第242話 聞こえない本音
勢いで飛び出して街を疾走するような思春期のワンシーンに、たまたま会った知り合いが付いてきた、なんて経験はそうあるもんじゃない。
「ねえ。どこ行くのったら。何さっきから黙ってんのよ。おい。無視するな。蓮の癖に」
「…………」
甲塚は前髪をくるくる指で弄びながら、早足で歩く俺の背後をぴったりと追ってくる。
まさか、これからノベジマと決着を付けに行くとは言えるわけがない。
よりにもよって、何で今日、今なんだ。……甲塚に捕まるにしても!!
暫く無駄に歩いた後、とうとう俺は甲塚がサボる気満々であることを悟った。このままだと地獄の果てまで付いてくるに違いない。
「……付いてくるな!!」
人がごった返す道の真ん中で振り返り、苛立ちをぶつける。すると、案の定彼女の眉間に恐ろしい皺が寄った。俺はこの顔に弱い。俺の中の甲塚に飼い慣らされた部分が毒を発して、すっかり及び腰になってしまうのだ。
「は? 何キレてんのお前」
「お、お前、学校行けよう」
「あー!? 聞こえなーい」
「……チッ。内弁慶が……」
「誰が内弁慶よ!!」
次の瞬間、甲塚の右足が俺のふくらはぎにぺしんと当たる。ローキックのつもりか。てか、聞こえてるし。
「お前、マジで帰れ――いや、帰っちゃだめか。学校へ行け! 俺のことは放っておけ!!」
背中を向けてまた歩き出すと、今度は少し慌てた声で追い縋ってくる。
「な、なんで私を突き放そうとするのよ」
「またお前は、そんな面倒臭い聞き方をさ……」
「面倒臭いってどこが」
「そういうとこ! 大体、お前からすれば残り少ない登校日なんだろうが。何で俺に絡んで無駄にしようとするかなあ……」
「だって、あんたがいないと学校面白く無いんだもん」
「郁がいるだろ」
「あの怪力ゴリラ、最近は勉強教えろってうるさいし。なあ~にを気合い入れてるのやら。フッ」甲塚は無駄な努力だとでも言うように鼻で笑った。「それに、あいつと顔会わせるのはどのみち放課後でしょ。教室で一緒に授業を受けるあんたがいないんじゃ、暇よ」
あまりに大きい突っ込みどころに、また立ち止まってしまった。
「……そう思うんなら、教室で声くらい掛けろな……? 何で、学校辞める直前までそういうことを言わない……?」
「嫌よ。こっちから行くんじゃ、私があんたのこと好きみたいじゃない。そっちから私の方に来れば良かったんだわ」
「昼飯でも誘えば良かったって言うわけ?」
「うん。で、私が断るまでがワンセットね。くくく」
唇を親指で撫でながら、悪い顔で笑いだす。
……分からん。こいつのことが、未だに分からん。
盾と矛、裏と表、光と闇、善と悪……本来の性質がその中間に位置することは間違い無いんだけど――いや。どちらかと言えば、矛で裏で闇で悪なんですけど、あるときふっと見せる嫌悪の裏の感情が俺を混乱させるんですよ。
「お前、自分で自分のことを面倒臭い奴だって思ったりしないの?」
「……する」
そう言う彼女の声色がしゅんと沈んでいたので、心の中でずっこけてしまった。
「言っておくけど、あんたが何を言おうと付いていくから。本当はこっそり尾けても良かったんだけど、それは悪いと思って、わざわざ声を掛けたんだから」
「はあ……。行き先が地獄でも?」
「行くわよ、ばーか。どうせパパのことなんでしょ。また変な怪我しそうだから監視してやる」
「…………」
やっぱり、甲塚にはお見通しなのか。下手な嘘を吐いたり、ある程度期間を空けて調査を進めていた筈なんだが。
こうなってはしょうがない。仮にここから予定を切り替えて学校に行ったとしても、今後ノベジマに会いに行くとき、きっと甲塚は俺を追ってくる。例えば明朝三時に家を出たって、何かしらの手段で夜の街から俺を見つけ出すんじゃないのか。
運命、みたいな。
――いや、それは少女漫画過ぎるんだけど。現実的な話をすれば、今甲塚を無理矢理引き剥がしたら一生根に持たれるに違いない。こんな奴に根に持たれたら、一生不幸になる。
……。
「甲塚。ほんっとーに――」
「付いていくわよ」
「だったら、一つ約束しろ。約束をしないんなら、俺は動かない。約束を破るんなら、これからお前を一生恨んでやる」
「くくく。これから蓮に一生恨まれる? 驚いた。あんた、私のこと恨んでなかったんだ」
「軽口は止めろって。茶番も抜き。これはマジだ」
「……何よ。約束って」
「これから会う人間と話す内容を、一切聞くな」
甲塚の口が台形に開いた。
「はあ!? ここまで来て、そんなこと言い出すわけ!?」
「お前が言ったんだろ。俺が怪我しないように監視するって」
「それは、そうだけど」
甲塚はバツが悪そうに呻いた。
「だったら、俺の進捗までは知って欲しくない。黙っているつもりはないけど、俺は甲塚に伝えるべき情報を、きちんと裏を取ってから伝えたい。……そういうの、お前だって分かるだろ! ショウタロウの時も、そうしてたじゃん!」
「わ、分かってるわよ」
「だったら、お互い譲歩しようぜ」
「……仕方ないわね」
甲塚は学生鞄の外ポケットからワイヤレスイヤホンを取り出して、耳に差して見せた。このモデルは、電車の中でもよく見る結構良いやつだ。
「これで満足でしょ。ノイズキャンセリング機能付き」言いながら、右耳から出たプラスチックを軽く触れて、「じゃん!」みたいな手つきをする。
「まあ確かに、最近のイヤホンは凄いらしいけど、なんか不安だなあ。本当に声が聞こえなくなるのか? 分かりにくいしやっぱり耳栓にしね?」
「……?」
甲塚は、きょとんとした顔付きで俺の顔を見ている。
……あ。これ、もうノイズキャンセリングしてるんだな。
「分かりにくいから! やっぱり、耳栓にするか!?」
「え? なにー!?」
甲塚は、周囲が人混みであること関係無しに大声で聞き直してくる。普段の彼女なら絶対やらないようなことだが、多分耳を塞いでいるんで自分の声量が分かっていないんだろう。それとも、そのフリをしているか。
「本当に聞こえてないのか?……甲塚のばーか」
「……?」
「お前がいなくなっちゃあ、寂しくなるだろ。俺だって――」
突然イヤホンを外したんで、言葉の途中で口を閉めた。
「あー、聞こえなかったけど、私をバカにしていたりしないでしょうね?」
「そ、そんなことしてない」
そう下手な嘘を吐きながらも、俺は気付いてしまった。
もしかして、俺も甲塚くらい面倒臭い人間だったり、するのか?
「あ、そ。じゃ、これで分かったでしょ」再びイヤホンを耳に差す。「心配しなくても、あんたとの約束を違えるつもりは無いから安心しな。ほら。行くわよ。あんたが会おうとしている人のところに」




