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3. 荒脛巾神社

『凶』

『どうか見つかりませんように』

 気持ちを鎮めるように、僕は賽銭箱に小銭を入れた。


 普段なら五円玉や五十円玉だが、今日に限って五百円玉という大金を選んだことに然したる意味などない。

 ただ単に、小銭が一円玉と五百円玉しかなかったのだ。

 相手が誰であれ、オカルトであれ、物を頼むのに一円玉で済ませようとするのは虫が良すぎる。

 まあ五円玉も大概だが、『ご縁』と語呂合わせができるだけマシだろう。


 鈴を鳴らして二礼二拍手。

 右手を第一関節分下げて両手を合わせ、姿勢を正し、目を瞑る。


 家族全員、無事息災に1年を過ごせますように。

 両親の仕事が順風満帆でありますように。

 姉の大学受験が上手くいきますように。

 妹が部活でレギュラーになれますように。

 そして、


「橘さーん! 何してるんですか!? ぼうっとしてないで探してくださいよ! まさかお賽銭なんて入れてないですよね!? 小銭が要らないならコンビニの募金箱に入れる方が有意義ですよー! あれー? 橘さん! 聞こえてますー!? おーい!」


 あの馬鹿でうるさい小娘を、どうかお許し下さいますように。


 閉じていた目を開き、両手を横に、最後に深く一礼をした僕は、


「春野ぉおおおおおおおっ!」


 猛ダッシュで春野さんのもとへ駆け寄った。

 その勢いのまま頭をぶん殴ってもギリギリ許されただろうが、そうしなかったのは彼女が出会って間もないの女子だからである。


「もう、なにをしているんですか橘さん。困った人ですね」

「こっちのセリフだよ! 神社で騒ぐだけでも失礼なのに内容が酷いよ内容が! 春野、お前実は相当アレだな!? なんとなく察してたけど、かなりアレだな!」

「きゅん」

「え、なに?」

「きゅんきゅん」

「え、怖い。なにその音」

「突然呼び捨てにされて、ときめいてる音。そう言ったら、どうします?」

「どうもしねぇよ! ってかどうかしてるよ!」


 先刻、僕たちは男子トイレで桜の枝に結ばれた2枚の紙を見つけた。

 一方は僕の見立て通りおみくじである。

 やはり劣化していて細部までは読み取れなかったが、その運勢が『凶』であることだけははっきりと分かった。

 僕は毎年初詣でおみくじを引いているが、家族や友人の結果を含めて凶なんて見たことがなかったから、あれを桜に結んだ人物は逆にラッキーだったのではないかとすら思う。


 そして、もう1枚。

 おみくじと並んで結ばれていたのは、おみくじではなく白い紙だった。

 しかし、白くはあれど白紙ではなかった。

 文字が書いてあったのだ。


『どうか見つかりませんように』


 たったの一行、掠れて消えかけた文字。

 神に祈るような言葉は、ボールペンで丁寧に記されていた。

 それを見た春野さん、春野が目星をつけたのがここ、『荒脛巾(あらはばき)神社』だった。

 ここを選んだ理由は、学校に一番近く、そしておみくじを販売している神社だからだそうだ。


 おみくじなんてどこでも似たような物で、あまつさえ文字がほとんど読めないのだから神社の特定は困難を極める。

 聞いた話によれば、日本に現存する神社はコンビニの数を超えているというし、手当たり次第にローラー作戦で挑んでも、特定まで何日かかるか分からない。

 何より、校外の神社に宝を隠すほど我が校の文芸部は常識を逸脱していないだろう。

 そう言って春野の説得を試みたのだが、取りつく島もなかった。

 僕が行かなくても一人で行くと言ってきかなかったのだ。

 結局僕が折れる形となり、調べる神社は一箇所だけという条件の下、この荒脛巾神社に訪れたというのがこれまでの流れである。

 

