まさか、潜入した高校の文化祭を手伝うことになるとは。
結局あの後、色々美取についての話を聞きながら重たいモノを運んだり、片付けをしたり掃除をしたりと教室を閉めるまで手伝わされる羽目になってしまったのだった。
しかも、あのクラスの連中と郁は知り合いだと思っていたのに、話を聞けば赤の他人だと言うから力が抜けてしまう。
他校の全く知らないクラスに単身で乗り込み、話を聞くついでに一緒に仕事するような奴なんて郁の他にいるのだろうか。一軍女子ってどいつもこいつもこんなもんなのだろうか。
まあ……そのお陰で、美取の話を聞けたわけなんだけど。
「こんな経験してる人、そうそういないよ! なんだか思い出が出来ちゃったな」
「まあ、人間観察部なんてガチな不法侵入を部員にやらせる部活はそうそうないよな。……あってたまるか」
「一応言っておくけど――」
「うっ!!……」
後ろを振り返ると、いつの間にか甲塚が後ろに着いてきていた。いつもながら神出鬼没な女だが、頼むから暗闇から出現するのだけは止めて欲しい――何度目だ。
「私はあんた達に不法侵入しろなんて一言も言ってないわよ。……佐竹さ、私が声を掛ける度に驚くの止めてくれない? 逆にこっちがビックリしちゃうでしょ」
「だったらビックリしちゃうような登場の仕方は止めろ!」
甲塚は肩をすくめながら、俺を追い越して郁の横を歩いた。
「それで、飯島の話は聞けたんでしょうね」
「勿論、バッチリ聞いてきたよ。」
「臼井との関係は……!?」
親指を突き立てた郁に、甲塚は勢い込んで食いついてくる。
「それはわかんない」
目の前を歩く甲塚が、右足を変な降ろし方して転びそうになる。一瞬置いて、彼女がずっこけたのだと分かった。運動音痴な奴のずっこけは転倒に近しいので止めて欲しい。まあ、本人もやろうとしてやってるわけではないと思うけど。
「……何がバッチリなのよ! 肝心なとこが分からないままじゃない!!」
甲塚は捻挫しかけた右足首を回しながら、片足立ちで怒りだしてしまった。吠えられている郁は、それこそ犬に吠えられたような困り顔で立ち止まる。
「結構頑張った方だと思うけどなあ、私達。ね? 蓮」
「そうだぞ、甲塚。大体お前は見張り番してただけなんだから、あまり文句を言うもんじゃない。俺たちが聞き込んだ情報教えてあげないぞ」
「……」
闇の中でも、甲塚の顔が怒りで真っ赤に染まっていることが気配で分かる。しかし、流石に今回ばかりは俺たちの方に理があるだろう。甲塚が黙りこくっているのがその証拠だ。
「チッ。分かったわよ。喋りなさい」
俺は、簡単に言えば美取はヤマガク版のショウタロウみたいなもんである、ということを道中丁寧に教えてやった。
「――つまり、ヤマガクでも臼井と飯島の仲は全く認知されていないわけね」
駅のホームで電車を待ちながら、腑に落ちたように甲塚が呟いた。
「そういうこと。要するに、ショウタロウと美取の秘密は殆ど同じなんだ。ショウタロウの恋人を知ると言うことは桜庭の肝を掴むようなもんだし、美取の恋人を知ると言うことは、ヤマガクの台風の目を摘まむようなもんなの……はあ……」
「何よその溜息」
「ていうかさっきから気になってたんだけど、なんで蓮は飯島ちゃんのこと名前で呼んでるの? ヤマガク入る前まで普通に苗字で呼んでたよね?」
「そりゃ、名前で呼んで欲しいって言われたからな。苗字で呼ばれるのが嫌いとか言ってたけど」
郁の質問に答えると、間に挟んだ俺を二人が驚愕の顔で見つめてくる。
「……蓮、会ったの!? 飯島ちゃんに」
「あ、うん。会ったんだよ、俺。一階でうろうろしてたら道案内してくれて……」
