表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第八章:新しい歴史
74/112

河北の事情

 劉備の遼東遠征は、勝ち負け無く終わる。

 海軍が無い劉備軍は、海を超えて遼東を攻められない、筈だった。

 だが、遼東半島から山東半島まで、途中の島嶼を目印にしながらやって来られるなら、その逆もまた然りである。

 萊族の協力を得た劉備軍は、数こそ少ないが兵を漁船に乗せて遼東半島に上陸させる。

 完全に奇襲に成功した劉備軍は、沓氏県とうしけんの県城に一撃を加えると、襄平から公孫度の本隊が来る前に撤退した。

 まさか攻めて来るとは思わなかった公孫度の元に、涿郡が戦闘態勢に入ったという報告が入る。

 青州への警告攻撃はやり過ぎだったかもしれない。

 公孫度はそう考え、袁紹に仲介を頼み込んで劉備に謝罪する。

 劉備はこれを受け容れ、別段公孫度から何も貰っていないものの、私財を投じて被害を受けた萊族に報いた。


 戦争はこれで終わり。

 ただ、これをきっかけに公孫度と劉備の間に交渉の窓口が出来る。

 公孫度は基本的に自分の庭に手を突っ込んで欲しくはなく、劉備もその気は無いが、すれ違いからお互い攻め合ってしまった。

 だから使者くらいは送り合って、意思疎通しようか、となった。

 お互い、遼東半島〜山東半島航路を使える事が分かったのだから。




 劉備は公孫度との関係を改善すると、仲介の礼を言いに冀州に向かった。

 劉備も幽州涿郡に行ったり、一族とやり取りする内に、劉亮が唱える渤海回廊の重要性が身に染みて来た。

 だが劉備は、劉亮よりも気が長い。

 器のデカさもあるかもしれない。

「欲しいのは確かだ。

 だが、貰うにせよ奪うにせよ、機が熟していない。

 くれと言って貰えるものでもないし、今は何もしない。

 まあ、天命があるなら俺のものになるさ」


 劉備の正妻は袁紹の娘である。

 劉備と袁紹は七歳違いだから父子という年齢差ではないが、袁紹の年若い娘を娶った為、袁紹は舅となる。

 半分家族扱いだが、袁紹陣営の者は劉備を信用してはいない。

 傘下に入ってはいるが、それは曹操との対抗上仕方なくであり、基本的には独立勢力である。

 だから政略結婚で結びつけていた。


 和議仲介の礼と、舅への挨拶で袁紹に会った劉備は、違和感を感じていた。

(袁紹とはあのような男だったか?

 以前感じた覇気が感じられない。

 よく話を聞いてくれるが、聞くだけな感じがする。

 どこか、空虚な感じだ)


 劉備が袁紹に会ったのは十年近く前の事。

 今回とは逆に、渤海郡を巡る公孫瓚との争いを仲裁した時である。

 反董卓連合軍の盟主となり、その後冀州を奪ったばかりの袁紹は、漢を自分の望む形に戻そうという野心と使命感、名門の一員たる自信に満ちていた。

 公孫瓚や袁術なにするものぞ、という覇気が溢れていた。

 だが今は……。


 曹操は袁紹を「良き主君、はっきり言って良き皇帝たろうとして、大器を演じている内に、器に食われてしまった」と評していた。

 更に「大人になったと本人は言うが、あれではもう老人だ、それも考える事が面倒臭くなって、それっぽい事を繰り返すだけの老人だ」とも言っている。

 曹操と劉亮の二人が揃えば昔に戻ったのだが、今劉備の前に居るのは、話は聞くが、聞くだけで何をしたら良いか考えず、部下に諮問して最も良さげなものにするだけの主体性の無い、器に食われた男であった。


 劉亮がこの場に居て、袁紹を見たならば、前世の記憶から

「総理大臣になるまでは威勢の良い政治家だった。

 野党で吼えてたり、党内対抗勢力だったり、大臣や官房長官の時は生き生きしていた。

 なのに総理になったら『よく検討して……』とか『遺憾に思います』とか『善処する所存』とか、前までの総理と大して変わらなくなったりする。

 そんな感じで存在感が無くなった人に似てるかも。

 張り切っていた人程、職責に潰されてしまう。

 掴みどころが無い、如何にも政治屋〜って人は案外そうならなかったような……」

 そう内心思っただろう。


 その後劉備は、袁尚、そして袁譚から相次いで酒宴に誘われる。

 多数派工作の一環で、義兄弟になってしまった劉備を自派閥に引き込もうとするものだ。

 その宴席に漂う空気が、劉備は何となく嫌だった。

 劉亮の名付けでは「大海嘯」、曹操陣営では非公式に「劉亮之禍」と呼ばれる事件で、天下統一が先延ばしになったが、それでも優位は揺るがぬものとして、袁紹が皇帝になった後の勢力争いに入っている。

