蒸留水と蒸留酒
番外編です。
本編より1話あたりの文字数は少なくなります。
転生ものなら恒例の、未来知識を使って何やら作るシリーズです。
本編でちょいちょい登場した物の開発秘話になります。
青州別駕(副知事)陳羣は、劉亮の酒造りには良い顔をしていない。
ちょっと堅物の気がある陳羣は、趣味にかまけるのなら文句を言って来ただろう。
しかしその酒を対北方民族用の売り物にしているし、劉亮自身が酒に溺れた訳でもないから、とやかく言わない事にしていた。
劉亮はちゃんと州の政治もしているのだから。
だが、そんな陳羣の認識を改める出来事が起こった。
青州は現在の所平穏である。
隣州の冀州の領主・袁紹とは友好関係にある。
南で接する徐州も曹操の領土に収まり、許都に出仕している劉備込みで平和な関係であった。
戦争をしているのは、易京での公孫瓚くらいだ。
これも冀州に劉展が出張して戦っているだけで、青州本土は平和そのものである。
その劉展率いる軍が帰還して来た。
劉展は父の仇を討った形になり、面目を施している。
帰還兵には負傷者も含まれている。
その中には、傷が膿んで重症化している者も多数居た。
それを見た劉亮は、直ちに医者を呼んで治療を命じる。
その際、特に指示を出した事があった。
「布は熱湯で消毒せよ。
傷口はこの酒で洗うように。
また、小刀や鎚も酒につけてから使用する事」
陳羣は疑問を呈する。
「州牧が直接医者に指示を出すのも異例ですが、それ以上に酒に漬けろというのが分かりません。
州牧殿は怪我人を酒漬けにする気ですか?」
「いや、その疑問は一々納得いきます。
普通の酒なら、私がおかしな事を命じているように思って当然です。
しかし、これは違うのです。
悪戯とかではありませんので、少し手に酒を着けさせて下さい」
そう言って、原液を陳羣の手に着ける。
気化してスーッとする。
「これは?」
「酒精には消毒効果があります。
普段我々が飲んでいるのは、ずっと薄いのでそれを感じる事はありません。
しかし、煮詰めて酒精を強めるとこのようになるのです。
我々の周りには、悪しき気が充満しています。
それを消す為に、これを使いました」
そんな話は聞いた事がない陳羣は、まだ懐疑的である。
だが酒を楽しむ為だけでなく、そういう目的の為に製造していたのなら、と劉亮の酒造について認識を改める事にする。
この時の外科治療の追試とも言える負傷者治療案件が、別の所で発生する。
青州は平和であるが、一ヶ所不穏な場所が在った。
泰山である。
ここには群盗が潜みやすく、度々太史慈が治安出動を行っていた。
その治安部隊と盗賊が交戦し、今回は負傷者を多数出したという。
ここで行われた、アルコールや蒸留水を使った傷口の手当をした結果、重症になるような化膿をした者はほとんど出なかったのである。
アルコール消毒でも効かない破傷風で死んだ者も居るが、数を見るにつけても効果は高いようだ。
何より、早期に手当をした者の治りが早い。
不衛生で雑菌塗れの環境で治療したら、かえって増悪したものだが、アルコール消毒と熱湯で殺菌された布地を包帯にするだけで、大分変わって来たのだ。
「州牧殿は、一体どこで医学を学ばれたのですか?」
効果を目の当たりにした陳羣が、敬服しながら尋ねて来る。
「いや、医学なんか学んだ事ありませんよ」
「しかし、どうしたらあのような知識を得られるのですか?」
未来知識だと言う訳にもいかない。
劉亮は用意していた答えを話す。
「その辺は士大夫よりも、民の方が知っているのです」
「民が……ですか?」
「そうです。
酒は、どうして麦や米、高粱からあのようになるかご存知ですか?」
「さて……詳しくは分かりません」
「発酵という作用によるのですが、それは黙っていて出来るものではないです。
良き気か、悪しき気かを上手く操らねばなりません。
悪しき気を使えば、腐らせたり、カビを生やすだけとなります」
「確かに。
酒造はそのようなものと聞いております」
細菌という概念が無い為、「気」という言葉を使って説明をする。
「私は酒精を強める作業をしました。
そうして出来た酒精をカビにかけた所、死滅させられたのです」
「なんと!」
「カビは悪しき気がもたらすもの。
それを除去出来たのなら、と色々試した所、傷の治療を妨げる悪しきものを防ぐ力があると分かりました」
「なるほど」
「酒を造る者、塩を作る者、絹を織る者、全ての人はその仕事に合った知恵を持っています。
私は悪しき気を払う酒を造る者の知恵を借りて、より酒を強くしたのです」
「分かりました。
書物だけの知識に頼っていた己を恥じます。
士大夫ではない民にも、我々の知らぬ知が有るのですな」
「はい、私も日々勉強させて貰っています」
そう言いながらも劉亮の本音は
(よし、上手く誤魔化せたぞ!)
