劉備と劉亮
劉亮は許都を離れ、青州臨淄城に帰還する。
劉備は冀州を完全に袁煕に任せ、その大器を更に讃えられた。
幽州仮牧には田豫が任じられる。
「仮」というのは、烏桓に亡命した袁尚が帰参した時に譲るという意思を含んでいた。
袁煕は劉備に感謝し、弟に帰参を呼び掛けているが、袁尚の方が意地を張って帰って来ない。
こういう事もあり、袁煕は完全に劉備に魅了されてしまい、袁家は劉備配下の有力氏族となる。
劉備の領国は幽州・冀州・青州・東徐州となった。
并州は高幹が独立勢力となってしまう。
そして高幹は郭図を軍師に迎え、袁煕、曹操、馬騰、韓遂が并州を手に入れようとする為、当分の間強豪勢力とくっついたり裏切ったりという遊泳を続ける事になる。
曹操は劉備に、左将軍の地位はそのままに宜城亭侯の爵位を贈る。
袁煕に対しても冀州牧、後将軍、護匈奴校尉の印綬を贈っていた。
これで劉亮が応じれば、河北と河南との間には十年の平和が訪れるだろう。
「兄者、一旦帰って来ました」
劉亮の帰還を、劉備は予想していたようだ。
「どうだった?
曹操は面白い話をしていただろ」
座を進めながら劉備は笑う。
「その事で兄者に聞いておきたい話がありまして」
「うん、叔朗ならきっとそう来ると思っていた」
どうも曹操も劉備も、こういう展開になると分かっていた感じである。
「兄者は私が曹操の下で働くのは天下の為と言いました。
今もその考えに変わりはありませんか?」
「うん、変わらない」
「確かに天下の為、民の為にはなるでしょう。
しかし、それだと曹操だけが強くなる。
曹操は自分の領土で豊かになるのを示せば、群雄は皆それを見倣い、やがて争う必要が無くなる、そう言っています。
兄者は最終的には曹操に屈服する、もしくは共に歩む、それで納得するのですか?」
劉備は笑った。
「如何にも曹操らしい傲慢な言いようだな。
叔朗、徐州を見てみなよ。
あそこの住民は、如何に曹操が善政を敷こうが、決して曹操の下には入らないと言っている。
うちだけじゃなくて隣の西徐州にしてもだ、曹操は直轄を諦めて、徐州に関わりがある者を使った間接統治をしている。
人の恨みなんて、そう簡単に消えやしない。
お前の頭の中を利用した曹操の新しいやり方、きっと徐州の民も受け入れる。
だけどそれは、俺が見倣った場合だな。
曹操のやり方では絶対に受け入れない。
いいか、誰がやろうが良い事は良い事……それは通じない。
誰がやったかってのは結構大事な事なんだ。
だから、お前の頭の中にある凄い事を、曹操が形にしたとする。
それで天下が良くなれば万々歳だ。
だけど、やったのが曹操のままなら、ここの民は拒否する。
それで、俺が俺のやり方に改める。
ほとんど同じだとしてもな。
そうすれば、ここの民は納得するって事だよ」
「つまり、私の案を曹操が実現する事自体は良い事。
そして、それを兄者が実行すれば、曹操を恨む者も許容するって事ですか!」
ワンクッション置くという理屈である。
劉備は更に続ける。
「俺を間に挟むってのは、恨みだけの話じゃない。
人間、感情ってのを持っているんだ。
例え良い物と分かっていても、昔ながらのやり方でいきたい人も居る。
それを曹操に言ってみな、徹底的に論破されるか、無知を煽られるか、酷い場合は処罰されるんじゃないか」
その可能性は結構ある。
「だから俺が必要なんだ。
俺なら皆、文句も言いやすいだろ。
俺なら、話を聞いてやれるだろ。
俺なら猶予期間を作ってやれるだろ」
「ですが、それは結局曹操の下の地方役人って事になるじゃないですか」
「これだけを見ればな。
世の中、曹操は嫌いだ、董卓じゃ嫌だ、俺も嫌いだって奴はごまんと居る。
そいつらがそれぞれに生きていける場所が必要なんだよ。
良い事は良い事、お前の頭は天下の役に立てろ。
でも俺は、曹操には屈服しない。
俺を求める民が居る限り、俺はそいつらの為に戦うんだよ」
曹操以外の選択肢、それは分かった。
だとしたら、劉備以外の選択肢を求めて割拠されないだろうか?
「そうなったら悲しいな。
だけど俺は、俺を嫌いな奴でも守ってやるつもりだぜ。
俺の天下は、俺を好きな奴も嫌いな奴も暮らしていける世の中だ。
才能がある奴も、才能が無い奴も生きていける世の中だ」
劉亮は初めて劉備の描く天下像を聞いたように思う。
劉備にしても、公孫瓚、陶謙、呂布、曹操、袁紹と見て来て徐々に構築した考えかもしれない。
なるほど、曹操の世は才無き者、旧来の生き方を望む者、曹操を嫌いな者には生きづらい世かもしれない。
「兄者は……皇帝になりますか?」
劉亮は思い切って聞いてみた。
劉備は以前は迷っていたが、どうやら迷いが消えたようで、
「俺は、天命がそれを望むなら、皇帝になる、いや……なりたい」
そう断言した。
劉亮、というか中の人は何か熱い思いを感じてしまった。
「叔朗、覚えているか?
