劉備対曹操
曹操は劉備に対して認識を改めていた。
確かに底知れぬ大器の持ち主だが、能力は高くない。
やりたい事が多数あって、戦時でも平時でも暇な時ですら能力を発揮し続ける自分と違って、劉備は漠然とした目標を持つだけの男。
戦闘指揮や統率は上手いが、およそ兵法というものを知らない。
負けても負けても軍を崩壊させない手腕は認めるが、戦術に関しては自身が経験したものを真似るだけだから読みやすい。
その下で実際に軍を動かす張飛は中々の兵法家だが、目の前の戦場だけでなく、もっと大きな戦場を観る視野に欠けている。
目の前の戦場では戦闘巧者だが、それまでだ。
今まで大した敵と戦って来なかったから、もしも自分が張飛を部下に収めたら、もっと良い将軍に教育してやる自信があった。
曹操は劉備について、淳于瓊くらいなら撃破するが、袁譚・袁尚に対しては苦戦すると判断した。
冀州が地元の袁兄弟が手を組んで長期戦を強いれば、そういう戦いに慣れていない劉備は手こずるだろう。
数年に渡る泥沼の戦いとなり、全陣営が疲弊した所を襲えば、冀州はあっさり落とせる筈だった。
しかし、まさか二つの戦いであっさりと袁兄弟を叩きのめすとは。
軍師に田豊と沮授がついたようで、相当に侮りがたい将になってしまった。
自分の計算違いを認めた曹操は、腰を据えて劉備と対峙する。
袁譚は、不実であるとして同盟を切った曹操の元に逃げ込む。
相当な苦難の脱出行だったようで、身辺警護の数人のみを連れての到着であった。
曹操は袁譚を全く評価していない。
しかし、この男を立てる事で冀州攻撃の大義名分は手に入れられる。
内心はともかく、曹操は袁譚を丁重に扱った。
曹操は兵法の研究家である。
「孫子曰く、勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」
戦う前に勝ちを決めるのが名将というものだ。
曹操はまず、侵攻の大義名分を得た。
その大義名分を与えた袁譚を活用し、再度并州の高幹を動かす。
馬騰・韓遂の元には鍾繇を派遣し、出兵を要請する。
遼東の公孫度にも使者を送って、幽州の袁煕領侵攻を促す。
孫権にも使者を送り、徐州を南から攻めるよう要請。
自軍も曹仁を西徐州に派遣、夏侯淵を泰山に駐屯させて劉備領東徐州と青州を脅かした。
劉備・袁煕陣営は曹操によって半包囲されてしまう。
これに対し劉備は、魏郡南部には自身が、魏郡北部の鄴城には袁煕、清河国には劉亮と黄河北岸に兵を集中。
防御線の構築と、徐州から高順を呼び寄せて予備部隊とした戦闘態勢に入る。
高順が抜けた徐州には、劉亮の執事・楼煩指揮下の烏桓兵が遊撃部隊として派遣された。
曹操には劉備、というか田豊・沮授の思惑が透けて見える。
徹底した長期戦狙い。
防御線は一枚ではなく、多重に張られていた。
荒れた所領に負担をかけないよう、曹操軍は一万だけである。
それでも戦えば曹操の方が強い。
だから、第一防御線が破られたら、すぐに第二防御線に後退する。
防御線を破るのは簡単ではない。
第一を破って第二を攻撃している時、高順隊が神出鬼没に輸送部隊を襲う。
そういう戦い方が得意な并州騎兵の部隊だから、討伐には苦労するだろう。
そして第二防御線を突破しても、第三防御線に下がられるだけ。
厄介な戦い方だ。
だが……
「どういう事だ?
全戦力を南に貼り付けている。
俺を防ぐ事は出来るが、并州から攻める高幹に対してはがら空きではないか。
田豊、沮授という名の知れた軍師が居るのに、こうするのは理由が有るだろう」
曹操の疑問に、荀攸が見解を述べる。
「劉亮殿が何か手を打ったのではないですか?
