張益徳
ある日の事である。
ふらっと居なくなって、中々見つからない劉備に代わって、劉亮は母の用事を済ませていた。
その帰路、市場での喧嘩に遭遇する。
(まさか、劉備か?)
一抹の不安と共に覗き込んでみるが、違っていた。
そこには、前世の日本なら男性アイドルとしてデビュー出来たのではないか、と思うくらいの美少年が居たのだが、そこから放たれる殺気は凄まじい。
「俺を侮辱したのだ。
その程度で済んで良かったと思え!」
劉亮はこの長身イケメンで、かつ武力にも秀でた男について記憶を辿る。
(もしかして、趙雲子龍か?)
可能性が無くはない。
趙雲は冀州の常山国真定県の出である。
幽州とそう遠くない。
もしかして、修行か何かの旅の途中かもしれない。
(これは人脈を作っておかないと)
中の人の判断で劉亮は、喧嘩に勝った後もゲシゲシ相手に足蹴りを続けている少年に声を掛ける。
「そこまでにされよ。
貴殿の強さは証明されています。
もし止めてくれるなら、そこで一杯ご馳走しますよ」
少年は劉亮の方を睨みつける。
「あんたはこいつらの知り合いか?」
「いいえ。
通りがかった者です」
「何故止める?」
「貴方と話がしたいからです」
「ふうむ……」
少年は蹴る足を止めて考えた。
「分かった。
確かにやり過ぎている。
俺を侮辱した件への報いは、これで終わらせるよ。
止めてくれて感謝する」
(やはり趙雲だ!
こういう礼儀がしっかりしているのは、彼なんだと思う)
この先入観は、見事に打ち砕かれる。
酒を口にしながら劉亮は少年に話し掛けた。
なお、お互い未成年ではあるが、後漢時代に未成年者の飲酒に対する罰則は無い。
劉備も劉亮も劉展も、つるんで酒を飲む事はしょっちゅうだ。
「私は劉亮、字を叔朗と申します。
貴殿は?」
少年は名乗った。
「姓は張、名は飛、字は益徳だ」
「は……はあ……張益徳殿と言われるか。
実にお強い!」
そう言いながら、劉亮の中の人は焦っている。
(張飛だと!!
信じられない!!
張飛って小太りの筋肉質、虎髭でいかつい風貌、だがギョロっとした丸目が愛嬌じゃなかったのか?)
中の人こと「金刀卯二郎」という三国志マニアにして、「三国志演義」に毒されていたというべきだろう。
張飛のイメージはそんな豪傑なのだが、正史には風貌についての記述は無い。
(マズい!
張飛に酒を飲ませたら、かなり危険な事になる!
迂闊だった。
何も無ければ良いのだが……)
これも「演義」による風評被害と言えた。
正史には酒乱の記述は全く無い。
実際、目の前の張飛は酒はチビリチビリ飲むだけで、専ら食事をしている。
とても飲んで暴れるようには見えなかった。
「ところで、何故争っていたのですか?」
劉亮は恐る恐る聞いてみる。
「俺の事を『断袖の徒』と言ったからだ」
断袖とは、前漢の皇帝・哀帝の故事に由来する。
男色関係にあった董賢と一緒に寝ていた哀帝が、衣の袖の上に寝ていた董賢を起こさないよう、自分の衣服の袖を切って起きた、という話である。
美少年の張飛は、そっち系の目で見られていたようで、つい先ほどもそう言われたから叩きのめしたという事だった。
(そういえば、張飛の娘は後に二人とも劉備の子・劉禅の皇后になったんだ。
娘は美人だった可能性が高い。
となると、父親の張飛も美形?
