5. 廃屋・2F
『河永市東山町4丁目2-11』
『ロッカーを処分する』
『ガムテープ』
『赤い服(気をつける)』
『ロッカーを必ず処分する』
『失敗した』
「ずっと気になってたんだけど、聞いて良いか?」
真っ暗な廊下を歩きながら、小さな背中に投げかる。
「はい! この名探偵紫央に何なりとお聞きください!」
春野はピタリと立ち止まり、こちらを振り返った。
スマホのライトを直視してしまい、目が眩む。
「……あのさ、メモのことなんだけど」
「?」
小首を傾げて、僕の言葉を待っているようだ。
なぜそんなにも自然体でいられるのか。
彼女も僕と同じでオカルトの類は信じていないらしいが、それにしたって、いくら楽しいからって、こんな廃屋でそうも堂々と出来るものなのだろうか?
僕はオカルトなんて信じない。
それでも神社に行けば当然のように神に祈るし、こんな廃屋にいれば幽霊が出るんじゃないかと足がすくむ。
幽霊じゃなくても、真っ暗な廃屋なんてそれだけで恐怖の対象だろう。
なのにこの子は。
「おーい。大丈夫ですか?」
「あっ、うん。ちょっとぼけっとしただけ」
「え? あはは、もう少しですから頑張ってください。あー、それで聞きたいこととは?」
「あ、ああ。えっと……『赤い服(気をつける)』って部分がよく分からなくてさ」
「ふむ」
お得意のポーズをとって、春野は態とらしく思案顔を見せる。
「私は最初、『赤い服を着る』という意味だと思いました。橘さん、推理小説で犯人が赤い服を着る理由は?」
「……返り血を目立たなくするため」
「そうです。相手を殺す時なのか、死体をバラバラにする時なのか。赤い服の着用を括弧までつけて強調するのなら、絶対に死体が絡むと思ったんです」
「でも、これは短編小説なんだろ?」
「ええ。だから必ずしも死体が必要ではないんです。それに、こんなところで死体を処理するなら、返り血を目立たなくする理由も薄いですから、赤い服を着るというのは少々的外れですよね。だから私も推理中だったんですよ」
じゃあ、結局なんなんだよ。
そう聞こうとした時、僕はある違和感に気がついた。
「春野……僕の後ろに、なにかあるのか……?」
彼女の視線が僕ではなく、僕の後方に向いている。
喋る時はずっと僕の目を見ていた彼女が、振り向いた瞬間から僕の目を見ていない。
スマホのライトを僕の顔に直接向けたのも、意図的にではなく、結果的にそうなってしまったように思える。
「さぁ行きましょう。階段はすぐそこですよ」
「ま、待ってくれ!」
踵を返して歩き出した春野を慌てて追いかける。 僕の背後から迫る赤い服の何かを想像してしまい、血の気が引いていく。
「ここですね。段差が急ですから踏み外さないように気をつけてくださいね」
「なぁ春野、もう帰らないか?」
「なぜ?」
「怖いんだよ。赤い服とか気味悪いし、大体この家自体不気味なんだ。なんでお前は平気なんだよ?」
「平気じゃないです。怖いですよ、私も」
「はぁ?」
こうしている間も春野は、手すりのない急な階段を上っていく。
一人でここに留まる勇気はなく、彼女を置いて帰る度胸もない僕には、彼女を追う以外の選択肢がない。
「じゃあなんで、そんなに楽しそうなんだよ?」
「だって興味があるんです。好奇心が騒ぐんです。処分出来ないロッカーってなに? なにが入ってるの? お宝が入ってるのかな? それとも死体? そう思いませんか橘さん? ワクワクしませんか橘さん?」
「……しねぇよ」
死体に心躍るなんて、絶対にない。
僕たちは友達だ。
今日出会って、今日友達になった。
でも、たった2時間ちょっとの付き合いで、彼女がどんな人物かなんて分かるはずもなかったんだ。
「……ん? どうしました橘さん。階段の途中で立ち止まると危ないですよ?」
「……やっぱり、僕は降りるよ」
「階段を?」
「宝探しだよ。僕はもうやめる。続けるなら一人でやってくれ」
「ビビってて草」
「…………」
「そうですか」
あと一歩。
その一歩で春野は2階に足を踏み入れる。
「春野、頼むよ。もう帰ろう。一緒に帰って、今日のことは二人だけの秘密にしよう。それでさ、明日からは友達として遊ぼう。そういえば仙台に体験型の脱出ゲームとかあるらしいし、今週末にでも電車で行かないか? 推理小説の読書会とか、推理系のボードゲームとか、一人じゃできないことも沢山やろう」
「……それは、楽しそうですね」
「楽しいに決まってるだろ。名探偵紫央とサイドキックの僕が協力すれば大活躍間違いなしだ」
春野は少し黙ってから「もしも」と言う。
「――もしも、私がお宝探しを続けたら、橘さんはどうします?」
「帰るよ。一人で帰る」
「友達の女の子を一人残して?」
「その時はもう友達じゃない。脱出ゲームも、読書会も無しだ」
「あはは。狡いですね、橘さん」
春野はゆっくり振り返る。
口元は笑っているが、僕を見る目からは哀しみの色が見て取れる。
しばらく見つめ合ったあと、ちらりと僕の背後に視線を送った。
「やめておいた方がいいと思いますよ。橘さんは一人じゃ帰れません。彼女がいるから」
「……彼女?」
「はい。階段下の壁からこちらを覗いてますよ。真っ赤なワンピースを着た、長い黒髪の女の人」
「――ッ」
背筋は凍りそうなのに、全身の毛穴が開いて汗が吹き出る。
廊下で僕の背後に見ていたのも、その女なのだろうか。
いや、いやいや。
そんなの居るわけがないだろう。
「な、なに言ってんだ!」
「あーあー。おっきい声を出すから身を乗り出してきましたよ? 『赤い服(気をつける)』って彼女のことだったんですね。橘さんのこと睨んでますけど、振り向いたらどうなっちゃうんでしょう?」
春野は笑って、手を伸ばす。
救いの手を差し伸べるように、こちらに来いと言わんばかりに。
「……ははっ」
思わず笑ってしまった。
なんでこんな事になってるんだっけ?
