文房具の開発
番外編です。
本編より1話あたりの文字数は少なくなります。
転生ものなら恒例の、未来知識を使って何やら作るシリーズです。
本編でちょいちょい登場した物の開発秘話になります。
青州牧劉亮には二つの欠点がある。
一つは儒学に対する意識の薄さ、もう一つは字の汚さである。
儒学の方は、転生者だから仕方がない。
通り一辺倒の知識はあっても、精神に染み付いたものではない。
親孝行とか友情とか、その程度は知っているのだが、差別にも繋がる上下関係の盲目的な意識や、損を承知で意地を張る気骨のようなものは理解出来なかった。
これと字の汚さが結び付く。
字はその人の人格を現し、書体には志が現れるものとされた。
字が読めないレベルで汚く、儒に暗いとなると
「あの人は所詮は野人だ」
と軽蔑される事に繋がる。
青州牧という地位があり、儒学の惣領とも言える孔融が高く買っているからまだ良いが、基本的に儒者系の官吏は劉亮の事を馬鹿にしている。
命令に時々反抗的になるのは、その現れであった。
「俺の字の汚さは、転生して得たこの身体のせいか、転生前の癖を引き継いだのか、どっちかは分からんが、とりあえず文房具のせいだ」
物に責任をなすりつけている劉亮だが、実は一理は有るのだ。
彼は、焼けて出来た炭を削って棒状にし、それに布を巻いて作った簡易鉛筆を使えばそれなりに読める字が書ける。
竹とか木版ではなく、布や紙に文鎮を置いてならなお良い。
字が汚いと業務にも支障が出るから、技術を磨くよりも文房具の開発を行う事にしたのである。
まず彼はフェルトペンを開発した。
細い矢竹の中をくり貫いて中空とし、尖端には羊毛で作ったフェルトを、反対側には栓をして中には墨汁を流し込んだのだ。
それなりに字は書ける。
しかし、予想よりも早く固まってしまい、使い物にならなくなった。
また彼は、つけペンを開発する。
開発といった大したものではない。
筆状にした長細い物の尖端に布を巻き、墨を吸収して書けるようにしただけだ。
だがこれも予想より早くカピカピとなってしまう。
「墨汁が固いんだよなあ……」
紙が一般的になる以前、公文書は青竹等に書かれていた。
正式な歴史書を「青史」というのはその為だ。
竹に書く……というか、粘り気のある液体を貼り付けていく感じだ。
当時の墨は、油や松を燃やして出てきた煤を牛や豚から採取したゼラチンで練り固めたものだ。
それをゴリゴリ摺って墨汁にする。
濃い黒の墨にすると、粘り気が強くなってしまう。
そういう墨を使っているから字が汚い、劉亮はそう言っているが、だったらこの時代の他の人間も悪筆にならないと通じない。
筆のせいにして、自分なりの文房具を開発していた劉亮は、この墨の問題に直面してしまった。
こういう墨だと、毛細管現象を使ってペン先に供給されるペンには合っていないのだから。
劉亮は確かに転生前の、この世界からしたら未来の知識を持っている。
しかし、その中に墨の作り方は入っていない。
工夫しようにも、そもそも知らないのではどうしようもない。
だから職人に頼る。
配分を幾らにしろとか、粘性はどれくらいとか、具体的な数値は出せないし、相手も細かい事を言われても困る。
自然と、某野球チーム元監督のように、擬音表現で
「もっとこう、サラーっとした感じ」
「サラーなんだけど、ストーンって垂れないで、キュッて書き上がる感じ」
「ピタっと貼り付く感じ、ペタってのはちょっと違う」
と注文して、相手を悩ませてしまう。
「言いたい事は分かりますけど、州牧様とあっしらじゃ、その辺の感覚違うんでさ」
気に入る墨が出来上がるのは、劉亮が許都に行く直前くらいまで掛かる事になる……。
さて、墨に拘っている劉亮に、陳羣が
「州牧殿の場合、竹簡とか木片に書くから下手なのでしょう。
紙をもっと使いやすくしたら如何でしょう」
と提案して来た。
陳羣も劉亮の字の酷さは知っている。
しかし竹や木、重し無しでの布に走り書きすると前衛芸術化するのに対し、紙や粘土やしっかり固定された布に落ち着いて書けば、文字にはなる事を把握した。
四方をガッチリ固定した紙なり木版なりに、消し炭を使って地図や部隊配置図を描かせれば上手い訳だし。
陳羣の意見を容れた劉亮は、紙の量産に着手する。
陳羣は
