黄河の戦い(事態急変)
官渡における袁紹と曹操の陣地戦は長引いている。
曹操軍からは仕掛けず、もっぱら袁紹軍からの攻撃を受け続けていた。
井楼に対しては発石車を使って破壊。
坑道戦に対しては、同じく地下坑道を掘って迎撃。
時間だけが無駄に過ぎていく。
官渡以外も混沌としていた。
荊州の劉表は、優柔不断で曹操を南から攻撃しなかった訳ではない。
荊州南部の長沙・零陵・桂陽で反乱が発生し、これの鎮圧が必要であった。
繰り返しになるが、州牧と郡太守は共に皇帝から任命される二千石の官で、対等である。
州牧に不満があると、太守は反乱を起こす。
劉表はそれを分かって、今まで反抗的な郡を平定していたのだが、またしても長沙太守張羨の反乱が起こり、袁紹への援軍どころではなかったのだ。
また孫策の動きも予測不能であった。
孫策は最初、敵の敵は味方、劉表の味方である袁紹の敵・曹操は味方とばかりに、劉表配下の黄祖と戦ってこれを破っている。
荊州江夏郡太守の黄祖は、荊州牧の劉表とは同格の同盟者であった。
劉備にとっての関羽、袁紹にとっての淳于瓊のような存在である。
息子の黄射も荊州章陵郡太守であり、劉表の部下ではない同盟軍閥として力を持っていた。
劉表には以前、荊州南陽郡の穣城に拠る張繡という、家臣ではないが部下に近い同盟者が居たが、彼は曹操に帰順してしまった。
このように、周囲や領内に半独立勢力である軍閥を抱える劉表は、勝手に隣の揚州を攻めて失敗し、周瑜に逆襲を食らった黄祖の事を、面倒臭いと思いつつもフォローはしなければならなかった。
こうして劉表の同盟者・黄祖を攻めていた孫策が一転、今度は反曹操を唱えて北に兵を向ける。
だが一難去ってまた一難。
今度は益州の劉璋が荊州を狙って動いたという情報が入る。
まあこれは、蜀から荊州への道が遮断されていた為、遠征に入らずに有耶無耶にされたのだが。
そして孫策が、彼に恨みを持つ者によって暗殺される。
後を継いだ孫権は、以前と同じように曹操との協調姿勢を見せた為、劉表はまた動けなくなった。
「……という泣き言というか、愚痴が荊州から届きました」
青州臨淄城で劉亮が溜息を吐きつつ、書状を陳羣に見せた。
劉亮の中の人は筆まめである。
転生前はメールとかプリンターとかいう便利な物があったが、こっちの世界で劉亮は「書記官」という便利な者を手に入れた後、筆まめさを再開させていた。
本人の字の汚さはもう仕方ないとして、署名だけは何とか書いた手紙を、敵味方漢人異民族関わりなく出しまくっている。
だから曹操が戦場での布陣図を送って来たり、劉表が愚痴ともつかない書状を寄越したりするのだが、本人は習慣的に時候の挨拶やお歳暮を贈っているだけだから、
(どうしてこんな事してくるんだ?)
と疑問に思う、ちょっとした間抜けさを持っていた。
愚痴書状は袁隗からも届く。
袁紹の伯父という事もあり、留守を任されていた袁隗は、それだけに自軍の危険さが見えて来たようだ。
『我が袁軍は統制が取れていない。
派閥化し、勝った後の事を考えて相手を追い落とす工作を始めている。
軍師であった田豊殿も讒言が酷く、入牢されている。
沮授殿もやる気を失っているように見える。
ここは叔朗殿から本初に諫言して貰えないだろうか』
「えーっと……これって頼りにされてるんですかね?」
「他家の事情に関わるとろくな目に遭いません。
老人の繰り言と思い、さらっと流す事も必要ですぞ」
「しかし、袁紹軍の軍師・田豊殿が冷遇か……。
引き抜けないものですかね」
「軍師が欲しいと、かねがね言われてますな。
お気持ちは分かりますが、これもやはり他家の事。
首を突っ込まぬようになされませ」
「……何となく曹操の気持ちが理解出来る。
他家の者とはいえ、自分の手に入れたいものです」
「一番狙われてるのは州牧殿なんですからな。
やったらやられる、引っこ抜きをしたら引っこ抜かれる。
ゆめゆめ油断されますな」
「私に対して過大評価だと思うが、自覚はしています。
曹操からは直々に、部下になれと言われてますし。
どこが良くてそんな事言うのか分かりませんが」
(謙遜してるのか? それとも本当に自分の価値に気づいてないのか?)
