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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第八章:新しい歴史
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新しい外交

 劉備は左将軍のままである。

 劉備の配下では、劉亮が青州牧、関羽が東徐州牧、田豫が涿郡太守に任じられた。

 だが、劉亮は青州を離れざるを得ない。

 まず劉備の居場所が無い為、青州治所の臨淄に住まわせた。

 その上で劉亮は徐州郯城に移って、戦乱でボロボロの徐州立て直しを任される。

「まあ、そうなるよな……」

 と、劉亮は自分が後始末に回される事は予想していた。

 それで劉亮は陳羣を連れて行く事を了承させる。

 劉備は陳羣の意見を聞かないし、陳羣もそれをちょっと根に持っている所がある為、青州に置いても誰の得にもならないのだ。


 陳羣の他に、劉亮は青州の屯田兵たちを多数連れていく。

 彼等は曹操の青州兵とルーツは同じだが、青州の安定した生活の為に、強さは然程では無くなっていた。

 しかし、土木工事や農地開墾は上達している。

 家族が平和に暮らせている恩もあって、彼等は単身赴任で徐州再建に協力してくれた。


 これは青州の富をこれ以上他州に使わない為でもある。

 復興事業は金銭かマンパワーか、可能なら双方が必要だ。

 戦乱で逃散して人口激減、一方で地主で富豪の糜竺が居る徐州には、作業員が必要であろう。

 そういう意味では、幽州に劉元起、青州に張世平と蘇双、徐州に糜竺という支援者パトロンがいる状況を、劉亮は有り難く思っている。

 全員が劉備による縁というのが、彼の凄さと言えるだろう。


 劉亮は徐州入りすると、旧陶謙家臣団を糾合し、農地の再生、流民の生活保護、財政再建に着手する。

「城の修繕は、また後回しなのですか?」

 徐州典農校尉の陳登からそう聞かれた劉亮がそうだと答えると、彼は諫言された。

 陶謙時代の曹操侵攻と大虐殺、呂布時代の袁術侵攻や曹操との戦争、そして先日までの劉備と曹操の争い、徐州の民は皆不安に思っている。

 城を直したからって戦争を防げないが、城を直す素振りも見せないなら、民は領主の事を信じないだろう。

 劉亮はその意見を受けて、前線の城の修繕に取り掛かった。


 こうして徐州再建を進める劉亮の元に、使者が相次いでやって来る。




「私は魯粛です。

 徐州下邳の生まれです」

「諸葛瑾と申します。

 徐州瑯琊の生まれです」

(え? 諸葛瑾? やっぱり江南そっちに行ったの?)

 劉亮は内心、やられたと思っていた。

 先んじて取れなかったのが悔しいが、徐州はバタバタしていたから仕方ない。

 特に諸葛氏の本貫地・瑯琊国陽都県は現在は西徐州、つまり曹操勢力圏であるから、郷里に帰って来いとも言えない。

 彼等二人は戦乱の徐州を離れ、呉の孫権に仕えていた。

 彼等は孫策が死に、孫権に代替わりした時期に仕官したのだが、その時の徐州は曹仁との戦いの最中。

 劉亮自身も南へ北へ慌ただしく仕事をしていた。

 だから登用出来なかったのは残念だが、もうどうする事も出来ない。


 長江を挟んだお隣さんとなった孫権から、まずは友好の申し出が為される。

 彼等も「中原を大混乱に陥れた、恐怖の皇族」を恐れている節はあるが、それでも

「長江があるから、江南うちは大丈夫」

 と思っていて、どうにか友好的に接して来る。

 それはそれで良いかな、と思っていると、今度は荊州の劉表からも使者が訪れた。

『徐州まで来られているとは、実に付き合い易くなった。

 私は君の悪名を信じていない。

 今後も変わらぬ親交を続けたい』

 という劉表の言葉を伝えて来る。


「呑気な態度では居られませんぞ!

