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世界の終わりに祝杯を  作者: 凪司工房
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 店で直接合流することになり、先に買い物を済ませたいと大垣さんは出かけてしまう。私はゆっくりと午前中を過ごし、午後からのんびりと出かけた。

 雨は上がっていたがまだ路面は濡れていて、畳んだ傘を手に持った人の姿も結構見られた。

 駅に入り、改札を抜ける。

 ホームで電車待ちをしていると、アナウンスが流れ、しばらく止まっていることが告げられる。どうやら事故があったようだ。


 人身事故がありました、という文言の先には誰かが亡くなったという意味が隠れている。ぶち当たった人が必ず死ぬかどうかは分からないものの、多くは自殺の手段として電車を用いているから、やはり酷い状態で、生きているとか生きていないとか、そういう話をする次元ではないらしい。死後の自分の姿がどうなろうと構わない、という人はそういう死亡方法を選ぶだろう。


 大垣さんは綺麗に死にたいのだろうか。

 彼女と暮らし始めた当初は二人の共通の話題が“死”についてだったから、結構な頻度で話していた。死について話すということに抵抗を持たなくていいというのは存外快適で、だからだろうか、酒林と話したよりもずっと多く、彼女とは死について、あるいは死の周辺にある問題について語り合ったように思う。その中で彼女は何度も「死にたい」と口にした。死ぬことこそがまるで人生の目標のようで、それを目指して生きているようなところがあるとまで口では言っていたのだけれど、それは私からすると、やはりあの中学の時の飛べてしまった同級生への嫉妬が幾らか含まれているような気がして、それについては私は言及しなかった。何故ならそれは彼女がいつか自分自身で気づかなければならないことだと思ったからだ。「死にたい」という気持ちの裏側に何があるのかをちゃんと見極めていないと、おそらく彼女が望んでいる“綺麗な死”というのは迎えられない。部屋を綺麗に片付けても心の中が散らかっていたらそれは綺麗とは呼べない。


 最近の大垣さんは、実はあまり死について口にしなくなった。その些細な変化に彼女自身が気づいているかどうかは分からないが、いつもの話の流れならここから「死ぬことって」と始めるところで、そういう選択をしない。私は死について特別話したい訳じゃないからそういう方向への修正もしない。結果、私と大垣さんはごく普通の会話をして、そのまま終えてしまうことが増えていた。


 この日待ち合わせたのは焼肉屋だった。チェーン店だが、それでも二人ともあまり好んで食べないものにしようという提案から、焼肉になった。


 夕方、目の前に現れた大垣さんは化粧をしっかりしていて、口紅も濃く、おまけに淡いピンクのワンピースを着ていて、ネックレスまで付けていた。焼肉を食べに行くには不向きだと感じたが、それでも私は「素敵ですね」と評価した。


 個室に案内され、タンから焼き始めると、彼女は私の格好を見て「いつも同じなんですね」と、特に残念そうという訳でもなく言うから「次回はもっと格好を付けてきましょうか」と提案したのだけれど、それでは私じゃないみたいだと笑われてしまった。


 そういえば最近、大垣さんはよく笑う。最初の頃は喉の奥を鳴らす程度の、控え目な、あるいは口元を隠してくすくすと笑うような女性だったのに、いつの間にか私の前で口を開け、本当に楽しそうに声を出して笑うようになった。


 この日の会食も、二人ともやはり量は食べられなかったが、久しぶりにアルコールが入ったこともあり、二時間たっぷりと話ができた。その大半は死の予定日に死ななかったら、という仮定の話だ。未来について話をすることは珍しいというよりも全く私の頭の中にはない選択肢だった。当然この日の彼女の提案で、彼女自身も特に将来のことについて考えたりすることは機会が多くなかったらしく、


「考えてみると死という人生の終点がはっきりしていない場合には、結婚をするとか、家族を持つとか、何か人生を有意義にする為に夢や目標を持つとか、そういったことを考える必要が出てくるんですね」


 話しながら気づいたようで、驚きがありつつも楽しい、と口にしていた。


「園崎さんは結婚とか、考えてみたことありますか?」

「結婚、ですか」


 彼女を作る。デートをする。セックスをする。そういったことは思春期辺りから男子同士の会話の一つのネタではあるからそれなりに考えてきたし、前述したように大学時代に彼女はいた。けれどその時も特に結婚だとか、家庭を持つとか、そういったことについて考えてみたことはなかった。相手の彼女はどうだったろう。少しくらいは考えたのだろうか。セックスという行為の一つの機能に子孫を残すというものがある。多くの動物にとってはそれが第一の目的だが、人間には愛情を確かめるとか、その行為そのものを楽しむといった付属品が付いてしまい、しかもそちらの比重の方が現在では大きくなってしまっている。気持ち良いということを餌にして生殖を促すはずが、その餌そのものが目的化してしまっているというのも面白い現象だが、もし仮に大学時代、どちらかの彼女が受精していたとしたら、自分はどう判断していただろう。しばらく考えてみたが、これといった結論は出なかった。


「わたしは最近、結婚というものも悪くないかも知れないと思い始めています。今まで誰かと一緒に暮らした経験がなかったから、怖がっていたのかも知れません」

「それは私との同棲での、変化ですか?」

「そうですね」

「それは、その、私と結婚したい、ということでしょうか」


 あまりに端的な質問だったからだろう。彼女は口を「え」の形にしたまま何度も目をぱちくりとさせ、答えないまま私を見た。


「正直、分かりません。結婚したいのかも、知れないですけど、ただ今まで経験がなかったことが楽しいと感じただけなのかも知れないですし」

「そういうことはよくありますからね」

「園崎さんは、どうですか?」


 結婚、という後に続く言葉は声にはならなかった。私のスマートフォンに設定したアラームが小さな電子音を鳴らし、食べ放題の時間の終わりを告げていたからだ。


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