黄河の戦い(築城と対陣)
袁紹軍は、淳于瓊が確保した橋頭堡から黄河南岸に展開する。
曹操軍は、袁紹本隊の渡河を確認すると、一気に前線を下げて官渡城砦で迎え討つ事にした。
既に述べたように、黄河は氾濫を起こす大河である。
この東郡を流れる黄河は、季節によってはかなり水量が多い。
渡し場である「津」が幾つも在り、袁曹の前哨戦はこの津を巡る戦いとなった。
こんな黄河は、古来治水すべき対象であり、治水に成功した者が王者として認められて来た。
治水の方法で、人工支流がある。
予め溢れる分の水を人工河川に流し込み、水流調整と共に灌漑用水としても使用するものだ。
官渡水もそうした人工支流の一つである。
人工支流も、氾濫する分の水を受け入れるだけの機能しか無く、増水期にはそこが溢れて辺りを湿地帯にする。
それでも、人工支流で小規模な氾濫にした方が、流路を変えるレベルの黄河大氾濫を起こされるよりマシなのだ。
官渡水の他、同じく人工支流の陰溝水、天然支流の濮水とがこの地では交差している。
そんな訳で、人工の河川と湿地帯を防御に活かした官渡城砦は、袁紹の大軍の行動を制限出来る格好の場所に作られていた。
もっとも曹操は、別に対袁紹のみを想定してここに防衛拠点を構築した訳ではなく、首都にした許都を守る為の防衛線として整備したまでである。
故に袁紹侵攻に合わせて作った付け焼き刃な砦ではなく、大軍相手に防戦を行えるものであった。
かつて東郡太守をしていた曹操だからこそ、この地に目を付けたのかもしれない。
袁紹は黄河を渡ったものの、この地の厄介さに許都強襲を諦めざるを得なかった。
「だから曹操が劉備を攻撃している正月の内に強襲するべきだった。
冬なら水量も少ないし、凍ったりして行動しやすかったのに」
と言う田豊を「士気を下げる」として投獄。
言ってる事は正しいけど、今聞きたいのはあの砦をどうするか、である。
なお、今もまだマシな時期であった。
時期が来れば増水し、黄河から排水されている支流が氾濫を起こし、行動がいよいよ困難になる。
曹操はそれまで待てば良いし、袁紹はそれまでに砦を突破したい。
袁紹は自軍にも砦を造らせてそこに入り、そこで攻城兵器を作らせて、黄河水系氾濫までに官渡を落とすという方針に切り替えた。
袁紹も馬鹿ではない。
その軍師たちが作戦をしっかり考える。
正面の官渡砦攻略を担当する者も居たし、砦だけを見ずに曹操を他勢力を使って苦しめようとする者も居た。
袁紹の陣営から、江南の孫策、荊州の劉表、豫州の反乱分子に曹操攻撃を依頼する書状が送られる。
一方の曹操の陣営からも、益州の劉璋、幽州の旧劉虞勢力を引き継いだ鮮于輔、涼州の馬騰と韓遂を味方にすべく外交が為されていた。
「袁紹軍十一万、曹操軍が三万。
自分が知っている兵力と違うような……」
徐州での劉備説得を終えた劉亮は、妻の白凰姫の馬回りだけを連れて幽州、更には高句麗を目指して旅していた。
その途上、彼個人の偵察隊から袁紹・曹操両軍の陣容が報告される。
劉亮は、兎角正確性に難があった騎馬民族による戦場偵察について、改善を試みていた。
中の人が「遊牧民だから頭が悪い、だから教えても意味が無い」と思わない。
彼は民族とか人種で区別はしない。
むしろ身近な人に対しての方が失礼だ……。
そんな訳で、誰かは分からずとも旗の文字をしっかり覚えるか記録、メモというよりスケッチになるが、更に可能なら周囲の人間に話を聞くようにさせて詳細な情報を得られるようにした。
元々彼等は、人数とか地形とかを覚えるのは得意だ。
だから地名と人名が分かれば、結構な質の情報になる。
また劉亮は、双方の陣営に知己が居る。
袁紹陣営からも情報は貰っていた。
もっとも、こういう情報は自軍を優位に見せようと作為が掛かっているのだが。
まあ袁紹の方は、現状味方なのだから良い。
「どうして曹操本人から自軍の布陣図とか送って来るんだろう……。
機密漏洩を主君自らするって、どういう事?」
曹操から絵図が青州の州庁宛てに送られて来て、それを転送して貰っている。
一体何を考えているか分からない。
余程自信が有るのだろうか?