 劉表と孫権は対立しております。

 どちらかに肩入れしたら、どちらかは敵に回ります。

 かと言って、両方に良い顔も出来ません。

 袁紹殿と曹操殿は友人同士で、州牧殿もお二方とは親交がありました。

 だからどっち着かずでも良かったのですが、劉表は孫権の父の仇、兄の孫策の時も袁袁対立で敵対していた間柄。

 不倶戴天の関係です。

 仲を取り持つ事すら出来ますまい」

 陳羣が解説する。

 陳羣は基本的に徐州放棄派であった。

 袁術こそ居なくなったが、それでも曹操からはまだ狙われているし、江南とも接してしまった。

 劉亮もその意見に同意だったが、徐州東西分割という、より悪い形での領有となっている。

「そうですね。

 しかし、今はまだ友好を求めて来ただけなので、争いに巻き込まれる事は無いと思いますが、どうでしょう?」

「左様、今は良いです。

 しかし、事態は急変するものです。

 たった数年で徐州は五度も主人を変えました。

 滅亡した群雄も多数。

 数年経たずして決断を迫られる事も有りましょう」

 陳羣の助言を容れ、外交は慎重に行おうと決意する劉亮。




 一方青州に戻った「平時のポンコツ」劉備だが、今はそれで良かった。

 青州の統治は、官吏が居れば回るように仕立てた。

 劉備も余計な事はしない。

 基本、仕事が有ってもサボって農作業とか市場で商売ごっことかをする男である。

 それが逆に良くて、官吏たちは余計な口出しをされずに仕事に専念出来る。

 それでいて、劉備には不思議な力がある。

 カリスマと呼べば良いだろうか。

 青州に劉備が戻ると、特に通貨政策で協力を仰いでいた富豪たちが、より親密に接して来る。

 市場で、元州牧の偉い人が率先して銭を使い、高額通貨を受け取ったりするから、より通貨の信頼性が高まる。

 領内視察と言って少人数で駆け回り、時には東萊郡の異民族たちとも交わって遊んだ。

 久々に劉平とも交際し、賭場ですってんてんにされたのは、流石に笑えなかったが。

 また劉備は、リトマス試験紙のような役割もこなす。

 劉亮が始めた政治の中には、正しいかもしれないが、より多くの人には理解出来ないものも存在する。

 例えば海軍の創設とか、新航路の探索とか。

 官吏たちが苦情を言い、劉備も理解出来なかったものは、彼の責任で取り止める。

 劉備が理解出来るものは、官吏もそのまま進めて良いものとする。


 劉備は儒者に媚びる事はなく、むしろ「口だけ儒者」なら軽蔑をしているのに、儒者からの評判は非常に良かった。

 儒者たちが「卑しい所業」と嫌う、富を得る為の官営事業を民間に下げ渡す。

 民間といっても、張世平や蘇双たち富豪なのだが。

 既に軌道に乗った事業であるから、富豪たちは喜んだ。

 代わりに富豪たちから献上金として金銭を得る。

 これをインフラ整備や農地開墾の他に、学校運営に使った事で劉備の儒者からの評価は爆上がりした。


 青州は劉亮が安定させるまで、黄巾賊やら反乱勢力やらで人心が荒れていた。

 ようやく生活が安定して来たが、代わりにモラルハザードというか、暇を持て余した者が悪さをするようになる。

 洛陽時代の曹操や袁紹みたいなもので、繁栄ゆえの代償みたいなものだ。

 既に劉亮が、元流民の屯田兵の子供を教育する、小学校的なものを開設していた。

 本来なら郷里の古老や、かつての盧植のように官を退いた者が故郷で私塾を開いたりして少年少女を教育したのだが、故郷を捨てて彷徨った者たちにそれは無い。

 だから作ったのだが、これは劉亮の政治の中で、最も儒者から評価されているものである。

 そして大儒学者・鄭玄の弟子たちが、師匠の遺言と称してより高度な儒学の教育所創設を訴えた所

「分かった。

 貴方たちでやって欲しい。

 資金なら提供する。

 俺の名前で、師となる人を招聘しても良い」

 と丸投げした事で、儒者は大喜び。

 劉備本人は実学の学校が良いと思っていたが、実学と言っても劉備に具体的な知識は無く、知らない以上口出ししない。

 こうして

「左将軍は大徳の人物だ!」

 という評判が全国に広がっていく。

 青州は荊州にも劣らぬ、上回ろうとする儒の都。

 その結果、袁紹配下の文人たちも、機会を得ては青州に来て清談をするようになっていた。


「いやあ、我々は古き良き漢の再建を夢見て魏王の下、働いておりましたが、この青州で実現されているとは」

「徳の有る主君の下で、士大夫や儒者が働く。

 民は儒で教化され、童は学校で礼法を学ぶ。

 実に素晴らしい」

 お世辞込みで褒め称えられる劉備だが、自分はそんな大した事はしていないと話す。

 それがまた謙譲の美徳とされ、更に劉備の評判は上がる。


 有る意味劉備と劉亮は同じような目に晒されていた。

 劉亮は「気骨の士」と褒め称えられたかと思えば、「夷狄を用いて漢土を荒らした稀代の大悪人」と批判される。

 どれも劉亮の実情とは異なる。

 劉備にしたって、ろくに統治せずに面倒な事を丸投げした結果、儒者や他勢力の士大夫からも褒め称えられてしまう。

 自分の真の姿ではない。

 評判だけが先走っているのだ。