というか、張飛は劉備よりも年下。
転生したこの身、劉亮よりも年下だろう。
まだ少年。
あの豪傑・張飛翼徳の体形を、この時期からしていたとは思えない。
うん、まだ子供なんだし、酒乱ってのも無いな)
劉亮の中の人は、どうにか目の前の張飛の情報をアップデートしようとしていた。
その途中で
(美少年を見ると、そっちの気が騒ぐ人がいるのは、今も昔も変わらんなあ)
と、前世で死ぬ前に日本を騒がせたとある芸能ニュースの事を思い出していた。
「益徳、こんな所に居たのか!」
食事をしていた店に、士大夫のような人がやって来て咎める。
「先生!」
「早く来んか!
お前に必要なのは学問ぞ!」
「もし」
「はい、何でしょうか?」
「益徳殿を誘ったのはこの私です。
どうかお許し下さい」
劉亮はそう言って頭を下げる。
「そのような事情でしたら、益徳には何も言いますまい。
失礼ですが、名を伺っても良いでしょうか。
儂は王養年と申し、昔は朝廷に仕えて武官をしておりました」
劉亮は立って礼法をもって答える。
「恐れ入ります。
私は劉亮、字を叔朗と申します。
祖父は范県の令を勤めた劉雄です」
それを聞き、王養年も礼法に則った姿勢になる。
「承りました。
宗族に連なる方ですな」
「一応そうです。
現在の天子様からは相当に遠い血縁となりますが」
二、三挨拶を交わした後、劉亮は王養年に頼み込み張飛と共に勉強をさせて貰う事になった。
その際に聞いた話だが、張飛には何人も家庭教師が居たのだという。
張飛の家はそれなりに裕福で、七歳の時から家庭教師をつけていたのだが、激しい気性に辟易して辞めたり、張飛によって叩き出されたりして長続きしなかった。
そこで母方の叔父・李志によって紹介されたのが、昔は武将として朝廷に仕えていた王養年であった。
彼を教師としたら、やっと信頼してくれたとか。
「口先ばかりの偉そうな奴を師と呼びたくはない。
王先生は武将として武術の稽古もつけてくれるし、教えてくれた『左氏伝』も為になる」
「左氏伝」は正しくは「春秋左氏伝」と言い、孔子編纂の歴史書「春秋」に弟子の左丘明が注釈をしたものとされる。
「鼎の軽重を問う」とか「風馬牛」といった言葉は、この歴史書から来ている。
張飛はこの左氏伝をはじめとして兵法や儒学を勉強しているのだが……
「お主の気性の激しさをどうにかする為、当分歴史や兵学の勉強は無しと申したであろう!
今日も書道をやって貰う!」
王養年は厳しく告げた。
「書は出来ているじゃないですか」
張飛は不服そうに、積まれている竹簡の文字を見せる。
見事な筆致である。
文官として就職出来るように思うのだが、王養年は認めない。
「上手く字を書く事が目的ではないと、何度も申したであろう。
心を穏やかにする事が目的じゃ。
天下の邪を討って世を泰平にし、民を救いたいという気持ちは良い。
だが己が何をしたら良いか分からず、鬱屈して暴れる。
それを抑え込めねば、良い武将にはなれぬぞ!」
(嗚呼、これは後に劉備と気が合う筈だわ)
怒られている張飛を見ながら、劉亮はそう感じた。
天下を平らかにする気概はある。
しかし、今は何をしたら良いか分からない。
よく似ている。
いずれ二人が、いや……三人が出会った後に意気投合するであろうと、中の人の記憶からそう思ったのだ。
「さて、劉叔朗殿でしたな。
折角だから、貴方も書を学んでいかれよ」
そう言われ、筆を取った劉亮だったが、出来栄えを見て王養年は黙り込む。
張飛も一目見て
「見なかった事にする……」
と目を逸らした。
(前世の能力を引き継いだのか、劉亮という体の元々の性質かは知らんが、俺は字が下手なんだよ!)