 袁紹陣営では、遊牧民の侵攻の後始末で忙しい者も居る中、この多数派工作の宴席は浮世離れしている。

(ああ、そうだ。

 楽観的か悲観的かの違いはあるが、洛陽で盧植先生の所に来ては泣き事の集会をしていた太学の連中が醸し出す空気に似ているんだ。

 甘ったれて、口先ばかり、自分が特権を得て当然という意識でいやがる)

 洛陽で役人をしていた劉亮や、同行した劉徳然には懐かしい感じかもしれない。

 しかし宦官時代の洛陽に失望した劉備にとっては、あの時を思い出す嫌な宴会に過ぎない。


 結局劉備は袁尚にも袁譚にも味方しなかった。

 かと言って、無碍に誘いを断ったりもしない。

 相手は手を変え、品を変えて歓心を買おうとする。

(なるほど、叔朗が「相手をもてなす時や、返答する時は慎重に」と言った意味がやっと分かった。

 こっちがどう反応するか、じっと見ていやがる。

 どちらにも付きたく無い時は、態度を曖昧にするのが良いんだな。

 正直さや義侠ではやっちゃいけない世界もあるって事だ)


 劉備は勉強ではなく、経験を糧に成長する。

 袁紹陣営内の派閥抗争に巻き込まれてやっと、正直さは美徳で無いという、世間とは違う世界があると知った。

 高句麗両国との外交でのミスも納得出来た。


「益徳、この袁紹陣営(くに)をどう思う?

 関さんと違って、お前は士大夫が好きだから、意見を聞いてみたい」

 同行していた張飛はどう思っているだろうか?

 本来なら劉備の護衛という役は劉展が勤め、張飛は劉備直属軍の実質的な指揮官という役割であったが、先の徐州戦を受けて、劉展には少し部隊指揮官としても働けるよう、劉備の護衛という馬鹿でも出来る仕事を外し、国境巡察隊を任せていた。


「そうですな。

 俺は士大夫と交流し、俺自身も士大夫になりたいと思ってますよ。

 ですが、あそこは何か気持ち悪かった。

 喋っているのは高尚っぽい事なのに、兄は弟の、弟は兄の悪口を言っている。

 言っているのは側近だが、本人たちが止めていないから、あれは本人たちが言ったも同然ですぜ。

 儒ってのは、兄弟仲良く、君臣が礼を守るのが基本ですよね。

 なのに、そういう部分が出来ていないのに、書がどうの、解釈がどうのって、何かしっくり来ないんですよ」

「袁紹殿はどう思った?」

「分かんないですな」

「分からないか……」

「すみません。

 どうにも、祠の神様を相手にしているような感じですな」

「祠の神様か、上手い事言うなぁ」

「前からあんな人でしたか?」

「いや、俺にも分からないんだ。

 昔は人間だったんだけどね」

「何ですか、今は人間じゃないみたいな言い方して」

「うん、なんか人間っぽさが無くなって来てるね」


 劉備と張飛は、許都で曹操陣営の中も見ている。

 こちらは実に人間臭かった。

 許都にも孔融をはじめとして儒学者は多数居るし、批判専門毒舌家も在籍していた。

 役に就いていない名士のような人も居る。

 派閥抗争もあったし、反曹操派が文句を言っている席もあった。

 それでもあの地では、多くの者は現実と向き合っていた。

 生々しい政治が存在し、夜の宴会は質素だが、昼の仕事の疲れから一時離れる為の安らぎがあった。


 劉備は「皇叔」として、今上の皇帝と会っている。

 皇帝とて人間だった。

 成長し、自分も思うように政治をしたいという野心が漏れ出ていた。

 それに感応した側近たちが、何やら企んだ結果が曹操暗殺計画である。

 そんな感じで陰謀も存在してはいたが、全体的には劉備にとっての不快さは無かった。

……それ故に劉備は、そこに組み込まれて埋没する恐怖を感じていたのだが。


 そうした曹操陣営を見て来た者からしたら、冀州ここはやはり不快だ。

 多数の悪意が渦巻いているようだ。

(もしかしたら、袁紹殿は神様のような存在になる事で、色んな連中を繋ぎ留めているんじゃないか?

 その要の神様が死んだりしたら四分五裂するんじゃないか?)