 それ以外にも、人生で初めて自転車の二人乗りをしたり、思ったよりも荷台に座るのが怖かったらしい春野のテンションが途中からおかしくなったりと、語るべき事はいくつかあるのだが、まあ蛇足だろうから軽く触れる程度に留めておこう。


 そんなこんなで、神社探索を始めてからも春野のテンションが高めなのである。

 高めというか、ちょっと高すぎるか。


「きゅんきゅんきゅーん」

「お前、本当に大丈夫か?」

「大丈夫ではないかもしれませんね。『知的な物語を不要なラブロマンスで混乱させるべからず』……ごめんなさいヴァン・ダイン。二十則を破っちゃった」

「ここまで知的な部分が果たして一つでもあっただろうか? 稚的ではあったけれど。ってか、さっきからそのきゅんきゅん言ってるのは冗談だよな?」

「あら、もちろん冗談ですよ。真に受けないでくださいね? ふふっ。男の子って可愛い」

「急に良い女ぶるのをやめろ」


 死ぬほど似合わない。

 似合わなすぎて鳥肌が立った。

 というかちょっとキャラ変わってない?


「……あのさ、冗談抜きで無理してないか? 今日会ったばかりでこんな事を言うのもなんだけど、さっきから少しおかしいぞ」

「へ? 無理なんてしてないですよ。むしろその逆です! ワクワクしているんです!」


 瞳をキラキラと、ギラギラと輝かせ、春野は言う。

 確かに疲れている様子はなく、むしろ生き生きとしているのが立ち姿からも伝わってくる。


「……そんなに、宝探しが楽しいか?」

「ええ、勿論です。だってそうでしょう? 謎が謎を呼ぶ? いいえ、謎が私たちを呼んでいるんです! こんなことって、そうそうありませんよ」

「言っちゃ悪いが、こんなのお遊びでしかないだろ。お前が求めてるのは、それこそ推理小説みたいに劇的で刺激的なものなんじゃないのか?」


 うーん。

 彼女はそう言って、顎に拳を当てる。

 それは探偵らしいポーズというより、ただ単に、考えをまとめているようだった。

 そして春野は、「いいえ」と、きっぱり否定する。


「実際に起きる事件なんてやっぱり嫌ですよ。小説は小説、フィクションはフィクション。だからこそ楽しいんです。私は謎解きが好きで、推理が好きです。最初のヒントにもあったように、常に好奇心を携えてます。でも、小説では限界がありますよね?」

「むしろ現実よりも幅広いんじゃないか? 事実は小説よりも奇なりなんて言うけど、そんなのはきっと、図書館に行けば似たような話をいくらでも見つけられるよ」

「ああ、えっと、そうじゃなくて」


 らしくなく、なんて言える間柄ではないかもしれないが、それでも彼女らしくなく。

 歯切れ悪く、恥じらような素振りを見せる。

 やはり拳を顎に当てがうが、今回はその位置が少し高く、鼻から口を隠していた。


「探偵より早く真相に辿り着いても、沢山の事件を解決に導いても、結局私は一人じゃないですか。外から見るだけで実際には関われない。一人ぼっちです」


 正直、僕はそんなことを考えた試しはない。

 読書は一人でするのが当たり前で、一人でも楽しめて、一人だからこそ楽しめるコンテンツだと思っている。


「そうなんです! 一人でもとっても楽しいんです! でも、だからこそ、もしもこの好奇心を友達と共有出来たらどんなに素敵だろう、どんなに楽しいだろうって、何度も妄想してました。それで、その、今日実際にやってみて、凄く楽しくて……って、何を言わせるんですか! 彼氏面も大概にして下さいよ!」

「してねえよ」

 