「紙は便利ですから、鄴や許都にも売れます。
そうすれば、州牧殿が目指している青州の民が豊かになる事がまた実現しましょう」
と、商売ベースでも考えていた。
陳羣はこういう面でも代え難い補佐官、いや劉亮にとっての軍師である。
彼も旧来の価値観で生きているから、金儲けばかりに拘る生き方を卑しいものとする。
しかし劉亮は、自分が儲けるのではなく、民が儲かる副業を考えているのだから、賄賂や利権に執着する腐敗政治家とは違う政治家だ。
劉亮にも強力な私欲は有るが、それはこの時代の身の回りのあれこれが不便に過ぎるから、歴史を加速させてでも使いやすいのを得たいというものである。
結果の知識は有っても、過程という情報が欠落している為、誰かの協力を得なければならず、それが結果として民を豊かにする政治になって現れただけだ。
しかし陳羣の目には、劉亮という州牧は民の暮らしの事を考え、民を富ませる事を第一に考える人物に見えるのだ。
だから陳羣としては協力を惜しまない。
陳羣が未来感覚で見ればまともなのは、他の儒学系官吏を見れば分かる。
彼らは民が金儲けを考える事すら忌避し、州牧ともあろう者が率先してその手段を教える事にも反発していた。
民にはもっと「人としてどう生きるか」を教え導くべき、官民が正しい生き方をすれば皆幸せになる、という思考。
(それじゃ食っていけないから)
とする思考の持ち主は、劉亮以外にも多数存在するが、後漢で中級以上の官吏では少数派となる。
この観念論だけで現実を見ない姿勢を
(儒「学」じゃなくて儒「教」、即ち宗教化してるよなぁ)
と劉亮の中の人は見ていた。
話を戻し、紙の販売も見越した量産計画。
蔡倫紙は、前漢時代に既に存在した麻紙に楮や木屑、廃漁網を加えて作成された。
廃漁網は、折ったり曲げたりする際の強度を増す為であろう。
これは青州沿岸部、東萊の萊族の漁師から買い上げられる。
彼らもただ廃棄するだけの網を、州庁が買ってくれるなら生活の足しになるから喜ぶ。
木の廃材も、建築関係者から買い上げる。
残る楮だが
「江南と、遼東から高句麗の地に生えていると聞き及んでいます」
という陳羣からの情報を得た。
「高句麗か……。
烏桓や鮮卑にばかり目を向けていて、あちらは見ていなかったなぁ……」
「高句麗は公孫度に属しております。
余計な事をすれば、彼を敵に回しましょう」
「そうですね、幽州に余計な火種は作りたくないです。
では江南は?」
「江南と言っても百越の地の方です。
孫策が支配している地域より南ですな」
「て事は、曹操の手に落ちた徐州から長江を渡り、孫策の治める呉を通って更に南という事になりますね。
……無料では通してくれないでしょうね」
陳羣は黙って頷いた。
南方ルートは現在の所難しい。
遼東や高句麗の方から手に入れる事になろう。
「我々が直接高句麗と接触すれば公孫度は警戒します。
州牧殿の奥方経由で購入しては如何でしょう」
烏桓族を中継して買い付けをするという事だ。
「それしか無さそうですが、烏桓族は楮って分かりますかね?
価値を知らない者から見れば、ただの植物ですが」
「そういう時こそ閣下の出番です」
「えーっと……」
「烏桓や鮮卑との交渉は、我々では出来ませんので、お願いしますね。
州牧殿自身の為でも有りますし、御自身も努力なさりませ」
陳羣は上司もこき使う術を覚えているから、中々厄介な部下ではあった。
だが、これが実現するのは後日の事になる。
その時は、孫呉と長江を挟んで隣接する徐州を巡って劉備と曹操が争い、高句麗では兄弟間での抗争が勃発し、袁紹が曹操との決戦を選択して行動したりして、紙だけでなくもっと面倒を抱え込みながら外交をする羽目になるのであるが……。
おまけ:
竹簡にも便利な部分があります。
行単位でですが、挿入・削除・位置置換の作業をしやすいのです。
紐を解いて、該当の竹簡(条)を抜き差しすれば良いので。
紙だと、中々大変。
更に竹簡は、字を間違ったら小刀で削れば良いのですが、紙とかだと墨塗りするか、紙切れを上から貼り付ける事になります。
公文書の見た目的には、竹簡の方が良かったりします。
……だからシレっと、孫子兵法の中に勝手な戦法を挿入したり、条文を差し替えたりして、文書の改竄が容易だったりしますが。




