并州問題
曹操と劉備・袁煕との和睦で、十年間は現在の勢力圏を相互に認める事が確認された。
国境というべきものを定めただけで、お互い外に拡張する分には干渉を受けない。
互いの拡張に対し、口も兵も出さないという事が約束された。
これは曹操に有利な条件である。
劉備・袁煕陣営の拡張先は、遼東方面か、徐州から長江を渡って江南方面しか無い。
それに対し曹操は、北東方向以外は全て侵攻可能なのだ。
はっきり言って、あの和睦の時点では劉備・袁煕陣営の方が圧倒的に有利である。
しかし曹操が相手の優勢を認めながら、条件を呑んだのは
「俺が関中や荊州に侵攻しても、約定によりあいつらは干渉出来ない。
やって来たら、今度こそ叩き潰す。
まあ綺麗事大好きな玄徳と袁一門ならやらないだろう。
そうすれば十年の内に、俺の方が優勢になる」
という計算をしての事だった。
この和睦には、一個問題部分がある。
それが并州の件である。
并州は、袁紹の甥が支配する領域で、袁紹陣営に属していた。
しかし劉備による袁一門の乗っ取りにおいて、并州刺史・高幹は独立をする。
袁煕は認めたくなかったが、曹操だけでなく劉備もこの件では高幹の肩を持つ。
なにせ曹操は袁紹配下と見られていたのにそこから独立したものだし、劉備なんかは公孫瓚や曹操、袁紹と様々な勢力の配下的存在だったのが、いつの間にか一大勢力に成長したものだった。
自分たちを否定しない為にも、并州は曖昧な扱いとされていた。
とりあえず袁煕の親族だから同盟者扱い、特別措置としてどの勢力も手を出さない、と暗黙の了解が取られる。
劉亮が司徒府で儒者と揉めたり、医療改革に着手したり、民政について色々している間、曹操も無為な日々を送ってなんかいなかった。
曹操は并州を攻めてこれを自領に組み込む。
一応独立勢力化した高幹は登用した軍師・郭図の献策で、冀州でゲリラ戦を続ける郭援を支援したり、冀州・幽州・兗州の群盗と連携したり、一転して関中の軍閥たちにちょっかい出しては全方面で失敗して恨みを買っていた。
その都度、他勢力と手を組んだり、離反したりと、生き残りに一生懸命なんだろうが、外から見れば不安定要因となっていた。
「十年和睦」で所属が曖昧な扱い、ある意味聖域化していたのだが、いい加減に目障りに感じた曹操が攻撃する。
僅か五千の曹操軍に高幹は敗れて捕縛、郭図と郭援は何処かへ逃げ去った。
袁煕と劉備は暗黙の了解を曹操が破った事に文句を言ったものの、曹操は堂々と無視。
そして降伏した高幹を朝廷の役人として取り立てて、并州問題を片付けてしまう。
「取ったどー!」
と言いながら劉亮の元を訪れる曹操。
取ったのは并州という土地の事ではなかった。
そこに雑居する異民族たちの事であった。
「どういう事ですかね?」
多数の匈奴を引き連れて来た曹操に、劉亮はその意図を問う。
曹操はその前に、一人の漢人を劉亮の前に出させる。
「まずこの男を紹介しておこう。
張既といって、孝廉と茂才で推挙された男だ。
馬騰の説得なんかをしてくれた優秀な男だよ」
張既は恐縮した態度ではあるが、劉亮を見る目には少し敵意が混ざっている。
無理もない。
張既は司隷校尉の鍾繇の下で交渉事に当たっていた為、劉亮が引き起こしたとされる騎馬民族大流入事件に対して迷惑させられていたのだ。
まあ劉亮は、彼の事を前から注目していた荀氏以外の曹操家臣団からは嫌われているから、今更一人くらい敵視する者が増えてもどうという事はない。
曹操は話を続ける。
「この張既を伴って并州を下し、現地を見聞して来た。
并州には匈奴や羌族が多数暮らしている。
だったら大々的に匈奴や羌族を長城の内側に住まわせようと思ってな。
そして、この者たちにも法、統治、行政、兵法、その他色々教え込む。
お前はこの張既と共に、その任に当たって欲しい。
好きだろ? そういうの」
劉亮の「三国志」知識は割と断片的だから、曹魏の異民族政策までは詳しくない。
曹魏は北方民族に対して、やたら強い帝国だった事は知っている。
しかし曹操が、北方民族を敢えて長城の内側に住まわせ、そこで国造りの基礎から叩き込んだ事までは知らなかった。
後の五胡十六国時代の嚆矢となった永嘉の乱、そこで匈奴を率いた劉淵は曹操によって組織化された并州の五部匈奴出身である。
曹操によって国家の運営の仕方を学んだ劉豹の子が、当時の西晋の朝廷に招かれて更に知見を深めた後、混乱した晋を滅亡に追いやったのである。
そんな事までは知識が繋がっていない劉亮は、匈奴や羌族への偏見が全く無い為、并州内部に彼等を住まわせる事には反対しない。
それどころか歓迎もしていた。
その一方で、国家内国家を作るような曹操のやり方に疑問を覚える。