この度の劉備の冀州入りで、劉亮殿は騎馬民族を全く動かしておりません」
「有り得るな。
黄河の戦いの折りは、そいつらにとんでもない目に遭わされた。
それが今回は動いていない。
動いた相手なら読みやすいが、まだ動いていない。
動くか動かないかも定かではない。
どう動くか分からん奴らは、始末に負えないな」
実のところ劉亮はそんな手は打っていない。
動かないで欲しいとしか言っていない。
今回は劉亮を過大評価する荀攸と、その意見を容れた曹操が影に怯える形になった。
その劉亮は、実は前線には居なかった。
劉亮が任された清河国の戦線は張郃に任せている。
自身は鄴に戻り、袁隗と色々話し合っていた。
劉亮は戦場の人ではなく、どちらかと言えば政治の人である。
政治能力も高いとは言えず、人との交渉が得意だ。
そんな彼は、冀州の人心を見た時に
「劉家が統治したら上手くいかない。
人々は袁紹の統治に満足し、懐かしんでいる。
袁煕に任せる以外の選択肢は無い」
と判断した。
だから袁煕の後見人である袁隗とは、あくまでも劉備を盟主とする事と、袁煕に全面的に冀州統治を任せる事を交渉している。
もっと砕けた言い方をすると、劉備陣営における袁家の立ち位置について話し合っていたのだ。
「本当に、本当に袁家を滅ぼす気は無いのだな?」
「そう言ってます。
可能なら袁尚殿も許したいと考えております」
「あれは気位が高い。
今更顕奕(袁煕)の下には居られないだろう……」
「袁尚殿の行動を追っていますが、彼は北方に向かっています」
「北……という事は烏桓……または鮮卑の地か?
あそこは寒かろうに……。
其方、顕甫(袁尚)の行動を把握しているという事は、北の地で顕甫を殺す気か?」
「……疑いが強いのは分かりますよ。
国を奪うとか、不義の限りですからね。
ですが、私は袁家の人は出来るだけ助けます。
義兄・蹋頓には亡命者が来たら無条件で受け容れて欲しいと頼んであります」
「そうか……顕甫は生きられそうだな。
もし帰国を願ったら、受け容れて良いな?」
「その場合、我が兄劉備を盟主として認める、袁煕殿を袁家当主として認める事が条件になります」
「それは当然の事だ。
ふう……。
しかし顕思(袁譚)は助けられないな?」
「はい。
曹操の元に行かれたのでは、どうにも……」
「其方は曹操とも仲が良かろう。
どうにか出来ぬのか?」
「多分、曹操の方が処置するでしょう。
それに口出しは出来ません」
劉亮との話し合いの後、袁隗は袁煕に
「冀州を任された等と油断するなよ。
劉家はお前を矢面に立たせる気だ。
劉家の拠点、幽州涿郡と青州が曹操の領土と接しないよう、冀州を袁家の所領として置いたに過ぎん。
確かに劉亮や劉備は袁家を滅ぼす意思は無いようだが、さりとて大事に保護するつもりも無い。
この冀州はお前が守り切らねばならんぞ、曹操からも、劉家からも。
駄目なら、弟(袁買)に挿げ替えられると思え」
袁煕も頷く。
彼とて劉備・劉亮の好意を無条件で信じてなどいない。
劉亮も警戒されている事は知っているが、それでも引き続き袁家との交渉は続けていかないと。
袁煕が劉備を上位概念として認めるのなら、滅ぼす気は微塵も無い事だけは理解して貰うのだ。
劉亮が鄴に戻ったのは、他にも理由がある。
上手く袁家を乗っ取ったとはいえ、不満分子は残っているものだ。
劉亮の心当たりは許攸。
洛陽時代、袁紹のサロンに居て、自分も会った事がある。
この男は「史実」では最大の裏切りをやってのけた。
官渡の戦いにおける、烏巣食糧庫の存在暴露。
これにより曹操は、烏巣焼き討ちを決行。
少数の曹操軍が大軍の袁紹軍を撃破する結果になった。
許攸は金銭に対して強欲である。
その家族も度々法を犯す行為をしている。
袁紹陣営内でも重要な役を任されないくらいに忌避されていた。
この男の去就が読めないのだ。
袁紹は何だかんだで器が大きかった。
西園八校尉の同僚・淳于瓊に同盟者としての立場を許し、許攸も「奔走の友」として傍に置いていたのだから。
しかし現在、許攸の居場所は無い。
大事にしてくれた袁紹は無く、現在袁家の実権を握っている袁隗は、儒学的な価値観から許攸を毛嫌いしていた。
許攸から見て袁煕は、友の子に過ぎず、従う義理も無い。
劉備陣営は儒学的価値観から遠いが、周囲からはそう見られていない。
なにせ青州は「儒学の国」なのだから。
そして、金銭に意地汚いのも問題だ。
通貨の混乱を、信用通貨という方法で収束した青州に、金銭にだらしがない人間は置けない。
早晩許攸は、同じく旧知の仲である曹操の元に走るだろう。
