1. 図書室前
僕は謎解きに興味がない。
まして推理なんて無縁の代物だ。
推理小説を読む時も別段思考を巡らせたりしないし、なんだったら最初からネタが分かっていても良いだろう。
犯人という『敵』を主人公が追い詰める様を外側から覗き見ているだけで十分楽しめるから、わざわざ首を突っ込む気にはならないのだ。
「ふーん。そうなんですか」
僕のスタンスを一通り黙って聞いた後、春野紫央は勝ち誇ったかのように口角を上げた。
彼女は長い黒髪にシンプルなヘアピンを付けていて、色白の肌は綺麗と言うより不健康な印象を受ける。身長は女子の中でも小柄な部類で、高校の制服を着ていなければ中学生だと勘違いしただろう。
まぁ、つい1ヶ月前まで僕も彼女も中学生だったのだから、案外他人が見れば僕もさほど変わらないのかもしれない。
「えっと、春野さん?」
「水臭いですね。紫央ちゃんでも春ちゃんでも好きなように呼んで良いんですよ? それとも彼氏面でしおぴっぴとか呼んじゃいます?」
「……なぁ、しおぴっぴ」
「本当に呼んでて草」
「…………」
第一印象は『大人しそうな子』だっただけに、勝手ながら違和感が凄い。
草。とか、現実で言う人居るんだ。
「春野さんて、思ってたよりテンション高いんだな」
「思ってたより? 私たちは初対面のはずなのに、まるで以前から知っていたかのような物言いですね? くんくん……これは事件の香り! あなた、さては私のストーカーですね!」
「めっちゃ喋るじゃん」
僕の言葉選びが良くなかったのかも知れないけれど、揚げ足を取るだけでは飽き足らず、ストーカー呼ばわりまでされるとは驚きだ。
「喋るのは大好きですからね。謎解きと同じくらい好きです」
「へぇ、好きなんだな、謎解き」
「それはもう。推理小説を読みながら探偵と一緒に、いえ、探偵よりも早く謎を解いていく! その時間が私の生き甲斐なんですよ。同じ推理小説を読んだとしても、ただパラパラとページを捲るだけの橘さんに比べて、私はずっと楽しんでいるわけです。嗜んでいるわけです。そう思うと優越感が凄まじいですね。聞こえませんか? 私の自己肯定感が湧き上がるこの音! ぐつぐつぐつぐつ!」
「湧き上がるというか煮えたぎってない?」
なるほど、さっきは勝ち誇った顔でそんな事を考えていたのか。
彼女の自己肯定感は随分コスパが良いらしい。
「じゃあこのイベントは春野さんに任せて良いのかな」
「もちろんです。黒船に乗ったつもりでいてください」
「鎖国されたらどうする」
この場合の鎖国は『入部拒否』である。
というのも、僕たちは文芸部の新入部員歓迎会に参加しているのだ。
歓迎会と言ってもお菓子パーティ的なものではなく、手渡されたヒントを元にお宝を探す、所謂宝探しである。
図書室で先輩方から説明を受け、今こうして図書室を追い出された僕たちは、宝を探す前に互いを探っているわけだ。
正直言うと、バリバリの幽霊部員になるつもりで入部したので、この会に参加するか一晩悩んだ。
その結果、最初くらいはと軽い気持ちでのこのこやって来たのだが、宝探しに加えて初対面の女子とペアを組まされたので、参加した事を少しばかり後悔している。
「幽霊部員のオノマトペはバリバリよりどろどろだと思いますけどね。ところで橘さん、さっき先輩を名乗る怪しい人物からヒントを受け取っていましたよね?」
「怪しい人物じゃなくてただただ先輩なんだよ。世間的にはむしろ新参者の僕らの方が怪しいだろ」
「分かってませんね。何事にも疑いの目を向けることに意義があるんです。それに《ノックスの十戒》にも、『犯人は序盤に登場させておけ』と記されているではありませんか」
「ノックスの十戒?」
「《ヴァン・ダインの二十則》にも、『犯人は物語の重要人物であれ』と記載されています。つまり! 初めにヒントという重要物件を下さったかの先輩は、犯人レースぶっちぎりの1位というわけです!」
