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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第七章:中原大戦
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関羽救援作戦

 青州牧・劉亮の下には多種多様な人材が居る。

 その中で多数派は儒学の徒であった。

 孔子の子孫・孔融が州牧をしていたり、高名な儒学者・鄭玄の故郷で、かつ私塾を開いたり余生を過ごしていたりと、儒学系の人材が集まる事に掛けては天下で二番目と言えた。

 その儒者系官吏がもっとも喜ぶ仕事、それが天下一の儒者の国・荊州への使者であった。


 劉亮と劉備が若い時分、宦官に睨まれた劉表を洛陽から脱出させる依頼を受けた。

 その時に劉表と親交を持った劉亮は、お互いが州牧になって以降は使者の往来を欠かさない。

 劉亮の中の人は、儒学の細かい字句解釈とかは興味が無かったものの、そういう態度を見せては侮られると知っている。

 年齢的なものもあり、劉表を師とする表現で親交を続けていた。

 なお、劉亮の前世において、彼は知り合った各国の有力者や、日本国内の企業人や官僚等に、季節折々の手紙だったり、時には贈賄になる程の贈り物なんかをしていた。

 こっちの世界に来てからも、妻の生家にあたる烏桓族を初めとした北方民族、亡き師・盧植やその関係者、袁紹・劉虞・曹操、更には最終的に敵対したが公孫瓚や董卓なんかとも、交流を続けていたのだ。

 要は、転生前のルーティーンをそのまま続けていたのだが、これが役立つ時が来た。

 別に狙ってやっていた訳ではないが。


 いつものように劉表への使者が行く。

 しかしそれは、いつもより人数が多いし、車列を作ってすらいた。

 車の中には、臨淄で作られた陶器や織物が積載されている。

 冀州の警備隊に誰何されるも

「荊州牧殿への使者である」

 と説明。

 これはいつもの事なのだが、贈答品がいつもより多い。

 上に報告が行く。

 見せても構わない書状には、儒学の問答とも見えるし、意味深な依頼文のようにも読める文章が書かれている。

 こうして袁紹陣営に対し

「劉亮は劉表を動かして、徐州を攻めている曹操の背後を脅かすつもりだ」

 という思考へ誘導していったのだ。


 なお、この小細工書状を考えたのは陳羣であった。




 陳羣は、劉亮が字も汚い癖に、やたら記録を残す事を興味深く見ている。

 議事録というのもそうだ。

 確かに軍議等の結果を、書記官は記録にして残す。

 しかし劉亮の議事録は、誰がどう発言したかを残していて、およそ文章の体裁を為していない。

 それでも、読めば会議がどう進行していったのかよく分かる。

 留守を任される事が多い陳羣や幽州の田豫にとっては、情報共有出来る貴重なものである。

「自分の発言を記述されたくない人も居るでしょうに」

 と陳羣は笑っていたが、言った言ってない論争を封じる為にも、言文一致の証拠は重要なものと言える。

 歴史的には中々普及しなかったが。


 その議事録の中から、徐州で劉備が語った曹操暗殺計画の下りを複製(コピペ)し、それを冀州の袁煕に送りつけた。

 受け取った袁煕にしたら、書状とも言えない謎の文の記述体に

「何だこれは?

 口調をそのまま書いている等、目が滑って読むに耐えん」

 と拒否反応を示すも、代読させたのを聞いた瞬間、曹操暗殺計画の顛末を知る事が出来たのだ。

 冀州にも、許都で董承をはじめとした廷臣が捕縛されたという報告が入っている。

 皇帝劉協を認めていない立場の袁紹にしたら、興味の湧かない宮廷闘争に過ぎない。

 しかし、皇帝が曹操の暗殺を命じていたとなれば話が違う。

 如何に認めていない皇帝とはいえ、曹操討伐の大義名分にはなるのだ。


 これを直ちに父に届けた袁煕は、袁紹が意外な部分を気に留めた事に驚く。

「面白いな。

『朕を大事に思うならよく補佐して欲しい。

 そうでないなら情けを掛けて退位させよ』

 とはな……。

 協皇子は退位しても良いと思っておるのか」

「それは曹操への脅しではないのですか?」

「かもしれん。

 しかし、皇帝ともあろう者が、こんな事を言うとは。

 よろしい、ならば退位をさせてやろうぞ。

 穏便に退位となれば、帝王の礼をもって余生の面倒を見てやっても良い」


 劉亮の予想外の部分が刺さった袁紹のツボであったが、とにかくこれで袁紹も動く気になり始める。




 小細工が効き始めた頃、劉亮は本命の作戦を遂行していた。

 それは下邳城に籠る関羽への物資搬入作戦である。

挿絵(By みてみん)


