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第243話 引き継がれる意志

 結局、高架下の辺りまで甲塚は勝手に付いてきてしまった。高品質なイヤホンからは全く音楽が漏れてくることは無いんだが、ちょろちょろ周囲に注意を払って歩くあたり、周囲の音が聞こえていないのは本当らしい。


 だが、耳を塞いでいても高架下の異様な雰囲気には少し気後れしたようだ。


 細くて汚くて薄暗い通路に差し掛かったあたりで、気が付けば俺の背中から数歩分遅れている。振り返ると、困った顔で影にならない場所で立ち止まっていた。


「甲塚」


 俺は耳を指差して、一旦イヤホンを外すようジェスチャーした。


 右耳だけ外して、恐る恐る日向と陰の境目を越えてくる。


「なによ、ここ」


「目的地」


「嘘でしょ。こんな所に何があるのよ」


「付いてくれば分かる。……見て分かると思うけど、あんまり平和な所じゃないからな。俺の背中から離れないように。下手に彼らを刺激しないように」


 甲塚は引き締まった表情で俺の服の裾を掴んだ。


「気を付けるけど、怖いことになったら盾になりなさいよ」


「分かってる。お前逃げ足遅いもんな。俺もだけど」


「うるさいわね。……本当に大丈夫?」


「大丈夫。ここには何度か来てるからさ。とにかく、俺にくっついて、耳を塞いでいること」


 甲塚は非常に不安そうな顔で、再び右耳にイヤホンを差した。


「まったく。あんたも大概おかしなことをするようになったわね」


「誰のせいだと思ってんだ……」


 文句を言いながら歩き出したが、よく考えたら俺の声は聞こえないんだった。


 奥を目指して歩いて行くと、甲塚はスカートの端が自転車に触れないように気を払いながらも、ダンボールの間に挟まっている男を見つければ一々ギョッとして裾を引っ張ってくる。


 とは言っても、この時間は結構な数のホームレスが出払っているらしかった。朝の十時なんて、そうそう炊き出しが開催される時間ではない筈なのに。


 こんな道でも一応駐輪場には自転車がぎゅうぎゅうに停まられているし、利用する人間は一定数いるのかもな。そういう人たちが鬱陶しいのか、気を遣っているのかは知らないが、姿を消しているんだ。きっと。


 気が付けば反対側まで歩いて来たんで、あれ? と思った。


 一応座っている男たちの顔を一つ一つ見ていた筈なのに、ノベジマの顔は見ていない。


 ……ノベジマまで出払っているのか?


 なんだか意外に感じたが、よく考えたらノベジマのスケジュールなんて全く知らない。通行人に気遣って姿を隠すようなイメージは無いが、炊き出しの場所に精通しているし、案外こんな時間でもやってるところはやってるものなのか。


 一旦反対側の日向まで出て、甲塚に振り返った。


「参ったなあ……」


「なに? これで用事終わり?」


 律儀なことに、俺が指示を出すまでイヤホンは取らないつもりらしい。またジェスチャーをすると、今度は両耳を外した。


「会うつもりだった人がいないんだ。どうすっかな」


「ドジね。前もってアポでも入れておけば良かったでしょう」


「冗談だろ? ホームレス相手にそんなもんできるかよ」


「ふうん」甲塚は、鼻を鳴らして高架下を振り返る。「あの人たち、やっぱりそうなのね。まさかあんな所に暮らしているとは思わなかったから、驚いちゃったわよ。はあ……」溜息を吐くと、大事そうに自分の胸を撫でた。


「ちなみに、人間観察部部長的にはこういう時どうするのかな」


「……そんなこと聞かれても、流石に状況分からなすぎなんだけど。蓮は何がしたいわけ?」


「相手は秘密を抱えているフシがある。会話で引き出そうにも、中々な。交渉材料も無いし。そこに来て本人がいない、となると……」


「打つ手無しってわけ?」

 

「……日を改めるか」


 すると、甲塚は靴の裏をアスファルトに擦って、独り言のように呟いた。


「私は、やるべきことをやるだけよ。自分ができることを整理して、一つずつ、慎重にカードを切っていくの。それで上手くいかなかったことは今までに一回しか無いから、これからもそうするつもり」


「そう聞くと、世渡り上手に聞こえるんだよな……ちなみに、その一回って?」


「あんたに人格を否定されて、ボロボロになった」


「…………」


「蒸し返すつもりじゃないわよ。今考えたら、あんたの立場からすれば正論だったのかなって思うし」そう言いながら、にやりと笑った。それは口を噤んだ俺をというより、あの夜の自分を笑っているようだった。「あの時の私は、子供だったのかなって――そうとも思う。最悪で最低な気分だったけど、あれは良い失敗。長い目で見たらね」


