ずっと一緒
三話目です。
食器洗いを終えたセシリアは聖堂へと訪れた。
彼女は並べられた長椅子に座るマルタンの姿を見るとそこへ近づく。
「もう、洗い物ぐらい手伝ってくれればいいのに」
彼女はマルタンに文句を言いながらその隣の位置に座り、肩を寄せた。
「悪かったって」
マルタンはセシリアの肩に手を回すと優しく抱き寄せる。
セシリアは照れながらも彼にその身を委ねた。
「ガキどもはもう寝たのか?」
「さあ? 宿題が終わってたらもう寝てると思うけど。まぁクレアが見てくれているから大丈夫だと思う」
「あとで見にいってやれよ。もう最近はほとんどないが、たまに夜魘されてる奴もいる。……普段は明るく振る舞っているが、やっぱりあの戦争は子供たちには悲惨すぎた」
「……ええ、そうね」
セシリアはマルタンの顔を見た。
スタンドガラス越しに月明かりで照らされた彼の顔を。
とても優しい目をしていた。
言葉遣いはやや悪いが、彼もまた子供たちのことをいつも気に掛けている。
あの日、勇者に選ばれた日の彼もまた、小さな子供には違いなかったのに。
「でも、貴方が戦争を終わらしてくれたわ。少なくとも今のあの子たちの笑顔は、作り笑いじゃない、心から出た笑顔よ。そうすることが出来た……ううん、取り戻すことが出来たのは紛れもなく貴方がいたからよ」
「”俺たち”な」
「ふふ」
セシリアの声が、静まり返った聖堂に響く。
その声に、一つの足跡が混ざった。
「セシリア」
その呼び声にセシリアは振り返る。
そこにはクレアが立っていた。
「あ、クレア。子供たちはもう寝たの?」
「ええ、ぐっすりよ。本当に最近は寝付きがいいわ。夜目を覚ますこともなくなった。全て貴方のおかげよ」
「そんなことないわ。私よりとクレアの存在が大きいと思うの。私はやっぱり母親にはなれないから……。クレアと一緒にいるとあの子達はとても安心出来る。マルタンもそう思うでしょ?」
「ああ、そうだな」
「でしょ!」
「……」
クレアは屈託のない笑顔で隣に向かって話すセシリアを見ていた。
彼女はいつでも明るくて、まるで太陽のような存在。
神からの奇跡がなくとも、彼女のその笑顔は人々の心を癒して行く。
戦争によって夫を失ったクレアも、彼女に救われたうちの一人だった。
でも、だからこそ。
彼女をこのまましておくわけにはいけなかった。
彼女は戻ってこなければならない。
あの戦争から、地獄から。
「……ねぇセシリア、もうやめにしましょう」
重々しく、しかしまるで母親が宥めるような口調でクレアが言う。
「……なんの話?」
セシリアはクレアの方を向かずに答える。
「分かっているでしょう。貴方は……あの子達を立ち直らせた。あの子達だけじゃない、たくさんの人々が貴方に救われた。……この私も。今度は貴方が立ち直らなければならないの」
「……? 立ち直るってどう言うこと?」
「それは……」
「そりゃあ私だって戦争が終わったから、はい終わり、とはいかなかったけど。でも今はずっと前を向いているわ。マルタン、どう?」
「ああ、そうだな」
「……セシリア、あのね――」
バタン!
