第252話 高校二年の忙しさの
三月の期末テストに見舞われた。
見舞われた、というと高校生にしては意識が受け身過ぎるではありませんか、とツッコまれそうだが、主観の印象としてはまさしくそんな感じ。
数多の科目の難問が、羽を鳴らすカラスのように俺の体から成績を啄もうとした。それを、なんとか体を丸めて耐え忍んだような。
甲塚の父親探しに時間を取られていた俺は、それでも郁に負けるのは屈辱だったんで残り少ない高校一年の放課後を、結構真摯に勉強に費やした、のだが……。
普通に負けた。
というか、蓋を開けてみれば郁はすっかり学力上位連中の仲間入りを果たしていたのだ。こうなると、なんとか前回の地位を維持した程度の俺には手が出ない。
一体何が、フィジカルエリートもといフィジカル馬鹿の郁を勉学に目覚めさせたのか。あるときの放課後、開いた窓辺に寄りかかって桜を眺める郁に、「将来やりたいことあんの?」と聞いてみた。
「ん? 蓮と一緒に暮らす」
「そういうんじゃなくって。仕事とかさ。どうやって飯を食っていくのって話」
「んー」
郁は、恥ずかしそうに頬を揉んだ。外からの清涼な春風が、ふっと髪に絡みつく。
その態度で、何気なく聞いた将来の夢なんてものが、いつも一緒に過ごしていた郁の中に芽生えていたことを俺は知ったのだ。
「……驚いた。マジであるんだな。将来の夢」
「まあね。でも、私向いてない気がするから……どうしよお〜」
そういえば、二月の送迎会でも甲塚に色々相談してたっけ。俺の知らない間に、郁は郁でしっかりと大人への階段を登っていたのだ。
…………。
とにかく、俺たちは高校二年生になっていた。
クラスが替わり、どういう因果が働いたのか分からないが郁と同じクラスになって――これは理事長の計らいかもしれないが、担任は東海道先生となった。桜庭の生徒数を考えれば奇跡みたいなことではないか?
それから一週間経った頃に、そういえば甲塚はどこのクラスにいるんだろうと思った。……同じようなことを思った奴は、他に何人いただろうか。
そんな風に、甲塚は日常の自然な出来事みたいに姿を消したのだった。
*
四月に入って甲塚もいないとなると、少しはのんびりするかと俺は構えていた――が、それは大きな間違いだったのだ。
まず人間観察部に関連して言えば、新入部員が十名入ってきた。
……数え間違いじゃない。十名だ。二桁だ。
形式的に部活動紹介を発表する必要があったんで、去年の合宿絡みの話やら普段の部室での活動やら、今年のポスターセッション発表の予定を、全部郁に喋らせた。向き不向き、適材適所というやつだ。
すると、なんということでしょう。
美人な先輩目的の馬鹿が二名、部室のスマブラ目的の馬鹿が四名、我が部を茶道部やら新聞部やらと勘違いした真面目が三名と、次々に入部届が届いてしまったのだ。
考えてもみれば、桜庭高校はここらでは随一の生徒数を誇るマンモス高校であって、その上活動目的があやふやな部活というものは勘違いさんとぼんくらを引き寄せる性質があったんだな。
……まあ、郁には既に恋人がいること、お前らがスマブラスマブラと騒ぐんで敢えなく摘発にあったこと、新聞部と茶道部は別にあるんだよ、ということを緊急の説明会で話したんで、部員の殆どを他の部活に誘導することに成功したが。
それでも、アクティブなメンバーとして残ったのが三名。
未だに郁に憧れている馬鹿・喜多方と、茶道部から出戻りになったギャル・松島、……さっきの勘定では漏れていた、お笑い芸人とインフルエンサーと女探偵を一度の人生で目指しているという変人・初音(本名らしい)――と、癖が強めのメンツが残ってしまった。
なんでだ。
……と、これは部活動としては自然な成り行きの範疇になるとして。
同時期に、絵画教室に戻ってきたコーコとの絡みで厄介なことがもう一つ。金に困っているという彼女主導のプロジェクトに巻き込まれて、なぜか俺はすけべな漫画を書くことになってしまった。
この成果物を同人誌のイベントやら販売サイトで売るというのだ。
一体何が彼女をそうさせるのか。話に聞く限りは、すけべなものは売れるという浅はかこの上ない発案らしい。後々になって、すけべな本で一儲けしようという考えがいかに浅はかで物事を甘く見ている発想だったのかを知ったが。
俺も俺で、ちょっと浮かれた部分があったんだろうな。漫画とイラストの作業の違いは認識していたはずなのに、3takeさん、もとい美取も喜ぶかな……とか思っちゃったりして、ホイと引き受けてしまったのだ。
それだけじゃない!
五月を迎えて六月、七月と日が進んでいくと、東海道先生の物件探しに付き合ったり、ポスターセッション準備から本番の遠征があったる、案の定後輩が厄介ごとを起こしたり、宮島家の家族旅行に何故か付いていったり、生徒会では……。
*
ある土曜日、絵画教室とすけべ漫画の打ち合わせを終えた俺は、一人スクランブル交差点を横断していた。
今日はこの後、郁と待ち合わせをしている。
彼女がこっちへ来るにはまだ時間が掛かるらしい。
ぽっかりと時間が空いてしまったんで、近くの喫茶店に入った。一階でアイスコーヒーを受け取って、二階に上がると丁度交差点を見下ろせる窓辺に空席がある。
……そういえばここは……。
俺の体は、半ば自動的に忘れかけていた彼女のことを探して、その姿が無いことが分かると、
――なんだ。
と、さして執着することもなくスマホで漫画を読み始めたのだった。
何でもない日常のワンシーンだと、そのときは思っていた。
次回最終回です。
エピローグあります。