「キモっ。何にやけてんの?」
「にやけてない」
「え。え。どうだった? 飯島ちゃん。何か話した?」
「どうだったって――」
「何にやけてんの!?」
「にやけてない!……まあ、そうだな。告白されすぎて有名になるのも頷けるよ。確かに美取は、か、かわ……うん」
俺は咳き込むフリをして口元を抑えた。自分でもにやついている自覚があったからだ。
「今、もしかして、かわいいって言った? え? かわいいって、思ってるの? 蓮が? アッハハハハ……!」
郁は何故か乾いた笑い声を挙げる。その反応で俺の心はちょっとささくれ立ってしまった。
「何だ。悪いか。断言するけど、美取は百人が擦れ違って百人が振り返るような美人なんだぞ。可愛いと思うなんて、むしろ正常な反応なんだぞ」
開き直って低い声で呻くと、即座に郁の笑い声が止む。
「大体、うっすら気付いていたけどお前ら俺が男だってこと忘れてるんじゃないか? 俺だって人並みの男子高校生だよ。美人に見蕩れることくらいあ――」
次の瞬間、俺の意識が郁の立っていた位置から反対方向にブレた。
意識に次いで視界が、視界に次いで体の感覚が横に流れていく。そして――
「!!!……」
あまりの激痛に膝から崩れ落ちてしまった。
一体何が起こった……?
横から暴走した自動車が激突してきたのか。いや、ここは駅のホームだ……よな?
衝撃の加わった郁の方を見ると、黒いショーツが見えるのもお構いなしに何故かこちらへ足を振り上げている。もしかして、郁に蹴られたのか。
……蹴り!?
蹴りでこの威力!?
「ほおおぉおぉっ……ごっ……!」
痛みと衝撃のあまり舌が回らないまま、俺は両手を突いてへたりこんだ。一気に体全体から、頭の先から足の裏まで汗が染み出てくる。
――マジで、洒落に、ならん。
殺される……!
と、俺が真剣に命の危険を感じたところで、郁は顔を伏せてホームの階段を駆け下りて行った。
「ほおおぉっ!?……ほおっ!?」
近くで立っていた甲塚に顔を向けると、とても気の毒そうな顔で郁の後ろ姿を見送っていた。それから、冷たい表情で蹲っている俺の前にしゃがみ込む。
「佐竹。あんた、そりゃ無いわよ。流石に私でもあの怪力オタクが可哀想に思えてくるわ」
「ほっ……?」
何で郁を可哀想に思うんだ、どう見ても可哀想なのは俺の方だろ、という意志を込めて甲塚を見つめる。
甲塚は溜息を吐きながら頭を振った。
「……あのね。悪いことは言わないから、今日の夜辺り家で宮島に電話してあげなさい。それで、さっきはごめんって謝るのよ」
「ほっ……?」
何でだよ、という意志を込めて甲塚を見つめる。
甲塚は、『ほ』の口で固まっている俺の頬をぐっと掴んできた。
「宮島が、あんたを男として見ていないわけないでしょうが」
「ほ……?」
「あいつは、毎朝佐竹と登校するのを楽しみにしているのよ」
「ほ……」
「あいつは、人間観察部なんてわけの分からない部活に、佐竹がいるからってことでムリヤリ入部してきたのよ。私の入部テストもマトモに受けて」
「ほぉ……」
「入部テストの一件でも、海の一件でも、あんたとのことを真剣に考えているから、今もこうしてあんたと一緒にいるの。分かる? 宮島は少なからず佐竹に気があるのよ。それがどの程度のもんかは知らないけどね」
「ほお!」
俺は、それは論理が飛躍しているぞ、という意志を込めて甲塚を見つめた。
「別に論理はそれだけじゃない。実際に行動として起こったこと以上に、普段の宮島の態度を見れば分かるわ。それをあんたは……。良い? 今晩電話」
「ほ……」
電車が来た。




