エピローグ. 部室
『あけて』
日が沈んだ空はまだぼんやりと明るく、自転車を転がすとなんだか清々しい気分になった。
そのまま家に帰ろうかと思ったけれど、図書室に荷物を置きっぱなしだったので一度学校に戻ったのが18時40分頃の話である。
そして現在時刻は19時丁度。
既に閉館された図書室の前で腕組みをしながら待っていた部長と副部長、ポニーテールの同級生の計三名によって部室へと連行され、20分間みっちり説教されたのだ。
今はお説教も一段落し、部長が奢ってくれた缶コーヒーを飲みながら事情聴取を受けている。
「お手洗いから帰ってきたら橘くん居なくなってるんだもん。心配したんだよ?」
ポニーテールの同級生、赤西さんは口を尖らせてそう言った。
彼女が言うには、宝探し開始直後、ペアである僕に声をかけてトイレに行ったらしい。
そんな記憶もあるような、ないような?
彼女が用を足して戻ってきたら、僕は忽然と姿を消していたそうだ。
「あと10分遅かったら先生に報告してたんだからね? そしたらあんな説教じゃ済まなかったよ」
いまだに怒りが収まらない様子の副部長は眉間に皺を寄せ、ため息をつきながらコーヒーの缶を揺らしている。
彼女は2年生であり、次期部長として今回の宝探しイベントの企画と準備を取り仕切っていたという。
そこで僕みたいなイレギュラーが問題を起こしたのだから、腹に据えかねるのは当然だろう。
「まぁまぁ、もういいじゃないか。それより、詳しく聞かせてくれないか?」
この優しい顔つきの眼鏡男子は部長である。
思えば、最初にヒントを配ってくれたのも彼だった。
犯人レースぶっちぎりとは、彼女が言ったのだったか。
「どこから話せばいいか分からないので、最初から全部話しますね」
僕は覚えている限りの話をした。
探偵少女と過ごした時間、そして呆気ない別れの話。
「春野なんて生徒、うちの部にはいないから。それなのによくもまぁペラペラと喋るわね。冗談も程々にしなさいよ」
僕の話を相槌混じりに聞き終えた後、真っ先に口を開いたのは副部長だった。
眉を顰めて悪態を吐くが、全く仰る通りである。
「私もそんな子知らないよ。なんだか怖いね。橘くんは……大丈夫そうだね。よかった」
「よくないから。赤西ちゃんめっちゃ心配してたんだからね? 反省してんの?」
「まぁまぁ、その辺にしといてあげなよ」
再びお説教モードになりかけた副部長を宥め、部長は困ったような笑顔を向けた。
「それにしても、事実にしては奇妙だし、作り話にしては嘘くさいね」
「嘘くさいってか嘘ですよ。あの坂道なら毎日通ってるけど、廃屋なんて聞いたことないし、そもそもあの坂に脇道なんてないもん」
聞くと、副部長はあの丘にあるニュータウンに住んでいるらしい。
その彼女が断言するのだから、もしかすると、あの廃屋は存在しないのかもしれない。なんて。
「それより、赤西さんはそろそろバスの時間じゃないかな」
「えっ? あ、ほんとだ」
部長に促された赤西さんは壁の時計に目をやり、慌てた様子で鞄を取る。
「はぁ、アホらしい。赤西ちゃん一緒に行こ」
「えっ、は、はい。じゃあ橘くん、またね」
「反省しなさいよマジで」
副部長は赤西さんの手を引き、部室の扉をピシャリと閉める。
その背中を見送ったあと「くわばらくわばら」と言って部長は軽く笑った。
「でも面白いじゃないか。江戸彼岸に結ばれた2枚の紙。神社の床下に貼り付けられた手帳。廃屋のロッカーね」
「あっ……それから、これも」
僕はスラックスのポケットから二つ折りの紙を取り出す。
「そうそう、それもだったよね。俺が渡した最初のヒント」
思えば、これが今日の出来事を引き起こした鍵なのだから、あいつの推理もあながち間違ってなかったのかもしれない。
「特別校舎裏に江戸彼岸があること、部長は知ってましたか?」
「うん。と言っても、品種までは知らなかったし、なんかあるなぁくらいの認識しかなかったけどね。勿論今回の宝探しには関係ないよ」
「……ですよね」
僕の推理通り。なんて言える程のことじゃないけれど、普通に考えてあのおみくじがヒントであるはずがない。
「そのおみくじとメモ、あと手帳は?」
「全部あいつが持っていきましたよ」
「つまり証拠はなしと」
「まぁ……そうなりますね」
わざとらしく肩をすくめる僕に、部長は「枝はどうしたの?」と問いかける。
初めは何を言っているか分からなかったが、おみくじとメモが結んであった、僕が折ってしまった江戸彼岸の枝のことだろう。
