異聞、餃子伝説
番外編です。
本編より1話あたりの文字数は少なくなります。
転生ものなら恒例の、未来知識を使って何やら作るシリーズです。
本編でちょいちょい登場した物の開発秘話になります。
劉備が徐州を乗っ取った。
曹操は攻めて来る、筈……。
だが劉備がもたらした曹操暗殺計画。
これが露見して相手が罰せられるまでにはまだ数ヶ月ある。
来年、建安五年の正月過ぎになるだろう、「史実」のように展開すれば。
それを今言ってもオカルト的な「予言」にしかならないから、もっともらしい理由をつけてみる。
「如何に所領を切り取られたとはいえ、まだ曹操は許都を離れられない筈。
離れたなら、北からは袁紹が、内からは反曹操勢力が蜂起する。
そうなると、南の劉表も動くだろう。
狙われる我々としては、防御を固めるに限る」
まあ妥当な方針として、劉備陣営の者たちはそれを受け入れた。
ただ、言った劉亮の方が
(全勢力が動くより先に、徐州を一気に打ち倒して、電光石火で許都に戻るのが「史実」なんだよなぁ。
来年の事になるけど、袁紹は実際動かなかったし……)
と曹操の行動には不安を覚えていた。
ただ、それを言っても始まらない。
もし建安五年になる前に攻められたら準備不足で陥落は必至だし、だからと言って「迎撃準備を」と言っても間に合わない。
「史実」通りに来年曹操が動くと期待し、今年中は守る準備を整えるしか無い。
(この辺、俺は色々経験を積んでも戦争指導者としては落第点もいい所だな。
状況に動かされ、「史実」を元に相手に「期待」している。
曹操なんて状況が変われば、一番「史実」通りには動かないだろう相手なのに……。
状況を動かして、相手を「そうせざるを得ない」状態に固めてしまうのが、戦争ならずとも経営とかでも一級品の奴のする事だ。
俺は前世でも、こっちの世界でも見て来ているのに、自分では出来ないんだよなあ……)
この辺、必ずしも劉亮が嘆くのが正解とも限らない。
劉亮が動いて状況を変えれば、曹操だけでなく、劉備も袁紹も、北方民族たちも変わった状況に応じて予想外の行動をしてしまうから、未来知識が役に立たなくなるのだ。
歴史は、そうなるまでの流れと、置かれた状況と、その時点での判断が積み重なって出来ている。
劉亮が動かなければ、流れや状況が変わる事も無く、大体「史実」通りの結果が起こる。
結果を変えたくて動けば、自分の予想を超えて収拾がつかなくなる。
結果を予想したくて動かなければ、負ける結果も必ず訪れる。
二律背反であった。
そんな現実から逃避したいのか、劉亮の中の人の〇〇を食べたいという発作がまた発症してしまったようだ。
……まったくこの兄弟は、余計な事を考える時間があると行動が不安定になる。
「父上、それは?」
子供からの質問に
「餃子を作っているのだが。
阿房(劉亮長男)も知っているだろう?」
と劉亮が答える。
餃子はこの山東半島で春秋戦国時代には作られた遺跡が見つかっていて、そう珍しい料理では無い。
庶民の食として普及するのは清朝からになるが、
白菜……というか結球しない山東菜も存在しているし、豚肉は主食と言っても良い。
だから小麦粉を練って皮を作り、そこに餡を入れているのだが……
「餃子なのは分かるよ。
その変なの何?
食べるの?」
というのが疑問であった。
変なのいうのはニンニクで、子供にはまだ早い食べ物かもしれない。
「ニンニクは餃子に入れるのだが……まあ、これは私のゲテモノ趣味と思ってくれれば良い」
中国では餃子にニンニクは入れない。
子供の鼻には不快な臭いがするニラとニンニクを入れる様子に、阿房は何か異様な物を見る目になっていた。
そして
「え?