「宝探しに犯人がいてたまるか」
ノックスのなんとかだのヴァンほにゃららだの、僕にはよくわからない言葉を常識であるかのように羅列されたところで、関心よりも面倒臭さが勝る。
まあ、彼女が手っ取り早くこのイベントを終わらせてくれるのであれば、それに越したことはない。
僕は先輩から受け取ったヒント、B5のコピー用紙を半分に裁断し、二つ折りに畳まれたそれを開いた。
そこには、こんな文章が書いてある。
『桜が舞い込む窓際に、音色がふたつ飛び込んだ。香る好奇心を携えて、吹く風は移ろい変わる。』
問題文というより詩のようだ。
いかにも文芸部らしい試みとも言えるが、詩を読ませたいのなら、読書会でも開いてくれれば良いものを。
「あっ! 一人で読むなんてずるいですよ橘さん! さては私よりも早く謎を解いて自己肯定感の増長を図ってますね!」
「図ってねえよ! 僕の自己肯定感を舐めるな」
「いいからみせて! みせてみせて!」
ヒントを覗き見ようとぴょんぴょこ跳ねる姿はとても同級生には見えず、妹を持つ身としてはついつい意地悪をしたくなってしまうが、この場を長引かせるつもりもないので素直に紙を差し出した。
「そうですそうです、それでいいんです。サイドキックは探偵に協力的であるべきですよ」
「おい、僕はサイドキックになった覚えはないぞ」
「なにを仰りますか。私が探偵なら橘さんがサイドキックなのは自明でしょう。考えていることはしっかり漏れなく読者に伝えてくださいね、ワトスンくん」
「誰がワトスンだ」
仮に僕の思考が地の文として誰かの目に触れることがあったとして、ネガティブなことばかり考えているそれを誰が読むというのだろう。
お前か?
これを読んでいるそこのお前。
なんて、テレパシー能力者への対抗手段を講じたところで無意味であると、中学生時分に痛いほど理解している。
痛いほどというか、シンプルに痛いな、中学時代の僕。授業中になにしてんだ。真面目に勉強しろ。
「なるほどなるほど、謎は全て解けました!」
ヒントを眺めた春野さんは満足げに頷いて、多分言ってみたかったのであろう探偵っぽいセリフを高らかに言い放つ。
「橘さん、この詩には事件を解き明かす重要なヒントが隠されていたんです!」
「そりゃそうだろ。というか」
というか、謎解きに興味がない僕でも大体分かった。
所詮は高校生のレクリエーションであり、本格的な謎解きとは程遠い、むしろウォークラリーに近しい催しなのだろう。
「なっ! ダメですよ! ダメダメ! サイドキックは読者よりちょっとだけバカじゃないといけないんです! それが探偵よりも先に謎を解くなんてもってのほか! ノックスの十戒に反します!」
バカじゃないといけないって、一応進学校に通う高校生に対して酷な物言いである。
いやまあ、ノックスとかいう人物(恐らく人物)に非はないのだろうが。
さっきは面倒臭さが勝ったが、多少興味が湧いて来た。
「その十戒ってのには、他にどんなのがあるんだ?」
「ご存じないのですか? 他にはそうですね、『推理小説に中国人を出すな』とか」
「レイシストじゃねぇか!」
やっぱり悪いのはノックスかもしれない。
とんでもないなノックス。
「いやいや、そういうことではなく……って、誤魔化されませんよ橘さん! 探偵である私よりも先に謎を解いたという暴挙には一先ず目を瞑りますが、それならそれで責任を果たしてください!」
「仕方ないな。じゃあ、結婚するか」
「責任とってくださいハート。なんて言ってないですよ! 彼氏面も大概にしてください!」
段々、彼女との会話が楽しくなってきた僕である。
相変わらず、宝探し自体は怠いけれど。
あと5分くらいは雑談をして帰りたい。
「帰れません返しません! さぁ聞かせてみなさい、あなたの推理とやらを!」
探偵というより、追い詰められた犯人のセリフである。