 劉備にはそう思えて来た。

 逆に言えば、束ね役が生身の人間では、こうも党派(セクト)化した集団を維持出来ないのではなかろうか。

 袁紹陣営の各派閥の在り方がそれに合った器を決め、その器を演じる内に袁紹が器に食われている。

(俺が目指している天下の主ってのは、こうではないんだよな)

 劉備は内心そう思っただけで、口には出さない。

 自分が天下を目指すとなれば、今上皇帝を担ぐ曹操だけでなく、漢に代わる皇帝となりたい袁紹をも敵に回す事になるだろう。


 ただ、不毛と思われた袁紹陣営訪問で劉備は成果も得た。

 弟の劉亮と仲が良い袁隗が劉備を招き、沮授という人物を紹介する。

 沮授は田豊と共に、華北大戦の前までは袁紹を支えていた軍師である。

 しかし曹操との対決に際し、彼等「元韓馥の家臣」たちの意見は取り入れられなくなる。

 そんな沮授が、投獄されている田豊の元に劉備を連れていった。


「これはこれは、こんな汚い場所に『皇叔』がいらっしゃるとは」

 田豊は慇懃無礼な態度で接する。

 そんな田豊を見ながら沮授は

「彼は処刑を延期されています。

 もしも我が殿魏王が曹操に勝っていたら、寛大な処置で許されるでしょう。

 しかし、田豊殿にこの陣営での居場所は有りません。

 曹操に負けたなら、士気を下げた罪で即座に処刑でしょう。

 どう転んでも田豊殿に未来がありません。

 いや、田豊殿に限らず、我等旧韓馥の臣は不遇となります。

 劉皇叔、どうか田豊殿を救っていただけませんか?

 そうすれば、田豊殿だけでなく、我等旧韓馥家臣団も皇叔の元に参じます」

「おい、勝手な事を言うな。

 儂は何も承諾しておらんぞ」

 田豊の発言を聞いた劉備は、ニコっと笑うと

「仰る通りですよ。

 そういう発言はすべきではありません。

 全てはこの劉備の胸の内に収めましょう。

 田豊殿、貴方が生きて釈放されるよう、お互い頑張りましょう。

 生きてさえいれば、魏王に仕え続けるなり、引退なさるなり、様々な道を選べます」

 と言って、礼をして立ち去ろうとした。


「ふん、負けっぱなしの田舎豪族が、許都やこの鄴で学んで、腹芸も覚えたようだな。

 綺麗事ばかりの人情家だと思っていたが、そうでも無さそうだ。

 そういう腹の底を見せない黒さがある男なら、儂が補佐する未来も面白そうだ。

 其方の弟も、随分な悪党のようだしな。

 我が冀州を荒らしたのは許し難いが、それくらいの事をしでかすくらいで丁度良い。

 共に歩めるやもしれん」

 田豊がそう放言すると劉備は小さく

「俺は綺麗事の男じゃねえし、あいつもそんな悪党じゃねえよ」

 と呟くが、それは誰の耳にも届かない。


 牢を出て、周囲に人が居ないのを確認してから張飛が

「いいんですか?

 あれらは自分たちの居場所が無いから鞍替えしたいって言っているだけの卑怯者ですよ」

 と聞いて来る。

 劉備は張飛の胸をドンと叩くと

「俺を見込んだんだから、応えてやれば、次の裏切りは無いさ。

 それに、どうもあいつらが叔朗が探していた軍師かもしれねえ。

 どう転ぶか分からんが、縁ってやつは大事にしようぜ。

 どんな変な事でも、次に繋がる」

 と笑った。

「『奇貨居くべし』ですか? 殿」

「言葉の意味は分からんが、とにかく……

 冀州に来て全くの無駄では無かったな」

 そう言う劉備の笑顔は非情に邪悪(くろ)かった。

おまけ:

劉亮「今回、話に出て来ただけで、一言も喋ってない……」

まあ70話以上も書いてるんで、そういう回もあるかと。


おまけの2:

公孫度による青州攻撃は、孔融の時に作中と同じルートで実際にやっていたそうです。

その時は、軍事音痴の孔融だった為、占領・領有し続けてましたが、建安十年(205年)に張遼に敗れて撤退してます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 批判専門毒舌家w なんかこう、太鼓を叩いて、 「袁紹なんぞは祠に祀っておけばいい」とかいってそう。 禰衡が劉亮をどう評するか聞いてみたい気も。
[一言] 袁紹を見た劉備の感想を見て総理の事かと思ってたらそうだったので笑った。 立場が人を作るという言葉があったが、作るものを乗せる土台が弱ければ潰れてしまう。 その典型ですね。
[一言] 太史慈、陥陣営、田豊と亡くなるには惜しすぎる人物が加わるのは本当に嬉しいですね!大好きな張儁乂がどうなるかとても気になります!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