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世界の終わりに祝杯を  作者: 凪司工房
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 園崎継春。それは春を継ぐという名だと、彼から教わった。

 自らの命を投げ売って少女を救った英雄。

 それが死後に彼が得た名声だ。けれど、わたしが手にした彼の手記にはテレビが報じた正義感も何もない。空虚、という言葉では表現できない、もっと純粋で冷たい世界が広がっている気がした。


 ――何故死んではいけないのか?


 その問いに彼は「死んでもいい」と答えてくれた。死んでもいいし、生きてもいい。たぶんその問いかけをする人間にとって必要なのは、彼の言葉なのだ。少なくともわたしは死も生も等価という世界観を覗き見て、生きることが少し楽になった。

 ただ彼が存在しなくなった世界を、少し寂しい、と感じるだけで。


 手記にあった酒林穣太郎という人間が存在しなかったことについて、わたしが相談した精神科医はこんな話をしてくれた。


「おそらく脳に疾患があり、架空の友人の姿をずっと見ていたのでしょう。それは彼が死について考える時に現れ、話し相手になってくれていたのではないでしょうか」


 その架空の友人に殺されて死を迎える、というのが彼の望みだったとしたら、一生叶えられることのない空虚な願望だったということになる。

 三月二十日。それが最初に彼が立てた死亡予定日だった。けれどそれは友人の事故死という出来事により回避される。

 七月七日。これが二度目の死亡予定日だ。もしあの場に無差別殺人を計画する通り魔が現れなかったら、彼はまた何かしらでその死亡を回避していたのだろうか。

 分からない。

 わたしは彼が特別死にたがっている、とは感じなかった。けれど、生きたがっているとも思えず、その無色透明のような存在感に恋をした。

 今、わたしの胎内には新しい命の芽が宿っている。

 父親のいない子を産むことに、親も周囲の人間も賛成はしない。

 でも、わたしは産むだろう。

 死んでもいいし、生きてもいい。

 産んでもいいし、産まなくてもいい。

 その精神の自由さを教えてくれた彼の、唯一の意思のように思うからだ。

 だからもうしばらく生きている必然性が生まれた。

 そのことを彼はいつものように「良いと思います」と言ってくれるだろう。(了)

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