冀州掌握
鄴城に迎え入れられた袁煕は、漸く事態が呑み込めたようで、抵抗を始める。
彼はどちらかというと袁尚派であり、その弟と対決するのを嫌がったのだ。
それを大伯父の袁隗が一喝する。
「お前の兄と弟は、袁家を滅ぼしかねん。
お前が袁家を生き長らえさせるのじゃ!」
「しかし大伯父上、私には兄上のような豪胆さも、顕甫(袁尚)のような覇気も有りません。
私は母の身分も低い、天下に名乗りを挙げるには不相応な者です」
「分からんか?
だからこそお前が袁家の当主として良いのだ。
才有るお前の父は、確かに袁家を天下に最も近い場所まで導いた。
しかし、それは一歩足を踏み外せば地の底に落ちる危険な場所。
我が袁家は『四世三公』の家柄。
逆に言えば、三公で十分。
天下を取り、皇帝になるのは身を亡ぼす元なのだ」
それでも納得がいかない袁煕に、袁隗は溜息を吐きながら
「……本初がもっと生きておれば、三兄弟を天下人に教育出来たかもしれん。
兄弟対立を煽る家臣を追放し、お互い才覚で競い合うように導き、誰が天下人となってもおかしくない器量の持ち主とする。
その形での後継ぎ争いなら確かに良かったのだが……。
今のお前たちでは本初に遠く及ばぬ!
本初の真似事をして家を危うくする者より、お前のように一歩引く者こそ我が家を後世まで残すだろうよ」
と言った事で、袁煕は漸くこの大伯父が袁家を残す為に立った、そこに一点の曇りも無い事を理解する。
袁煕が納得しても、袁譚と袁尚は納得出来る筈が無い。
彼等は亡き父・袁紹の夢を実現すべく、冀州再奪取を目論んで攻撃を始めた。
袁煕のように天下取り競争から降りて、ただの地方有力者になるなんて彼等には出来ない。
一番なりふり構わなかったのが袁譚で、何と彼は袁尚に降伏して、一緒に鄴を落とそうと言ったのだ。
同母兄弟の袁尚はこれを受け容れ、袁譚の軍を吸収してしまう。
袁譚のこの行為は極めつけの悪手であり、これまで反袁尚で動いていた家臣たちを失望させ、彼等は袁譚を見限って袁煕の元に走った。
曹操もまた「同盟に対して実に不実」と言って、袁譚支援を打ち切ってしまう。
袁煕は使者を出し
「自分は争う気は無い。
身内同士の戦を止める為に立ったまでだ。
前のように兄弟仲良く出来るのなら、自分はまた幽州に戻り、鄴は明け渡す」
と告げたのだが、もう袁譚と袁尚は聞く耳を持たない。
使者の首だけが送り付けられ、袁煕はついに戦わざるを得なくなる。
「ほら、こちらの思った通り、袁煕殿が左将軍殿に支援を求めて来ましたぞ」
かつて韓馥をして袁紹に冀州を譲らせた田豊は、生き生きとしながら劉備に書状を見せる。
そこには自分が下位に甘んじる袁・劉同盟の申し出と、袁尚の撃退依頼が書かれてあった。
「叔朗め、上手くやったな」
劉備は弟の功績を口にする。
なお劉亮からしたら
「自分は主に袁隗殿と文官たちに、袁煕待望論を植え付けただけ。
後は何もしていない」
と言うが、まあ工作とはそんなものだろう。
待望論を植え付けられた者たちが、以降は勝手に動いてくれたのだから。
「しかし、万事上手くいっているとは言えませんぞ」
沮授が戻って来て語る。
彼は袁紹の同盟者・淳于瓊の軍に派遣されていたのだが、その淳于瓊は袁尚に味方をした。
沮授は
「では、旧知の田豊殿を説得して来ます」
と言って軍を抜け出し、劉備の元に帰り着いたのである。
「我々はここで曹操を睨みながら、淳于瓊を倒さねばなりません。
袁尚軍は、その活躍された弟殿に任せましょう」
田豊がそう言うと、劉備は不安げに
「あいつ、俺よりもずっと戦争は苦手なんだが。
破天荒な事を考え、それが上手く嵌まると良いのだが、半分以上は上手くいってないぞ」
と危惧する。
劉亮は戦争のセンスはゼロに近い。
地図を見て、移動を的確に把握出来る「ナビゲーター」の能力こそあるが、統率は妻の白凰姫、戦闘指揮は執事の楼煩がやって来た。
今回、その二人は居ない。