まあ曹操の思惑は置いといて、劉亮は時差有りだが、割と詳細な情報を手に入れている。
そして「史実と違うような」という発言に至ったのだが、これは劉亮の中の人の理解不足である。
まず「史実」とされる記録は、何が正しいのか分からない。
「三国志演義」の袁紹軍七十万対曹操軍七万というのは眉唾物としよう。
袁紹軍は十万から五十万と幅がある。
対する曹操軍は、一万というものもあるが、それは少な過ぎる。
概ね十万人未満なのは共通している。
だから「十一万対三万」は妥当な数字であった。
また、劉亮は両軍の兵力が少なくなるのが自分のせいだと気付いていない。
「史実」では袁紹は北方四州の兵力を動員している。
しかしこちらの世界では、幽州涿郡と青州が同盟関係の劉備のもので、そこの兵力は戦場に来ていない。
曹操の方は、青州兵になる筈だった人民の三分の一から四割弱を劉備陣営が先んじて奪っていた。
その上、劉備が健在な徐州に曹仁・張遼・李典・朱霊といった武将と兵力を貼り付けているから、官渡に使える兵力は更に減る。
「史実」より劉備の兵力が多いのがイレギュラー要素になってしまった。
誰のせいだと聞かれたら、皆劉亮のせいなのだ。
部分部分でしか歴史の詳細を覚えていない劉亮の中の人は、これから行く国についても認識を誤っていた。
確かに高句麗という国は存在している。
三国志の世界で、公孫度や魏と関わっている。
ただそれは、そういう記録が残っている時代の話に過ぎない。
現在の高句麗は、内戦状態にあった。
先王が死んだ後、子供が居なかった為に二人の王弟が後継者として推された。
王妃は兄の発岐に王位を継がせようとしたが、発岐は王の死を疑って
「不遜な事を言って、自分を罠に嵌めようとしている」
と罵って追い返す。
次に弟の延優に話を持ち掛けたら、翌日早朝には
「先王の遺命である」
として即位してしまった。
王の死と弟の即位を知って怒った発岐は、公孫度と結託して延優を攻めた。
延優は南に逃げ、「高句麗新国」を建国。
発岐の高句麗と延優の高句麗新国が絶賛抗争中。
劉虞存命中に挨拶に来ていた故国川王の時とは様相が違っていたのである。
劉亮は先に公孫度に、袁紹軍への派兵を要請する。
これは断られた。
予測通りである。
遼東を通っての高句麗行きの許可を求めるも、これも拒絶される。
そこで烏桓の領域を通って高句麗に行こうとして、上記内乱状態を始めて知ったのだ。
「俺とした事が、下調べも十分にしていないとは、すっかり仕事の勘が鈍ったものだ。
劉虞が生きていた時と、状態は変わっているのに気づかず、前のままだと思い込んだのはミスに他ならない」
青州牧として政治ばかりしていて、それも一部を除いては余り成果が出ていない。
自分は無能だと落ち込んでしまう。
まあ成功している政治が、通貨政策と人民の借金の解決、産業育成なのだからそれだけでお釣りは来る。
そして公孫度は自分の影響下にある高句麗や扶余族の情報を出さないし、昨年までは公孫瓚も居たから、高句麗関係の事を知らないのも無理はない。
確かに「高句麗って在ったよな」程度の認識だったのは彼の怠慢なのだが。
そしてこの数ヶ月、事態が動き過ぎている。
正月に曹操が劉備を攻め、やがて袁紹の南下、自分は徐州に行ったり北に来たりと多忙。
高句麗に関して腰を据えて対策出来ていなかった。
劉亮は何も成果を得られずに帰還する。
その道中、護衛に付けられた烏桓の里長たちに質問された。
「別に高句麗から兵を出さなくても、問題無いのでは?」
まあ軍事的には問題無い。
政治的な話だ。
高句麗からわざわざ兵が来たとなれば袁紹は喜ぶし、そうすれば挨拶するよう働きかけた劉亮の労を認め、青州については引き続き自由に行動が出来る。
だが、それは話しても意味が無い事だ。
彼等烏桓族は、軍事的にどっちが勝つかを知りたがっている。