 僕は彼女の行動を『探偵ごっこ』と揶揄したけれど、彼女が求めていたのは正にそれだったのだ。

 振り回されて少なからずイラついたりもしたけれど、そう思うと多少可愛らしくも見えてくる。

 彼氏面はせずとも、友達面くらいはしても良いかもしれない。

 乗りかかった船、それも黒船だ。

 沈むことはないだろうし、今回くらいはとことん付き合おう。


「それで、名探偵紫央はどの辺が怪しいと思うんだ? 僕がお宝を隠すなら、そうだな……賽銭箱の裏なんてどうだろう」

「むむ! 中々良いところを突きますね! 探偵は脚で稼ぐもの。怪しいところを片っ端から浚って行きますよ!」

「怪我しない程度にな」

「無論です!」


 それから僕たちは境内を走り回ってお宝を探した。

 賽銭箱の裏、手水舎の屋根の上、石灯籠の中まで、ありとあらゆる所を、隅々まで。

 しかし17時を告げるチャイムが鳴り、西陽が夕焼けに変わっても、お宝や新たなヒントが見つかることはなかった。


「うーん、無いですね」

「だな」


 当然といえば当然だ。

 最初から、あの詩の時点で推理は間違っていたのだ。

 どういう因果か、たまたま男子トイレで手がかりらしき何かを見つけてしまっただけで、そんな偶然が都合よく重なったりはしない。

 世の中、推理小説のように都合良くは出来ていないのだ。


「どうする? 暗くなってきたし、この辺で切り上げるか」

「むむぅ。悔しいですが、そうするしかなさそうですね」


 春野は分かりやすく肩を落としたが、これで良しとしようじゃないか。

 お宝は見つけられなかったけれど春野は存分に探偵ごっこを堪能できただろうし、僕も放課後を女子と過ごせたのだから、感謝こそすれ文句を言う資格はない。


「じゃあ帰ろう」

「ですね」


 鳥居を抜けてその手前に停めていた自転車に跨る。

 何はともあれ、一旦学校に戻って荷物を回収しなければ。

 と、一息ついたその時だった。


「ちょっと待っててください」


 鳥居を出る少し手前で春野はピタリと歩みを止め、踵を返して走り出したのだ。


「どうしたー?」

「ちょっと! ちょっとだけ!」


 忘れ物でもしたのかと思ったが、彼女は社の真横でしゃがみこむと、四つん這いになって床下へと潜り込んだのである。


「ばっ! 春野! なにしてんだ!」


 叫びながらも、背筋に悪寒が走る。

 慌てて後を追いかけ、彼女が潜り込んだ場所まで来たのだが、小柄な春野はまだしも、僕が潜り込むには匍匐前進を余儀なくされるであろう高さしかない。


「おい春野! 出てこい! 春野!」


 覗き込んだが床下は想像以上に真っ暗で、何が何だか分からない。

 一つ、深呼吸。

 落ち着いて、目を凝らしてよく見るが、やはり何も見えない。

 この暗闇の中、どこかに春野は居るはずなのだ。


「おい、はる――」


 言いかけた瞬間、真っ暗闇の中に、四つん這いの真っ黒な影が動いた。


「はる……の……?」


 なんとか言葉を振り絞るが返事はない。

 そしてまた、影は闇に溶け込んでいく。


 本当に、春野はこの中にいるのだろうか。

 決して大きい社ではない。

 僕が見逃しただけで、反対側から抜け出したかもしれない。

 でももし、この暗闇の中で身動きが取れなくなっていたら?