「大海嘯」という騎馬民族大侵攻を引き起こした張本人と噂される劉亮だけに、冀州入りに際して烏桓族は妻も含めて皆置いて来ざるを得なかった。
「まあ、張郃を送りました故、どうにかしてくれるでしょう」
「というか、ここでちゃんと勝ってくれないと、我々としても考えざるを得ませんぞ」
田豊、沮授の二人は劉備に心酔してはいない。
元々綺麗事の劉備を軽く見ていたのだが、その弟のなりふり構わぬ策に感銘を受けた。
冀州を荒らされたから許せないのだが、天下を狙うならそれくらいでないと頼りない。
そこから劉備を見極めて、袁兄弟より劉備を選んだに過ぎない。
だから「彼の大悪人」劉亮の実力も計っておきたいのだ。
これが頼り無いようなら、劉備の次も考えないとならない。
試されている劉亮は
「自分戦争は苦手なのに、昔の董卓といいどうして出来ると思い込むんだ?」
とボヤいていた。
ボヤきながら陣中を歩き回ると、殊更腰の刀がカチャカチャ耳につく。
まるで贈り主の董卓が笑っているようだ。
そんな劉亮に、配下に付けられた田豫が
「包囲下の下邳城への食糧運び込みとか、ああいうのを見れば出来るって判断するかと」
と、実績を挙げて落ち着かせてくる。
「敵兵力は十二万、こちらは三万。
四倍の相手にどう勝てと?」
「まあ、どこかの城で迎え撃つのが一番ですな。
そして張郃将軍を外に置いて、内外から攻撃するのが定石でしょう」
田豫は理解可能な戦術を提示した。
名を挙げられた張郃もそんなものだろうと思っていたが、地図とベクトルで物を考える劉亮は、偵察の報告からある事に気づく。
そしてこう呟いた。
「あ、勝てるかも……」
劉亮は烏桓族の偵察部隊を教育したように、あらゆる偵察部隊に「時間、場所、将の名、兵数、兵の内訳、進行方向、進行速度、行軍時間」を報告するよう徹底させていた。
無線なんかが無い時代、偵察が往復するまでに相手も移動する。
だから日時を知る事で、どう移動しているか、どこまで移動して来そうかを予測する。
それで得た情報だと、袁尚軍二万五千、高幹軍二万、袁譚軍一万五千が分かれてこちらに向かって来ていて、その背後に馬騰軍三万、更に後方に韓遂軍三万が布陣している。
それぞれの軍の速度、進行方向を見ると
「馬騰・韓遂両軍は漁夫の利狙いか、ゆっくり進んでいるから当分はこちらに来ない。
袁譚が真っ直ぐ向かって来ている。
袁尚は街道を通りながら遠ざかっているように見えるが、これは迂回して背後に回るつもりだな。
それに呼応するように、高幹は反対側に回り込む。
正面の袁譚、右から高幹、背後から袁尚の包囲攻撃だな。
まあ元々不仲だった兄弟と、ずっと遠隔地に居た将の連携作戦なんか上手くいかないだろうから、一団での行動でなくそれぞれの部隊に分かれて行軍し、戦場に着いたらそれぞれの方位から攻撃して結果として挟み撃ちにする、大雑把な作戦になったのだろう。
であれば、各個撃破が一番だな」
地図を見ながら説明する劉亮に、田豫と張郃は舌を巻く。
(この人、戦争は苦手って言ってるのは他人を油断させる嘘だな……)
また劉亮は誤解されていた。
特に張郃は
(遊牧民侵入の件、やってないと言う割に手際が見事過ぎる。
恐らくやってないという方が嘘なのだろう)
と、領内の残党狩りをさせられた身として、そう感じていた。
当の劉亮の中の人は
(金髪皇帝陛下、ありがとうございます。
小説の中とはいえ、学生時代に読んだあの戦いが、まさかここで生きるとは)
と、またもカンニングに対し恐縮していた。
彼は、レーダーも偵察機も監視衛星も無い時代に、きちんと敵情を分析して移動経路を予測するというのは、上級の将軍の能力なのだと認識していない。
実際の戦闘は、小説通りには上手くいかない。
なにせ、一番少数の袁譚軍撃破にすら時間は掛かるのだ。
どうにか撃破した時は、もう半日が経過してしまった。
予定では兵力二番目の高幹軍との対戦だったが
「予定を変える。
先に袁尚軍を叩く」
