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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第九章:天下の為に
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生産計画

 劉亮の中の人は、趣味で「三国志」を読んでいた他、物によっては専門書を買ったりして後漢時代の事を勉強していた。

 だが実際住んでみると、予想とは随分違っている。


 後漢時代に蔡倫が紙を発明した。

 だがしかし、紙はまだ高級品なのである。

 公式の場では、竹簡・木簡が使用されていた。

 この便利な記録媒体は、まだ安価に大量には出回っていない。

 字が汚く、竹や木や布に書くと更に読めた字にならない事が悩みの劉亮は、紙を渇望していたといって良い。

 この世界に転生して随分経つのだが、元々の劉亮の肉体の問題なのかもしれないが、どう頑張っても毛筆と紙以外の記録媒体の組み合わせでは、読めた字が書けない。

 達筆さで後世にまで名が残る楷書の普及者・鍾繇は、この字の汚さだけでも劉亮を軽蔑していたくらいだ。

 そこで司徒となった劉亮は、権力を行使する事を決意する。


「紙を大量に製造せよ!」


 材料の麻、藁を計画的に集めるようにする。

 製紙を産業に格上げもさせた。

 とにかく大量生産!

 安く誰でも手に入るくらい作る。

 希望としては、厠で尻を拭いて捨てられるくらいになれば良い。

 こればかりは儒者の抵抗も無視して、強引に事を進めた。

 まあ儒者の反対は、紙製造に関しては反対の為の反対と、伝統的に竹を使うものだという程度のものだったので、聞く耳持つ必要を感じなかったのだが。


 劉亮はついでに、未来知識込みの発明をしている。

 ペンである。

 元々、箸の廃品を利用して、都度墨を着けながら字を書いたりしていた。

 そのペン先を細くし溝を掘って、毛細管現象によって墨を吸い上げる事までは簡単に辿り着く。

 またはフェルトを使って墨を吸い上げる事も。

 しかしこの時代の墨はインクに比べても粘度が高い。

 すぐに詰まってしまうし、書いていて引っ掛かる。

 膠の量を調節すれば良い事も知っていたが、どれくらい使うのかは文房具開発でもやっていない限り分からない。

 粘度が高過ぎると吸い上げにくい。

 粘度が低いとすぐに零れてしまう。

 水で薄めれば字も薄くなる。

 青州牧時代から試行錯誤をして、ようやく納得がいく墨を開発していた。

 よって、形を真似れば作れた各種ペンよりも、墨の改良の方が重要と言える。


 紙とペンの二つが揃えば、劉亮の字の汚さは相当に改善される。

 硬筆では上手いが、毛筆ではさっぱりの人、その逆の人も存在する。

 硬筆ならどうにかなる劉亮は、漸く書記に頼らずとも命令書を書けるようになった。

 これを見た曹操は、各種ペンの量産も命じて来た。

 劉亮もそれに異存は無い。

 許可を得て、自分が製作に関わった青州の工房に発注を出した。

 そして届けられたペンを、曹操は色んな場所で試す。

 先日得たばかりの并州でも使わせ、

「寒いと墨の乗りが悪いから、改良せよ」

 なんて言って来た。


 劉亮の未来知識による生産命令は、菜種油にも及ぶ。

 油は後漢時代にも存在している。

 だが、石鹸を作るには大分足りない。

 そこでアブラナの栽培を命じ、油の大量生産を行おうとした。

 油はまだ良いが、もう一つの材料である苛性ソーダはこの時代には存在していない。

 昔の製法である、灰汁を使うものとした。

 アルカリ性であれば良い。

 だから北方民族に頼んで、鹹水も輸入する。


 なお、鹹水の輸入については曹操も首を傾げた。

 意味が分からない。

 石鹸は灰汁から、ごく少数だがとりあえず作る事が出来た。

 優先的に医療現場に渡し、効果も確認出来た。

 ではそれで十分ではないか?

 砂金の購入の方が先決で、鹹水等という塩水を買う事に何の意味があるのか?

 そこで劉亮は、曹操のやり方を倣う。

 自分が最大限に得をするが、同時に曹操も得をし、北方民族たちの得にもなる。

 その意図で開発したのが、ラーメンであった。


「決して私が食べたかった訳ではない。

 私の夜食用ではない、こんな物食べたら太るからな。

 たまに食べたくなって、穴を掘ってそこで叫んでいた訳でもないからな。

 あくまでも、鹹水の使い方の一例を示すだけだからね。

 別に私好みの味にしようとはしてないよ。

 でも、曹操殿が試食するのだから、それなりの味に仕上げないとね!

