通貨経済復活へ
劉亮が許都に来て五年が経過していた。
曹操が「十年間借りる、十年あれば色々出来る」と見たように、最初の一、二年は停滞していた劉亮の政策も、次第に形になって来た。
皇帝の即位二十年の式典を翌年に控えた建安十三年(208年)、曹操領内は民が安心して生活出来るようになっている。
十年の平和の半分、その間劉備と袁煕は攻め寄せて来ない。
元々亡き袁紹陣営で起きた対立は、持久戦か速戦かの対立。
持久戦を唱えた者たちは、袁紹の前に仕えた韓馥同様、冀州を安泰にする事を望んでいた。
この五年、袁煕の陣営も内政を充実させていたのだろう。
劉備は「平時はポンコツ」だから、何をするか不安で仕方がない。
しかしここ最近は大人しい。
相変わらず泰山には賊が出るし、新たに領土とした東徐州には長江の賊とかが出て、軍事行動には事欠かない。
それもあって劉備は、劉亮の残した内政を行いつつ、弱点である軍事力の強化に励んでいた。
特に徐州においては、曹操や呂布の禍を知っているだけに、税を多く払ってでも軍事力を強化せよと民が望んでいる。
劉備陣営の問題は、東徐州を得て長江に面した為に、その南の呉の孫権との関係が外交上の課題になった事だろう。
劉亮が東徐州の復興をしていた時期は、呉との関係は平穏であった。
劉亮が南にまで敵を作らない姿勢であったからだ。
しかしこの時点でも、旧来の盟友である荊州の劉表と、その敵で隣国の孫権との間での外交は微妙なものだった。
これが劉備、いや……関羽に代わった事で厄介になる。
劉備は友情第一な人間である。
何事も無ければ、宗族の劉虞を殺した公孫瓚との友情を優先し、袁紹と曹操の両方から攻められる事も甘んじて受けたような人間だ。
そういう人間だけに、劉表との繋がりを重視した。
それでも劉備は、分裂した高句麗との外交で余計な争乱を引き起こした反省や、軍師たちの助言もあって敢えて敵対的な姿勢は示さない。
問題は東徐州牧・関羽である。
関羽は劉備と劉表の関係を知っている。
青州の劉備の元に赴く呉の使者を妨害する程外交音痴ではないが、往復時に度々問題を起こしてしまう。
領土通過時に挨拶に立ち寄ると、厭味を言った上で冷遇する。
挨拶せずに通過すると、
「儂に挨拶もせぬとは無礼である」
と国境通過の際に足止めをする。
関羽自身に対して友好を働き掛けても
「我々は劉荊州殿の盟友。
それを知って、斯様におべっかを使うのか?」
なんて言って来る。
贈り物は
「賄賂など不要。
儂を朝廷の腐敗役人と同じに見るか!」
と怒鳴りつけて突き返す。
こういう事が頻発した為、劉備と孫権との関係は悪化していった。
友は友、敵は敵、その他はその他という分かりやすい価値観は、外交には向いていない。
孫権は北方の劉備との関係構築が上手くいかないと見るや、曹操に接近している。
……劉備との関係が良くない中で、曹操の元にいる劉亮に対しては友好的に接して来るのだから、孫呉の政治力も中々侮れない。
一部キナ臭いものの、中原・江南は勢力均衡や和議による小康状態が続いていた。
各勢力、外交と内政の時間を精力的に過ごしている。
それぞれが、土地を棄てて逃げた者を帰農させ、生産力向上と動員兵力の確保に努める。
対立状態にあっても、民は戦乱が無い中で各地を行き来し、交易を行っていた。
それは漢土だけでなく、烏桓や鮮卑、匈奴にも及んでいた。
「物々交換では不便。
布貨も大きな取引が出来ない」
「青州のような金貨とか、兌換券といったもので大きな取引をしたい」
「現在の悪貨と現物が入り混じったものは、取引で喧嘩になる要因だ」
各地からそういう声が挙がって来る。
地獄耳の曹操ならずとも、劉亮も配下の密偵や烏桓人を使って情報を仕入れていた。
「機が熟したようだ」
それは劉亮も曹操も、ほぼ同時期に漏らした言葉である。
劉亮は司徒権限を使って、蜀の劉璋に命じ、抱え込んでいる造幣職人たちと銅を拠出させた。
代わりに朝廷の官吏を派遣する。
もしも造幣官吏を抱え込んで離さない場合、行使はしなくても武力で脅す事も考えていたのだが、劉焉と違って劉璋はその点穏やかであった。
劉亮は曹操と話し合い、劉璋に何個かの称号と印綬を贈り、行為を賞賛する。
準備が整った時点で、劉亮は来年までの期限で朝廷に提出しなかった古証文の無効化を天下に発表した。