外国人としての居留は良いが、彼等が纏まって定住し、やがて自分たちの文化や体制を持ち込んだ共同体が出来ると、次第に共同体外部への迷惑行為が頻発するようになった「実例」を劉亮の中の人は前世で見ていた。
特に民族と宗教の双方が違うと致命的。
摩擦が生じ、お互い相手を相容れない存在として戦争すら始まってしまう。
だから北方民族による漢帝国内国家について改めて尋ねると、曹操は
「それで逆らうなら、それまでの事だ。
俺が弱いという事だろう。
だが、俺は負ける気がしない。
匈奴は強者に従う。
俺という強者の下で、匈奴も発展すれば良いのだ」
なんて言ってのけた。
随分な自信である。
だが劉亮は、そこに曹操の矛盾を見つけてしまう。
曹操はかつて、皇帝も三公も権限を制限し、枠組みの中で仕事をすれば佞臣が国を乱す事は無いという政治観を示した。
人治主義を改め、法治主義を用いるものと劉亮は解釈している。
曹操自身は、その枠を構築したいから、枠外に居たい。
そこまでは百歩譲って認めるとしよう。
だから皇帝になんか、なっている暇が無いのだろうし。
だが「俺は強いから、俺が抑えられる、その中で敵対するかもしれない勢力を成長させる」というのは如何なものか。
自分だから可能という自信を根拠にした、これも人治主義ではないだろうか?
それを言うと曹操は
「劉叔朗ともあろう者が、随分と視野が狭い事を言うなあ。
匈奴には立派な国を作れないと言いたいのか?」
なんて聞き返して来る。
「国を作れないなんて言ってない。
匈奴も羌族も立派な国を作るでしょう。
それを抑える人間が、貴方という個人に頼るのがおかしいと言っている。
貴方、個人の力量に頼らないやり方が良いって言いましたよね?
それと矛盾してるんじゃないか、って事ですよ」
成る程、成る程と頷きつつも、曹操は笑いながら
「やはり料簡が狭い。
俺は匈奴たちが立派な国を作ったら、もうそれで良いと思っている。
確かに俺という人間が居て成り立つやり方なのは否定しないが、俺が死んだ時には勝手にやっていけるようになっているだろうし、それ以降は俺の手を離れるのさ。
匈奴たちが漢がおかしいと思って、代わりに統治したいと言うのなら、任せて良いだろう。
そういう能力を持っているなら、の話だが。
こいつらに見限られるような国になっているなら、それはその時の人間の問題だ。
だが俺は、漢も匈奴もしっかりした国として、そのまま後世まで続けていける枠組みを作る。
その間だけ余計な事をさせないよう、抑え込めたらそれで良いのさ」
と返した。
確かに文明化された遊牧民は、無闇に他国を侵略しなくなる。
劉亮の中の人の前世において、あのモンゴル帝国の末裔たちも随分と穏やかになっていた。
その意味では曹操が言っている事は正しい。
しかし、そうなるまでにどれだけの時間が掛かったのか。
曹操の一生分では間に合わないだろう。
(曹操って、前も思ったが結構理想主義者な面があるな。
現実主義者、冷徹なマキャヴェリストな面と、浪漫主義者、理想主義者な面が共存している。
言っている事は、歴史の長い目で見れば正しい。
しかし、この数百年程度では上手くいかない事を、俺は前世の記憶で知っている。
漢……というかその後継国家の、更に後継国家がシステムなんか存在しない無茶苦茶な状態になってしまい、曹操の理想は実現されない。
更に国家運営を覚えた北方民族とはいえ、まだまだ狂暴な面を残していた。
これから始まる三国時代の数倍の年月、中華の地は壊滅状態に陥るのだが……)
そうでなくても、つい数年前に北方民族がやって来て漢を荒したばかりではないか。
多くの者は、そんな蛮族をわざわざ長城の中に住まわせる事を嫌がるだろう。
砂金の交易市場ですら制限されたのに、その逆を行う。
そんな蛮族を今から育て始めたら、やってはいないが自分のせいにされている「大海嘯」以上に漢の地に惨禍を招く未来しか見えない。
劉亮はそう思いはするが、それを上手くは説明出来なかった。
それを話すと、誰が漢を簒奪するか、その後に曹操の子孫たちがどういう運命を辿るか、更にまだ登場しないあの人の運命も変えてしまう。
そこまで踏み込んだ歴史改編をして良いか、劉亮の中ではまだ踏ん切りがついていなかった。
だからその事は置いといて、別な事を聞いてみる。
「国を作るという事で、私が役に立てる事は無いと貴方は知っている。
私にさせたいのは、黄金の調達が目的ですな?」
曹操はニヤリと笑う。
「そうだ。
お前に儒者のような仕事は合わない。
閉鎖された并州の交易所を再開・拡大し、もっと多くの砂金を得られるようにせよ。
本初……袁紹が開いた交易市場だけでは足りない。
以前、酔ったお前から聞いたが、北の民族は黄金の文明を築いたのだろう?