「結構ポジティヴなんだな、お前って」


「まあね。で、次期人間観察部部長さんはどうするつもりなのかしら」


「…………」


 やるべきことをやる、か。


 簡単に言ってくれるけど、甲塚にできて俺にできないことなんて一体幾つあるんだろう。数える気にもならないけど、少なくとも俺にできて甲塚にできないものよりは多い筈だ。


 ……でも、そうだな。手段を選ばないという点では、一つある。


「奴の荷物を、漁る」


「ええっ!? 良いの!? そんなことして! みっともない!!」


 俺は辟易した目を彼女に向けた。


「いや、お前が言ったんじゃん。やるべきことやるって……。できることを整理して、慎重にカードを切って、最後に残ったのがこれなの!」


「それ本当に言ってる? 本当に、他に切るカードはないの? リスクと報酬は見合ってる?」


「本当に言ってるし、切るカードは他に無いし、リスクと報酬は正直見合ってないがやるしかない」


「なら――」甲塚はニヤニヤしながら俺に歩み寄って言った。「行動するだけ。らしくなってきたじゃない」


「言っておくけど、嬉しくないからそれ」


 *


 一応甲塚にはイヤホンをするよう頼んで、高架下のノベジマがいたと思われる場所に戻ってきた。こう人がいないと距離感覚がバグるんだが、多分このスペースで間違い無いと思う。


 で……。


 他のホームレスと同様、少ないながらも荷物はダンボールの隙間に隠されていた。

 

 あるのは小さなポーチと、空の瓶と、煙草の吸い殻(シケモクってやつか?)だけ。こんな所持品で平穏無事にホームレス生活を送れるわけないから、多分メインの荷物はバッグか何かに入れて持ち歩いているんだろう。


 勿論、俺の興味を引いたのはポーチ。貴重品なんてあるわけが無いけど、何か、少しでもノベジマと対等に話ができる情報が中から得られるかもしれない。

 

 バッグを引き摺り出して、一つ息を呑んで俺は中身を開いてみた。


 ――が、ガッカリしてしまった。


 中に入っていたのはレシートの束やら、市役所からの手紙やら、ぐちゃぐちゃに丸まったチラシやらが殆どで、殆どゴミ袋のような使われ方をしていたことが分かったからだ。


 紙くずの山に手を突っ込んで底を攫っても、精々見つかるのがチビの鉛筆、切れかけのライター、五円玉、ハッピーセットの人形に、カラカラに干からびた松ぼっくり――って、子供のおもちゃ箱か。


 溜息を吐いて立ち上がったところで、


「うひゃっ」と後ろに立っている甲塚が悲鳴を挙げた。ゴキブリでも出たのだろう。


 だが、違ったのだ。突如俺のすぐ横に濃厚な気配を感じて振り向き――仰天した。

 

 リュックサックを背負ったノベジマが、入り口からの後光に照らされて、じっと俺を見下ろしているではないか。


「うっ!!――」


 奴は、まっさらな無表情だった。


 俺がやっている行為を咎めようなんて気は皆無で、ただ、そこに座るには俺が物理的な障害になっている。だから、俺が去るのを待っていた……というだけの雰囲気で、本当にそうなんだろう。


 人生経験がもたらす余裕などではない。むしろ、他人に対する深い轍の様な諦観がそこにはあったのだ。


 甲塚……は、耳にイヤホンを刺したまま、ムンクの叫びのような体勢をしている。驚きのあまりイヤホンを取ろうと体が動いたが、理性がそれを留めたという感じか。


 ノベジマの圧に押されるがまま歩道に下がると、順番待ちをしていた様にゆっくりとリュックをしまい、いつもの定位置で横になってしまった。


「あ――う……の、ノベジマ……さん」


 重い雰囲気の中声を掛けると、目を閉じるか閉じないか位に開いて「ゴッ」と咳をする。


「何の用だ」


「す、すいません……勝手に荷物……」


「何の用だと聞いている」


「新藤君弘――のことで」


 名前を出してから、もう一度甲塚を見た。取り敢えず、イヤホンは耳に差さったままだ。大きく目を見開いて、俺とノベジマの様子を窺っている。


「その話はお前にしただろう」


「えっと……違うんですよ」


「何が違う。まだ俺を疑っているのか」


「よくよく考えたら、こっちはノベジマさんの話を聞いてばかりだ。たまにはこっちの事情をお話しようと思って」


 薄目だったノベジマの目が、閉じた。


「お前の事情など興味ない。帰れ」


「俺がどうしてセンセイを探しているのか、本当に気にならないんですか。確かに桜庭の生徒ですよ。だけど、興味本位でこんなところまで来ると思いますか」

 

「……。知らん。帰れ」


「俺の後ろに立っている女の子が、誰か分からないんですか」


 ノベジマの目が、再び薄く開いて甲塚の顔に黒目が向いた――その瞬間、カッと大きく眼球を露出させる。


「……まさか――」


 数秒凝視した後、答えを求めるように俺の顔を見た。


「そうです。センセイには娘がいた。あなたも知っているでしょう」

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