中原三分
劉備陣営は、結局袁紹寄りの袁・曹両属のような形になった。
その領域は幽州・青州・徐州に及ぶ。
もっとも、幽州は涿郡と、広陽郡及び漁陽郡の一部。
徐州は沂水の東側だけとなる。
広陽郡は元々、亡き劉虞の勢力圏であった。
その後、従事だった鮮于輔が勢力圏を引き継いだが、彼は劉虞の仇討ちで出撃した為、隣の涿郡の劉元起及び田豫に領地の管理を任せてしまう。
そのままズルズルと涿郡劉氏の領地のような扱いになっていたが、袁紹・曹操の華北大戦の後に正式に扱いが決まる。
鮮于輔は隣の涿郡との連合となるも、最大の都市・薊(後の天津)を含む地域を袁紹に割譲した。
代わりに漁陽郡泉州県を貰う。
これで河川を使って物資を涿郡まで届ける事が可能となった。
これらは全て、袁紹・曹操・劉亮の会見という名の飲み会で決まったものである。
酔って本音を出してしまった劉亮は、行動原理の一つが幽州涿郡と青州の連結だと話す。
だから幽州と青州を隔てる冀州渤海郡の章武県、陽信県、そして高城侯国の「渤海回廊」が欲しいと口にしたのだが、流石に無償で割譲する程袁紹はお人好しで無かった。
第二案として海路接続を説明し、それでも海に面した部分、更に河川が袁紹支配地域であると愚痴った所、袁紹も袁紹で幽州治所・薊県が欲しいという話になり、交換する事になったのだ。
なお漁陽郡は田豫と鮮于輔の出身地であり、領土交換に戸惑っていた両者も、故郷に錦を飾れると最終的には喜んだ。
劉備は領土を支配者の都合で勝手に譲渡する事を嫌う。
それは、そこに住む者を蔑ろにしたやり方だからだ。
幽州の領土交換は、元が劉虞支配地だし、口を出す立場に無かったから黙認している。
しかし徐州分割では大いにゴネた。
袁紹と曹操が対峙していた時、徐州でも曹仁や朱霊と劉備・関羽が攻防を繰り広げていた。
下邳城に籠る関羽は、曹仁軍の包囲戦に耐え切る。
しかし徐州治所の郯県も劉備軍の攻撃を防ぎ切った。
そして騎馬民族の大侵攻を受け、休戦を双方が受け入れる。
そこまでは良かった。
劉備も、ひとまず戦っている状態ではないからザクッとした休戦条件を受け入れ、何かやらかした弟に事態の収拾を任せる。
劉備は、劉亮もまた民の為に働く男と知っているから
「いくら婚家だからって、攻撃は要請しないよ。
俺たちは幽州で、怒らせるような事をしたら暴れて滅茶苦茶になる遊牧民たちを見て来たしね。
仲良くするのは賛成だけど、話が通じないって言ってた伯珪兄の言ってた事も理解出来たんだよなぁ。
だからさ、叔朗が何かやらかして、それがいつの間にかああなったって感じじゃないかな。
叔朗、頭良いように見えるけど、どこか抜けてるし。
俺の弟だから、駄目な部分が有るのは一緒だよ」
と、兄弟揃ってどこかポンコツな事を認めていた。
そう、劉備もポンコツなのだ。
休戦が成立し、曹仁が対応の為に徐州を脱した後、劉備はサラッと曹操占領地を自勢力に組み入れていったのだ。
油断ならない梟雄と言うべきか、外交とか信頼とか分かっていない政治音痴と言うべきか……。
当然、休戦協定破りだと曹操側から文句を言われたが、
「攻めてなんかいない。
民に呼び掛けたら、俺の下が良いってなっただけだ」
と嘯いて、全く悪いと思っていない。
その上で正式な和議となったら
「徐州と豫州小沛は自分のものだ。
民もそれを望んでいる」
と言ってきかなくなったのだ。
劉備の傲慢な主張を聞いた曹操は笑って
「天下の才でありながら大志が無い劉叔朗と違って、劉玄徳は俺と同じ天下を狙う主君の器。
悪名も歓迎な強欲な男。
玄徳はあんな感じだからこそ、俺は認めている」
そう言った後に真顔で
「やっぱり叩き潰してやろうか……。
俺が直接指揮したら、一月で十分だろう。
袁本初が増援する前に決着出来る」
とも言っていた。
幕僚たちは、今は再建途中の洛陽近辺まで押し寄せられた遊牧民の禍の後始末が先決で、劉備は外交でどうにかすべきと説得。
「よし、叔朗奴にやらせよう」