 ついで油がいっぱいあるから、中華料理を油ギッシュにしようなんて考えていないからね!」

 司徒ともあろう者が、厨房に入り浸って料理開発をしている様を呆れた表情で見ている陳羣に、劉亮は必死で言い訳をしていた。

 確実に、中の人の欲求が表に出まくっている。

 朝廷の仕事で疲弊しているから、欲求を顕わにしても罰は当たるまい。

……曹操なんて堂々と自分の欲望を政治にも反映させているのだし。


 だが、こうして発祥の地のものを魔改造して発展させた国で生まれ育った中の人の味へのこだわりは、曹操を満足させる最高の結果を生んだ。

 塩味、鳥ガラ出汁、蒸し豚とネギだけというシンプルな麺料理だったが、曹操は美味いと喜び、早速中華麵という新しい食材を活用する事を思いついていた。

 新しい食事が生まれると共に、鹹水もまた交易品として有効である、と。


 そして劉亮は、更なる禁断の扉を開けていた。

 彼は醤油ラーメンが食べたかった。

 だが後漢時代、穀物醤油は存在しない。

 魚醤しか無かった。

 その魚醤を青州の莱族や南方の異民族から購入する。


 また、メンマ等という物も、まだ存在していなかった。

 これも自作する。

 未来のものには及びもつかないが、何とか作る事が出来た。

 前世で劉亮の中の人は、世界各地に飛ばされて仕事をしていた。

 行った事が無いのは南極くらいだろう。

 行った先の料理で十分な人間ではあったが、時々発作が起こる。

 ストレス緩和に、食事が重要であった。

 和食を食べたい! 中華を食いたい! あの安い油のハンバーガーを食べたい!!

 赴任先にはそういう店が無かったりする。

 そうなると、手近な食材で「自作」していた。

 まがい物であっても、発作を抑えられれば良い。

 本人は料理が得意と微塵も思っていないし、実際プロの料理人どころか主婦にも劣る。

 だが、代用品も含めて何でも作るという事にかけては一級の料理人であるし、そのバイタリティーとバラエティーの豊富さは大したものだった。


……前世では家族や同僚にそれを振る舞っても

「外食すれば良いのに、わざわざ不味い物を食べさせるな」

 と否定されまくったから、特技であるとすら思わないようになってしまった過去もある……。


 悲しいオッサンの話は忘れよう。

 後漢には各種中華料理用のスパイスは、薬のような形で存在していた。

 調味料として、魚醤ではあるが醤油が手に入ったとなれば、叉焼(チャーシュー)も作れるようになる。

 こうして料理の幅が広がる。

 そうなると、凝り性の曹操が自らレシピの開発を始めてしまう。


(この曹操(ひと)、本当に天才ではあるんだよなあ)

 劉亮が感心するくらい、曹操は多才であった。

 きっかけは劉亮である。

 彼が石鹸作りの延長で、大量に作られた油を使った料理を密かに楽しんでいると、どこかでそれを嗅ぎ付けた曹操がやって来て味見をする。

 揚げ物とか、炒め物の味を覚えてしまった曹操は、早速自分でも試す。

 そうなるとセンスが劉亮の中の人よりも遥かに上な曹操は、数多くの創作料理を生み出してしまった。

 これを普段の政務、孫子の研究、詩文の思索、軍事訓練等と並行して行っているのだから、化け物としか言いようがない。

 ここまで多芸多才、多忙の中でも人生を楽しんでいる人間を、劉亮は前世ですら見た事が無かった。


 食べ物以外では、蝋燭の開発も劉亮は行っていた。

 蝋燭自体は古代から存在する。

 それは蜜蝋を使ったものだった。

 生産量を確保する為、劉亮は未来知識を使ってウルシやハゼを探させる。

 その実から木蝋を得るのだ。

 後漢時代、漆器職人は存在している。

 彼等の副収入として果実を買い取っていた。

 油を使った照明も考えられたが、火災を警戒して蝋燭を使わせる。

 蝋燭に関しては、

「これで夜遅くまで書物を読めますな」

 と言った事で、儒者たちの全面的な協力を得る事が出来た。

 紙、ペン、蝋燭と揃った事で、学問をしやすくなっている。

 その恩恵を最も享受しているのが曹操だったりするが。


「叔朗、お前が来てから色々と楽しい!