陳羣は内心そう思いつつ
「気をつけなされ。
他の陣営に加わられるくらいなら、殺してしまえと思う人も居るのですぞ。
州牧殿もですが、田豊殿についても、です。
下手に動いては、田豊殿を死なせ、州牧殿も危険視される事でしょう。
貴方は自己評価はともかく、周りからは高く評価されているのです。
それが危険人物だと見られたら、好意が一転、殺意に変わるかもしれません。
それ故、他家の事には首を突っ込まぬよう、やるなら慎重にやるべきだと忠告申し上げます」
青州別駕陳羣の助言は有難いものだ。
劉亮は忠告に従うとし、陳羣も頭を下げた。
だが陳羣の忠告は遅かった。
劉亮が自分の影響力を考えずに行動した事が、北の地で大きな厄介事を引き起こす。
まず比較すれば軽い方から語る。
高句麗は分裂し、片方に遼東の公孫度が味方しているのは既に説明した。
青州・幽州に勢力を持つ劉亮がわざわざやって来た事に、高句麗の両陣営は期待を持った。
自分の味方に付けようと動き出す。
それが面白く無いのが、この地の東夷は全て自分の手下と考える公孫度であった。
劉亮は青州の少数民族に命じて北方航路を探している。
目的地の涿郡側への航路はいまだ見つけられず、沿岸を進むしか無いが、山東半島から遼東半島へショートカットする航路は既に存在し、それを使った交易が盛んになり始めた。
公孫度からしたら、自分の庭に手を突っ込まれているようなものである。
急速に公孫度は劉亮、ひいてはその兄の劉備への敵愾心を増していく。
そして大きな厄介はこちらだ。
劉亮が「曹操は食糧を焼き払うかもしれない」と漏らした事が、伝言ゲームでエラい事になったのである。
「曹操は袁紹軍の食糧を焼く」
「つまり、焼かれても困らない量の食糧がある」
「南の漢土には焼き捨てるくらい食糧がある」
「焼かれるくらいなら、持って行っても良いよね」
「いや、寧ろ持って行った方が喜ばれるんじゃね?」
「漢人は食糧余ってるから焼き捨てるそうだ。
皆で行って持ち帰ろう。
困るくらい食糧が有るなら、そうしよう」
「じゃあ、行き掛けの駄賃で、掠奪と拉致もして行こうぜ」
……こうなった。
こうなった発端は劉亮が未来情報を漏らした事だが、その種火に揮発油ぶち撒けて炎上させたのは、義兄扱いの蹋頓である。
「我が義弟は常に我々烏桓や鮮卑に気を遣ってくれる。
その義弟が言った事だ。
つまり、奪いに来いと暗に言っているのだ!」
劉亮が聞いたら腰を抜かすように超解釈をすると、蹋頓は烏桓十万騎を動員し、兵を南下させる。
情報は鮮卑族にも伝わる。
「あの劉大人が言ってるなら、堂々と侵略して良いな」
こっちでも勝手な解釈。
更に南匈奴にも伝播。
こちらの単于・呼厨泉は親曹操派であった為
「劉大人が責任取ってくれるから、我々は袁王の方の食糧を奪おう」
と、こうなった。
更にこれが羌族にも伝わり、羌族から西涼の馬騰と韓遂らも聞き及び……。
気づいたら漢人含む北方の民五十万が食糧を求めて袁紹・曹操の領土で狼藉を始めたのだ。
それは怒涛のようなものではない。
幾つもの集団が、同時多発的に、一個を撃退しても別の集団がやって来るような繰り返しで、しかも乱雑に行き当たりばったりで、予測不可能な行動をしながら浸透して来たのだ。
あたかもモグラ叩きの如く、叩いても叩いてもぴょこぴょこ現れる。
あたかも古家の雨漏りのように、一箇所一箇所は大した事無くても、数限りないから馬鹿にならない。
全くもってキリが無い。
そんなんでありながら、
「我が義弟が治める地には手を出すな!」
「劉大人の地には行ってはならん」
こんな命令も出ていたものだから大変だ。
どう見たって、異民族をあの男が唆したとしか思えない。
袁紹、曹操両陣営の軍師たちは、
「劉亮が塞外の夷狄を煽って、敵味方の区別無く侵寇させた」
と解釈したのである。
これでは袁紹軍も曹操軍も争っている場合じゃない。
この時期の漢人の軍は、百年後に「永嘉の乱」で匈奴に叩きのめされる軍とは違って、本気で戦えば遊牧民たちに勝てる。
永嘉の乱のように、優れた指導者に率いられた大軍でなく、散発的に多数なのだから、本気で対応すればどうとでもなる。
そう、本気を出せば、である。
片手間では無理だ。
自然と両軍は休戦し、北方民族対策を優先せざるを得ない。
「私はやってない!!!!」
全陣営からの問い合わせの使者で事態を知った劉亮は叫んだが、信じてくれるのは彼を直接知っている者だけである。
兄の劉備は
「叔朗にそんな大それた策は、出来ないよ」
と言い、袁紹や袁隗も
「劉叔朗の策では無かろう。
無関係では無いだろうが、意図して引き起こしてはいない。
そんな事出来る人間ではない」
と判断しているが、劉亮を知らない者たちはなりふり構わない策に恐れ慄いた。
まあ劉亮を知っていても、曹操は
「アッハハハハ!