父上、焼くの?」
阿房が驚く。
「焼いて悪いか?」
「煮ないの?」
「いいから、黙って食わせろ。
私の好みなんだから」
劉亮の前世で見ても、小麦粉で作った皮で肉を包んだ料理は、煮るのが主流であった。
中国の水餃子だけでなく、シベリアのペリメニ、ポーランドのピエロギ、ジョージアのヒンカリ、そしてトルコのマントゥやイタリアのラビオリも茹でたりスープの具にしたりして食べる。
次に多いのは蒸したもので、モンゴルのボーズ、ネパールのモモ、中国の小籠包なんかがある。
焼くのは日本の餃子、韓国のマンドゥ、そしてユダヤ食のクレプラハやクニッシュ。
焼くのは世界的に見てマイナーなのだ。
それを醋(酢)と莱族の魚醤との合わせ調味料につけて食べる。
ラー油の原料となる唐辛子が、まだ南米から伝来していないのが残念だ。
劉亮の中の人のオッサン趣味を満足させているが、周囲はドン引きである。
「さて、この餃子を千年早く普及させてみるのも面白いかな。
食べ物で歴史なんか大きく影響されないからなあ」
餃子が食べられるから、ルンルン気分で珍しくそんな事を考えたのだが、これは笑えるくらい受け入れられなかった。
今までは
(これは歴史を変えてしまう、気をつけないと)
と思っていたのに、結局に歴史を微妙に変えてしまって
「どうしてこうなった?」
と嘆いたりしていた。
しかし焼き餃子に関しては、歴史を変える事覚悟の上で周囲に布教して歩いても
「州牧様には申し訳ないですが、口に合いません」
と拒否されている。
まず油を引いて焼く行為が、まだこの時代的には合わないようだった。
肉は焼くし、その脂の味も好むのだが、穀物を油で炒める行為は好まない。
同様の理由から、玉子炒飯を隋の煬帝は好んで食べたが、一般に拡がるのは明の時代まで待たなければならない。
油塗れの穀物を、酢と、臭い魚醤につけて食べるとなると、当時の味覚からすればゲテモノも良い所であろう。
「ここまで拒否されるとは予想外だった……」
自分の味覚がおかしいと言われているようで落ち込む劉亮。
どちらかと言うと莱族とは食の趣味が合うようで、
「あんた、漢人にしては珍しいね、海の魚の膾(刺身)を魚醤に漬けて食べるなんて」
と言われていた。
南宋の頃まで中国人は生魚を刺身にして食べていたが、基本的には淡水魚である。
海水魚は貴重品であるが、流通の関係で生では食べない。
干物等の加工品にする。
海水魚の刺身は漁民の特権ではあるが、それ故に「下品な食べ方をする」と謂われ無き差別もされたりした。
中の人が未来人の劉亮にしたら、川魚の方が遥かに危険という意識なのだが。
海魚も安心は出来ないので、塩分の多い魚醤に漬けて「づけ」にして食べている。
(ワサビが欲しいんだけど、見つからないよな)
刺身にはワサビと、中の人が欲求しているが、学名「Eutrema japonicum Koidz」こと山葵は日本原産だから中国では手に入らない。
日本にしか無いと気づいていないから、山葵採取遠征軍とその為の外洋艦隊を造るとか言い出さない。
これは青州には幸運な事だろう。
なお、中国人が生魚を食べなくなるのと、油っぽい料理を食べるようになるのは、表裏一体の話だったりする。
モンゴル帝国に支配されていた時代、食用の獣脂が大量に手に入るようになる一方、遊牧民が嫌がる生魚料理は廃れていき、中華料理の変化が起こったのだ。
という事はつまり……
「この油で焼いた皮包み肉は美味しいですな、劉大人!」
と劉亮宅に出入りする烏桓族、鮮卑族、匈奴には焼き餃子も好評という事である。
半分漢人の血が入っている阿房は気味悪がっていたが、生粋の烏桓族である白凰姫や執事の楼煩は美味しそうに食べている。
劉亮は喜んで焼き餃子のレシピを教え、それが北方に拡がっていく。
彼等は劉亮が教えた辛口の蒸留酒に合う料理を探していて、主食の肉をこのような料理に出来る事を知って喜ぶ。
或いは、油ギッシュな料理には辛口の酒こそ、口の中をスッキリさせて丁度良いとも言えた。
そして彼等は、劉亮の中の人伝来「日本風焼き餃子」とは違った形に進化させる。
一々漬けダレなんか用意していられない。
中の具の味付けを濃くし、そのまま食べて美味しいようにした。
一口大の餃子から、より食べ応えがある大型のものに。
そして焼くものから次第に、ジューシーな肉汁が出る揚げ物に変わっていった。
冬場でも活動出来る高カロリー食が出来上がる。
それは劉亮の前世であったモンゴルのホーショールそのものであった。
こうして劉亮式餃子は歴史の中で消えたかと思われたが、ある地域では細々と残っていた。
莱族が海上交易をしていた遼東半島、その中に在る後に大連と呼ばれる場所。
餃子とは北京語で「チャオズ」と発音されるようになる。
だが大連地方ではこう発音する。
「ギャオズ」と。
やがてその「ギャオズ」は、この地に侵出した劉亮の前世での祖国・大日本帝国の軍隊によって持ち帰られ、「ギョウザ」という発音で広まる事になったという。
これは嘘か真か分からぬ物語……。
おまけ:
大連方言の「ギャオズ」読みから「ギョウザ」になったって話は、自分の中国語の師が
「そういう可能性もあるね」
って言ってたネタです。