 徐州では、青州州境に近い琅邪国で劉備が抵抗を続けている。

 ここは青州からの支援が入る為、最後の拠点である姑幕で必死の守戦を続けられていた。

 一方、下邳城は青州から遠い。

 曹操は下邳の包囲に曹仁、張遼、李典を残し、自分は劉備を追い詰めている。

 曹操軍の別動隊ではあるが、包囲網に隙は無い。

 曹操が姑幕の劉備を撃破したなら、即座に下邳に向かうと、「史実」から劉亮は予想する。

「史実」では関羽は曹操に降伏し、厚遇を受け、袁紹軍での戦いでは客将として活躍する事になっている。

 それをさせない為にも、下邳が降伏しないよう手を打たないと。


 劉亮軍は全軍騎馬隊、それが曹操本隊には接触せずに、徐州を駆け抜けて下邳に向かった。

 当然ながら、曹操の物見部隊がこれを発見、曹操本陣に報告が入る。

「これは烏桓の兵法だな」

「左様、小臣も考えます。

 彼等は強い部分を避け、弱い部分に矢を射かけ、機動力を生かしてこれを繰り返して敵を消耗させます。

 この本陣に攻めて来るなら、馬上の軽弓よりも射程距離の長い弩を使って迎撃が出来ますが、どうやら下邳に向かったようですな」

「一戦して包囲網を突き崩し、関羽を城から逃す算段だな。

 荀攸、我が命令書を下邳に送れ。

 劉備の増援を撃破せよ、そして関羽を生け捕りにせよ、と」

「は??

 あの……劉亮殿だけでなく、関羽も登用されるおつもりですか?」

「そうだ。

 あの男も劉備にはもったいない」

(曹仁将軍、同情しますぞ。

 あの猛将は呂布に匹敵するので、生け捕りは至難の業でしょう……)


 劉亮軍は曹操の物見から見て、三万五千騎と見られていた。

 しかし、実際の兵力は一万五千人である。

 二万頭は人の乗らない馬であった。


「楼煩は、いつものように外から敵陣に矢戦を仕掛けよ。

 高順将軍は、楼煩と戦って長距離戦となった敵陣に突っ込み、近距離からの馬上戦をされたし」

「心得た。

 兎に角、曹軍の目を貴方から遠ざければ良いのだな」

「そうです。

 それが肝です」

「しかし、馬が勿体ないですな」

「私にとっては関羽殿と下邳城の方が大事です。

 馬は……飼育してくれた人には悪いですが、烏桓や鮮卑に頼めば売って貰えますから」

「そうですな。

 馬を惜しむより、関羽将軍を助ける事に尽力しましょう」


 こうして楼煩率いる三千騎が、まずは曹仁軍に矢の雨を降らせる。

「小癪な。

 弩を用意せよ」

 連射性の馬上弓に対し、射程距離に勝る弩。

 車を並べて防壁とし、そこから弩による攻撃が、匈奴と戦って以来の対騎馬民族戦術の一つである。

 曹仁は当然その戦法を使った。

 そこに高順率いる五千の、旧呂布軍騎馬部隊が襲撃を掛ける。

 だが曹仁も奇襲を許すような間の抜けた将ではない。

 直ちに張遼を出撃させて、これを迎え討つ。


「久しいな、張遼!」

「お前も壮健だったようで嬉しいぞ。

 呂将軍が死んだ後、お前も共に死のうとしていたからな。

 生きて会えて嬉しいぞ、高順」

 この二人は共に呂布に仕えていた。

 こうして仕える主を変えての再会となる。

「久々に会えて嬉しいが、俺はお前を倒さねばならん」

「おお、その通りだ。

 存分に戦おうぞ」

 張遼隊と高順隊が矛を交える。


「残る将は劉亮。

 俺があの烏桓兵に警戒し、張遼を高順が引っ張り出した。

 残る二万騎以上が後方から襲って来るだろう。

 だが、そこには李典が罠を張って待ち構えている。

 殿の要望は、劉亮と関羽の生け捕りだ。

 劉亮を捕らえれば、それを人質に関羽も捕らえられよう」

 曹仁はそう考えて布陣していた。


 劉亮にとっては、曹仁が自分の奇襲を警戒して陣を固めてくれる事こそ、望む状態であった。

 劉亮の本隊五千人は、二万騎以上の馬を引き連れて曹仁軍の前に姿を現す。

 だがその向かう先は、曹仁の陣ではなく下邳城であった。


「は?