マジで笑える。
オカルトなんてあるわけないのに背後に居る女に怯えて、あるかどうかも分からないロッカーを巡って女子と言い争いをしている。
「女は今、なにをしてるんだ?」
「橘さんを睨んでます」
「睨むだけ? はっ。気をつけろって割には睨むだけかよ。なんも被害ないじゃん」
「呪おうとしてるんですよ。目が合えばきっと呪われます」
「んなもんねぇよバカ!」
叫びながら勢いよく背後を振り返る。
もしも赤い服の女と目が合ったら、なんて、本気で不安だった。
しかしライトで照らされた階段の下には、赤い服の女どころか、ネズミ一匹居やしない。
「はっ、ははっ。やっぱなんもいないじゃん」
「あーあ。バレちゃいましたか」
春野は態とらしく肩を落として、ため息をついた。
「赤い服の女も居なかったわけだし、僕は帰るけど、お前はどうする?」
彼女がそうしたように、僕も手を伸ばす。
この手を掴んでくれ。
そう強く願いながら、彼女の瞳をまっすぐ見据える。
「……私は、友達と好奇心を共有したかっただけなんです。一緒に楽しみたかっただけで、一緒に遊びたかっただけ」
自分に言い聞かせるように、ぽつりと呟く。
「ああ。これから沢山遊ぼう。こんなシケた所じゃなくて、お前と一緒に楽しめる所を探すからさ。だから――」
「でも、興味あるんですっ!」
爛々とギラギラと、春野は叫んで最後の一段を上った。
「春野っ!」
「ロッカーロッカーロッカーッ! お宝探しは楽しいですねぇ!」
「は……るの……」
どたどたと駆け回る音、激しく扉を開く音。
春野は結局、目の前の好奇心に逆らえなかった。
数時間の友情よりも、一瞬の興味を優先してしまった。
「あっ! これだぁ! 橘さぁん! もう帰っちゃいましたぁ!? ありましたよロッカー!」
しかし僕は、彼女をここに置いていくほど薄情にもなれない。
悔しさと不安を飲み込んで、ただ立ち尽くす。
「ガムテープってこれかぁ! 取っちゃいましょう!」
べりべり――。
べりべりべりべり――。
べりべりべりべりべりべりべりべり――。
乱暴にガムテープを剥がす音が響き渡る。
思わず耳を塞ぎそうになり、寸前で拳を握り締める。
「なーにっかな! なーにっかな! お宝お宝なーにっかな!」
がちゃり。
鉄製の薄い扉が開く音がした。
「うわー。真っ赤っか」
がちゃん。
今度は閉まる音がした。
そして、何の音もしなくなった。
「春野……?」
煩いほどの静寂が廃屋を包んでいる。
心臓の音だけが鼓膜を揺らす。
「春野!? おい、春野!?」
気がつけば、僕は階段を上っていた。
2階の廊下には3つの扉があり、それは全て開放されている。
そして、その部屋はすぐ分かった。
廊下の正面、開いた扉から見える室内に、教室の掃除ロッカーにも似た縦長のロッカーが置かれている。
「春野っ!」
部屋に飛び込んだが、そこに春野の姿は無かった。
古びた和室の中央に一つのロッカーがぽつんと置かれている光景は、どうにも異様だった。
1階同様、この部屋にもロッカー以外のものはない。
いや、正確に言えば、春野が剥がしたらしいガムテープが散乱している。
「ふざけてないで出てこいよ! 春野!」
部屋には押し入れもなく、窓も閉まっている。
もしも春野が隠れているなら、その候補は一つしかない。
僕はロッカーに近づき、その扉を叩く。
ガンガン――。
「春野、帰るぞ」
ガンガンガンガン――。
「春野、いい加減にしろよ」
ガンガンガンガンガンガンガンガン――。
「春野! おい! 開けるぞ!」
ぼと――。
ふと、そんな鈍い音がした。
何かが落ちたような、そんな音。
「……ガムテープ?」
ロッカーの上に置いてあったのだろうか?
ガムテープのロールがころころ転がっていく。
僕は慌ててガムテープを拾いにロッカーの裏手に周り、そして息を呑んだ。
『あけて』
ロッカーの裏に赤いペンキらしきものでそう書いてあった。
それを見た瞬間、僕は半狂乱で叫びながらガムテープを手に取り、ロッカーをぐるぐる巻きにしていた。
5周ほど回ってガムテープを巻きつけたところで、僕はロッカーに残りのガムテープを叩きつけ、滑り落ちるように階段を駆け下りた。
侵入時に使った窓ではなく、玄関のガラス張りの引き戸ををがらりと開けて、雑草が生い茂る庭を抜ける。
ロープで締め切られた小さな門を飛び越えて、倒れた自転車に飛び乗った僕は、坂を全速力で駆け下りていた。
春野のことなんて、すっかり頭から抜け落ちていた。




