建安の徳政令
劉亮は前世において日本史を勉強している。
ここで「徳政令」という借金棒引き命令を学んだ。
これは悪政とも言われる。
何故なら、借金が無くなるだけで、借り手が貧乏金無しな事に変わりはない、それなのに借金を消滅させられたら、今度は貸し手が貸し控えるようになってしまう。
結局貧乏人が苦しむ事に変わりは無い。
更に貧乏人は、どうにか相手に媚びまくって新たな借金をした後、徳政令を求めて一揆を起こすようになる。
徳政令を繰り返せば、政府の信用も失われていく。
慎重に行わねばならない。
劉亮が行う徳政令には、前提として既に借用書が無意味になっている事が助けとなる。
通貨はクズ同様の董卓五銖銭に置き換わった。
天下の銅銭が集中した所で、この改悪を行って相当量の銅銭がクズ銅に作り替えられ、更に董卓が通用を強行した為、金貸したちはまともな返済がされないと諦めたのである。
だが彼等は、改鋳前のまともな五銖銭を地下に埋めて隠したように、借金の証文も捨ててはいない。
だから通貨が復活したと同時に、その証文を振りかざして来る可能性があった。
「それで、元の五銖銭を再発行するという布告と共に、現在の証文は全て朝廷が回収し、新五銖銭との引換券と交換する。
それで借金は全て朝廷が払い、元の借主の債務を消滅させる。
この時期に回収に応じなかったなら、以降の証文は一切無効とする。
これを皇帝陛下の何かの祝い事にかこつけて行いたいが……」
ダメ出し要員に回って貰った孔融だが、基本的に儒学の大家であり、批判が多い事に変わりは無い。
今まで反発して政務を妨害して来た連中と違うのは、彼が劉亮に好意を持っている事くらいだ。
だから、まず孔融を納得させないと話が進まない。
「陛下の徳を示すのは良い事だ。
だが金貸しで儲ける者も救済する形なのがダメだ。
天の恵みを享受する生き方ではなく、物や銭金を右から左へ移すだけで利を得る彼等は、寧ろ罰せられるべき存在だ」
儒学的にはそういう理屈になる。
一方、司徒府ではなく大司農という財務担当官庁からは
「朝廷からの出費が多く、認められない。
借金はした方が悪いのに、何も無しでは、だらしない者たちを甘やかすだけではないか」
と反対意見も出て来る。
前者は通貨発行権がある政府なら、普通は悩まない話だ。
国庫からの出動が多いのなら、通貨を増やせば良いだけだから。
だが銅本位制の漢朝では、銅の保有量によって通貨量が制限されてしまう。
故に通貨量を無闇に増やそうとすると、銅の量と工数を減らして悪貨を作った董卓の二の舞になってしまう。
後者については、別の対価を考えているが、それもどのようにしたら良いものか。
簡単なら甘やかしと言われるし、過酷なら秦の始皇帝のように不満を貯めてしまう。
劉亮に見えている問題は他にもあった。
それは霊帝の時代、全国に重税を課した結果地方では銭不足、首都に集めた結果洛陽ではインフレを起こした事である。
インフレという概念すら、この当時の人は誰も知らない。
曹操すら、中央と地方の銭の偏在には気づいたものの、それが異常な物価高騰を招いたメカニズムには気づいていない。
彼すら、生産量を増やせばその分儲けに繋がるという経済論から脱していないのだ。
銅銭を、質を下げて量を増したのは誤り、銅そのものを増やせば問題無いという考え。
経済規模に見合った通貨量という考えは、後漢時代人が気づく方がおかしい。
何故なら、戸籍等の統計こそしていても、人民の総生産量なんて統計は存在せず、家計とか個人消費量なんてものも分からない、だから経済規模なんて知る術が無いからである。
かつての青州のように、人口が減った上にインフレよりはデフレ状態だったなら、通貨総量も少なくて済んだ。
