第213話 甲塚、水平チョップ
元々配信サービスでチェックしていたシリーズなので、映画の内容は大変楽しめた。……甲塚は途中からうつらうつらと頭を揺らして、エンディングロールが流れる頃には俺の肩に沈んでいたが。
周りの立ち上がる気配に気が付いたのか、明るくなった照明に反応したのか、「……ハッ!」と分かりやすく目覚めると、「ふん。まあまあ楽しめたわ」……と、まるで自分が最後まで観ていたかのような調子で呟く。
「お前寝てただろ。俺に寄りかかりやがって」
「起きてた。起きてたし」
「責めてるわけじゃないんだけどな……。今日は朝から動いてて疲れたんだろ? それくらい分かってるって」
甲塚は慌ただしく立ち上がって、時計を確認した。釣られて俺もスマホを点けると、丁度十時を回った頃合いだ。朝六時から渋谷にいたことを考えると、既に四時間近くが経過していることになるのか。……朝の時間っていうのは、どうしてこんなに進むのが早いかな。
「ああ。ようやくまともに活動できる時間になったわ」
「もうどこも開いているな」
「時間なら沢山あるわ。電車に乗って別の街に出掛けるんでも良いし、そこら辺をぶらつくのも良いけど、渋谷なんて飽きたんじゃない?」
「他の街は緊張するから渋谷が良い……」
「あんたは根性が田舎者ね。都会育ちの癖してさ。ほら」
と、最早抵抗もなく俺に手を差し伸べる。その手を掴んで立ち上がろうとした――そこで、俺のポケットでスマホが震える。通知は郁からメッセージが受信していたことを告げていた。
「郁だ。ようやく起きたな」
赤いビックリマークと焦った顔文字の連打を抜きにすれば、彼女のメッセージはシンプルに「寝坊しちゃった」という一言だ。「んなことは五時間前に分かってる」と、装飾無しに返しておいた。
「あ――」
甲塚は差し伸べた手を引っ込めて、行き場を無くしたようにもう一方の手で擦る。
「どうした?」
「宮島が起きたんなら、早く帰った方がいいわね……」
そう言って外へ歩いて行くので、劇場ロビーまでの通路で追いつく。高級感のある絨毯が張られていて、映画のポスターに描かれた男や女はじっと俺たちに目を付けている。
「なんでえ」
「あんたが宮島の彼氏だからに決まってるでしょ? 他人の恋人を連れて歩くなんて、変よ」
「俺は郁が起きる前から郁の彼氏だぞ。無茶苦茶だよ、お前が言ってること」
横を歩く甲塚の顔が、薄暗くなってきた。その気分の沈降が一定のレベルを突破したのか、いきなり髪を振り乱して俺に向き直ってくる。
「……あんたは、こんな風に他の女と遊んで、宮島に申し訳無いな~! とか思わないわけ!?」
「お前は『他の女』なんかじゃない。俺にとっても郁にとっても、友達だろ?」
「あの……ねえ――ふう……」
何かを言い足そうに口をわなわな動かすが、結局言葉にはなっていない。手で庇を作るようにこめかみを揉んで、黙ってしまった。
俺からすれば、甲塚が一体何をそんなに気遣っているのかが分からない。
――思いつかないわけでは、ない。でも、それはあまりにも突飛で、脈絡の無い発想で……。
「ちょ、ちょっと待てよ。……お前」
「はあん?」
「まさかとは思いますけど、俺のことが好き……とか言わないよな?」
次の瞬間、俺の喉元に豪速のチョップが爆発した。
甲塚の攻撃なんて、誰しもが猫パンチ程度の威力だと思うだろう。俺もそうだ。
――だが、このチョップは違ったんだ。
多分詳しい技名で言うと「水平チョップ」とか呼ばれるやつで、イメージとしては「なんでやねん」の物凄いやつになる(少し手の角度が違うが)。直撃すればラリアットに似た打撃力を発するのだが、それは勿論プロの話。甲塚がけたたましい音と炸裂させたそれは――
