第86話 ファーストコンタクト
「……!!……!」
俺は咄嗟に何かを喋ろうとしたが、自分の頭の中が真っ白なことに気が付いた。口だけが意志に忠実で、勝手にパクパクと動き出す。
目の前の飯島は、いよいよ不審そうに俺を眺めながら教室から出てきた。
「その制服――桜庭の方ですよね。何かご用ですか?」
「……あっ、ワッ……」
何故か俺の喉からキョドったときの甲塚みたいな声が出てきてしまう。俺は特に人見知りをするわけでもないのに、どうしたことだ。脈拍も異様に加速してきた。
テンパりながらも、なんとか首を縦に振ることを、俺はした。
「どちらにご用が?」
「なっ……中庭に、行こうとしていたんですけど」
「中庭、ですか? そんなところにどんなご用ですか?」
い、いかん。中庭に用があるなんて言ったら不審がられるに決まっているか。普通こういうときは誰々に用事があるとか、職員室に行きたいとか言うもんだった。
というか、やばい。
俺は小首を傾げる飯島を前に、自分の中の冷え切った感情に火が灯るのを感じた。
美少女過ぎる……!
郁や甲塚も俺の主観では中々の美人なんだが、飯島に限っては明らかに度を超している。なんたって、今俺がドキドキしているくらいなんだから。
顎の線がハッキリとした小顔で、複雑に編んだ髪の毛はバレリーナのように綺麗な頭の形を強調している。風紀委員でもあるからか化粧っ気は殆ど無いというのに、この隙の無い容貌は一体何だ。何か、良い匂いするし……これは、柔軟剤の香りか?
飯島を目の前にすれば、死人も蘇るのかも知れない。それほどの衝撃に、彼女が一動作一動作する度見舞われるのである。同級生の男子はこんな美少女オーラに被爆して健康被害は無いのだろうか……。
「ちょっと部活の用事で……中庭のオブジェを見学させて貰おうと思ってですね。へへへ」
俺はなんだか無駄にひいこらしてしまった。
「校内の来訪者には、申請を出した生徒が案内をするようになっているのですが……」
飯島は不思議そうに、傾げていた首を反対方向に傾けた。
「あ、ああ。それが、どうも連絡が付かないもので困っていたんですよ」
「ああ、そうでしたか」疑問が氷解したような顔で言う。「それはお困りでしたね。代わりに私が案内役を務めましょう。こう見えて私、風紀委員なんです。丁度校内を見回りしていた所だったので」
そう言って、飯島はよくできた秘書のように先立って手を広げた。
「こちらです。私に付いてきて下さい」
「あ、はい……。へへへ」
*
先導する飯島に着いていきながら、俺は辺りを見回した。特に案内板があるわけでもないのに、ここの生徒は間取を把握できるのだろうか。移動教室の時とか不便そうだが。
「あ……」
突然、飯島が振り返った。
「そういえば、お名前を聞いていませんでしたね」
ああ、そういえば。
こっちは飯島の素性なんてある程度分かっているけど、向こうからすれば不審な桜庭高生だもんな。
「佐竹です」
「佐竹さん。一応、下の名前も頂いてよろしいですか」
フルネームか。だったら馴れ合いというよりは後の確認に使われそうな雰囲気だな……。とはいえ、ここで嘘を付いても仕方が無いか。
「……蓮、です。佐竹蓮」
「なるほど。佐竹、蓮さ――蓮!?」
「うっお」
いきなり大声を出してきたので驚いてしまった。
飯島はさっきまでの親切な雰囲気から一転、またもや不審人物を前にしたように俺の全身を上から下へ検分してくる。
「どうかしたんですか?」
「ああ、いえ。何でもありません。ちょっと聞いたことのある名前な気がして」
ん? 俺の名前を聞いたことがあるって……?