司隷校尉部・豫州・兗州で同じ事をしても上手くはいかない。
青州は古い調査だが、戸数六十三万戸、人口三百七十万人。
戦乱で戸籍人口は三百万人を割り込んでいた。
豫州は戸数九十六万戸、人口六百万人。
兗州は戸数七十三万戸、人口四百万人。
司隷校尉部は戸数六十二万戸、人口二百八十万人。
やはり戸籍人口は減っているとはいえ、曹操の支配地域の約一千万人に対し、三百万人弱用の政策がそのまま使える事はないだろう。
更に曹操支配地域の経済は、青州よりも発展している。
それがどれくらい発展しているかの指標は存在していない。
「統計が無いと、正確な事が判断出来ない……」
経済を計る統計だけでなく、流民発生の為に人口の実態がまるで分からなくなっている。
苛政や戦乱に耐えられず、農民が土地を棄てて逃げてしまう。
豪族の庇護下に納まり、部曲となるならマシな方。
黄色い頭巾をつけたり、盗賊となって、更に流民を発生させる側に回ってしまうのだ。
劉亮や曹操は、そういった流民を屯田兵として自領に住まわせる。
このやり方は全国に広まり、大概の群雄は真似をするようになった。
劉備が「劉亮が手本を示せば、それが天下の為になる」と見たのは、これが一因だ。
だが、この流民には戸籍が無い。
曹操はとりあえず兵戸に入れて人数は把握している。
だが彼らは食糧生産には寄与するが、徴税対象ではないのだ。
これにも儒が影響している。
中国では本貫を大事にする。
先祖が住み着き、代々そこで暮らしていくのが理想とされた。
そして郷里で先祖を祭っていく。
だから先祖代々の居住地・本貫が戸籍の基本となっていた。
しかし乱世において、本貫を棄てて流浪する者が増えている。
彼等を何処かに住まわせても、そこは本貫ではない。
だから税が取れない。
青州の劉亮や、曹操は「収穫の半分を出せば良い」としたが、かなりのどんぶり勘定だ。
貨幣経済復活の後は、こんな税制ではやっていけない。
劉亮の前世の記憶「史実」では、後漢期は四千万人だったのに対し、三国時代終了時の総人口は四百万人程度と激減していた。
これは戦乱での死亡もあるが、戸籍を離れて統計に入らなかった分が除かれた事もあるだろう。
そして差分の人口の内、一部は豪族の荘園の民となり、やがて彼等は軍事力提供の見返りに荘園は非課税という特権を勝ち得て、経済力もつけてやがて貴族になっていく。
通貨の混乱、税収の不足、表向きの人口の激減、貴族社会への変遷はセットなのだ。
そんな先の事は兎も角、劉亮は現在の情報を得ようと現住所による戸籍作成や、収入状況の調査をしようとしたが、やっぱり儒学系の人間に反対された。
彼等が本貫の地に戻ってからすべき事だ、と。
辛うじて孔融が
「原則は本貫地を聞く事とし、その上で現住所を登録し、そして暫定のものとするなら良いだろう。
本貫地を答えた者は、本貫地での戸籍に入れる。
税に関しては、本貫地を離れているから取れなくて仕方がない」
と妥協案を出してくれた。
なお、孔融を知る者からすれば、これは驚くべき事なようだ。
彼は基本、批判しかしないのだから。
同じ元青州牧で、民の為に尽力した事を知っているから、協力してくれたのだろう。
だが今度は曹操の部下たちが反対する。
現住所といっても定住している訳ではない。
彼等は気に入らなければ、また開墾地を棄てて逃げてしまう。
徴税前提の戸籍作りなんかしたら、逃げ出すに決まっている。
そうなれば折角の兵力も、食糧生産も無くなってしまうではないか。
反対意見に対し、交渉してどうにか宥めている劉亮だが、彼にも問題があった。
それは、前世を含めて彼は財務の専門家ではない事だ。
