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第215話 三角コーンのウェイトレス

 ノベジマが暮らしているというポイントは、大体俺が予想した通りの場所だった。……が、これは高架下というよりはガード下と言うべきだろう。渋谷の中心から国道沿いに南西へ歩いて、地図上では世田谷区に入るかどうかという地点にそこはある。


 建物一階と半分くらいの天井に、直接見れば目が眩むような橙色の照明。それに、道路側の有料駐輪場には隙間が無い程ママチャリが犇めいていて、落書きされた壁側には、ダンボールの山が赤い三角コーンとポールに囲われている。……到底人が入っているサイズではないので不法投棄なのかな――と思ったら、俯いて胡座をかいているおじさんたちが間隔を空けて挟まっていた。


 ダンボール、おじさん、おじさん、ダンボール、ダンボール、おじさん……というような具合だ。


 推測でしかないが、この三角コーンによる仕切りは「ここに住まうもの、この領域を侵すべからず」っていう管理者からの意志なんだろう。そう思って見ると、座り込んでいるおじさん達が尻に敷いているダンボールは綺麗にその枠に収まっている。


 こんな一畳もないような空間によく生きられるもんだ……。当然、元気なゴキブリもさっきから目に付いている。湿った空気の中で、ここの住人はゴキブリと暮らしているのか。


 口が裂けても人が住める環境とは言えない。


 だが、だからこそここで暮らす人がいるんだろうな。


 そのままぷらぷらと歩いて、反対側からガード下を出た。外に出てしまえば散歩日和の青空。ゆっくり息を吐いてから、自分が深呼吸をしていたことに気が付く。


 さて。どうしたもんかな。


 ここらのホームレスは、通行人が通ってもまるで反応しない。炊き出しに出ていた連中とは根っこごと性質が違うというか、完全に沼に沈み込んでいるというか、生きていることを諦めているように見えてしまう。彼らとはまともに話ができるのだろうか。


 ……ポケットでスマホが震えてる。甲塚からだ。


「どうした?」


「今どこにいるの」


「あー……えーと……渋谷? なのか? 一応」


「はあ?」


「昨日、炊き出しでお前のお父さんの知り合いがいる場所聞いたって言っただろ。で、現場に来てるんだよ」


「本当に? 昨日の今日じゃない」


「日を空ける意味ないだろ。放課後来ても良かったけど。いつもいるとは限らないし」


「……ふーん。そう……。言えば、行ったのに」


 俺はガードレールに寄りかかった。


「良いよ別に。こういうとこ、女子連れて行くのも変だろ。で?」


「今、あんたん家の前にいるんだけど」


「!?……なんでえ」


「なんでえって――別に――なんとなく?……じゃなくって。……」


 言葉を探しているのだろうか。甲塚の息づかいだけが俺の耳に入ってくる。


「デートの練習の続きでもするつもりだったのか? 朝の内に言ってくれれば良かったのに」


 確かに、昨日は半端なところで家に帰ったけど。だからといって、日を改めて誘ってくるとは思いもしなかった。甲塚も甲塚で、いきなり俺の家に来ることもないだろうに。


「あ。まあ、そうね……うん。デートの練習。……うん。あんた頼りないもん。一回だけじゃ足りないと思ってね。で、そっちはどうなの?」


「一応ホームレスらしき人はいるようだ。けど、ちょっと話しかけるには躊躇する雰囲気かな」


「だったら一旦戻ってきなさい。最近慣れてるような感じ出してるけど、高校生がこういう活動するの、良くないわよ。これ部長命令だから」


「ここまで来ておめおめと帰れるか。お前のお父さんの居場所まで、あともう少しかも知れないんだ。待ってろ。絶対居場所を突き止めてやるからな」


 電話を切ろうと耳からスマホを離したところで、「ちょっと!」と甲塚が大声を挙げた。


「今一人? 一人なんでしょ? 止めなさい。せめて、誰かと一緒の時じゃないと駄目。私が駄目なら――宮島でも東海道でも何でも良いから。一人で動くのは絶対に止めなさい」