前世では、パソコンやスマホを使って読み書きしていた為、字を書く事は少なくなっていた。
そのせいで、たまに字を書くと癖が酷く、時々自分でも自分の字を読めない。
前世日本での楷書体と、この時代の隷書体の漢字が違う事は、記憶の融合で問題無くなっている。
彼は後漢時代の文字を読み書き出来る。
だが下手くそなのはどうしようもなく、無理に隷書で書こうとすると読めない酷い文字になってしまうので。
さらに竹簡は滑るし、布が逆に引っ掛かる。
その上、手に墨がついて汚してしまう。
更に劉亮の前世で、字を書く機会は電話を受けた際の走り書きのメモくらいであった。
あの字が更に読めなくなったものと想像して貰えれば良い。
「……では、今度は絵画を学ぼうか」
気の毒なものを見たという感じの王養年は、劉亮に書を学ばせるのを諦め、美術の方を薦めて来る。
張飛もまた美人画が得意だそうだ。
本人は乗り気でないが、確かに才能はある。
これも王養年により情操教育の一環であった。
「画も苦手なのですが……」
「まあ、描いてみなされ。
先程の事から、多くは期待してないでな」
(それもまた失礼な話だな)
そして出来上がったのは、後漢時代の人間には理解出来ないものである。
五十歳になろうとしていた劉亮の中の人だが、彼にも少年時代は当然あった。
週刊少年漫画を読み、そのキャラを落書きしていた。
その頃から全く進化していない。
地図とかスケッチならともかく、人物の絵は漫画絵にしかならないのだ。
「これは何か?
胡人の髪型なのは分かるが……」
「蒙古……いや匈奴の辺りの超人です」
「この顔に穴が開いているのは?」
「説明が難しいので、勘弁して下さい」
「その隣にいる、羽根が生えた、顔に五芒星がある者は?」
「妖怪変化です」
「いや、叔朗さんよぉ、妖怪変化でももっと上手く描けるんじゃないか?
これは余りに酷いぞ」
張飛にすら突っ込まれているが、これでもキャラで見分けがつくモノを描いているのだ。
頑張って描いても同じような顔にしかならないのだし、顔や体のバランスが狂ってしまう、天性の下手くそなのである。
「この蹴鞠をする男の画だが、手足が長過ぎんか?」
(そういう絵しか見て来なかったんだから、それ以上は無理!)
とりあえず王養年は、劉亮に書画を学ばせるのを放棄する。
「貴公は心が落ち着いている故、書画での心の修養は不要と存ず」
内心の『素質が無さ過ぎて教えようがない……』という声が漏れ聞こえたように思えたが……。
「下手くそ過ぎて、習うだけ無駄だな」
と張飛が笑い飛ばした事で、かえって救われる。
気を遣われていると思うより、思い切って馬鹿にされた方が良い。
こうして張飛の元を辞した劉亮は、
(この時代にも祐筆はいるよな?
絶対雇おう!)
と。
実は劉備も字が上手くない。
前世の記憶からも、劉備は詩を嗜まないし、文は苦手である。
思った以上に文人だった張飛を祐筆に?
いや、そんなの勿体ない!
本人も嫌がるだろう。
という訳で、己の為にも文人確保は必要と思う劉亮であった。
おまけ:
張飛の逸話は涿州博物館の張飛についての記述からです。
あとは「書画をたしなんだ張飛?」という語で検索すれば出て来ます。
おまけの2:
劉亮(の中の人)どれだけ字が下手なんだ? とお思いの方、
毛筆で竹か木の板に、隷書で字を書いてみて下さい。
鉛筆で紙に字を書くのと違う自分の字が見られるでしょう。
書き慣れてるならともかく。
そしてこれを、座って心を込めて書くのではなく、電話のメモ的にやってみて下さい。
後々自分でも読めない、記憶を辿って思い出す字になりますから。
(なお、隷書が公式文字なので、草書体や楷書体は「ひらがなしかかけないひと」と同じ扱いになるかもしれません。
曹操の下で鍾繇が公式でも使える楷書体を完成させるので、もっと後なら劉亮も馬鹿にされずに済みますが)