「どうだったかな……あ、窓を閉める時に、木の根元に捨てちゃいました」
「それ、本当にあるなら証拠になり得るかもね」
確かにそうだ。
いくら僕がヤンチャな問題児だったとして、何の理由もなく木の枝を折ってそのままポイ捨てする理由がない。
「見にいきましょう」
「いや、いい。暗いの怖い」
僕の提案を簡潔に突っぱねて、部長は眼鏡を中指で押し上げた。
そして「俺の考えではね」と、机に身を乗り出した。
「きっと橘くんは『迷い家』に文字通り迷い込んだんじゃないかな」
「まよいが……ですか?」
「知らないかい? 遠野物語で語られている妖怪。というか怪異だね」
残念ながらオカルト関連はからっきしだ。
妖怪と怪異の違いもよく分からない程度には。
「山の中に現れる無人の家さ。その家の中から物を持ち出すと富を授かるなんて言われてる。だから怖い物じゃなくて、幸運をもたらす怪異なんだよ。そう考えると惜しい事をしたね。投げ捨てたガムテープを持ってきていれば、今頃億万長者だったかも」
「……なるほど」
「どうした? 腑に落ちないかい?」
「そりゃあ、まぁ」
もしあの家がその迷い家だったとして、あいつはどうして消えたんだ。
あのメモは、あの手帳は、あのロッカーは。
一体なんだったんだ。
それに、僕自身もなんだかおかしい。
「迷い込んだというより、誘い込まれたように思うんです」
「それは、どっちに?」
「……どっちとは?」
「迷い家か、それとも……なんていったっけ?」
「ああ、えっと。春野です」
「そうそう。その子」
「…………」
部長は僕の手から二つ折りのヒントを取ると、それを開いて視線を落とす。
「橘くんは、おみくじや手帳には触れたのかい?」
「え? どうだったかな」
「ロッカーは?」
「直接は触れてないかと。ガムテープ越しには触れましたけど」
「そうだったね。ガムテープにも、その子にも触れたんだもんね?」
「ええ、まぁ」
「なるほど」
広げたヒントの紙を逆方向に折り直し、また開いたかと思えば折り目に沿ってぴりぴりと裂いていく。
そしてヒントが書かれた一片と、白紙になった一片を机の上に並べた。
「橘くんならどっちを取る?」
柔らかい口調で問いかけられて、僕は咄嗟に白紙を指さしていた。
「俺もそうする」
「ああ、いや、何を言いたいんですか?」
「その子、名前は……まぁいいや。とにかくその子、最初からいなかったことにしないか?」
「……はい?」
何を言い出すかと思えば、かなり突拍子もない提案だった。
あいつをいなかったことにする?
存在感抜群のあいつを?
「いや、そんなの出来ませんよ」
「でも橘くんは開けなかったんだろう? 『あけて』って書いてあったのに、放棄したんだろう?」
「……ロッカーの話ですか?」
「そう。それまでは書かれた言葉を追っていたのに、その子の言うまま乗っていたのに、橘くんは宝探しを放棄したわけだ」
「それはそうですけど……」
あれを開けるバカなんてあいつくらいのものだろう。
あんな、見るからにやばそうなもの。
「じゃあもういいじゃないか。このヒントの先に見つけた紙切れも、何も見えないほど暗い神社の床下に貼り付けてあった手帳も、存在しない廃屋も、ロッカーに消えた誰かも。橘くんは一抜けしたんだからさ」
部長は「それに」と、僕の顔を覗き込む。
「君が嘘を言ってるようには思えないけど、友達を失ったばかりの顔にも見えないんだよね」
「…………」
彼の言う通り、やはり何かおかしい。
あんなに楽しかったはずなのに、あんなに怖かったはずなのに、ずっと心は晴れやかなのだ。
「あいつ、最初からいなかったんですかね?」
「さあ、どうだろうね」
部長はそう言うと、傍に放置していた缶コーヒーをグッと飲み干した。
「それで、その子、名前はなんて言ったっけ?」
「だから、えっと……なんでしたっけ?」
僕も缶コーヒーを飲み干して、空き缶をゴミ箱に投げ入れる。
「じゃあ、帰ろうか」
「そうっすね」
僕たちは部室を後にして、鍵を事務室に返してから昇降口へと向かった。
そして別れ際、部長は僕に右手を差し出し握手を求める。
「改めて、文芸部は君を歓迎するよ。こらからよろしくね、橘くん」
「よろしくお願いします……あ、でも」
小首を傾げる部長に、僕はハッキリとこう告げた。
「どろどろの幽霊部員で行くつもりなんで、あんま気にしないでください」
その後、奢ってもらったはずの缶コーヒー代を請求された話は、まぁ、蛇足だろうからやめておく。
――終わり――