曹操は決めたが、幕僚たちはこれにも不満であった。
曹操は飲み会で散々
「叔朗、お前俺の幕下に来いよ」
とウザ絡みして迷惑を掛けていたが、その話を軍師、文武両官にしたところ大反対されたのだ。
「気骨の士」の名声から一転、劉亮は相当な危険人物と見做されている。
劉備ですら許都に入れるのを反対した者も居た。
実際劉備は裏切ったのだし。
アレ以上の危険人物を懐に容れるのは恐怖でしか無い。
劉亮の事をよく知っている荀攸と、劉亮の政策に興味を持っている荀彧は、曹操から諮問された際
「劉亮殿は外に置かれた方が良いでしょう。
将来は朝廷で政治をして貰いますが、今は時期が悪い。
青州や幽州という小さい領域の中で、邪魔される事の無い立場で政治を任せれば、きっと我々の役に立つ成果を出しましょう」
と答えた。
曹操はその考えに同意した。
こんな感じで、曹操から妙に信頼されている劉亮に、徐州でゴネている劉備の説得が任される。
曹操からも鍾繇が派遣されて来た。
「御役目ご苦労様で御座います。
鍾繇殿は西涼の馬騰・韓遂と交渉して兵を退かせたばかりと聞いております」
劉亮が挨拶すると
「左様ですな。
関中からこの青州へと、休まる暇が有りません。
ですがこれも殿の命ですからな」
と返答。
言外に
(誰のせいだと思ってるんだ!)
という声が入っている。
「あの大海嘯の後始末は難儀なものです」
劉亮の中の人の前世の記憶では、某風の谷で出て来た巨大な蟲の暴走が近い感じだったから使った表現だったが、
「ほお、『大海嘯』ですか。
中々的確な表現ですな。
あの惨禍を招く策を考えつかれた方だけあり、名前も既に決めておられたのですな」
とチクチク言ってくる。
海嘯とは、後の意味では河口から遡上する潮汐波、アマゾン河のポロロッカ等の事だが、この時代は津波という意味だ。
知識人たちは、単語は知っていたが、基本的に内陸の住民なので咄嗟にその言葉が出ない。
遊牧民の大挙襲来を海嘯に例えた劉亮を
(やはりこいつが首謀者)
と考える。
劉亮にしたら、自分であの惨禍の名前を付けないと、曹操が言った「劉亮之禍」が公式名にされかねないから、大海嘯と言って回ってるのだが。
更に言えば、劉亮が一言言えば遊牧民が、一部を除いて水が引くようにサーっと引き上げた事も、劉亮の自作自演を疑われるものだったりする。
劉亮はウンザリしている。
名声も悪名も、どちらも自分が知らない所で暴走している。
董卓による二回の官職追放が、「七回の投獄」にエスカレートしたのだ。
今回の件も、どこまで尾鰭背鰭に、腹鰭胸鰭触手が付けられているか、考えるのもしんどい。
大体、今回の件で誰も劉亮が仕掛けたという証拠を持っていない。
やれるとしたら「烏桓単于の婿の劉亮」、状況証拠で劉備領内の被害が少ない、といった事から、いつの間にか知識人ネットワークを通じて
「劉亮叔朗って奴の仕業なんだ」
「なんだって! それは本当かい!?」
「おのれ劉亮、ゆ゛る゛さ゛ん゛!」
となったもの。
評価評判というのが大事な後漢時代において、本人を知らないのに、勝手に「あいつはこういう奴だ」という風評が走るものなのだ。
こちらの世界では劉備に仕えている太史慈だが、「史実」では揚州牧の劉繇は彼を信用せずに敗北した。
それというのも、人物評価の名人・許劭が太史慈を「信頼出来ない」とした為、そんな人物を用いて自分の名にも傷がつく事を恐れたからである。
目の前に居る人物に対してすら、判定人が付けた評価の方を信じる者が居る時代。
いわんや、実際は知らない人物をや……。
劉亮はもう否定する気になれず、
「貴殿がどう思っているかに干渉はしませんが、そのように皮肉を言って私の機嫌を損ね、司空殿から任された役目を果たせなくなるとは考えませんのか?」
と低い声ながら強く言う。
「その通りです。
小臣が誤っていました。
無礼な言動を謝罪致します。
どうか交渉の場ではお力添え願います」
鍾繇は謝罪し、頭を下げて来た。
