第194話 突撃、甲塚家
「こ、甲塚、一体どうしちまったんだよ」
「どうしたって、何が」
「その髪!! いつものチンピラスタイルは!?」
何と言ったって、この変わりようである。
甲塚と言えば、ウェーブ掛かった薄色の髪を後ろに流して、耳にはピアスを光らせているのがお馴染みだったのに。今では髪色が茶色に落ち着いて、だからか人を寄せ付けないあの刺々しさがすっかり消え失せてしまっているではないか。
……だが、よくよく見れば大きく変わったのは髪色くらいで、隠れてはいるがツーブロックもそのままだし、ピアスも光っているし、直毛に矯正したわけでもないし、おでこもつるつるしているようだ。ヘアースタイルに詳しくはないが、今風のウェーブボブってやつか。
「チンピラって……。別にどうってこともないわよ」甲塚は前髪を指先で弄りながら、どこか照れくさそうに釈明し始めた。「前の髪型は、舐められないようにしなきゃと思ってしていただけ。元々こういう髪型だったから、むしろこっちに戻したってだけなんだけど」
「そ……そうなの?」
まさか、あのチンピラスタイルにそんな打算があったとは。まあ確かに、あの見てくれの甲塚がこんなキャラだとは俺も驚いたものだが。
というか、これは大変なことだぞ。
甲塚という女子は、あのチンピラスタイルがために恐れられていたもんだが、実は顔をよくよく見てみると普通に目鼻立ちが整っている美人だったのだ。それを、こんな一般人みたいな髪型にしてしまったら、……。
「こ、甲塚さん、可愛いんだけど!! 可愛い~! 可愛い~!」
早速テンションのぶち上がった郁が、ガシガシと頭をなで始めた。普段「可愛い」なんて言われ慣れていないのか、甲塚は目をまん丸にしてくらくら首を揺らしている。
けど、俺が危惧しているのは要するにそういうことだ。
甲塚が、普通に可愛い女の子になってしまった……!
急に我に返った甲塚が、「何だよっ!」と身を引いて郁の愛撫を回避する。「たかが髪型を変えただけじゃない。気味が悪いっ……!」
「だって、すごく可愛くなっちゃったんだもん。え? え? 何で? 何で急にスタイル変えたの?」
「……もう、校内で虚勢を張る必要も無くなったし。それに――パパと会っても分かんないかなと思って……」
あ。……という顔を、郁と見合わせた。
そうか。甲塚の父親がいなくなったのは、彼女が小学生の時なんだ。今以て甲塚の父親が見つかるかどうか確信は持てないが、もし遭遇することになったら彼女と父親の間には長年のブランクがあることになる。
小学生の少女が、高校生になったんだ。あんな攻撃的なスタイルでは面影も消え失せてしまうんだろう。
――と、しんみりした空気の中、突然甲塚の眉間に恐ろしい皺が発生した。こういう表情を見ると、ああ、やっぱり甲塚は甲塚なんだと安心してしまうな。
「で、何。いきなり人の家に押しかけてきて……今日は部活、休みでしょうが……!」
……こいつ、人ん家には休日返上で押しかけてくる癖に、自分がされるのは嫌なのかよ。
「お見舞いに来たんだよ」
「文句言いに来たんだよ」
「文句言いに来たの!? お見舞いじゃなくて!?」
甲塚よりも郁が驚愕してるし。
「こいつが病人に見えるか? 病欠なんてサボリの言い訳に決まってんだろ。甲塚、どうして学校に来ないんだ。あんだけ言ったのにまだお前は……」
「ちょっと、待ちなさい」
不平の歯止めが利かなくなりそうな所を、甲塚が手で静して来た。それから俺と郁の間に身を乗り出して素早く廊下を眺める。……そういえば、玄関先で突っ立ったまま話し込んでしまっていた。
「とにかく上がって。今、ママいないのよ」
えっ。甲塚の家に……?
ここまで来といてなんだが、結構意外な展開だ。どうせ甲塚のことだから、他人を家に上げるのを嫌がって、近くの喫茶店にでも出てくるかと思ったのに。部屋着だからか?
