4. 廃屋・1F
『河永市東山町4丁目2-11』
『ロッカーを処分する』
『ガムテープ』
『赤い服(気をつける)』
『ロッカーを必ず処分する』
『失敗した』
エニグマ。
ギリシャ語で『謎』を意味する言葉である。
第二次世界大戦において、ドイツが開発した当時最高峰の暗号機にもこの名が冠されていたらしい。
どんな暗号も私にかかればちょちょいのちょいですよ! 名探偵紫央に解けない謎はありません!
彼女ならきっと、そんなことを言うだろう。
そして、僕は思う。
最強の暗号機がどれだけ優秀であろうと、いずれ誰かに解かれてしまうだろう。
お前じゃなくても、誰かが解くだろう。
謎は謎として現出した瞬間から、次第に綻びを見せていく。
真に強固な謎は、それが謎であるとも気付かせない謎である。
……もしくは。
「これって長編小説ですかね?」
ガラス片が散らばる閑散とした六畳間の暗い和室で、春野は突拍子もなくそんなことを訊いた。
いまいち理解できなかったが、今日の宝探しを小説に例えた場合、長編に足り得るか。という旨の質問らしい。
「どうだろうな。ショートショートじゃないにしても長編にはならないんじゃないか? 文字に起こすには余計な描写が多すぎる」
「橘さんの彼氏面とか?」
「お前の女豹のポーズとかだよ」
「あれはマストでしょう!?」
声を荒げる春野に「まあ短編がいいところじゃないか?」と答えると、彼女は「それなら良かったです」と安堵の表情を浮かべた。
なにが良かったのか知らないけど、どちらかといえば、僕は長編小説の方が好きだ。
短編は、キャラクターに感情移入する前に終わってしまうから。
「春野は短編派か?」
「いえいえ、私は長編も短編もショートショートも好きですよ。そういうことじゃありません」
なら、どういうことなのか。
そう尋ねる前に春野は先回りしてこう言った。
「《ヴァン・ダインの二十則》。『長編小説には死体が絶対に必要である』です」
これが短編小説であれば、だとすれば絶対ではない。
高校生のごっこ遊びを面白おかしく描いた小説に、本物の死体なんて必要ない。
仮にそれが長編であっても。
「ヴァン・ダインだのノックスだの、発想が一々野蛮だな」
「推理小説は野蛮なものですからね。事件解決のためなら犯罪スレスレの行為も厭わず、時として犯罪行為にすら手を染める。それが探偵というものです」
「それは不法侵入の言い訳か?」
今日初めて知ったが、僕は推しに弱いらしい。
流されやすく、意志が弱いと言い換えてもいい。
考えが足りないとか、行き当たりばったりというのもありかもしれない。
先刻、僕と春野は神社の境内で軽い言い合いをした。
その理由はもちろん、手帳に記された住所についてだ。
言い訳をさせて欲しいが、僕は彼女を止めようとした。言葉巧みに、なんて言えるものではなかったが、論理的に宝なんて存在しないだろうと、感情的に疲れたから早く帰りたいと。
しかし春野は、僕が行かなくても一人で行くと言って聞かず、結果的に折れてしまった。
放っておいたら本当に一人でも行ってしまうだろから、ならば僕も一緒にいた方が安全だろうと考えたのだ。
我ながらどうして初対面の女子にここまで世話を焼いているのか分からないが、やはり妹を重ねているのだろうか。
「二人乗りだって道路交通法違反ですよ。今更なにを言ってるんですか」
「それとこれとは別だろ」
「ふっふっふ。同じですよ、罪は罪です」
まぁ、それはそうなのだろうが。
僕は今、縁もゆかりもない一軒家の中に土足で踏み込んでいる。
それだけでも罪悪感は凄いのに、石で窓ガラスを叩き割った春野は目を爛々と輝かせている。
「ここまでしたんです。もう後戻りは出来ませんよ。ねぇ、橘さん?」
にこりと笑みを向ける春野。
その屈託のない笑顔に背筋がゾッとする。
「わ、わかってるよ」
彼女のいう通り、ここまできたら後戻りはできない。
彼女が勝手にやっただけ、なんて言い訳は今更通用しないだろう。
高校に入学してまだ1ヶ月なのに、退学になったらどうしよう。
「それにしても、廃屋にしては荒れてませんね。もっと落書きとか、荒らされてたりとかするものかと思っていました」
「誰か住んでるんじゃないか?」
「それはないでしょう。表札も外されてましたし、外壁も蔦まみれ。それに私の胸のあたりまで伸びた草で庭が埋め尽くされていましたから、私の推理では誰も住んでいないはずです」
僕たちがスマホのナビを頼りにたどり着いたこの家は、その様子を見れば人が住んでいないことは誰にでもわかるだろう、
ニュータウンがある丘を登る途中の細い脇道、その奥にこの廃屋はぽつりと建っていた。
平成初期に建てられたであろう古びた二階建ての一軒家は、春野が言う草や蔦もそうだが、庭に入るための小さな格子の門を閉ざすため、何重にも巻きつけられたロープを見れば一目瞭然である。
ただの戸締りであそこまでする奴はいないだろう。
「まぁ、管理者はいるでしょうけど」
「管理者いるんじゃん……」