子敬叔父がまだ元気だった頃、皇帝の車に乗りたいって言ったら、怒られちまったよな」
「ええ、覚えています」
「だけど俺は劉氏だからな。
俺は皇帝になる資格を持っているんだよ。
劉氏ってだけで十分だ。
今の漢の世は変わらないと民の為にならない。
だけど、世の中には漢でなければならない奴等もいる。
劉氏の俺が皇帝になれば、漢にして漢ではなく、中身は変わったけど、やはり漢って世の中になろうよ」
「よく分からないんですが……」
そう言いつつ、劉亮はかつての盧植の遺言を思い出していた。
正しい後漢に導けというもの。
時代は変わっているのだから、そんなの無理だと思いつつも、心の何処かに引っかかっていた。
袁紹陣営を見ても、既知のやり方なら結局末期後漢になってしまう。
正しい漢に近づくには、後漢そのままを踏襲せず、どこかを変えないとなるまい。
劉備は何となくそれが分かっている。
漢でありながら漢でなく、それでいて理想の漢に近い。
盧植の遺言は、兄に託そうか。
そして曹操のやり方の地と、劉備が盧植の夢と同じ道を行く地の二つがあって良いのではないか。
「細けえ事ぁどうでもいいんだよ。
改革するにせよ、新しいやり方を始めるにせよ、他姓の者じゃなく、劉姓の俺が皇帝になって始めた方が何かと問題は無いだろ。
実際、袁紹殿だって劉虞殿を擁立しようとしたんじゃないか。
俺で十分なんだよ」
「いやあ、我々は幽州の貧乏劉氏だし、納得しない人も多いでしょうね。
特に同じ劉氏ならば」
「納得しなくても、俺は許す」
「はあ……」
「誰もが俺を褒め称えなくていいんだよ。
誰もが有能じゃなくていいんだよ。
人なんて、そこで安心して生きていけたらそれで良い。
深く考える必要はない、どんな奴にも生きる資格はあるって事だ」
曹操に比べたら、劉備の言っている事は無茶苦茶だ。
だが、曹操に疲れた人には妙に気持ちが良い。
「叔朗、曹操の奴はお前の知があれば、戦わずして俺が従うだろうと言ったそうだな」
「はい」
「逆かもしれないぞ」
「逆?」
「むしろ戦ったら俺は勝てない。
戦わずにいたら、十年くらいは皆がお前の知を用いた曹操をもてはやすかもしれない。
しかし長続きはしない。
一通り凄さを実感したら、安らぎを求めるようになるだろう。
激しい変化続きなんて、人には合わねえ。
その時求められるのは……」
「兄者、劉備玄徳!」
「俺に言わせろよ」
兄弟は思わず笑う。
「お前が天下の為に知を活かした後は、俺と曹操の器比べさ。
戦わない、だがそれでも俺は天下を狙う。
俺の器が勝れば、武力を用いずとも民が俺を選ぶだろう」
劉亮の中の人にしたら、自分が曹操の下で働いても劉備のマイナスにはならないと言ってくれた事、そしてどのような状況でも天下を目指すという事で、気が楽になった。
「では、兄者。
私は十年の間、曹操の下で働いて来ます。
私は司徒に任じられるそうなので、天下の役に立つよう努力します」
「は?
司徒?
曹操、何考えてるんだ?」
「ですよねー。
聞いた時、吃驚しましたよ」
「頭に来るなあ、曹操が俺の驚くような事をして、それが成功した事に。
俺は曹操が言って来る事には驚かないようにしていたんだが」
「えーと、どういう意地の張り合いなんですか?」
「あいつ、無茶苦茶だからさ。
俺としては負ける訳にいかなくてな」
「……確かに兄者も無茶苦茶ですな。
私は振り回されてばかりです」
「悪いが、これからもお前を振り回すからな。
めげずについて来い、我が弟よ」
「ついて行く選択肢しか、私には有りませんよ」
こうして劉亮は劉備の元を一旦離れ、許都に出仕する事になった。
「……で、何故陳羣殿もここに居るのですか?」
「曹操殿に呼ばれ、左将軍が許可したからです。
私が近くに居ないと、州牧……いや司徒閣下はやっていけないでしょう?
汚れ仕事とかを厭うから、発破をかける人が必要って意味で」
「陳羣殿ぉぉぉぉ!!
ここでも私の尻を蹴る役目を果たすつもりですかぁぁ?」
「いや、叔朗も慣れ親しんだ仲間が居た方がやり易いだろう?
