内政干渉の可能性
先日、カナダ国内に中国共産党が海外派出所を設置していたとして問題視されていました。
警察組織というのは行政組織の一つですから、他国にそうした出先機関を設置するのは内政干渉の可能性が極めて高いと言えます。
我が国も戦前に「対華二十一箇条の要求」と呼ばれる要望書の中で、警察組織への干渉を希望した結果、国際社会から猛批判を受けて撤回した経緯がありますから、決して許されない行為であるのは当然です。
むしろ、中国はそうした経緯があるのですから、他国に警察組織の出先機関を設置するのが侵略行為の下準備と思われるぐらいに考えていなかったのが不思議でなりません。
「対華二十一箇条の要求」の中には警察組織以外にも行政組織への日本人採用などを盛り込んでいましたが、これらも反発されています。外国人を公務員やそれに類する行政権の行使を可能とする地位への登用は、戦後の国際連合憲章で定められた内政干渉の禁止に抵触するとされていますが、それは我が国が行った「対華二十一箇条の要求」への対策と言えるでしょう。
ですから、公務員に外国人を登用する行為は戦争の反省が全くされていないと、私は思います。
内政干渉は戦争の原因です。公務員に外国人を登用するのは内政干渉を招き、戦争の原因を作る愚かな行為です。これと同じことが「外国人参政権の付与」でも起きるでしょう。
「外国人参政権の付与」は最高裁判所の判決で憲法違反として確定している(後書き参照)考えですが、それでも諦めずにゴリ押しする勢力がいるのも事実です。諸外国で「外国人参政権の付与」を法制化しているのはごく一部の国々だけで、例えばヨーロッパ諸国連合は統一する前提で「外国人参政権の付与」を認めていて、話の次元が全く違います。
お隣の国である韓国でも「外国人参政権の付与」は法制化されていますが、条件として「高額納税」などの付帯条件がありますから、普通選挙権ではありません。我が国で主張されている「外国人参政権の付与」は普通選挙権としてですから極論を言えば、人口の多い国から一億人を超える人々がやって来て選挙権を付与されれば、あっと言う間に我が国は外国人が支配する傀儡国家となってしまうでしょう。
過去には熊本県波野村のように外から移住してくる宗教団体を追い返して、自治権を守った事例もあります。仮に波野村が宗教団体の移住を受け入れていたら、村長にはその宗教団体の教祖が就任し、村議会も宗教団体幹部が就任して村政は壟断されていたでしょう。宗教団体なら大丈夫と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、件の宗教団体とはオウム真理教です。それでも大丈夫と考えますか?
私の住む地元ではカツ丼が名物です。また美味しいお米が収穫され、美味しい水で醸して日本酒の醸造も盛んな地域です。そこへ例えば豚肉の扱いの禁止や禁酒を掲げる宗教団体が入って来て騒ぎ立てるならば、私はそのような宗教団体との共存は不可能と感じるでしょう。
それはやがて敵愾心へと変わり、戦争へと繋がります。
平和に過ごすには「郷に入らば郷に従う」のが通例で、己の主義主張を押し付ける無粋な行為は大いに慎まなければなりません。中東の教訓めいた話に複数の宗教的求道者がある老僧を訪ねて旅してくる話があります。世の理などで大いに話が盛り上がり日暮れを迎えた一同は食事をしようとなりました。老僧がご馳走しようと食事の支度に取り掛かり一同は喜色を表わしますが、一人だけが持参した乾燥豆を囓りだして、周囲の旅人を赤面させます。するとそれを見た老僧が「己の日頃の生活を他人に見せびらかしてはならない。それができないなら、己の庵でじっとしていなさい」と諭しました。
心遣いとは空気を読む能力です。他人を気遣えない人物が何を言っても心に響きません。己の生活習慣を押し通そうとして他国や他民族の生活を脅かす連中は、その共同体から排除されたとしても文句はいえません。それは例えるならば自民党の中で共産主義を唱えるに等しく、また逆に共産党の中で自由主義や資本主義を唱えるぐらいに滑稽な姿です。
ですから私たちには、私たち自身の生活を守るために世の中の動きを観察して、危険を察知した時には断乎たる手段を講ずる強い意志が必要です。
そこで本題です。都内の千代田区の十邑会館に中国警察の海外派出所があると、スペインの人権団体から指摘がありましたが、皆さんはどう思われますか?