叔朗め、やりおる。
あの俺と本初の両方に良い顔をする男が、この戦争にどう関わるか見ておったが、まさか戦争そのものをぶち壊しに掛かるとはな。
俺も予想出来なかった。
やはりあの男、面白い」
とか言っていやがる。
「笑い事では有りませんぞ!
確かに我が領土だけでなく、袁紹領からも食糧を奪い、農民を拉致しているから、どちらかの味方とは言えませんな。
それでも、こんな民に被害を及ぼすような策を実行する男は危険ですぞ!」
郭嘉が怒り混じりに詰ると
「いやいや、劉亮殿はこんな策は使いませんぞ。
きっと、妻の出自の烏桓を使って中立の立場で介入するつもりが、暴走されて手に負えなくなったのでしょう」
と、劉亮を知っている荀攸が擁護する。
「これでは袁紹との戦いどころではありません。
急ぎ袁紹との和議を纏め、塞外の民から城を守る戦いに移らざるを得ません。
全くもって迷惑極まりない!」
と、別の曹操の軍師・程昱が言えば、
「それよりも交渉して、北に帰るよう説得しましょう。
張本人にも責任取って、彼等を帰らせるよう動かすべきです。
後始末はさせませんと!」
と文官の鍾繇が進言。
一通り意見を聞き終えた曹操は
「もう良い。
袁軍との戦いは止めだ。
本初に使者を送れ。
あとは劉叔朗にも、だ。
鍾繇の言は正しい、責任取って貰おうか。
荀攸が言ったように、こうなるような策を弄してはいないが、結果としてこうなったのだからな」
と決断し、この線で動くよう皆に命じた。
「そうなると、劉備の対処は如何しますか?
殿の命を狙った劉備、そんな兄を守る為に劉亮殿は立ったのですから、今のままでは招きに応じないかもしれませんぞ」
荀攸がそう尋ねると、曹操はあっさり
「その件はどうでも良い。
どうせ玄徳の奴は、暗殺とかする気は無かった。
彼奴は自立したかっただけだ」
と赦免。
曹操は袁紹との戦いの呼び水として劉備を利用したのであり、端から皇帝による曹操暗殺加担なんて気にしていなかったのだ。
徐州を奪ったのは許し難いが、徐州主要地は自軍が維持したままである。
現在の占領地域をもって徐州分割と決め、劉備とも休戦と決める。
こうして袁紹・曹操の大戦は一時停止へと動き出した。
袁紹軍、曹操軍共に不満を抱えたまま……。
首謀者と看做した劉亮への怒りと恐れを持ちつつ……。
そして、こうなる事態を引き起こした首謀者とされた劉亮は
「どうしてこうなった?
どうしてこうなった?
どうしてこうなった?」
と頭を抱えながら、ぶつぶつ言って州庁の中を徘徊していた。
その時、刀を吊っていた紐が急に解け、羌族の刀が床に落ちて抜ける。
刀を拾って鞘に収めようとした時、刀身に人影が映ったように思えた。
その人影は亡き董卓のような感じだった。
ビクっとして刀身から目を離すが、再び見てもそこには何も居なかった。
この晩、劉亮は夢を見た。
在りし日の董卓が現れ、劉亮の胸をポンと叩いた後、
「お前も悪人側に来たようだな、重畳、重畳」
と大笑いしていたのだった。
おまけ:
作者、蛮族大好きですから。
あと、どこかで劉亮の名声を悪名にひっくり返す機会が欲しかったものでして。
ぶっちゃけ、史書で思いっ切り批判される事必定でしょう。
正直、董卓レベルで。