クレアが絞り出した声を、勢いよく開け放たれた教会の扉の音が掻き消した。
そこにいたのは黒い外套を纏った三つの人影。
「お邪魔しまぁす!!」
大声で叫んだ大柄な男が残り二人を先導して教会の中へと足を踏み込む。
その進路はセシリアの元へと真っ直ぐ進む。
「なんですか貴方たち! こんな夜中に!」
セシリアと男たちの間にクレアが割って入り、静止する。
「待ってクレア! そいつらから離れて!!」
クレアに向かってセシリアが叫んだ。
彼女は男たちから発せられる異様な気配に気づいたからだ。
しかし次の瞬間、先頭の男がクレアの胸元に自信の指先を突き刺した。
「かっ………は……」
「クレア!!」
吐血するクレア。
セシリアは叫んだと同時に両手親指と人差し指で菱形を作り、クレアの全身を囲んだ。
すると作り出した空間から半透明で正方形の障壁が現れ、それが巨大化してクレアと大男の間に移動した。
「おおっと!」
大男はそれに巻き込まれないようにクレアの胸に突き刺した指を引っ込める。
障壁は更に変形し、一瞬でクレアの身体を半透明の立方体が覆った。
そしてそれはそのままセシリアの元へと移動し、セシリアがクレア抱えると立方体がセシリアを加えて二人を覆う。
セシリアがクレアの胸元を見るとすでにその傷跡は塞がりかけていた。
これがセシリアが神より授かった奇跡。
“光の結界術”と”祝福の癒し”。
強固な防御壁を展開しながら回復を行う二重技術。
これによってセシリアは戦いの最中に味方を護り、致命傷ですら一瞬で治してみせた。
クレアの傷が完全に塞がり、呼吸が整い始めたことで命に別状がないと判断したセシリアは、彼女を結界で覆ったまま長椅子の上に寝かせた。
「やはり聖女の奇跡は未だ健在というわけですか。いつ見ても素晴らしく強大で、忌々しい。」
その一部始終を見ていた大男がセシリアに向かって感嘆の声を上げる。
「ねぇマルタン。こいつらって」
「あぁ、この気配……全員人間じゃないな。魔族だ。それも真ん中の奴はかなり上位の」
「やっぱり……それにこの魔力、どこかで」
セシリアは常に警戒しながら庇うように前に出たマルタン越しに大男を睨みつけた。
「おや! どうやら私のことを憶えてもらえていたようですね。お久しぶりです、聖女セシリア」
大男はニヤつきながら頭に被った外套を脱ぎ、その顔を露わにする。
鋭く紅い眼、尖った耳、青黒い肌、そして額から生えた一本のツノ。
それを見たセシリアはいっそうに警戒を強めた。
「グラトリア……!」
「……名前まで憶えて頂けるとは、光栄の限りです」
そこにいたのは魔族を統べていた”魔王”、その魔王が率いていた”魔王軍”、その幹部グラトリアだった。
「お前は俺があの”決戦”で殺したはずだ」
「ええ、マルタンの聖剣で貴方は死んだはず……それなのになんで……!」
そう、魔族との戦争を決着させたあの決戦。
そこで彼女たちはこのグラトリアと対峙し、そして倒したはずだった。
「あれほどの乱戦、死に損ないの一人や二人いてもおかしくはないでしょう。まぁ、他の幹部ならあの忌まわしき勇者の一撃で死んでいたことでしょう……実際に私もつい先日まではこうやって歩くこともままならなかった……彼につけられた傷が疼いて仕方がない」
「おぉそうか。で? 死に切れなかったからわざわざ殺されに来たのか? 意外と律儀だなぁ魔王軍幹部はよぉ!」
「落ち着いてマルタン! ……何しに来たの?」
「ああ、これは失礼。本題に入りましょう」
一呼吸おき、グラトリアは言う。
「私たちの目的は魔王様の復活です」
淡々とそう言い放った。
その言葉にセシリアは目を丸くする。
「魔王は俺が殺したはずだ。お前みたいな雑魚と違って、奴の死は確実に確認された」
「マルタンの言う通りよ。魔王は死んだ。マルタンの聖剣で跡形もなく焼き尽くされた」
「えぇまぁ、ですからどちらかと言えば”復活”ではなくて”再誕”なのですが……まぁそこは貴方が気にすべきところではない」
反論するセシリアに対してグラトリアは面倒そうに答えた。
そしてそのまま言葉を続ける。
「魔王様が今一度私たちの前に甦るためには、貴方のその癒しの力が必要なのです」
「私の力……」
「そう!」
グラトリアは聖堂の、彩られたステンドグラスを指刺した。
「貴方を祝福した神は、貴方に奇跡を授けました。しかしそれは人間に対して手を差し伸べたわけではない。あくまで奴は、貴方個人を愛したにすぎない。もし貴方が私たち魔族を癒すためにその奇跡を使ったとしても、奇跡は奇跡として十分に力を発揮するでしょう」