爆ぜるような鞭打であった。
どうやら生来の非力さと残忍さが、悪いようにマリアージュした結果なんだろう。俺の喉に、熱を帯びた痛みが湿布のように張り付いて取れなくなる。
「いいぃッ――!!」
甲塚は自分のチョップで俺が海老反りになっていることに驚いているらしい。自分の手を見て、「あんたがあまりにも馬鹿馬鹿しいこと言うからじゃない!」と大声で言い訳をしているし。
「……!!……!!」
「私があんたに惚れる? はああ? マジありえないんだけど。勘違いをするにしても、失礼のレベルってもんがあるわ。あんまり調子こいてると、潰すぞコラッ。ああん?」
「だから、まさかと言っただろ……! 髪戻したくせにチンピラムーブをするな!」
でも安心した。
やっぱり甲塚は、俺のことなんて好きになるような女じゃないらしい。それこそ俺のイメージ通りというか、恋愛を自分の価値観の主軸にしていないというか、とにかく「孤高」という言葉が似合う女子。「人」という字は人と人が支え合ってなんとやらと言うけれど、こいつの生き様は「I」だ(?)。とにかく一本足、私一人って感じだ。
「ふんっ。でも、私が言っているのはそういうこと! 幾ら私が言葉で言ったって、宮島に変な勘違いされたらこっちが迷惑なのよ」
「ああ。そういうことね。理解しました。はい。この話終わり」
急いで話を終わらせようとしたが、甲塚は歩きながら、唇を噛んで思いっきり嘲笑の笑みを浮かべている。
「まったく――くくく。まさか、あんたがそんな思い上がりをするなんてねえ! 何? 部活で一緒に過ごしている内に、心が通じたとでも思ったわけ? 私と、あんたが! くっはははは……」
「話は終わりだってば」
「私に手を繋いで貰って、ドキドキしちゃったの? くっくっく。可愛いところあるじゃん」
あまりの追撃に、俺は頭を抱えてしまった。
「俺が悪かったから、マジで止めてくれ。もうこれ弄るの禁止! 郁にも言うなよ」
「なんだったら、キスの練習も付き合ってあげよっか。どうせまだなんでしょ、あんた達」
「頼むから、勘弁して」
*
甲塚と別れて、ようやく家の前に戻ってきた。劇場を出た辺りから空は深さを感じる程の青さだったように思うが、昼が近づいていよいよ快晴の本領を発揮してきた。今朝のことが無ければ、素晴らしい散策日和だったに違いない。
甲塚はともかく、タクシーで配送したきりの東海道先生は大丈夫だろうか……。
エントランスに入ろうとしたところで、どこかから俺を呼ぶ声が聞こえたような気がした。振り返ると、二階から身を乗り出してニコニコ手を振るスウェット姿の郁――
「ごめええん!!」と、何故か爽快な笑顔で謝罪している。
呆れ返って、首の力が抜けてしまった。
「何を笑顔満点で謝ってるんだ、お前は……」
「あんだってー!?」
「何をー! 笑顔満点でー!……ああっ面倒臭い。降りてこいお前!」
すぐにサンダルを突っかけて出てきた。
「今日、昼から飯島ちゃんが遊びに来るんだけど、タコパしない?」
「いきなり過ぎる。てか、昼ってもうすぐだし。……てか、寝坊した件はもう終わり!?」
「謝ったじゃん。その話は後で聞くからさ。タコパ来るの? 来ないの?」
――と、郁の嵐の様な行動力に掛かれば、俺の土曜日なんてものは容易く潰れてしまうわけだ。まあ、美取とは年明けてからネット越しの会話しかしていなかったし、クリスマス振りに顔を合わせるのも悪くないけど。
それに、あれからショウタロウと彼女の仲についても少し気になる。




