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世界の終わりに祝杯を  作者: 凪司工房
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 人生というのは奇妙なものだ、と思う。

 その予定外の死の三日後、彼の実家の埼玉で行われた葬儀に申し訳程度に顔を見せ、私は特に彼の家族に対して死亡計画を立てていたことなどは話さずに、そのまま都内へと戻ってきた。


 葬儀場では彼の母も父も、それにまだ高校生の妹も、それぞれ突然の肉親の死を受け止められないという様々なものが欠落した起伏の薄い表情をしていたが、高校の同級生だろうか、一人の女性が焼香時に声を上げて泣き出すと、我慢しきれなかったものがコルクを抜いたシャンペンのように溢れ出し、彼の母親は親戚だろう、数名の大人に抱えられるようにして葬儀会場を出ていった。


 人が死ぬ。それも身近な人間の命が一つ失われる、というのはこういうことなのだと、普段あまり感動というものをしない私にしては珍しく心が大きく動かされた。


 アパートは引っ越し準備の荷造りがほとんど終わっていて、月末から目黒の方のアパートで生活が始まることが決まっていた。冷蔵庫はまだ電源を入れていたが、キッチン関係のものは大半がダンボール箱の中で、引っ越しまでは外食かコンビニか、そういったもので済ませる予定だったから、この日もコンビニで鶏だか豚だかの弁当を買って、それに缶ビールを一本付けた。暗い部屋に戻ると、そのダンボール箱だらけの場所が迎えてくれる。とりあえず明かりを点け、着替えるのも面倒で、けれどスーツの上だけは抜いでから、手を洗う。特にお腹は空いていなかった。それでも何か入れておいた方がいいだろうと、腰を下ろす。テーブルもなく、フローリングの上に直に置いた弁当のプラスチック容器は蓋を外す時にそれが跳ね、乾いた音で部屋の端に転がった。その音が、引き金になったのだろう。私の中の酒林穣太郎が急にむくりと頭を上げ、少し寂しげな目元でこちらを見ていた。


「どうしたんだ」


 当然、彼は何も言わない。そもそも酒林だって死ぬつもりはなかっただろう。彼は車のヘッドライトを見た時、一体何を思っただろう。彼が考えていた死刑によって訪れる死というのは、その日時までにだいぶタイムラグがある。少なくとも今日、明日、ということにはならない。日本ではまず裁判に掛けられ、そこで死刑判決を受ける必要があるし、判決が出たからといってすぐに執行されるということはまずない。殆どは無期懲役と同じようにただ施設の中で歳月が過ぎるのを待つだけだ。懲役囚と異なるのは労役がないこと。比較的自由だという。買い物もできれば柵に囲まれた場所だが外に出ることも出来るらしい。この国では死ぬまで最低限の権利が保証されている。そういう建前だ。

 酒林はその死ぬまでの僅かな、あるいは結構な自由を、どう浪費するつもりだったのだろう。


 今となっては何も分からない。


 缶ビールのプルタブを開ける。炭酸が小気味良い音を立てていた。あの日飲んだビールはどうだったろう。喉元を過ぎれば大半のものは忘却されてしまう。それが人間の記憶というものの良さでもあるが、彼に関する記憶もいつかは薄まり、消え去ってしまうのだろう。


 酒林はもういない。


 たったそれだけの事実が、私の体を蝕んでいた。胃袋を突き上げられ、思わずトイレに駆け込む。吐き出したものは今朝食べたサンドイッチだろうか。それとも、酒林という記憶に張り付いていた何かだろうか。

 明日、本来であれば私は死ぬはずだった。それが死ななくてよくなった。いや、死ねなくなった。

 明日も明後日も今日と変わらずやってきて、私は何かを食べ、誰かと話し、生きていく。今まで当たり前に行ってきたことを繰り返す。

 それが不意に恐ろしくなった。


 ――園崎は死にたくなったことはあるか?


 彼が訊いたのは一度だけだ。その時は「特にない」と答えてしまった。あれは酒林から人殺しをして死刑になるという話をされるよりもずっと以前、それこそ大学で出会って間もない頃だったと思う。彼は笑って「別に今死にたい訳じゃないさ」と誤魔化していたが、ずっと“死”については考えていたのだろう。


 実は私は内心でおそらく酒林よりもずっと、死ぬことを希求していた節がある。死が全ての終わりかどうかは分からないが、漠然と多くの人にとってとても魅力的なものに映っていることは理解していたし、自分であれ他人であれば死というものがもたらす人生、あるいは社会への影響というものの大きさについても、重々承知していた。だからこそ人は死を遠ざけようとするし、制度を作り、他人によって与えられる死をコントロールしようとする。けれど誰も死の向こう側を知らない。それは酒林が言った通りだ。だからこそ死というのは魅力的だ、というのは彼の考えで、そういう方向の死への渇望も理解できる。


 しかし私はそうではない。死というのが自分の原点だと思っていて、いつかは誰もがその死という穴蔵に戻っていく。そういうイメージが物心付くより以前からずっと、私の中にはあった。

 だからこそ不意に訪れた友人による殺人という死のシチュエーションに挙手したのだ。

 その機会は、けれども永遠に失われてしまった。

 宙ぶらりんになった私の人生は、この空虚を抱えたまま、日常を過ごすしかない。

 平然と、君たちと同じだ、という顔をして。

 少し悪酔いしたのだろう。私は目を閉じると、そのまま眠ってしまった。


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