機を見るに敏な商人たちは、既に特産品の専売権と引き換えに証文を提出し終えていた。
朝廷を信じず、後生大事に古証文を抱えていたような者が大損をする。
そんな者は、同じ商人や豪族たちからも馬鹿にされてしまう。
そして、敢えて新しくしなかった「五銖銭」を発行した。
董卓が鋳潰して新銭を造って以来、十七年ぶりの事であった。
大量の五銖銭と、いまだに世間に残っている粗悪な董卓五銖銭、更に私鋳銭。
劉亮は撰銭令を出し、粗悪銭の通用停止と、回収命令を出す。
粗悪銭は、使用したら処罰するが、役所に届け出た場合は同量の銅価格相当の新銭と交換する。
本当は一枚は一枚で交換しようかと思ったが、それだと新銭一枚をわざと悪銭に作り替えて二枚作成し、それと交換して二枚の新銭を得続ける錬金術を使われかねない。
銭の流通量は徐々に増やすが、その前に金貨を通用させる。
使うのは主に大商人か、朝廷や豪族、同じ大商人の間での取引で庶民には無関係だ。
だが大金が動く社会で、大量の銭が使われない事で、庶民の方に銅銭が回って来る。
まだまだ完璧とは言い難いが、貨幣経済が戻って来た。
五銖銭は全国どこでも通用する。
しかし、金貨は曹操領内のみの通用とした。
一応、劉備領青州の金貨とは、固定相場での交換は可能だ。
ただし、交換してもお互いの領内でしか通用しない為、意味はほとんど無い。
外貨としてストックしておいて、曹操領内からの商品の支払いに、曹操領内用の金貨を使うというやり方になっている。
FX的な儲けを出す事はない、そんな事を考える人が出るかどうかは分からないが。
董卓以来の問題から、不完全なりとも解放される事に皇帝は大いに喜ぶ。
来年の即位二十周年で、皇帝の名による恩赦として民の借金を消滅させる法令が発布される事も決まった。
父・霊帝時代の負の遺産も無くなるだろう。
皇帝の喜びもひとしおだ。
発案者たる劉亮は宮中に呼ばれ、安楽侯の爵位と皇叔の称号と玉帯が授与された。
皇叔は兄の劉備と同じだが、県侯の爵位は宜城亭侯の劉備よりも二階級高い。
「いやあ……別に不要なんだけどなあ、爵位だの称号だの……」
貰っても嬉しそうではない劉亮を見て、曹操が笑う。
「朝廷からの称号授与や爵位を、そこまで要らないと言う奴を初めて見た。
表向きは礼儀作法を弁えているが、裏では朝廷なんか屁とも思っていないよな、安楽皇叔は」
「その呼び方、仰々しいから止めて欲しい。
私は幽州の末端宗族なんだし、それは変わっていない」
(中の人はそもそも中国人でも無いしなあ)
そしてつい
「そんな偉い立場になってしまったら、立ち小便も出来へんやん」
と、某国民栄誉賞辞退の名選手の言葉を冗談で言ってしまった。
曹操がニヤリと笑い
「俺なら平気だ。
問題無い。
さあ、連れションだ!」
と劉亮の手を引く。
「待て待て!
三公が揃って立ち小便って、おかしいだろ!
しかも、ここは宮城じゃないか!」
「三公だから面白いんじゃないか。
下の者がやれば、衛尉が来て捕まえてしまう。
だが、三公ならどうにも出来んだろう。
三公二人を捕らえるような奴が居たら……」
「あんたの将軍として登用する、か?」
三公であろうが遠慮なく咎め、法に照らして処罰する。
それはかつての曹操だったのだから。
「先回りするなよ、俺に言わせろよ」
「読めてるんだよ。
付き合いも大分長くなったしなあ」
「まあそれはそうとして、だ。
折角だから立ち小便して行こう。
最後の三公がこんな事をしたと、史書に爪痕残そうぜ」
「…………????
待て、聞き捨てならん事言ったな?
最後の三公って、どういう事だ?」
「ああ、三公は廃止する事にした。
俺は丞相を復活させ、そこで効率良くやりたい事をする」
ついに曹操が丞相になる日が来た。
「三国志演義」を読むと、曹操と言えば丞相なのだ。
丞相で有名なのはもう一人居るが、作中前半では彼になる。
ついにその時が来たか……と歴史マニアな中の人は興奮している。
そんな劉亮に、更に曹操が爆弾発言。
「そして、御史大夫も復活させるけど、それお前な」
「は?」
御史大夫も前漢の役職。
地位は丞相に次ぎ、副宰相と言える。
「喜べ。
お前は公式に俺に次ぐ存在になる」
「待て待て!
あんた忘れてないか?