「優勢なのは袁王の方だけど、勝つのは曹操かもしれない」
何故かと聞かれ、まさか「史実でそうだったから」とも言えない。
劉亮は、自分が関わらない場所では大体「史実」に沿った推移をしている事で、おおよその事が予測出来た。
袁紹が鄴を本拠地にした事、曹操が許都を守る為に河川の入り組んだ官渡を防衛の要にした事、これらは劉亮の歴史改編に関わらず、地形や政治的な事情から、必然的にそうなった。
必然の上に真っ当な思考が重なると、大体「史実」通りの行動になる。
違うのは兵力や周辺の事情、そして死ぬ筈の者が死ななかったり、死なない筈の者が死んだりする事だ。
よって、ここからは差異が生じるかもしれない。
しかし、現在までの推移で見ると、やはり曹操軍の火計によって袁紹軍の倉庫は焼かれるだろう。
劉亮はそう考えていた。
烏桓族には
「黄河を渡って侵攻した袁王の軍には補給の問題が付きまとう。
食糧を焼き払われたら、袁王は北に戻らざるを得ない」
と要約して説明した。
「曹操という男は、食糧を焼き払える程、食糧を持っているのか?」
「持ってはいないかもしれない。
無くても焼くような男ですよ」
「しかし、焼かれるのは勿体ないな」
「そうだな、それならいっそ、我々が奪ってやりたい」
「えーっと……皆さん、物騒な事を考えないで下さいね」
「大丈夫だよ劉大人。
自分たちにはそんな兵力無いから」
「そうだよ。
そうしたいなって言ってるだけだよ」
「なら良いけど。
貴方たちにはそれを出来る能力が有るから、本気のように聞こえちゃうんですよね」
「あははは、劉大人、まったくおだてるのが上手いんだから」
劉亮と烏桓族との関係は、相変わらず良好なままであった。
それ故、自分が立てたフラグにまるで気が付いていない……。
場所は変わって許都。
曹操は朝廷の重臣でもある為、官渡を荀攸・楽進・于禁に任せると、首都に戻って政務を行っている。
終わったら戦場に戻るつもりだ。
「本初の軍だけでなく、あちこちで本初に味方する奴等が湧き出て面倒臭いなあ。
いっそ前線の官渡を棄てて、この許で指揮を取ろうかな……」
愚痴を零す曹操に
「ここは天下分け目の決戦です。
気合いで負けないで下さい」
と、軍師っぽくない喝を荀彧が入れてきた。
また、
「劉表は優柔不断で動かず、孫策は人の恨みを買いまくっているから自滅するでしょう。
汝南の連中は目障りですが、誰か将軍を一人派遣すれば勝てます。
問題は有りません」
と郭嘉が具体的に励ましていた。
「で、青州の劉叔朗にはちゃんと情報を送ったよな?」
「はい、官渡防衛線の穴の情報も書き加えたものを送ってあります」
「うむ、あそこに袁軍が来てくれれば、突破はされるが簡単に背後を塞いで袋のネズミに出来たんだが、どうやら叔朗は袁紹にその情報を流さなかったようだな」
「劉青州に見破られたとか?」
「いや、あの男は兵法や謀略についてはからきしだ。
だからもし、叔朗が本心から俺ではなくて本初の傘下に流れたなら、あの絵図を本初に送っていただろう。
そうなったら袁軍を罠に落とせた上に、あいつが俺を裏切った事は確定になるが、そうはならなかったな」
「そのようで」
「うん、まだ叔朗を俺の部下に加える余地はある。
俺は諦めんぞ!」
荀彧と郭嘉はお互いの顔を見合って、主君の人材収集癖の酷さに溜息を吐くのであった。
おまけ:
晋書四夷伝にある
「名曰卑彌呼 宣帝之平公孫氏也 其女王遣使至帶方朝見」
という部分。
宣帝は司馬懿の事。
主流の訳は
「名を卑弥呼と言う。
司馬懿が公孫氏を平定。
女王は帯方郡に使者を派遣して朝見した」
ですが、
「名を卑弥呼と言って、司馬懿が平定した公孫氏なり。
女王は(以下略)」
と解釈するのもあるようです。
公孫度と卑弥呼同族説ってのを紹介だけしました。




