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第241話 ついてまわる「勝手」

 目の前に、一人の男の背中が見える。


 辺りは6Bで塗りつぶしたような黒。光を憎むように強い筆圧でえぐり取った暗黒。手は黒に包まっていて、まるで見えない。しかし、男の背中の輪郭はハッキリと目に映っている……。背広を着ていて、闇に向かってふらふらと体を揺らして立っているようだ。


 新藤君弘。


 新藤君弘が目の前にいる。


「新藤さん」


 やっぱり生きていたんだ。やっぱりノベジマは俺に嘘を吐いていたのか。


 俺が掛けた声は、新藤君弘を通り越して向こうの空間に響いたようだった。答えは無い。だが、聞こえている筈だ、耳が付いているんだから。


「新藤さん、ずっとあなたを探していたんです」


 声を掛けながら、ゆっくりと歩み寄る。


「甲塚――希子が、あなたを探している。あなたにはあいつと会って貰います。そうしてくれなくちゃ困る」


 ノベジマは、俺の言葉に反応して何かを呻いたように見えた。


「希子は、あなたを恨んでなんかいませんよ。これから一緒に暮らせとも言いません。ただ、あいつと会って話をして欲しい。そうすれば、きっとあいつの未来は少しだけ明るくなる筈だから――新藤さん!」


 あと一歩、というところで気が付いた。目の前の男の首に何かが巻かれている。ネクタイのように見えたが、違った。それはシャツの上から首をぐるりと絞める――


 縄。


 途端に、新藤君弘の顔がこちらにぐるりと向いてきた。それは紐に吊された電球が回る様な自然運動で、多分、物体にしか作用しない科学だった。新藤君弘は物体だった、どこまで回っても物体だった。顔に開いた全ての穴は洞のようにヒュウヒュウと空気を鳴らし、地面に付いている両足は捩れて、靴のゴムが地面をギリギリまで引っ掻き、そこに溜まったエネルギーをぐるりと回る体の回転に還元している。


 上を見上げると、新藤君弘の首から伸びた縄は暗がりの見えない所まで続いている。蜘蛛の糸みたいだ。そして、それはゆっくりゆっくりと引っ張り挙げられている。


 新藤君弘の足は静かに地面を離れ、くるくると回りながら上昇していく……。


 *


 久しぶりに寝汗をかいた。


 朝のシャワーを浴びながら、昨晩のノベジマの話を思い出す。


 ――センセイという愛称で呼ばれるようになった新藤君弘は、好かれる性格では無いながらも宮下公園に住まうホームレスたちの仲間となった。それが、理事長の言っていた新藤君弘が渋谷から消失した時期。


 だが、宮下公園強制撤去の折に、新藤君弘はノベジマと別れることになる。生活困窮者を支援しているという民間団体の目に留まって、新宿にあるアパートを紹介された。新藤は一時とは言え屋根のある家に暮らしていたのだ。


 ところが、それは所謂貧困ビジネスというやつで、団体の目的は彼の生活保護や日雇い仕事の金をピンハネすることだったと。


 住まいは劣悪な環境で、所によっちゃワンルームに二、三人の男が詰め込まれているということも珍しくなかったという。彼はそんな環境で数年を暮らした。


 ノベジマの元に再び新藤君弘が姿を現したのは、宮下公園強制退去から数年経った頃だ。


 収容施設のようなアパートを文字通り「脱走」して、昔のホームレス仲間の伝手を辿り、ノベジマの下にやってきた。「態々、なんで俺なんかの所に来たのやら」と語るノベジマは、笑っていたような気がする。きっと、この男もセンセイという高慢ちきな連れのことを最終的にはそう悪くは思っていなかったんだろう。


「センセイは興奮した顔でこんなことを俺に言うんだ」


 ――ノベジマさん。私は自分を変えてみせるよ。次の人生を、精一杯生きる。


 そして、明くる朝首を吊ったんだってさ。


 ハンドルをキュッと閉めて、シャワーを止めた。


 ……ノベジマの言うとおりじゃないか。彼の視点からこの物語を解釈すれば、新藤君弘の行動は「勝手に」という言葉がついてまわる。勝手に現れ、勝手に消えて、勝手に再び現れて、勝手に死んだ。


 何が次の人生だ。禄でもない人間が生まれ変わった所で、せいぜいダンゴムシ辺りが関の山だろうが。


 ――輪廻転生……? くだらなっ。


 まさか、あの胡散臭い仏教もどきに心酔したわけじゃないよな?……いやいや、まさか。


 とにかく、新藤君弘は――


「…………」


 俺は身支度をすると、郁を待たずに外を走り出した。


 *


 学校へ向かう制服姿の人流に逆らって、渋谷へと走り続けて、人通りが過密になってきた辺りで物理的に走ることができなくなり、スマホが震えていることに気が付いた。


 スクランブル交差点は、これから通勤通学する人間で溢れている。天気は良い! 空が青いと、良いことがある気がするよな。どこからか朝のニュースを伝える若い女の声が聞こえた。信号が赤になり、せき止められ、青で開放される。


 そして、スマホの画面に映っているのは案の定であった。


「蓮ー!? 何してんの? 遅刻しちゃう~!」


「ごめんごめん。言い忘れてたけど、俺今日遅刻するわ」


「えっ!? 具合悪い!?」


「いや。元気元気。心配しなくて良いんだ。ちょっと、やらなきゃいけないことがあるから、それを片付けたら学校行く」


 俺は、一体何度学校をサボって郁をガッカリさせているのだろうか。ああ、そうだ。東海道先生にもあとで連絡しといた方が良いんだっけ。


「えー……。え~……? 蓮のせいでダッシュじゃん、今日……。部活来る?」


「行く。テストも近いしな。……悪いけど、先生にも連絡入れなきゃだから。そっちもダッシュ頑張れよ」


「ちょっと、そんな他人事みた――」


 郁が喋っている途中で切ってしまった。ま、不平っぽかったし別に良いか。俺はすぐに先生の番号をコールした。


 出ない。


 そうか。確か職員会議が八時半からあるんだっけ。……きっと、東海道先生のことだから、着信履歴だけで事情を察してくれるとは思うけど。後で折を見てもう一度掛けるとして――


「……っし、行くか……」


「あんたって結構ノリと勢いで学校サボるわよね。嫌なコトから逃げていると、碌な大人にならないわよ」


「うるさっ――!?……!!」


 いつもの癖で言い返す前に振り向いた。何故か甲塚が、余裕そうに片足に体重を乗せて立っているではないか。予想もしなかったことなので、俺は言葉を失ってしまった。


「……!……!?」


「良い天気だからのんびり登校していたのよ。そしたら、学校の方からこっちに走ってくる変な奴がいたもんだからね。思わず尾けて来ちゃった。まさかあんたとは思わなかったけどね。くくく……」


「ま、街で見かける変な奴を勢いで尾けるな! 危ないだろうが!」


 甲塚は呆れたように肩を竦めた。


「あんたは、一体どこを心配してるのよ。……で? 行く先はどこ?」


 そして、当然の権利のように俺についてくる。

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