私は十年間の期間限定で朝廷に入っただけの者。
今でも劉備の部下だし、身分は朝廷の臣で貴方の臣ではない。
そんな私を序列二位なんておかしい。
尚書令殿(荀彧)か河南尹(夏侯惇)を二位にしろよ」
「ふむ……まだ玄徳の元に帰るのを諦めていない。
御史大夫になったら、そう簡単には帰れないのだがな」
「辞任するからな」
「まあ、辞任するまでは仕事をしていけ。
まだあと五年も有るんだからさ」
「契約期間はちゃんと仕事するけどな」
「じゃあ、立ち小便して行こうか」
「前後の文脈が繋がっていない。
言った自分も悪かった、撤回する。
だが、自重しろ」
「自重とかつまらん。
俺は今が一番楽しいぞ。
やりたい事は何でも出来る。
叔朗、最初に会った時の事を覚えているか?」
「覚えている」
「あの時の俺は、洛陽北門を守るだけで、どんなに偉そうな事を言っても職務以外の事を勝手には出来なかった。
お前もただの子供、頭は良くてもそれだけだった」
「はあ……」
「だが今の俺は、やりたい事を何でも出来る。
形に出来る。
こんな楽しい事は無い。
お前だってそうじゃないのか?
酒を造る、料理を考える、新しい筆を作る、金貨を鋳造する。
昔の劉叔朗少年では、やりたくても出来なかっただろ?
今、やりたい事を出来て、楽しいだろ?」
(いやいや、自分はダメな部分を見て、解決策が分かった場合、それを見過ごすと何かムズ痒くなるだけなんだ。
繰り越した宿題というか、不発弾を先送りにした居心地の悪さというか……。
社畜気質のせいか、そういうのが気持ち悪いだけなんだけどな……)
などと自分に言い聞かせているが、実際曹操が言う通り楽しい。
曹操に同類と見られているのも、何か違和感を感じてしまう。
曹操は紛れも無く天才で、未来歴史をカンニングしている自分とは比べ物にならない。
やる気、覇気に満ちていて、遠征軍の中に居てさえ詩を詠み、書物を読んで研究しながら、朝廷の仕事もするような人間だ。
「破格の人」と曹操を後世の歴史家は称するが、ちょっと違うように劉亮の中の人は感じる。
「天才クソガキ」「身体が一つじゃ足りないから、七人くらいの分身を作りたい人」「性格的な部分でいつまで経っても成長しない不良中年」等々、こんな風に思える。
人間の威圧感とか威厳のようなものは、董卓の方が遥かに凄かった。
包容力のある大人の漢という雰囲気は袁紹の方が遥か上だった。
平時はポンコツでも、この人の為なら何でもしたいという大器なら劉備にある。
そのどれとも違う、何でも楽しそうにやっているエネルギーの塊、人を率いるというより
「俺は突っ込んでいくから、お前ら着いて来い!」
と部下の首に縄を掛けながら全力疾走するような人間だ。
そんな奴に「俺に従え」と言われ続けているのは、良い事なのかどうなのか……。
そうこうしている内に、荀彧や軍師たちがやって来た。
「恐れながら報告申し上げます。
荊州牧の劉表が病に倒れた模様。
配下の将たちが続々と集まっておりますゆえ、殿にもおいで願いたく……」
(そういえば、俺の所にも最近体調が良くないという書状が来ていたな。
今年は建安十三年……やはりなのか?)
劉亮は劉表の命数を悟る。
そんな劉亮の内心は知らず、曹操は報告を聞くと、苦笑いしながら彼の方を見た。
「では司徒殿、連れションはまたの機会に」
乱世が再び動き始める。
おまけ:
田豊「講和の為に許都に送ったとはいえ、やはり劉亮殿が居ないと難儀ではあるな」
沮授「殿は大徳の人、実際皆から慕われる政治をしている」
田豊「殿自体は思いつきでとんでもない事をなさる。
一方で政治は、自分が無知であると知っていて、下の者の進言を聞き、我等にも諮り、間違いはしない。
しかし……」
沮授「出費が多過ぎる!
正しい事をしているから反対も出来ないが、兎角儒者のやりたい事は金が掛かる事が多い」
田豊「それを可能に出来るだけの収入があるから、余計にそうなる」
沮授「加えて軍事費も必要」
田豊・沮授「なんとかもっと収入を増やさないと!
劉亮殿の産業育成の知恵は必要だった!」
劉徳然「軍師殿たちも、俺の辛さが分かったようですね。
うん、やってる事は正しいんですよ。
それに幾ら掛かるんだ、って話でしてねえ……」
教訓「良い政治には結構お金掛かるよ」
告知:
三連休進行します。
次話から番外編を挟みます。
ぶっちゃけ、番外編は源氏物語の末摘草の回みたいなもので、ここ無しでも本編に影響しません。
逆行転生ものなのに、定番の開発話をせずに終わるのももったいないから書いたものです。
許都編で既にやってはいますが。
本編の流れを長期中断させない為にも三連休中に全10話公開します。
この後、21時からアップします。