 お前さえ居れば、玄徳や袁煕なんかどうでも良いように思える。

 あいつらは、お前が居ない場所で、この便利さから取り残されれば良いのだ」

 なんて言ってる曹操だが、余剰となった紙やら蝋燭やら油やらを、商人を介してそういった地域に売りに出しているのは抜け目ない。

 そして、売りに出した地域から材料を購入する。

 冀州や遼東からは漆だったり、江南からはタケノコだったり。


「で、頼んでおいた証文の件は上手くいっていますね?」

「うむ。

 専売権と古証文との交換、喜んで応じる者ばかりだ。

 あの強欲どもも、これから得られる利益に比べたら、没落農民から借金を回収出来るか定かでない古証文なんて価値が無いと思っている。

 お前の望むような形で手離すようだ」


 貧乏人から取り立てても大した富にはならない。

 朝廷の工房から得た物を各地に売った方が莫大な儲けになる。

 その商品を独占販売する権利が得られるなら、回収出来るか分からない昔の証文に拘る意味は無い。

「しかし叔朗、お前ものほほんとした顔をして、中々やるなあ。

 商人ごとに専売品を決める。

 専売権は毎年更新とし、朝廷への納税をもって決める。

 儲けからしたら大した額の税ではないが、未納なら折角の専売権が没収となる。

 専売の権利を得られた商人は、その利を手放すまいと朝廷に忠義を誓う。

 一定の納税さえしていれば、儲けの種を保持し続けられるのだからな。

 そして朝廷は安定した収入を得られる。

 お前の事を散財しまくる浪費司徒なんて陰口叩いていた者も、財政再建の手腕を見て、形式的な悪口しか言えなくなっているぞ」


 頑張って富を得るようにすればする程、儒者たちは

「卑しい事を行う者、所詮は士大夫ではない奴だ」

 とか批判しているが、彼等とてその儲けから俸禄を得ているし、劉亮が量産させた蝋燭や紙の恩恵を受けていたりする。


 劉亮はその字の汚さから人格否定、誤解から「千年に一人の大悪人」呼ばわりされていたから、今更「利殖に拘り性根が卑しい」とか言われてもどうという事は無い。

 商業を卑しいと思わない世界からの転生者だから、批判に痛痒を感じない。

 そんな資本主義社会からの転生者である劉亮には、交易が盛んになってくれば、現在の物々交換だと不便でこれ以上成長出来ないという声が挙がるのを読んでいた。

 銅銭でも、各地に出向いて商売をするには重くて不便だ。

 だからやがて彼等は、持ち運びに便利でかつその物にも価値がある高額貨幣・金貨を求めるだろう。

 既に青州で実績があるものだから。

 そうなった時、銅銭の復活と、不足している銅を補う金の活用が成るだろう。


「それにしても、紙ももっと良く出来そうに思うのだが。

 蝋燭も改良の余地がありそうだな」

 曹操は満足していない。

 もっとしなやかな物を、もっと大量に作りたい。

 紙に関しては、蔡倫のものを知っていると、少し不満があるようだ。


「蝋燭はハゼの木、紙はコウゾ、ともに近くには無いからなあ。

 メンマのタケノコも南の方の物だし」

「そうか……、江南には在るんだな」

 劉亮は自分の発言が、曹操の南方への野心に火を点けて、そこに油を注ぎ足している事に気づいていなかった。

おまけ:

穀物醤油は北魏時代の発明だそうです。

賈思勰かしきょうが著した「斎民要術」に作り方が記されてます。

まあ今の豆板醤と同じペースト状のもので、液体醤油ではないのですが。



おまけの2:

青州東萊郡にて。

「魚醤が売れて売れてたまりませんわ!」

「前の州牧様も良い方だったけど、今の州牧様はもっと素晴らしいな」

「うちらの産物を買ってくれるわ、生活に口出ししないわ、言う事無しですな」

劉備は青州牧ではないが、萊族の漁民たちにはどうでも良い事。

漁民たちは豊かな生活を手にしつつあった。


劉備「叔朗から教えられたし、とりあえず窓口を俺にして、許都に高値で売り付けよう!」

こういう魂胆だったのだが。

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公が未来知識で0を1へとしたところを曹操が1を100にブーストする。 さす曹操様
[一言] 紙の製造とインクの研究やったから活版印刷は間近なので やったね 曹操や劉備よりずっと人類史で重要な働きをしたってことで教科書に乗るよ!
[一言] 劉亮、ある意味、なろうの主人公らしくなりましたね。 歴史に深入するのに消極的だったくせに、曹操が起爆剤になった感じですかね。
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