後漢時代の人物は、私情を挟まない事はちゃんと出来る。
嫌いな人物相手でも、与えられた使命は共にこなすのだ。
まあ、終わった後はまた不仲に戻るのだが。
なお、これは感情的な好き嫌いの話であり、汚職役人とか宦官とか非士大夫とかが相手だと、席を同じくする事すら断り、不要な対立を作り出してしまう悪癖もあった。
劉亮の前世で、色んな国に飛ばされて行ったが、後漢程官僚が面倒臭い国は無かった為、転生して経験して付き合い辛さを感じている。
正直、遊牧民たちの方が気を許せたりする。
まあ、あいつらはあいつらで蛮族過ぎて厄介ではある。
そして劉備の説得。
「お前、どっちの家臣だ?」
と劉備に言われるくらい、劉亮は曹操側に立った。
その理由は、正直言って徐州は狙われやすい重荷だと考えていたからである。
これは劉亮だけでなく、陳羣や劉徳然、その他青州で統治に携わる者は皆思っている。
彼等にしたら、立て直した青州の富を、徐州の戦いに注ぎ込まれまくったから不満を持って当然なのだ。
まあ何も無しという訳にもいかない。
青州から地続きの瑯琊国を得て、後は下邳と東海郡を交換した「南北分割」が望ましい。
しかし、これに関羽が猛反発。
自分が守り抜いた下邳は絶対に明け渡せないと言い、劉備もこれに同調。
更に鍾繇の士大夫然とした佇まいに、そういった偉ぶった人が嫌いな関羽が態度を硬化。
更に郯城を守り抜いた朱霊も、東海郡交換には反対。
鍾繇は気位が高い関羽、頑固な朱霊と、敵だけでなく味方の武将相手にも苦労する。
関羽は下邳を維持したい。
朱霊も東海を維持したい。
とりあえず劉備に対しては
「民が、民がとか言ってるけど、青州と幽州の民の事はどうでも良いのか!
徐州の戦いの為に、青州と幽州の収益をどれだけ費やしたか、ご存じなのか?
天下の事を考えるのは立派だが、だったら今は正式な和議を纏めるのが天下の為。
我を張るのもいい加減になされ!
徐州全土を得られず、分割に至るのは兄者の実力不足と知りなされ。
実効支配出来ていないのに、口だけで正統性を語るとか、いつから『儒者』に成られた?」
と劉亮が強く言った為、分割の合意をさせられた。
そして、許都の曹操にも意見を聞いた結果が、
「沂水を境界とした東西分割。
下邳城は沂水の東側だから劉備領。
東海郡は沂水の西側七県を曹操領とする。
曹操が大分譲歩したんだから、劉備も譲歩して瑯琊国内から繒侯国を、東莞郡から東安県と蒙陰県を曹操領に移せ。
瑯琊国繒侯国、東海郡七県、彭城国、下邳国九県、東莞郡二県をもって西徐州とし、朱霊を西徐州刺史に任ず。
それ以外を東徐州とし、関羽を東徐州刺史とする」
となった。
曹操は東海郡全てを渡していないし、劉備も下邳国の一部は保持出来る。
玉虫色の解決だが、これで折れる他無い。
最後に関羽が
「朱霊如きと同格とは許せん」
とゴネた為、曹操は苦笑しつつ関羽を東徐州牧に格上げした。
なお、軍事的な指揮権や強制力の違いはあるが、刺史と州牧は基本的に同じ職なのだが。
「此度はお力添え有り難く存じます。
貴殿の事は我が殿にも伝えさせて頂きます。
……浮かぬ顔ですが、何か不満でもお有りですか?」
帰還の挨拶に来た鍾繇が、劉亮がこめかみの辺りを揉み揉みしながら溜め息を吐いているのを見て訝しんだ。
「どうして東西なんだ……」
「は?」
「いや、申し訳ありません、何でもないです」
劉亮は鍾繇には悩みを話さず、形式的な挨拶を交わし、労を労って送り返す。
その後、改めて人が居ない場所で叫んだ。
「どうして南北分割じゃないんだよ!!
東西分割って、劉家の領土、北は幽州から南は長江に接するって、どんなだよ!!
うちはチリか? ベトナムか?
こんな南北に細長くなって、どうするんだよ!!」
劉亮の悩みは終わらない。
おまけ:
曹操「計画通り!」
ニヤリと悪い顔。
cv宮野真守でご想像下さい。
(夜神月でもあり、蒼天曹操でもあり)
おまけの2:
青州と東徐州の劉備領、痩せこけたチーバ君に見えなくもない。