「何を怖気付いてるんですか! お腹を据えてください橘さん。さぁ、お宝を探しますよ!」
そんなことを言いながら、春野はすでにスマホのライトで部屋中を照らし、部屋の外に続くであろう障子を無造作に開いた。
その奥には緑がかった土壁と、板張りの細い廊下がある。
ホラーゲームでもやっている気分だ。
「どんどん見ていきましょう! 待ってなさいお宝!」
春野はそう意気込んでいたが、決して大きくはない家の探索はとても淡々としていた。
僕たちが侵入した部屋、和式のトイレ、タイル張りの浴室、台所、土間、茶の間らしき広めの部屋、押入れのある部屋、玄関と縁側。
次々と部屋を見て回ったが、お宝どころか何も無いのである。
元の住民は普通に引っ越しだのだろう。椅子やテーブルなどの家具のみならず、小物の一つすら見当たらない。
「なぁ、もういいだろ? 帰ろうぜ。何もないって」
「いいえ、絶対にありますよ」
「なにが?」
「ロッカーですよロッカー! 橘さんも読んだでしょう?」
「読んだけどさ……」
「この手帳には『失敗した』と明記されてます。つまり、ロッカーはまだこの家に残ってる可能性が高いのです!」
春野はブレザーの内ポケットから神社で拾った黒い手帳を取り出し、箇条書きのメモが残されたページを開いて見せつける。
『河永市東山町4丁目2-11』
『ロッカーを処分する』
『ガムテープ』
『赤い服(気をつける)』
『ロッカーを必ず処分する』
『失敗した』
確かにこれを見る限り、『失敗した』が指すのは『ロッカーの処分』についてだろう。
「だからって、まだ残ってるとは限らないだろ? その手帳が書かれたのは昨日今日のことじゃないだろうし、その時はなんらかの理由でロッカーを処分できなかったとしても、きっともう処分されてるよ」
「果たしてそうでしょうか?」
春野は手帳に視線を落とした。
そして改めてページをこちらに向けると、書かれたメモを指差しながら「よく見てください」と、詰め寄る。
「これ、四度に分けて書かれてるんですよ」
「四度?」
メモをした時と、失敗を綴った時の二度ということなら僕にも理解出来るのだが。
「住所と『ロッカーを処分する』が一度目、ガムテープと『赤い服(気をつける)』が二度目、『ロッカーを必ず処分する』が三度目、そして『失敗した』が四度目です。よく見ないと分かりませんが、それぞれインクの濃さや線の太さが微妙に違うんですよ」
言われるがままに見てみると、その通りの違いが分かる。
分かると言っても、言われてみればなんとなく違う気がする程度だが。
「つまりこれを書いた犯人は、ロッカーを処分しようとして失敗し、ガムテープと赤い服を用いて対処しようとしたものの再び失敗。それでも諦めずに処分を試みて三度の失敗をしたということです」
「だから、その手帳を落とした後にロッカーを処分した可能性もあるだろ」
「私はそうは思いません」
きっぱりと言い切って、彼女は更ににじり寄る。
「橘さんがメモを取った犯人だとして、わざわざ『失敗した』と書き残しますか?」
「それは……」
「書きませんよね? 失敗した理由を書いたり、『必ず処分する』みたいに、目的の再確認や自身を鼓舞するための意気込みを書き加えるなら分かります。しかし犯人はわざわざ手帳を開き、ペンを走らせ、『失敗した』とだけ書いたんです。これがどういう意味か分かりますか?」
「…………あきらめた?」
「良い推理ですよ、ワトスンくん」
彼女は手帳を閉じて、顎に拳を当てた。
そして咳払いを一つ。
「橘さんは、この手帳が犯人の落とし物だとお考えのようですが、私の推理は違います。犯人はこの手帳をあそこに置いていったんです」
「神社の下にか?」
「ええ。だってこれ、ガムテープで床下に貼り付けてあったんですもん」
「……は? え? お前、それ剥がして持ってきたの?」
「だからここにあるんですよ?」
「…………」
絶句である。
思えば、床下から出てきた春野は背中が真っ白になるほど砂に塗れていた。
あれは床下から手帳を剥がし取るために、仰向けになったということなのだろう。
手帳の表面が一部色落ちしているのは、経年劣化だけではなくガムテープの跡か。
いや、そんなことはどうでもいい。
「だ、駄目だろ。そんなの持ってきたら……」
神社の床下に落ちているというだけで意味ありげなのに、ガムテープで床下に貼り付けられていたともなれば必ず何かの意味がある。
僕はオカルトなんて神も含めて信じちゃいないけれど、これは何故だか駄目だと分かってしまう。
「な、なんでそんなもん持ってきちゃったの……?」
「? お宝探しのために決まってるじゃありませんか。もしかしてお疲れですか? あはは」
「ああ、疲れてるよ、滅茶苦茶にな」
春野の顔は生き生きとしていて、とても疲れなど感じさせない。
「じゃあ、手早く行っちゃいましょうか」
「行く? どこに?」
「どこって」
彼女はおかしそうに笑って、天井を指差した。
「もちろん、2階ですよ」