幕間 第34.5話 佐竹蓮は如何にして髪を切るのか?(2)
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西原さんは盛大に溜息を吐くと、俺の目の前にある鏡台の棚から雑誌を取り出した。
「男子高校生なんやったらテレビ番組の一つくらいでも観ろや。そんなんやからセンスが遅れてんねん。美容師におまかせなんて中学生くらいで卒業しいや」マシンガンのように悪態を吐きながら、俺に雑誌のページを見せつけてくる。「はい。この中ならどれがええ」
そんなこと言われても、雑誌に写る男たちなんて皆キラキラしていて、俺には到底理解できないセンスのファッションで身を固めているんだ。顔の造作なんてもっとレベルが違う。こんな連中の髪型だけを俺が真似たところで、似合うとは思えない。
そういう事をもごもご呻くと、西原さんはハハハと輪郭のハッキリした笑い声を挙げた。
「じゃあ、お前はなんや。この雑誌に写っとる男共が赤ん坊の頃からこういう髪型しとるとでも思っとるんかい」
「そうは思いませんけど……」
「人間、髪型しゃっきりさせるだけでも垢抜けるもんよ。雑誌のこいつらが多少ださい服着てても違和感ないやろ。うだうだ言ってないで、とっとと決めればええんや」
「うーん」
西原さんの物言いに俺は唸ってしまった。確かに垢抜けるってのはそういうことかも知れない。とはいえ、今の今まで「垢抜けるぞ!」なんて見上げた気概を持っていたわけじゃないわけで。
結局、まあこの中だったら一番違和感ないだろうな、という保守的な考えで一人の男を選んだ。
すると、西原さんは雑誌を取り上げてまじまじと俺の頭と写真を見比べた。次に、櫛を使って髪型をちょっと整えてみたり、霧吹きで軽く濡らしながら手櫛で髪の感触を確かめ始める。
鏡に映るその様子が、驚く程様になっていた。細い顎を引いて髪を梳く様なんかは、何か芸事をするお嬢様のような優雅さである。思えば真剣な表情の西原さんというのもバンド演奏を見た以来なので、きちんと職に就いた大人だなあ、と感心してしまった。
「オッケー。まあこんくらいの長さなら出来るやろ」
そう言いながら取り出すのがバリカンだったので俺は気が動転した。生まれてこの方、ムダ毛の処理以外でバリカンを頭に当てたことなんか無い。そんな俺の気持ちを他所に、後頭部の髪の毛がボトボトと音を立てて落ちていく。
「あの……刈るんですねえ」
「何言うてんねん。後頭部刈り上げとったやろ」
「はあ……」
俺は何だか体を改造されているような気分になってきた。
この店を出る頃には腕からビームくらいは出せるんじゃないか。
「そいや、何か変な部活やっとるんやってな。恵が顧問やっとるあれ、何やったっけ」
「人間観察部ですよ。《《ムリヤリ》》入部させられたようなもんですけど」
後半部分を特に強調して答えた。
「何か気味悪い活動しとんなぁ。要は他人のストーカーみたいなことしとるわけやろ。何をそんなことに貴重な青春の時間を使うの」
「それは、まあ、色々あって……」と呻いて、その「色々」が俺が人間観察部に入った経緯のほぼ全てを含んでいることに気付き、慌てて補足する。「弁明するわけじゃないですけど、人の秘密を知るっていうのはイメージするほど悪いことしてるわけじゃないと思いますよ」
「なんでえ」
西原さんはいつの間にか持ち替えていた鋏を止めて、鏡越しに目線を合わせてくる。今更だけど、カットしながらバンバン喋ってくるタイプは苦手なんだよな……。
「人の秘密を知るってことは、多分その人のことを知るってことが大前提にあるんですよ。趣味とか、考え方とか……」
ほーん、と感心した風に首をカクカク動かしてまた作業に取りかかる。鏡では見えないが、首の裏がスースーしている辺りもう刈り上げ作業は終わっているんだろう。
「そういえば恵はあの夜からスッキリした顔しとるわ。考えてもみれば、他人に秘密を打ち明けるってのは昔から文化としてあるもんな。懺悔とか」
「懺悔。はあ……」
そんな言葉が西原さんから飛び出てきたのも意外だが、秘密を打ち明ける文化が存在していた、ということに言われて気が付いて思いが遠くへ飛んでいくような気がした。俺からすればなんで他人に秘密なんか喋らなくちゃならんのだ、ってところだけど、そうした人間が実在するというのは神秘的な話だ。
まあ、自分から告白するのと甲塚が勝手に秘密を暴くのとはまるで性質が違うもんだけど。
「懺悔なんかじゃなくたってな、人間ってのは色々なものに自分の秘密を混ぜてるもんやで。物語だとか詩ィ。それこそ、うちらの場合は歌詞とかな。耳辺りの良い表現の中に一縷の痛々しい真実を織り交ぜているもんよ。表現ってのはそういうもんや。秘密を告白することは一部の人間にとっては生きるうえで必要な行為なのかも知れへん」
「おお……」
西原さんが深いことを言うので思わず呻いてしまった。関西弁を喋る奴なんて毎日たこ焼き食って金を儲けることしか考えていない筈なのに。