このままふざけていたら5分どころか5時間かかるかもしれないので、僕はつらつらと、詩の形を呈したヒントから得た推理とも言えない答えを述べ、答え合わせをすることにした。
「『桜』ってのは新入生、つまり僕たちを表してる。それが舞い込むってことは教室かと思ったけれど、それじゃあ教室を絞りきれないし、だとすると桜は新入生じゃなく新入部員、新入部員が舞い込むのは部室ってことだ」
「むむ」
「音色がふたつ飛び込んだ。だからこれは僕たちペアのことで、要は『部室に行け』ってことだろ」
「むむむ」
「後半は結構曖昧な感じだけど、好奇心とか風が移ろうとかあるから、多分宝じゃなくて新しいヒントが部室にあるってことなんじゃないかな」
「むむむむぅ!」
何故そんな反応ができるのか理解に苦しむが、その様子を見る限り、どうやら僕の推理は彼女のそれと一致しているらしい。
小さな口が分かりやすくへの字になってるあたり、本気で悔しがっているのだろう。
「とりあえず部室行くか。ただでさえ出遅れてるんだし」
当然ながら新入部員は僕たち二人だけじゃない。
幽霊部員目的の僕みたいな輩を含めると、20人を超える生徒が入部している。
今日は参加自由なイベント故に全員が集まったわけではないが、見るとそれなりの数のペアができていた。
そのなかで未だにスタート地点の図書室前で駄弁っている奴は、僕たちを除いて他にいない。
さっさと帰るのが目標だったのに、これではあべこべである。
「ま、待ってください! うわあっ!」
「いてっ」
部室に向かい歩き出そうとした僕を、春野さんはブレザーを鷲掴みにするという大胆な手段で制止した。
いや、見た目通り弱々しい力のせいで、制止されたはずの僕の歩みは止まることなく、彼女はバランスを崩して僕の背中に突っ込む形となった。
これがラブコメであれば、ちょっとエッチな感じに僕が彼女の下敷きになるというドキドキワクワクな展開が待ち受けていたのだろう。
しかし残念ながらそんなことにはならず、僕の背中に彼女が頭突きをかますというただ痛いだけの一部始終が繰り広げられた。
「ま、待ってください橘さん!」
「まずごめんなさいでは!?」
「ごめんください橘さん!」
「……いらっしゃい」
前言撤回。
あと5分くらい雑談したいと言ったが、もう今すぐにでも帰りたい。
この子は一緒にいると疲れるタイプだ。
春野さんはぶつけた額をさすりながら体勢を立て直すと、同じくぶつけたのであろう右目に涙を溜めながら、ビシッと僕を指差した。
「あなたの推理には穴があります!」
それもまた、探偵というより犯人側のセリフである。
しかし、僕の推理に穴があるとは思えない。
そんなに長い文章でもないし、最初のヒントを難解にするほど先輩たちは捻くれていないだろう。
「えっと、先に解いちゃって悪かったよ。次からのヒントは春野さんが先に見ていいし、謎解きも全部任せるから、とりあえず部室に行こう」
「穴があるんです! あるの! あるもん!」
遂に駄々を捏ね始めた。
嘘だろ高校一年生。
子供なのは見た目だけにしてほしいものである。
「分かった分かった。じゃあ聞かせてくれ、春野さんの推理を」
「ふふん! お任せください橘さん! この名探偵紫央が全ての真相を明らかにして見せます!」
切り替えが早いのは良いことだ。
一瞬で調子を取り戻したようだし、そのまま一気に宝を見つけてもらえば御の字である。
「では、私の完璧な推理を披露する前に現場に行きましょう!」
「おっけーおっけー。じゃあ行くか」
そう言いながら部室に向かい踏み出した僕を、再び彼女は制止する。
恒例のブレザー鷲掴みであるが今度は転ぶようなことはなく、水上スキーのように数歩分引きずるだけに留まった。
「部室じゃありませんよ、橘さん」
彼女は高らかに宣言する。
「男子トイレに行きますよ!」