「……あり得ない仮定を持ち出して随分自信満々に話すのね」
「ええそれわまぁ、奴にとっては人間と魔族の戦争など、取るに足らない出来事に過ぎない」
その言葉に聞いて、セシリアの顔はより険しくなる。
その様子をグラトリアが面白そうに見て笑った。
「おやおやこれは失礼。神を信仰する者にとって今の言葉は許し難いものでしょうね」
「……!」
セシリアはグラトリアに向かって更に敵を剥き出しにする。
彼の言葉の全てが、セシリアの琴線に見事に触れる。
「まぁ、問答はここまでにして。どうです? 私たちに協力しませんか? 勿論拒否権などありませんが」
「私がそんなことに従うわけないでしょ!」
「……うーん」
グラトリアはわざとらしく困り側を作ると聖堂を見回した。
そしてまた、わざとらしく耳に手を当てて言う。
「子供たちの寝息が聞こえますねぇ?」
「!!」
「私実は病み上がりでまだまともに食事を摂っておりません。ふぅむ、貴方の返答次第では――」
「マルタンッ!!」
子供達を人質に取るその発言を聞き、セシリアの我慢は限界を迎える。
目の前の、愛する者たちの敵を排除するために戦闘体制に入る。
その様子にグラトリアの後ろにいた二体の魔族も身構える。
グラトリアだけが何食わぬ顔で彼女を見ていた。
「ああ分かった、殺す」
セシリアの言葉にマルタンも答えた。
その目は目の前の魔族に対する殺意に満ちている。
「早急に終わらして! 私も出来るだけ教会に被害が出ないようにするから!」
「わかってる。死に損ないの息の根を止めてやるよ」
「油断しないで、相手は腐っても魔王軍幹部! 妙な真似をされる前に貴方の――」
「―――さっきから一人で何を言っている」
グラトリアのその言葉で聖堂は静まり返った。
しかし彼は構わず続けた。
目線の先にはセシリア一人が立っている。
「この場には私たちと貴方、そしてそこに寝ている修道女しかいない。……マルタンというのは勇者マルタンのことか?」
その問い掛けをセシリアは返さない。
グラトリアとセシリアの間に声を遮る者は誰一人いないのに。
「どうやら、噂は本当のようだな」
「……うわさ?」
「ええ、ここに辿り着くまで何度か小耳に挟んだ噂です。”聖女セシリアは狂ってしまった”と」
「……」
「……ククッ、クックッ、ハハハ」
その沈黙の何が面白かったのか、グラトリアは突然笑い出す。
目の前の哀れな少女を嘲笑した。
「誰もいない虚空に向かって話し続ける聖女の姿を見たという人間がいたそうだ! さっきまでのお前のように! マルタン、マルタンと! ククッ、アッハッハ!」
余程その噂が気になったのだろう。
余程目の前の真実が滑稽に見えたのだろう。
グラトリアは先程までの丁寧な言葉遣いが崩れ、本性のままセシリアを嗤った。
「アーハッハッハ! ……ハァ。いや失礼。まさか終戦から二年の時を得て、聖女のこれほどまでに無様な姿を見れるとは」
「……」
ようやく落ち着きを取り戻したグラトリアは、なおもセシリアを挑発することをやめない。
セシリアはというと、先ほどから何も喋らずに俯いている。
「ま、気が違った女に魔王様の命を任せるわけにはいきません。大方、英雄ゆえに腫れ物のように扱われていたのだろう。喜びなさい。私が現実を教えてやろう」
セシリアは何も喋らない。
今からグラトリアによって発せられる言葉を、遮ろうとも、耳を塞ごうともしない。
ただずっと、俯いて表情を見せずにいた。
「勇者マルタンは死んだ」
グラトリアが笑いながらそう言い放った。
「私は見た。奴が魔王様と相打ちになる瞬間を。奴の輪郭が、魔王様の攻撃で崩れ去っていく瞬間を。……お前がその遺体の側で泣き崩れる光景を」
グラトリアは当時、重傷を負いながらもしかと目に焼き付けた光景を語る。
自らの王を殺した忌々しい存在が朽ち果てる瞬間を。
「そもそも、勇者がいるのにこれほど少数で来るはずがないだろう。勝算があるからわざわざお前の元に出向いた。お前に戦う力はない。ここにいる子供を殺されたくなければ大人しく――」
「――いる」
「……なに?」
ようやく話したセシリアの言葉にグラトリアは眉を顰めた。
「わからない人ですねぇ。ですから勇者は」
「いる」
「……」
またも発せられたその短い言葉に、さすがにグラトリアは目を吊り上げた。
現実を突きつけてもなお、それを受け入れないセシリアに次第に苛立ちを募らせる。
「マルタンは……いる。ずっと私のそばに……ずっと。だって私たちは……」
セシリアはそう言って、首にかけた古いペンダントを握りしめた。
多分次とその次のエピローグで終わりです。