 だから劉備は、浮かれる事も無く、寧ろ気持ち悪いとさえ思っていた。


 そんな「ポンコツ」と同時に「英雄」劉備が事件に巻き込まれる。




 既に述べたように、高句麗が二つに割れている。

 その双方が、自分たちや袁紹を味方に付けようと動いていた。

 劉亮と陳羣はこの件を劉備にレクチャーしてある。

 高句麗の背後には公孫度が居る事も。

 だが、やはり「平時のポンコツ」は健在であった。

 劉備は、その時たまたま先に来ていた、弟・延優の高句麗新国の使者を手厚くもてなした。

 劉備にしたら、客人をもてなすのは当然の事である。

 だが、高句麗新国の使者は、以前よりも丁重な扱いを受けて勘違いしてしまう。

 篤く礼を言って帰る使者。

 その事を知った兄・発岐の方の使者は、劉備は高句麗新国の側に着いたと勘違いして、慌てて帰国。

 劉備は発岐の使者の方も平等に手厚くもてなすつもりだったが、いつもそれなりの扱いしかされない中華の外の国には機微が理解出来なかった。

 要するに、見栄っ張りな劉備が張り切って盛大にもてなした結果、相手が勘違いするという、劉亮の前世においても

「そういう事があるから、必要以上に厚遇したらダメ」

 という外交のミスを仕出かしたのだ。


 まあ中華には「六韜」流の、外交対象国の人事に影響を与えるようなやり方も有るのだが、それにしたって必要以上の歓迎は危険なものだ。

 以前、呂布を拾った時も必要以上に歓迎した結果、呂布が劉備を格下と見る権勢症候群アルファシンドロームを発症させている。

 劉備はこういうのが苦手なのだ。


 誤解した発岐は、公孫度に泣きつく。

 公孫度は、劉備に対して干渉させないよう、兵を動かした。

 そして遼東の軍は、青州東萊郡に船で押し寄せて来た。

 東萊の諸県を荒らしまくる遼東兵。

 急報を受けた劉備は張飛を派遣。

 しかし、警告が目的であった公孫度軍は、青州の軍が来る前に漁村を焼き払って撤収。

 張飛には水軍が無く、追撃も出来ずに敵を見送るしか無かった。


 公孫度の懲罰遠征は、青州の東夷の村を焼き払って、漢人には特に痛みを与えずに警告だけ発して終わる筈であった。

 そう、普通の漢人なら東萊郡の萊族たちが襲われても、

「特に人的被害は無かった」

 としただろう。

 異民族は人扱いされないのだから。

 しかし劉備は違った。

 劉亮もだが、彼等は異民族も同等に扱う。

 張飛にしても義侠心に篤い。

 青州では遼東遠征が決まる。


「叔朗が海軍とか言っていたのはこれか。

 確かに有った方が良いな」

 と劉備は理解したが、外洋航海が可能な軍船を造れない以上、絵に描いた餅に過ぎない。

 今有る物でどうにかしよう。


 この頃、領内視察で長江を見ていた劉亮は、その川幅、水量の多さに圧倒される。

 前世で見た事はあったが、それでもやはり凄い。

 南船北馬というように、ここは船で移動する世界である。

「よし、ここなら大船を建造するノウハウを手に入れられる!

 軍船もだ!

 海軍を創れるぞ!」

「いや、水軍より城砦の整備と、州軍の強化をして下さい」

 冷静に突っ込む陳羣。


 劉亮が欲しがる時は劉備が反対。

 劉備が欲しがる時、劉亮は不在。

 どこかチグハグな劉備・劉亮兄弟であった。

おまけ:

劉備「大丈夫、勝てる!」

劉備「信じるべきは俺の力!」

劉備「胸を張れっ! 手痛く負けた時こそ」

徳然「もう止めろ、玄徳!

 叔朗が稼いだ富を幾ら吐き出す気だ?」

劉備「張らせてもらうぜっ! 限界を超えてっ!」

徳然「やめろー!!」


劉平「博打で負けた分の支払いにおける誠意なんて、これはもう誰が考えたって一つしかないのだ

 盗賊をしようが、民から搾取をしようと何をしてもいいから、要するにキッチリと五銖銭を払うことだ」


徳然「叔朗を倣ってみようかな。

 確か『博打を止むるに賭場を破す』だったかな(ボソリ)」

劉平「……半額で許してやろう、寛容な精神で……」

徳然「張将軍が良いか、高将軍が良いか、太史将軍が良いか……」

劉平「すんません、調子こいてました。

 マジ止めて下さい。

 全部、無効チャラにします。

 マジ、済まんしたっ!」


青州ポンコツ事情でした。

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― 新着の感想 ―
[一言] いよいよ本格的に青洲に根を下ろしそうだけど、これだと荊州とか入蜀とかどうするんだろう
[一言] 確か公孫瓚の最後の回で「劉氏と公孫氏の悪縁が切れたな」的な事を述べてたが どうやら一族は違えど2つの一族の悪縁やら因縁やらは続きそうだな 最悪又遼東半島限定で大海嘯を起きる季節が始まりそう…
[一言] 周瑜の知り合い魯粛、魯粛の知り合い諸葛瑾、この流れはどうにもなたないでしょう 清談が盛んになるとは、硬骨漢の田豊の追放で劉備陣営に加わる可能性も 遼東征伐で海軍も麋芳、傅士仁あたりに率いさせ…
感想一覧
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