主要目的は日本国内に居住したり旅行中の中国人の言動を監視して、中国共産党の不利益になる問題行動があれば連行することだそうです。
ある日突然、ご近所の中国人が姿を消したら、この海外派出所の仕業と思えば間違いないそうですよ。
かつて韓国のKCIAが金大中氏を同じように連れ去ったことがありますが、その時の報道では「金大中氏拉致事件」だったはずです。
日本国内で拉致事件が発生しても、我が国の警察組織は察知できません。北朝鮮による日本人拉致事件が頻発していた理由も頷けるものがありますね。
平成7年2月28日
最高裁判所判決
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人相馬達雄、同平木純二郎、同能瀬敏文の上告理由について憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである。そこで、憲法一五条一項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、地方自治について定める憲法第八章は、九三条二項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三五年第五七九号同年一二月一四日判決・民集一四巻一四号三〇三七頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである。
判決文傍論
1.憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。
2.憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。
3.法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。
・傍論3を提示した園部逸夫裁判官の述懐
◎産経新聞の記事
・園部逸夫元最高裁判事が平成7年の最高裁判決時、地方参政権を付与できるのは歴史的経緯のある在日韓国・朝鮮人ら特別永住者のみを想定したと明らかにしたことは、在日中国人ら一般永住者も含めた参政権付与を目指す民主党、公明党などの外国人参政権推進派にとって、大きな打撃といえる。推進派の多くは、園部氏が主導的役割を果たしたとされるこの判決を主張の根拠としてきたからだ。
園部氏は特別永住者であっても、転居などで地域との密接な関係を失った場合は、選挙権は認められないとの考えも示した。これも、推進派の「納税しているのだから選挙権も与えるべきだ」との論法に厳しくクギを刺した形だ。
現在、韓国・朝鮮籍の特別永住者は帰化の増加で年間数千人減り続けている。一方で、中国籍の一般永住者は平成18年からの3年間で約2万5100人増の約14万人に達している。
一般永住者まで付与の対象とした場合、小さな自治体に特定国の外国人が集団移住し、キャスチングボートを握る可能性も指摘されている。この懸念について園部氏は「もっともだ。そこまでして、門戸を開く必要はない」と明言した。
ただ、園部氏は永住外国人への参政権付与は合憲との立場は崩していない。判決時の「政治的配慮」を認め、「無理やり連れてこられて、参政権がほしいのなら帰化すればいいというのは、先祖を大切にする韓国人にとっては簡単なことではない」とも述べた。
背景には贖罪意識があるようだが、この事実認識は疑問だ。日大の百地章教授らによれば、戦時動員されて日本に来た朝鮮人はほとんどが帰国した。現在も在留する韓国・朝鮮人の多くは戦前から日本に生活基盤があり、自らの意思で残ったと見るのが妥当で、参政権論議の見直しは必至だ。(小島優)
■外国人地方参政権に関する最高裁判決 永住外国人に地方参政権を認めない公選法などの規定は、住民自治を定めた憲法に違反すると、在日韓国人9人が起こした訴訟の上告審で最高裁第3小法廷は平成7年2月、「憲法上、わが国に在留する外国人に対し、選挙の権利を保障したものではない」とした一審判決を支持し、原告の請求を棄却した。ただ、判決理由の判例拘束力のない「傍論」部分で「永住外国人に対し、地方レベルの参政権を法律をもって認めることは憲法上禁止されていない」との判断も示し、地方参政権付与推進派を勢いづかせた。
・(平成7年の判決の背景には)最高裁としては「国民」だけでなく、永住外国人を含む「住民」に触れなければいけないとの思いがあった。韓国人でも祖国を離れて日本人と一緒に生活し、言葉も覚え税金も納めている。ある特定の地域と非常に密接な関係のある永住者には、非常に制限的に選挙権を与えても悪くはない。地方自治の本旨から見てまったく憲法違反だとは言い切れないとの判断だ。
韓国や朝鮮から強制連行してきた人たちの恨み辛みが非常にきつい時代ではあった。なだめる意味があった。日本の最高裁は韓国のことを全く考えていないのか、といわれても困る。そこは政治的配慮があった。
(判決で)はっきりと在日韓国人とは書かなかったが、最高裁判決でそんなこというわけにいかないからだ。ただそういう非常に限られた、歴史的に人間の怨念のこもった部分、そこに光を当てなさいよ、ということを判決理由で言った。たとえそうでも、別の地域に移住してそこで選挙権を与えるかというと、それはとんでもない話だ。そこは本当に制限的にしておかなければならない。
(一般永住者への付与は)あり得ない。(日本に)移住して10年、20年住んだからといって即、選挙権を与えるということはまったく考えてなかった。
判決とは怖いもので、独り歩きではないが勝手に人に動かされる。(参政権付与法案の政府提出は)賛成できない。これは国策であり、外交問題であり、国際問題でもある。
最高裁大法廷で判決を見直すこともできる。それは時代が変わってきているからだ。判決が金科玉条で一切動かせないとは私たちは考えてない。その時その時の最高裁が、日本国民の風潮を十分考えて、見直すことはできる。
園部逸夫 京都大法学部卒。
成蹊大教授などを経て平成元年に最高裁判事。11年に退官。現在は弁護士。外務省参与や「皇室典範の見直しに関する有識者会議」座長代理を務める。80歳
産経ニュース(2010年2月19日)
※上の小島記者の記事と、下の記事は同じ日付です。齟齬があってはならないので、少し長めに紹介しました。
・日本国憲法前文及び98条。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。