すると、西原さんはハッと鏡の中の俺を見て唸った。
「なんやねん。あたしがこういうこと言うのが意外みたいな顔しよって」
「いや、……すいません。意外です」
「お前、人のこと馬鹿にしとるとバリカンで刈ったるぞ」
満更冗談でもない雰囲気で言うから、俺は慌ててフォローした。
「う、嘘です。……なんか、西原さんって意外としっかりしてますよね」
「はあ? あたしが?」
「だって、ほら。意外と将来のこととか考えているし、東海道先生みたいに無鉄砲に夢見てるって感じでもないじゃないですか。南さんみたいに、なんか……おっとりしてないし」
「そら、恵や加奈みたいなお嬢様と一緒にしてもろたら困るで」
「……?」どうにも認識のすれ違いを感じる。「西原さんだってお嬢様じゃないですか」
「ハハハハハ!」
西原さんは鋏を動かす手を止めて大笑いする。
「お前、あたしのことお嬢様だと思っとったんかい」
「だって、家が金持ちで、子供の頃から習い事やってて、お嬢様学校に通ってたんですよね?」
「……」
「お嬢様じゃないですか」
「まあ、……。でも、年下のガキに言われると腹立つな!」
どうも釈然としない様子でそう言う。
この人は何を、自分はお嬢様じゃないみたいなスタンスでいるんだろうか。
……案外自分のことを客観的に見る人間ってのもそうそういないのかも知れないな。
*
カットを終えると、必要ないと言っているのに西原さんは眉のカットからセットまでを終えてしまった。「どうせセットの『セ』も知らんやろから教えたる。きちんと憶えろよ」と宣言して、本当に一々ワックスだのの付け方から説明しちゃうし。
だけど、終わって見ればあっけないほどサッパリ垢抜けた俺が鏡に映っているものだから、美容師というのは凄いもんだ。俺はほとほと感心してしまった。
まあ、西原さんが教えてくれたセットなんて真似のしようが無いので、一晩限りの垢抜けタイムになりそうだが。
「どや。意外とええやんけ」
西原さんは得意気だが、自分の髪型を自分で褒めるというのも恥ずかしいので、
「さっぱりしました」と照れを隠して呟く。
でも、それでニコニコしている西原さんに俺の賛辞は伝わったようだった。
「新しい自分の一面を発見したって顔しとるわ。ハハハ!」
「はあ」
鏡を前にすると、どうにも西原さんに心の底まで見透かされているような気がして落ち着かない。襟巻きを外し、髪の毛を払ってさっさと立ち上がる。
「青春時代に他人をストーカーするってのもええけどな、他人のことを知る前に自分のことを知るのも大事やで。次は、あたしとばったり出くわす前に髪型くらい決めときや」
「……次もあるんですか!?」
俺としては、こんなエンカウントはこれっきりという気分だったのに……。
「そらそやろ! は~ぁ、疲れた。業務時間外にカットするのなんて久々やからめっちゃ肩凝ったわ」
何故か今まで俺が座らされていた椅子に、西原さんがどっかりと座り込んだ。そして、
「よし。蓮、肩揉め」
と、アクロバティックな要求をしてくる。まさか美容師に肩を揉めと言われる日が来ようとは思いもしなかった。
「普通、肩揉むのってカットする方じゃないですか……?」
「アホ。高校生のガキの肩なんかあたしが揉むかい。どうせ金も取っとらんし、西原お姉さんの肩を揉めるなんて光栄やろ。……ええと、カットで大体三十分かあ」
不穏な所で言葉を切ったまま「んーっ」と背中を伸ばすのでギョッとしてしまった。
「まさか、三十分、肩を揉めって、言ってます?」
「まさかとは何や。あたしにただ働きさせるつもりかコラッ!!」
もう肩を揉まない限り生きては返さんという位の気概で怒鳴ってくる。
これは、あんまりだ。
こんなの恐喝ではないか。肉体労働の強制ではないか。美容師としての技量には敬意を捧げるけど、流石にカットの三十分と肩もみの三十分では消費するカロリーが違うだろ。
「言うとっけど、きっちり三十分肩を揉まない限り逃がさへんで」
「……はあ……」
俺はすっかり自分が垢抜けた驚きも忘れて、呆れてしまった。
そっと西原さんの肩に両手を乗せると、意外にも――というか、当たり前なんだが女性らしい肩の細さで、力加減を間違えて怪我でもさせやしないかとドキドキしてくる。
ところがいざ揉み始めてみると、やれ力加減が弱いだの、ちったあ別の揉み方せんかいツボの位置も分からんのかいだのと、散々な言われようだった。そういえば美容師って一応マッサージのトレーニングをするということも聞いたことがある。つまり西原さんは肩揉みに関して一家言持っているわけだ。
「覚悟せえよ。これからお前に一流のマッサージを仕込んで、あたし専用の肩揉み師にしたるからな。ハハハハハ!!」
そう豪快に笑う彼女の鎖骨に、つるりとした可愛い窪みが産まれていた。
結局西原さんも傍若無人なわけだ。お嬢様らしく。
はあ……。
――幕間 終わり