なのであった。
しかし、所詮は酒である。
工業も医療も化学も未発達のこの時代、溶剤とか麻酔とか化合物なんかを作れないし、作っても使い道は余り無い。
金属製連続蒸留機なんてものを開発しないと、ウォッカとかスピリタスみたいな90%の高濃度アルコールは作れず、濃度50〜60%で不純物も多いのを作るのが簡易蒸留の限界である。
だから出来上がるのは、基本的には飲んで潰れる為の液体であった。
「幽州の交易市場で鮮卑が暴れたとの事です」
田豫からの報告がもたらされる。
取引で何か相手を怒らせる事があったのか?
劉亮が読み進めていくと、それは実に呆れる内容であった。
口コミで蒸留酒の存在を知った鮮卑の者は、早速購入し、説明もそこそこに飲み始める。
最初はチビリチビリだったが、次第に大胆に飲み始めた。
そこに別の鮮卑族がやって来る。
「お前、それは俺が頼んだ奴ではないか!
毒見に一杯は許したが、既に数本開けているとは何事だ!」
「やかましい!
遅れて来た方が悪い。
俺が酔うまでに止めなかったあんたが悪い」
「お前、里長に向かって何だ!」
「うるせえな!
こっちには何人居ると思ってんだ!
酔っ払い五人!
お前ら老人十人なんて屁でもねえ」
「よし、殺す」
「殺し返す」
……といったやり取りで、市場を巻き込む大乱闘が発生した。
これが第一幕。
問題を知った大人が兵を連れてやって来て、
「足りないからこんな事になる。
出し惜しみするな!」
と酒を求めて市場中を駆け回る。
そして、漢人が私用で持っていた酒を見つけ、刀を抜いて脅し取った。
これが第二幕。
噂を聞いた烏桓族単于、劉亮の姻戚に当たる蹋頓の配下たちがはるばるやって来て、
「この市場を警護するよう、単于から命じられた。
その見返りとして、優先的にあの辛い酒を回すように!」
と居座ってしまった。
これが今、という事であった。
「どうします?
生産量はそこまで多く無いんですよね?」
生産設備が小規模な為、北方の遊牧民全員が満足する量なんて生産出来ない。
価格はかなり高額に設定していて、貿易赤字を取り戻し、砂金入手で黒字になる勢いだが、高い代償を払ってでも彼等は酒を欲する。
価格なんてどうでも良い、量が必要だという訳だ。
そして、足りないとこうやって問題を起こす。
陳羣は、対北方民族の事にはタッチせず、劉亮に丸投げをしている。
他人事のように話していた。
「よし、烏桓鮮卑匈奴にも作り方を教えよう」
「お待ち下さい。
それだと交易における売り物を、みすみす手放す事になりますぞ」
漢から買わないとダメだから儲けになっている。
自分たちで作れるなら、大金を出して輸入なんかしないだろう。
「蒸留器を、彼等は造れない。
似たようなのは造れても、質が良く大きい物のは無理だ。
酒の生産量が多くなれば、今度は蒸留器が売れる」
「……分かりました。
しかし、州牧殿は豪族の出なのに、よくそんなに交易の良案を簡単に思いつきますね」
中の人が、この時代の人間ではないからだ。
劉亮は、自分に仕える烏桓族に蒸留の仕方を教え、それを北方の市場にもたらす。
蒸留酒の造り方を聞いた彼等は大喜びしていた。
やがて彼等は馬乳酒を持ち込み、そこで蒸留酒にして飲む事を始める。
そして馬乳酒の蒸留酒と、漢側の穀物蒸留酒を交換したりした。
こうしてモンゴリアン・ウォッカとも言える酒が、幽州だけでなく、并州や涼州の市場からも漢内に流入して、結構な人数のアルコール依存症患者を生み出してしまうのだった。
おまけ:
モンゴル人、酒に相当強いイメージ。
ウォッカとか白酒とかストレートで飲む。
そんな相手の禁断の扉を開けてやった感じです。
なお、ショットグラスを用意しないと、適量分からずにガブ飲みして身体壊す人が続出しそう。
ある意味「埋伏の毒」の計になってる……。
郭嘉「いつぞやは殿に潰されてしまったが、あれは良い酒だ。
荀彧殿に何を言われようが、飲むぞ!!」
……この人の命数にも関わって来るようで。