と作戦を変更する。
一万五千の袁譚軍との戦いだけで、千以上の損害が出た。
これは戦死、戦傷だけでなく、どさくさ紛れに逃げていった者も含む。
また、移動中に脱落した者もいる。
これで二万の高幹軍と戦ったら更に損害が出て、次の二万五千の袁尚軍と戦う時は数の利が無くなる可能性があった。
だからまだ有利な内に、袁尚を先に討とう。
あとは敵の心理を読む。
高幹は袁譚の危機を知って、予定を変更してこちらに向かって来る可能性がある。
しかしライバルの袁尚は、兄の危機を知っても予定を変更せず、自分が最終勝利者となるべく本陣の背後を衝く事を続けるだろう。
読みやすいのは袁尚の方だ。
劉亮は行軍時間と位置予想をしながら、袁尚軍を待ち構えやすい場所に部隊を移動させ、休息を取らせた。
移動と戦闘で、部隊は疲労している。
悠々と移動しているであろう袁尚軍に、これでは勝てない。
(残業、休日出勤で上がる成果なんて、きちんと休養した場合の成果より大体低いものだ。
軍隊なんてブラック企業そのものだけど、せめて勤怠管理はしっかりやらないと)
前世の苦い記憶から劉亮はそうするのだが、これが武将たちからは「兵に甘い」と見られている部分である。
だが、この戦場ではこれが正解。
休養を取ってリフレッシュした劉亮軍は、予想より遅れて悠々とやって来た袁尚軍に奇襲を掛ける。
これもまた激戦になった。
袁尚は、自分が美貌によって母親から寵愛され、それで後継者とされた事にコンプレックスを抱えている。
武辺としても一流であろうと、必死に戦い続けた。
やはり戦闘は半日に及び、初手の奇襲で相当数の兵が逃げた中、袁尚はよくやったと言える。
劉亮軍はどうにか勝利、袁尚は夜陰に紛れて逃走した。
袁譚・袁尚が敗れた事を受け、高幹は兵を引く。
その報を受けた劉亮は
(助かった……)
と嘆息した。
既に兵力は二万を割り込んでしまい、疲労も相当な為、第三合は陣に立て籠っての防御戦とせざるを得なかったのだ。
「劉亮殿、見事な采配でした」
「しかし、まだ馬騰と韓遂が残っています。
高幹が彼等と合流して攻めてくれば、我等は如何しましょうか?」
「田豫殿の心配はもっともな事ですが、高幹はそこまでして戦う義理を持っていません。
彼の人は己の所領、并州を守れたらそれで良い男。
そして馬騰と韓遂には、もっと戦う義理は無い。
袁兄弟を撃破した時点で、戦いは終わったと言えましょう」
田豫の疑問には、旧袁紹軍の内部事情に詳しい張郃が代わりに答えてくれた。
「改めて劉亮将軍、勝利おめでとうございます。
これで冀州の者は、貴殿にも敬意を払うでしょう」
劉亮が祝辞を述べられている頃、魏郡内では劉備も淳于瓊軍に勝利していた。
猛将・顔良を押し立てて攻める淳于瓊だったが、これを張飛が斬った事で形勢は一気に劉備軍優位に。
「猛将の一騎打ち、勢いによる勝利。
軍師としてはやりがいの無い戦いだが、これもまた戦。
形に拘るより、勝つ事こそが重要」
沮授がそう言うと、田豊も頷く。
流石に劉備本隊は戦い慣れていて、劉亮指揮下の軍よりもずっと戦闘巧者であった。
そのまま淳于瓊軍を撃破し続け、その首を挙げる。
これにて冀州は完全に劉備の手に落ちた。
冀州の主は袁煕となるが、この陣営の盟主は劉備となり、袁紹の勢力は劉備が引き継ぐ事になる。
だがまだ冀州を巡る戦いは終わっていない。
まだ曹操が、一万の兵を温存した状態でこちらを狙っているのだから。
おまけ:
小説における金髪皇帝がやった、倍の敵を各個撃破する戦い。
あれの元ネタは、前漢初期に叛乱を起こした黥布が、劉邦の三皇子を撃破した戦いです。
つまり劉亮がやったのは、黥布をオマージュした会戦のパクリといったもので。
まあ、包囲を見抜いて先回りしての各個撃破なんて、航空撮影とかでも無いと、出来る将は少ないと思います。
(でも歴史上各個撃破は何度もあるので、戦場偵察と位置予測が的確な将軍なら可能って事ですな)