「……」
まあ、あり得る話だな。
飯島はショウタロウと繋がりがある筈だし、ショウタロウから俺の話を聞いていても不思議ではない。ショウタロウの口から俺の話が出るってのは変な感じがするけど。
「私のことは美取と呼んで下さい」
取り澄ました表情で、今度は向こうが名乗ってきた。
「――ん? ミトリって……名前? 苗字じゃないんですよね」
飯島――美取は初対面の男に自分の名前を呼ばせるのか? 何かキャラクターと合わない気がするんだが。
「ええ。私、自分の苗字があまり好きじゃなくて」
……なんか、どこかで聞いたような話だな。
まあいいけど。
「多いんですよ。校内で迷われる方」
美取は笑い出しながら、再び前を歩き始めた。
俺は、美取の顔を直視していなかった幸運に感謝した。まともにこの美少女の笑顔なんて見た日には、一体何日間網膜に焼き付くか分かったものではない。
「さっきまで歩いてましたけど、ヤマガクの生徒はよく迷わないですね」
「一年生には迷子になる人もよくいますよ。こんな構造になっているのも理由があって……蓮さん、今私達がどこにいるのか分かっていますか?」
「どこって、ヤマガクの校舎……ですよね?」
「校舎は校舎でも、ここは通常の授業が行われる第一校舎棟では無く、部室などが集まる実習棟なのです。ちなみに第一校舎棟から実習棟までは第二校舎棟を通り抜ける必要があって……そうして棟と棟を移動している内に、現在地を見失う方が多いんですね」
「な、なんですって?」
すると、俺は校舎を彷徨っていただけでなく、ヤマガクの敷地中をうろうろしていたということか……?
「ヤマガクは設立から大規模な増築が数回行われていまして……地続きに棟が繋がっているのは良いんですけど、建物の意匠がどれも似通っているものですから、うっかり別の棟への通路を歩いていることがよくあるんです。せめて昼間なら、外の様子で分かるんですけどね」
……そういえば、随分長い廊下を歩いていると思っていたけど。あれは通路だったのか。
「なるほど。そりゃ迷うわけだ……」
「中庭は、第一校舎棟から行けるんです」と、美取が手で示した先に、ようやくそれらしき広場が窓に見えてきた。
暗闇の中、スポット照明に照らされた芝生とベンチが展示物のように光っている。どうやら、第一校舎棟はコの字になっていてこの広場を囲っているらしい。開けた所からはカギのように校舎をぐるりと回って校門前へ出られる……と。
そして、芝生の上に立った物体――あれが、問題のオブジェか。今は無様にもブルーシートに覆われているようだ。
「文化祭では、この中庭でも演し物があったりするんですかね」
「勿論です。ここはヤマガクのシンボルでもありますからね。文化祭当日は校門から中庭までずらりと出店が並んで、中庭の通用口から校内へそのまま立ち入れるようになるそうです。私は、まだヤマガクの文化祭に参加したことがありませんけどね」
ほお……。だったら、オブジェの前はかなりの人通りになりそうだ。あの不良なコーコが身を入れるのも分かる。
ようやく中庭への通用口に辿り着いたところで、俺は美取に頭を下げた。
「あの、ありがとうございました。何か色々教えて貰って……」
「いえ。これも風紀員の仕事ですから。ところで、蓮さん」
「は、はい?」
美少女に名前を呼ばれるというのも中々慣れない。ドキドキしながら頭を上げると、何故か美取は緊張感に満ちた表情をしている。
「私の名前に聞き覚えがあったり、しませんか?」
「……ええーと……」
聞き覚えがあるどころではないんだが。
しかし、ここはどう考えも素直に「はい」とは言えないところだ。人間観察部としてもそうだし、不審な外部の人間としても。下手をすればストーカーとして突き出されるものな。
こういうときはすっとぼけるに限る。
「すいません……どこかでお会いしましたっけ?」
「あ、あ。いえ。覚えが無ければ良いんです」
……何だろう?
美取の方は俺の名前に聞き覚えがある様子だった。てっきりショウタロウから俺の話を聞いていたのかと思っていたが、もしかしてどこかで会ったことがあるのか?
いや、無い。
それは断言できる。こんな美少女、一度見たら忘れるわけがない。
それにしても、この美少女がショウタロウの……ああっ。脳細胞が悲鳴を挙げてしまう。あまりこのことは考えない方が良いだろう。
とは言っても――
こんな女の子と仲良くしておいて、別の女子に手を出そうとしているのか……ショウタロウという男は。
それは流石に罰が当たるってもんだろう。
誰かが罰を与えるならば、――それは俺たちなんだろうな。