青州でお前がやった金貨政策は、青州と幽州の一部だけだから出来た事。
他でやろうとすれば、金の量が俺の領地どころか玄徳の領地ですら足りない。
だからもっと黄金を得るのだ。
遠征して奪いに行っても良いが、お前、詳しい場所が分かるか?」
「いや、分かりませんね。
それに、知っている場所で取れるのは砂金で、砂金掬いは過酷なものですよ」
「だろうな。
だから、住んでる人たちにやって貰う。
砂金を多く採れば、彼等の生活が豊かになると教える。
豊かになって、お互い殺し合うようなら意味が無い。
だから彼等にも、法で統治された安定した国を知って貰う必要がある。
全部繋がっているんだ」
曹操が言っている事は、よく理解出来る。
だがそれでも引っ掛かるのは、これは共存共栄を謳いつつも、基本は曹操の都合で物を言っている事だ。
本人は善を為しているつもりは全く無く、
「確かに俺が得をする。
同時にお前も得をする。
そして匈奴たちも得をする。
何の問題が有る?」
と嘯く事だろう。
本当にそれで良いのか?
彼等が望んでいない……それ以前の問題で知りもしない、必要を感じていない様式に変更させて
「どうだ、便利になっただろ」
というやり方が正しいのかどうか。
その社会ならではの個性を消してしまわないか?
という疑問を感じる。
だがこれは21世紀の価値観を持つ劉亮の中の人だから引っ掛かる事で、当の匈奴たちが納得するなら、とこの事は口にしない事にした。
交易の件は、まだ続きがあるだろう。
ここに馬騰を説得した張既が居る事で、劉亮はそう思う。
「話は長城の北だけではないね?
恐らくは西域、涼州の更に西側を見据えての事でしょ?
だから張既殿を私に引き合わせた」
曹操は大笑いして肯定する。
「そうだ。
まあ、お前の事だ。
西域の事は考えていたのだろう?
西域の事もお前に任せたい。
それに当たって、馬騰に入朝するよう張既を通じて命じておる。
高幹を下した時、馬騰は俺の望みに応じて中立を守り、その結果韓遂と戦いになったそうだ。
だから韓遂はともかく、馬騰なら見込みはある。
馬騰が従えば、他の涼州の群雄も従えよう。
その後は、絲綢之路を使っての交易を行おう。
叔朗、お前の好きな葡萄酒も手に入ろうぞ」
(こいつ、俺を酒好きだと思って、それが餌になると思ってやがるな……)
文句はあったが、とりあえずは曹操の指示に従おう。
砂金の入手とか、彼にも有難い事もあるのだし。
確かに何事も繋がっている。
「あ、そうだ」
曹操が思い出した事を口にする。
「并州攻めで敵味方に多数の怪我人が出た。
全部連れて来たから、例の医者の腕を見る試験に使ってくれ。
被験者が多い方が有難いだろ?」
……曹操がやる事って、何事も繋がっているんだな。
面倒事にさえも……。
おまけ:
永嘉の乱で西晋があっさり負けたのは、匈奴が強かった他に、司馬一族同士の内乱「八王の乱」でズタボロになっていた事も理由です。
その前に、三国を統一した司馬炎が大軍縮し、全土で官軍は八千人にまで減らしました。
すると地方王の司馬氏は、自前の戦力強化の為に北方民族を傭兵とする。
北方民族は長城の南側に大量に入り込んでいた訳でして。
おまけの2:
劉備が軍営を移した高唐県にて。
劉展「ヒャッハー!
商売女だ、遊女だ、娼婦だ!
この高唐郊外は天国だぜ!」
劉備「徳公……お前も簡家から嫁を貰ったんだから、いかがわしい宿に行くのはそろそろ控えろよ……」
劉展「玄徳兄、俺は分かってるんだよ!
臨淄は儒学者が多くなり過ぎて、息苦しくなったんだろ?
だから徳然兄に任せて、こっちに移ったんだろ?
俺も臨淄じゃ息抜きが出来なくて仕方なかったんだ。
だから、見逃してよ、な、玄徳兄!」
劉備「……せめて俺に見つからないようにしろよな」
劉展「流石、話が分かるぜ!
行って来ま〜〜す!」
数日後……
田豊「劉平なる者から、劉展殿が遊びまくった遊女屋の花代を払えと請求が来てます!
左将軍の親族なのですから、キッチリ管理なされ!」
劉備「あの馬鹿、一体どんな事をしたらこんな料金になるんだ?」