 騎兵が城に向かった?

 劉亮は兵法を知らんのか?

 騎兵の使い方は守城ではない。

 そんな事をしたら、馬の機動力を無駄にするだけだ。

 それに、騎乗技術の高い烏桓や匈奴は、防戦には向かんぞ」

 曹仁と李典は首を傾げる。

 守りを固めていただけに、下邳に向かって即出陣ともいかない。

 城からの挟み撃ちを警戒して、城から離れて陣を敷いていただけに、猶更である。


「関羽殿!」

「おお、叔朗殿ではないか!」

「武器、食糧、衣服、薪等の燃料、その他諸々。

 馬ごと置いていくから回収されよ!」

「心得た。

 皆の者、門を開けて馬を城内に引き入れよ」

 これは思考の盲点と言えた。

 物資輸送は車を使って行うもの。

 馬や牛の背に乗せての輸送は、無かった訳ではない。

 だが、車の方が多くを運べるし、馬や牛は曳き手が必要であるから、決して車より便利とは言えなかった。

 これが騎馬民族となれば話が違う。

 彼等は替え馬を曳きながら、百里を掛け抜けていく。

 一人の騎乗者が、数頭の馬を連れて移動する等、普通の事なのだ。

 だから劉亮軍の烏桓兵は、物資を乗せた馬を連れながら、戦闘を避けて関羽の元までたどり着いたのである。

 全員騎兵だった為、高速移動も出来た訳だし。

 なお、実際に兵を指揮したのは妻の白凰姫であり、劉亮は馬にしがみついていただけだ。

 そして、物資を積んだ馬ごと置いていく。

 馬は戦闘時に乗って使っても良いし、残酷な言い方だが非常食にもなる。

 これで関羽軍は、しばらく籠城を続けられるのだ。


「関羽殿、この城の守りをお願いします。

 持ちこたえて下さい。

 我々は決して見捨てません。

 今回みたいに、命がけで来援しますから!」

「応っ!

 青州牧ともあろう人が、自ら荷物を持ってやって来た。

 この心意気に応えん儂ではない。

 きっと、この城を守り通そうぞ」

「お頼みします!」


 こうして身軽になった劉亮隊は、李典が手勢を率いて駆け付ける前に、その足を生かして逃げ去ったのである。

 劉亮は、前世の記憶から「攻撃力と速力が命の駆逐艦を使って、急いで物資を届ける『ネズミ輸送』」というものを引き出す。

 確かに輸送船とか、車両を使っての輸送に比べて大した量は運べない。

 しかし、物資以上に「決して見捨てない」という意思と、「いざという時は主筋の者でも命を掛ける」という決意を届けるなら、これでも十分であった。

 兵士としての援軍は得られなかったものの、この作戦によって関羽軍の士気は大いに上がった。


 報告を聞いた曹操は、下邳陥落が大分先になった事、そして徐州に長く留まる事で袁紹が動くであろう事を悟った。

 そして苦笑いを浮かべながら

「やはり劉叔朗、面白い奴だ。

 大事な馬を、こうまであっさりと棄てて行くとはな。

 烏桓の知恵かもしれんが、それでも中々やれん事だ。

 二度は通用せんが、とりあえず今回はしてやられた。

 荀攸、何としてもあの男を俺の部下にするぞ!」

 と宣言していた。

おまけ:

荊州には「荊州学」と呼ばれる、古文学解読と経書の本義を平易に読み解く儒学が栄えていました。

これは繁雑な経書解釈をしていた鄭玄へのアンチテーゼとも言えます。

一方、益州でも「蜀学」(宋の時代の儒学の一派とは別物)という学問が興りましたが、儒学と言いつつ占い・天文といったものでした。

もしや、蜀滅亡の時に宦官の黄皓が呼んだ未来を占う巫女って……?


なお、この物語における劉亮、そして劉備は儒学の学問的な部分には興味が全く無いので、学者に好きなようにやらせてます。

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― 新着の感想 ―
[一言]  この話を読んだ後世のある将軍がとんでもないメチャクチャな補給方法を編み出しそう。  例えばインパールとかで。
[一言] 結婚して以来、一貫して奥さんが大活躍してるの地味に好き。 この人もう間違いなく歴史にフルネーム残るでしょ。劉亮はまず間違いなく漢書に列伝作られるだろうし、セットで。なんなら夫婦関係に関する故…
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