陳羣は、曹操陣営の尚書令(荀彧)、軍師(荀攸)の推挙だ。
劉備に先に取られて残念に思っていたから、こうして迎えられて良かった。
まあ劉亮の手綱を持つのが仕事ではなく、別の仕事をちゃんと用意している」
「強引ですね」
「ああ、俺は強引だ。
なにせ、お前たちを劉備から借りていられるのは十年だけ。
その十年の間に結果を出して貰うぞ。
出せなかったら、首だけにして劉備に返す」
「今すぐ司徒の職を辞して、青州に帰らせて貰います……」
「十年も有れば、結果の一つや二つ出るから大丈夫だ。
でもまあ、緊張感を持って働かないと、人間だらけるからなあ」
司空府で曹操、劉亮、陳羣が話している。
話には入って来ていないが、ここには荀彧も控えている。
「曹操、どうしても聞いておきたい事がある」
「なんだ? 改まって」
「あんたの天下は、どういう天下を目指しているんだ?
その天下で、あんたは何をする?」
曹操は良い笑顔で答える。
「よく聞いてくれた!
俺の天下は、俺がやりたい事を出来る天下だ!
そのついでで、才ある者がその才に相応しい生き方を出来る世だ」
「殿……本命とついでが逆ですぞ」
「逆じゃない。
俺の天下は俺のものだ。
荀文若、お前の天下はお前のもの。
民が抱く天下は民のものだ。
俺はどっかの誰かのように、民の為なんて綺麗事は言わない。
俺は俺の好きなようにやるし、その結果として民が暮らしやすくなるなら、それで良い。
俺は俺以外の者の天下に対して、ああだこうだ言うつもりはない。
俺に着いて来たい奴は着いて来れば良いだけだ」
「という事は、私の天下も有るって事ですか?」
「その通りだ、劉叔朗!
俺に阿る必要は無い。
俺の下で、お前はお前のやりたいようにやれば良いんだ。
お前がやりたいようにやれば、それが天下の為になる。
責任は俺が持ってやるから」
「しかし、司徒と司空では司徒の方が上位。
曹操殿は劉亮殿より身分が低くなるのですが……」
陳羣のツッコミにも曹操は動じない。
「俺は何でも良いんだよ。
司空だろうが、兗州牧だろうが、頓丘県令だろうが、洛陽北部尉だろうが。
俺は今、自分がやりたい事を出来る。
だからお前たちも、やりたい事をやれ。
官職なんて、その為の道具でしかない」
「皇帝という役職もですか?」
思わず荀彧がギョッとした目でこちらを見て来る。
曹操は苦笑いしながら
「皇帝には……俺はならん。
皇帝なんてものになったら、やりたい事なんか出来ん。
俺が考える皇帝は、社稷を祭り、臣下の声を聞く以外の事はしてはいけないものだ。
皇帝に天下の政治への権限が有ったから、後見人に過ぎない外戚が皇帝の権威を使って好き放題し、身の回りの世話を焼くだけの宦官が皇帝の声を代弁して力を持ったのだ。
だから皇帝は天に対してのみ責を負う者。
天子、皇帝とはそのようなもの。
俺は天の上でなく天の下を好き放題に生きるから、皇帝にはならん」
「劉亮殿、陳羣殿、ここで聞いた事はどうかお忘れ下さい。
殿はご主上をお守りする者であり、そこに叛意等は有りませんから」
荀彧が焦りながらフォローをしている。
(まあ、良いか。
こんな自由な感じ、久しぶりかもしれない。
どこまで出来るか分からんし、大きく歴史を変える事には今でも抵抗があるけど、やれるだけやってみようか。
それは天下の為だし、推しの劉備の為にもなるようだから)
こうして劉亮は司徒となり、民政分野で全力を出す事になった。
……言い方を変えると、そういう立場を押し付けられたのである。
おまけ:
劉備「貸したんだから、賃料払え」
曹操「徐州の東半分許可しただろ?」
劉備「うちの弟は北四州分の価値があると、軍師たちが認めているのだが?」
曹操「その通りだ。
劉叔朗にはそれだけの価値がある。
だからと言って、元所属にそれだけ払うと思うなよ。
あいつの価値はあいつの物で、雇い主の価値じゃない!」
劉備「『元』じゃない!
今もうちの所属だ!」
曹操「今すぐ『元』にしてやろうか?
滅亡したら叔朗も帰る先無くなるよな?」
劉備「んな事したら、青州の酒造所全部焼き払うぞ」
曹操「それは天下の為にならんから、やめろ!」
劉備「ところで、叔朗に倣ってこんな酒を造ったのだが……」
曹操「叔朗の二番煎じだな……。
まあ美味いから良いが……」
陳羣「司空殿と左将軍は一体何をされてるんですか?」
荀彧「敵対する前からあんな感じなので、気になさらずに」
荀攸「殿は煽る事が大好きですし、反撃されると生き生きしてまして」
劉亮(こいつらにSNS渡したら、レスバしまくって凄い事になるだろうな……。
つーか、煽り合いに急使用の伝令使ってんじゃねえよ!)