 僕にはきっと、彼女の安否を確かめる義務がある。


「春野……」


 目を閉じて、また深呼吸をする。

 大丈夫、この中がどうなっていようと大事にはなっていないはずだ。

 匍匐前進でも何でもして、春野がいるのかどうかだけでも確認しなければ。

 僕が意を決して目を開いた、その時――


「――ッ!」


 目の前に顔があった。

 暗闇から突如として現れたその青白い顔に、僕の身体は跳ね上がり尻餅をつく。


「うわぁああっ!」

「へ!? どうしました!? 橘さん!?」


 というか、春野だった。

 情けない叫び声をあげながら腰を抜かした僕の股を抜け、するすると床下から這い出てきた彼女は、四つん這いのままで心配そうに僕の顔を覗き込む。


「大丈夫でした? なにかありました?」

「お、おおおお前だよ! ビビらせんなよ!」

「なんかビビってて草」

「草じゃねぇわ! 神社の床下から四つん這いで出てくるの友達でも怖すぎるから! てか本当になにしてんの!?」


 本当に怖かった。

 正直言うとちょっとちびった。

 女子がこんな至近距離に居るのに、全く嬉しくない。


「おやおや、サイドキックとして心得ていませんね。探偵は推理のためなら多少の無茶をするものなんです」

「え、殴っていいか?」

「てへっ! 許してにゃん! いでぇ!」


 殴った。

 四つん這いの女子が至近距離で女豹のポーズを取りながら可愛らしく許しを請うているのが、こんなにも腹立たしい事ってあるのだろうか。


「ううう……痛いですよ橘さん。親父にもぶたれたことないのに……」

「僕だって妹すらぶったことねぇよ」


 というか人を殴った事自体、もしかしたら初めてかもしれない。

 殴る方も痛いというのは本当だったんだな。


「絶対殴られた方が痛いもん……」

「わ、悪かったよ。でも本当に心配したんだからな!」

「殴ってから心配とか、DV彼氏のやり口だ……」

「色々と違うわ」


 春野は何やらほにょほにょ言いながら、僕に殴られた頭頂部をさすっている。

 かなりビビらせられたし、結果的に女子を殴ってしまったが、ともあれ春野が無事で良かった。

 心臓が止まるような思いとは、正にこういうことなのだろう。


「それで、床下でなにしてたんだよ」

「なにって、決まってるじゃないですか。お宝探しですよ。うう……ずっと痛い……」

「お宝って……お前なぁ」


 とことん付き合うつもりでいたが限度がある。

 まさかそんなことまでするとは思わなかった。

 ごっこ遊びに真剣すぎるのも困りものだ。


「ほら、砂埃払ってやるから立て。立てるよな?」

「な、舐めないでください! 探偵は肉体も強靭なんです! なんのこれしき!」

「おー。探偵すげー」

「ふふん!」


 男が年下の女子に言い寄るための常套句として『妹みたいなもの』という言葉があるが、春野が本格的に妹に見えてきた。

 この子絶対年齢偽ってるだろ。


「さぁ、砂払ったら帰るぞ。宝探しはもう終わりだ」


 太陽は間も無く沈むだろう。

 完全に日が落ちたら二人乗りなんて危なくてできたものじゃないし(日中でも駄目ではあるが)、真っ暗になる前に帰らなければ。

 歩くとそこそこ時間がかかりそうだし、それは避けたいところである。


「もうこんなに汚して、親御さんがビックリするだろ。いい歳して砂場で遊んだのかと思われるぞ」


 紺色のブレザーは背中まで真っ白になっていた。

 前やスカートは自分でやってもらうとして、背中くらいは僕が触れても問題ないだろうと判断し、ぱんぱんと叩いて砂埃を払っていく。


「おい、ぼうっとしてないでお前も――」

「『河永市東山町4丁目2-11』」


 背中が綺麗になりかけたところで、突然、春野はそんなことを口走った。

 細かい番地までは知らないが、川永市東山町とは、ここからそう離れていない土地の名前である。

 自転車を飛ばせば、10分もかからず着くだろう。


「『ロッカーを処分する』『ガムテープ』『赤い服(気をつける)』『ロッカーを必ず処分する』」

「は、春野。お前さっきから何を……」

「『失敗した』」


 小さな背中越しに覗き込むと、彼女の手には見覚えのない物が握られていた。

 手のひらサイズの黒いシステム手帳。


「お前、それ……」

「楽しみですね」


 食い気味に、春野は言った。

 もしも、仮にだ。

 詩、おみくじと紙、この手帳がつながっているとして、『どうか見つかりませんように』という願いは、果たして何を指すのだろうか。

 神社の床下から出てきたこの黒い手帳は、僕たちが見つけて良かったのだろうか。


「きっとここですよ、お宝」


 沈む夕陽に照らされた春野は、オレンジ色の笑顔でそう言った。

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