 俺は呆れて空を仰いだ。甲塚は、未だに俺を素人扱いしているらしい。これでも最近じゃ一人で調べを進めているんだ。いつまでも甲塚の後ろにくっついているだけの俺ではない。


「ばか。聞き込みくらい俺一人でできるって。これでも俺は人間観察部のエースなんだぞ?」


「ばかばか。誰がエースよ!……じゃなくって!」


「良いか? 良いなら切るぞ。悪いけど、そっちも今日は帰れ。じゃあな」


「ちょ――」


 通話を切った。すぐにスマホが再び震え出したので、一旦電源を落とす。


 ホームレスから話を聞くのが何だ。……たしかにここらで暮らしている連中は異様だけど、彼らだってきちんと目を見れば話ができるかも知れない。


「あの、すいません」


 勢い込んでガード下に取って返し、手近なところで体育座りをしていたおっさんに声を掛けた。……膝に顔を沈めたまま、反応がない。多分寝ていないし、俺を無視しているんだろう。


 俺は尻が地面に付かないように座り込んで、尚も呼びかけた。


「あの、すいません。すいません。聞きたいことがあるんですけど」


「……」


「ノベジマさん、どちらにいます? ここにいるんですよね?」


 ノベジマの名前を出したからか、おっさんの呼吸が少し乱れたような気がした。


「ノベジマさんですよ。あの人に聞きたいことがあるんです。あなたがノベジマさんですか?」


「がああああ!!」


 突然おっさんが絶叫したんで、俺は滅茶苦茶驚いて地べたに尻を付いてしまった。膝から顔を上げた目の前の男は、異様に光る目玉を真っ直ぐ俺に向けて、また「があああ!!」と絶叫する。


 これは、とても話が聞けそうにない。


「す、すいません。すいません」


 俺は逃げるようにその場を離れた。だが、おっさんの絶叫が警告音として機能したのだろうか。生気の無かった周りのホームレスが、一様にぬめぬめとした目玉を俺に向けている。


 ――怖い、という感覚が、腹の底から湧き上がってきた。叫びだして、今すぐここから走って逃げ出したい。これが本能か。


 だが、俺には本能に勝る理性があった。こんなところには一秒だっていたくないが、もう新藤君弘まではすぐそこかもしれないんだ。ノベジマに話を聞きさえすれば、こんな界隈からはさっさと逃げ出して二度と近づかないでやる。


「ノベジマさん! ノベジマさんはいませんか!! ここにいるんでしょ!!」


 危機感を訴える本能は、俺の視界の端を赤く染めるほど脳みそに染み出てきた。……いや、この赤いのは気のせいだ。ここらの照明が俺にそう感じさせるんだ。気のせいだ。


 俺を見つめる男の黒目と俺の黒目が交錯する。


「あんたがノベジマさん!?」


 男は反応しない。ただ俺を見つめているだけだ。


「どこにいんだよ……ノベジマさん!!」


 大声を出しながら歩いていたら、いつの間にやら反対側の出口に差し掛かっている。振り向いてもう一回りしようとした――次の瞬間。


 俺の視界が真っ赤に染まった。ついで、頭の横から殴りつけられるような衝撃。あまりにも突然のことだったので、ママチャリの中に頭から突っ込んで派手な音に覆われる。それから、体中のどこかがママチャリのどこかに裂かれる感覚。


 ――「殴りつけられたような」じゃない。実際に殴られたのか。一体誰が。


 霞んだ視界は殆どアルミの骨組みで埋もれている。が、辛うじて俺の後ろに立っていた人物が赤い三角コーンを放り投げるのが見えた。それと、その人物の下半身――レザーのブーツに、膝丈くらいの黒いスカート……?


 ……あのスカートの白いフリル。あれは、ウェイトレスの服? か? 何で? ウェイトレスに三角コーンでぶん殴られた?


「お前はこんなとこに来ちゃ駄目だ」と、ウェイトレスは俺に言って……ママチャリの中から何とか抜け出す頃には、赤い三角コーンだけが目の前に転がっていた。


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