劉亮の前世・金刀卯二郎は世界各地で仕事をしていた。
だから許攸と同じ匂いのする者は、結構よく見て来た。
企業でも、現地武装勢力でも、政府内でもこういう人物は居たのだ。
自分が止める立場に居なかったのもあるが、こういう人物はなるようにしかならないというのが、金刀卯の見解である。
こっちの世界に来て結構人が悪くなった劉亮の中の人は、
(どうせ裏切るのなら、上手く利用出来ないものかな)
と考えている。
「殿、旧知の間柄の許攸の密使と申す者が訪れております」
ついに許攸は曹操へ寝返った。
曹操はそれが袁紹の参謀だった事を知っているから対面する。
『現在、劉亮は鄴に在り、前線には居ません。
劉備は内黄、袁煕は鄴に居てここの守りは固いのですが、魏県より東は手薄です。
東側を守る劉亮不在の今が好機です』
密書を読んだ曹操は、罠の存在を疑いながら兵を動かす。
「戦は苦手」とか言いながら、袁兄弟をあっさり撃破した厄介な男が前線を離れているなら、それは好機と言えよう。
黎陽から魏県に移動すると、そこから渡河して冀州内部に進出した。
確かに手薄であり、遮る物はないまま斥丘県を通過して東から鄴に迫る。
しかし曹操は鄴城まで数里の所で
「ダメだ、鄴の東側にも多重防御線が作られている。
側面攻撃など出来ない。
直ちに撤退する」
と判断。
それは正解で、川を渡って背水の陣となった曹操軍を、劉亮が居なくても隣郡にいる張郃が襲う手筈となっていたのだ。
ここで張郃に奇襲を受けて、南に向かって走った場合、待ち構えているのは内黄の劉備軍である。
かなり危険な状態だったが、曹操は神がかった戦術眼でこれを回避。
張郃が曹操の渡河と、東方防衛線に向かった事を知って出動した時には、曹操は物資すら放り投げて、侵攻時に使った魏県側からの撤退を済ませていた。
「なんと素早い大魚よ」
「折角罠に嵌まったと思ったら、もう逃げてしまいましたな」
「劉亮殿は良い仕事をされたようだ」
内黄の本陣で、田豊と沮授が曹操について語っている。
劉亮は「許攸が危険」と、「史実」知識を使って二人の軍師に相談していた為、この底意地の悪い罠を展開出来たのだ。
劉亮が鄴城で活動し、魏郡と清河国の中間地点が手薄だと教えたのは、田豊の策であった。
「さて、この先どうなりますかな?」
劉備軍はとりあえず曹操の撃退に成功し、今後の事を考える。
だが先に動いたのは曹操だった。
「劉備殿、袁煕殿に和議を申し込む。
是非とも話し合いに応じられたい」
使者としてやって来た鍾繇がそう伝えて来た。
「一体どういう風の吹き回しでしょうか?」
「しかし、冀州は疲弊している。
この申し出に乗って下さい」
田豊、沮授、そして劉備に鞍替えした旧韓馥家臣たちの要望で、劉備は曹操との和議に応じる事にした。
「劉備は和議に応じたか……」
「はい」
「南匈奴が不穏な動きを見せたから高幹は動かず。
公孫度は死亡し、息子が後を継いだばかりで兵を動かせず。
孫家の若造は様子見。
俺とした事が、これらを確認する前に軽挙した結果、罠に嵌まる所であった……。
今回の戦争はこれまでだ。
和議を纏めて撤収する」
曹操は果断である。
勝ち目が無くなったと見るや、すぐに停戦に踏み切った。
まだ国土は再建の最中、止めるなら止めるでさっさと決めた方が良い。
そして
「今回の戦争のきっかけを作った袁譚の首を、袁煕に届けてやれ。
それと裏切り者の許攸の存在もな。
もう知っているかもしれんが、俺からの誠意という事にしておけ」
こうして袁譚と許攸の運命は決まってしまった。
劉備と曹操の間に、一時的かどうかの平和が訪れようとしていた。
おまけ:
袁家のその他の人物の動向。
・荀諶:劉備に仕える。しかし息子の荀閎は弟の荀彧に預けて曹操に仕えさせた。
・崔琰:劉備に仕える。
・韓猛:淳于瓊軍に参加して劉備と戦い、戦死。
・高覧:袁煕に従う。
・牽招:袁尚に従うが、敗戦後に旧知の劉備を頼って投降、部下になる。
・応劭:袁煕に従い鄴に残る。
・審配:袁尚に従う。
・辛評:袁譚に従うも、袁譚敗戦後に袁煕に鞍替え。弟の辛毗は曹操に仕える。
・郭図:袁譚に従うも、袁譚が曹操に再度降伏した辺りで離脱、独自に抵抗を続ける。
・郭援:袁尚に従い、独自のゲリラ戦を続ける。
・袁買:袁尚に従おうとした所、袁煕・袁隗の説得を受けて袁煕に従う。
劉備の幕僚陣、結構強化されました。
特に穎川荀氏が仕えたのが大きいです。
高覧とか何人かは、「冀州の戦力が落ち過ぎても問題」として劉備に説得されて、そのまま袁煕の下に残っています。