交渉は得意だが、国家どころか会社の財務自体やった事はない。
この戸籍の事も、「土断法」という後世にやった事を知っているから出した案であり、ここまで反発されるとは予想外だったのだ。
先に進まない事を、荀彧が曹操に伝えたのだろう。
ある日、劉亮は曹操に招かれて酒を共に飲む。
「俺が何故、玄徳からお前を十年借りたか分かるか?」
「貴方が俺の知識を使う為でしたよね」
「いや、聞き方が悪かった。
十年という期間の意味が分かるか?」
「その間に結果を出せと、期限を切った……」
「それもあるが、言いたいのは違う。
十年掛けて良いのだ。
今すぐに出来るとは思っていない。
というか、俺はお前が青州でやっている事を知り、同じ事をしようとしたんだ。
お前と同じ問題にぶつかった。
だから、これは時間を掛けるべき事だって分かったのだ。
俺は銅銭や戸籍の事だけやっている訳にはいかん。
お前にも別の事もして貰いたい。
だから、この件はじっくりやって良いんだ」
曹操の意外な言葉に劉亮は驚く。
彼は「早く結果を出せ、出さねば殺す」と言うタイプだと思っていたからだ。
その事を口にすると
「時と場合による」
と否定はしなかったが。
曹操は更に有意義な事も言って来る。
「建安十四年(209年)は陛下即位二十年に当たる。
その年に借金棒引き政策を実行せよ。
五年もあれば諸々準備が整うだろう」
即位二十周年記念の恩赦のようなものだ。
妥当な期間、タイミングだと劉亮は頷く。
すると曹操は笑い出した。
「叔朗、お前は忘れている事があるぞ」
「何でしょう?」
「どうして陛下があと五年生きていると信じ切っているんだ?」
そう言えば、後漢の皇帝は短命な者ばかりであった。
「史実」で献帝劉協が五十三歳まで生きると知っていたからつい頷いたものの、何も知らなければ建安十四年の二十九歳は危険だと思うだろう。
父の霊帝は三十三歳で逝去したのだし。
そういえば……と思い出したような表情の劉亮に、曹操は仕事を追加する。
「俺としても陛下にはもっと生きて貰いたい。
幼帝でも構わないが、即位の礼とか大喪の儀とか面倒臭くてかなわん。
お前としても、来年陛下が崩御されて、即位の礼にかこつけて即借金棒引きを、とかは大変だろ?
だから暫くはこのまま行きたい。
それで、だ。
司徒としては陛下から百姓まで、皆の健康が大事だと思わんか?」
「そうですね」
「じゃあ、それも君の仕事だから」
「は?」
「君が医者じゃない事は知っているが、君は医に関しても何かを知っているように感じる。
それを出して貰おう」
確かに劉亮の中の人には未来知識が詰まっている。
後漢末期でも実行可能なものは幾つかある。
それも指導しろと言っている。
「じゃあ、君の活躍で陛下がこの先も健在である事を望む。
何だっけ?
徳政令だったか。
逝去等により年号が変わらず、建安の徳政令として実行されるよう、俺は見守っているからな!」
さりげなく強引に仕事を追加する曹操、政治に於いても実に食えぬ男であった。
おまけ:
劉亮の中での自問自答
「単純な借金無効化じゃないから、厳密には徳政令じゃないよな」
「名前なんてどうでも良いだろ!
他に適当なもの思いつかなかったんだから!」
「金貸しどもが、霊帝時代の古証文とか持ち出して来るかな?」
「しないと前提して政治を進めたら、後で痛い目に遭うからな」
「それならいっそ、烏桓族使って誰か一人を殺せば、色々言って来る奴いなくなるんじゃね?」
「誘惑するな!!
時々それをしたくてたまらなくなるんだ!」
解離性障害のように内心で問答を繰り返す程に、劉亮さん朝廷では疲れてますので、いたわってやって下さい。