――と、甲塚が土間にかがみ込んで、靴箱から二足のスリッパを引っ張り出した。来客用のスリッパとは……カルチャーショックだな。我が家の客人に対する塩対応が咎められた気分になる。
「あ。そっか、甲塚さんのママって別の高校で先生やってるんだっけ」
*
甲塚の家は、おかしな言葉を使うようだが生活感に満ちあふれた家宅だった。勿論、甲塚は母親とここで生活をしているわけなのだが、俺はどこか、甲塚家は徹底的にミニマムな生活をしているのではないかと思っていたのだ。
……いや。ハッキリ言うと、父親がいないことの悲しみが、もっと生活に浮き出ているものだと思った。
その点、このリビングはどうだ。甲塚の母親の趣味であろう観葉植物に、棚の上のアクアリウム。リビングテーブルはカーキ色のクロスが敷かれていて、それに……これは刺繍だろうか? 二匹のリスが花に囲まれている、なんとも温かみのあるデザインの布が壁に掛けられて――それ以外にも、こちゃこちゃとハンドメイドであろうものが部屋のあちこちに飾られているな。
甲塚の母親なんて顔も知らないが、この部屋の様子だけで多趣味っぷりが分かる。それも、かなり女性的な方面の趣味ばかり。
家庭のリビングというより母親の私室の延長って感じがするのは、やはり父親という対の存在がいないからだろうか……? って、これは失礼な想像かな。
甲塚は俺たちをテレビの前のソファに座らせると、食材がパンパンに詰まっている冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本「ん……」と、寄越してきた。
「おい、あんまり構うなよ。文句言いにくくなるだろうが」
「知らないわよ、そんなの」
「取り敢えず、一旦座れ」
「甲塚さんの家って、可愛いものが一杯あるね。見て回っても良い?」
「別に良いわよ。殆どママの趣味だけどね」
郁が立ち上がって、代わりに甲塚がソファに座る。……なんで隣に座るんだ。
「お前は何を学校初日にサボってんだよ。心配するだろうが」
「サボると言っても今日は部活休みじゃない。わざわざ先生の長ったらしい話を聞きに行くなんて馬鹿げているでしょう」
「そういう問題じゃないだろ! お前、学校辞めるのを止めたんだよな……?」
すると、甲塚の方が目を見開いて驚きの表情を浮かべるではないか。
「何言ってんの? 私が言ったのは、パパが見つかるまでは――部室と部費を利用させて貰うために――学校を辞めないってことよ。真面目に通って卒業するなんて一言も言ってないじゃない」
多分、立ったままだったら俺はずっこけていた。
なるほどねえ……そうなっちゃうのかあ……。
正月のやり取りで、てっきり前向きに将来を考え始めたもんだと思ったのだが、彼女の中では消化試合が延長した程度のことだったのか。
「というか、……あのさ。今更言うのもなんだけど、お父さんが見つかる可能性は高いわけじゃないんだ。もう聞いていると思うけど、探偵を使ったお前のお祖母ちゃんすら、渋谷から消えたあとの足取りは知らないらしいし」
「そんなこと分かってるわ」甲塚は冷静な態度で現実を受け止めているようだった。「でも、可能性がないわけじゃない。都内で家の無い人が地方に行くとも思えない。きっと、パパはこの辺りにいるはずなのよ。ホームレスが集まる所と言えば公園か――河川敷か――それか、公共の設備で寝泊まりしていることもあるかもね。どう? 結構探すべき場所はハッキリしているのよ。……それにしても、まったく。返す返す考えるに、なんて父親なのかしら。見つけたって、どうせ碌なことにはならないわよ」
そう冷徹に言い放つ甲塚の表情には、どこか期待感が見え隠れしている。
それはそうか。父親が見つかるまで学校を辞める気は無い。そして、卒業する気も無い。――ということは、彼女は父親が見つかると信じているんだ。
「ねえ、これ、子供のころの甲塚さんでしょ?」と、郁が一枚の写真立てを持って間に入ってきた。「蓮も見てよこれ。可愛い~! 写真撮って良い?」
「あ。ちょっと、勝手に……」
見てみると――本当だ。ちびっ子の甲塚が写真に向かって怪訝な表情を浮かべている。彼女の写真嫌いはこの頃からあったのだろうか? 不意に撮られた写真ではあるんだろうけど、それでも可愛らしく見えるのは、多分今のような毒気がないからだろう。
何となく微笑ましい気分になって頬がゆるんだ所に、彼女の横に立っている大人の顔を見て一瞬頭が真っ白になった。
……こいつが、新藤君弘か。
 




