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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第七章:中原大戦
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袁術の亡霊

 徐州で劉備が、何ともモヤっとした天下取りを宣言する。

 だが当分は、曹操配下を装いながら力を蓄えよう。

 劉亮は、劉備の妻子を青州・臨淄に移すよう進言する。

 もしも「史実」通りに進展するなら、劉備の妻子はこの先の戦いで曹操に囚われてしまい、結構な足枷になってしまうからだ。

 劉備は渋っていたが、袁紹の娘を曹操に捕われてはならないと劉亮が強く言うと、確かに戦場には置いておけないとなった。

 曹操は、敵の嫁を奪うとかは、悪いと思わずに平然とする男なのだし。


 妻子と言えば、張飛の方も驚きだ。

 いつの間にか結婚していて、しかも妻は夏侯氏の女性である。

 夏侯氏とは、言うまでもなく曹操の血縁、親族衆の筆頭家系である。

 曹操の義祖父は大宦官の曹騰だが、その養子の曹嵩は夏侯氏から養子に入ったものである。

 だからか、曹操の旗揚げの時から夏侯惇、夏侯淵が部将として従っている。

 そしてその血縁が皆、曹操陣営において上から下まで活躍をしていた。

 その夏侯氏の娘が張飛の妻となっている。

「随分と小柄で華奢な女性ですね」

「まあなあ。

 こんなデカい男の妻には不似合いかもしれんなあ。

 夏侯淵や夏侯惇のような女の方が、俺にはお似合いだったかもしれんが」

 張飛はそう言って、照れ笑いする。

 小柄な女性だからって別に悪い事ではないし、劉亮の中の人の記憶でも

「後の蜀漢皇帝劉禅の皇后は張飛の娘で、夏侯覇が亡命して来た時は母方の親族として優遇した」

 となっているので、夏侯氏の嫁は史実通りと言えばその通りなのだが。

 どういう経緯で曹操血縁の夏侯氏が、群雄の一人に上ったとはいえ、その家臣の張飛に娘を嫁がせたのか、大いに気にはなる。

……曹操の許可については、考えなくても予想が着く。

「面白そうじゃないか」

 の一言で片付きそうだ。

 あの男は立場による性格の変化が、ほとんど見られないのだから。


(曹操は恐らく俺の知る「史実」通りに動く。

 許都で董承らの企みを挫く。

 その後、必ず徐州に攻めて来る。

 劉備がこの戦いで生き残る事は知っているが、我々の歴史に無い劉氏については読めない。

 ここは上手く立ち回らないと)

 劉亮はそう思って策を弄しようと決意する。

 ある意味曹操は、変わらない男だから「同じ状況なら、きっとこうする」というのが「史実」を元にすれば読みやすい。

 曹操にはそういう面では、妙な信頼があった。




 一方の冀州では、袁紹が変わっていた。

 今までも少しずつ変わっていたのだが、近くで仕える者たちからしたら気がつかないものだ。

 別に悪い方に変わった訳ではないから、成長した、良い事だ、となる。

 昔の袁紹を知っている者だけが

「いやあ、若い時に比べて……」

 と言えるのだが、袁紹自身は「認めたくないものだな、自分の若さゆえの……」という感じなので、それを口にする事は遠慮されていた。

 だが今回の変化は、目に見えてハッキリしているし、賛否両論あるものだろう。

 袁紹は、自ら皇帝になる事を目指すとしたのだから。


 袁紹は元々、士大夫が望む「古き良き漢の再興」を掲げていた。

 だからこそ士大夫層が多く集った。

 そして、董卓によって擁立された皇帝・劉協を認めない立場である。

 そこで劉氏の中で、もっとも器量と力量があり、かつ自分とも仲が良い劉虞を「正当な皇帝」にしようと考えていたのだ。

 皇帝劉虞、大将軍袁紹、三公に袁氏の面々、これが彼の望んだ政体。

 しかし劉虞に皇帝になる意思は無く、妥協案として河北諸州を束ねる地域の帝王「河北王」になって貰う事にしたのだが、これは劉協の長安脱出と、公孫瓚が劉虞を殺した事で潰える。

 袁紹は劉虞の子・劉和を担いで、公孫瓚を討ち、劉備の弟で幽州の一部と青州を統治する劉亮が傘下に加わった形となって、河北を掌握する事に成功した。

 河北を手に入れた袁紹陣営では、部下たちが次の目標を考えている。


 既に述べたが、袁紹陣営には二つの戦略があって、それがせめぎ合っていた。

 一つは長期戦派。

 河北を盤石にするのが先決とするもので、ここは青州と幽州を完全併呑、つまり劉備陣営をも倒す事を主張していた。

 もう一つは速戦派。

 すぐにでも許都を襲い、曹操を倒して中原の地を全て掌握しようというもの。

 ここは劉備陣営に対して「別動隊として曹操と対峙して貰う、それであれば倒す必要は無い」という考えだ。

 袁紹の考えは分からなかった。

 どちらの意見もよく聞いていて、どちらかに加担する事もしなかった。

 その理由として、昨年まではまだ公孫瓚との戦いが続いていて、対曹操どころではなかった事が挙げられる。

 もっと前には、自分と同じ名門の力で天下を二分した袁術との対抗上、多くの者を味方につける必要があったし、その時点では曹操は配下扱いであった。

 韓馥に対してしたように、配下や身内の所領でも併呑しようという意見を述べる者も居たが、袁紹は器量を示すかのように割拠を認めていた。


 しかし、今年からは事情が違う。

 袁術は既に政治的に敗北し、残滓を吸収する予定であった。

 劉備のスタンドプレーで予定通りの合流は出来ず、袁術自身は病死してしまったが、袁術に仕えていた者が散り散りになりながらも冀州に来て袁紹に仕えている。

 ある意味、生きていれば権力を復活させるかもしれない袁術個人の死は、血筋的に劣る袁紹には都合が良かったのかもしれない。

 そして河北に現状敵が居ない。

 これからの事を示す必要があった。


 袁紹は身内だけを集めて、自分が漢を幕引きし、漢を引き継ぐ王朝を立てる事を告げる。

 驚き、拒絶したのは袁隗をはじめとする、洛陽の朝廷に仕えていた者たちであった。

 彼等はかつて、袁紹が反董卓連合軍を結成し、それに袁術が加担した事で殺されそうになった者たちである。

 劉亮が上手く烏桓の地に逃し、董卓も薄々感づいてはいたが追手を掛けなかった為、生きて袁紹の庇護下に入る事が出来たのだ。

 彼等からしたら、皇帝劉家は絶対的なものであり、だからこそ「劉虞を立てて、士大夫が支える正しい漢」という方針に賛成していた。

 しかし袁家には違う考え方もある。

 易学を家学としていた袁家では、易姓革命にそれ程抵抗が無い。

 だから袁術は皇帝に成ろうとしたのだ。

 その事を例に出し、反対する袁隗。

 それに対し、袁紹ではなく袁尚が反論する。

「大伯父上、父上は放伐をしようと思ってはおりません。

 禅譲を受けようと思っています」

「禅譲だと?

 あの王莽のようにか?」

「例えは悪いのですが、その通りです。

 許県にいる皇帝に正当性はありません。

 これを廃して、劉和を皇帝に擁立するのが第一。

 劉和は父の劉虞と同じで、皇帝になろうという覇気はありません。

 故に劉協から劉和に帝位を移す、これは劉家間の事なので問題はありません。

 然る後に新帝劉和から帝位を禅譲を受けるのが第二。

 これが天下の為なのです」


 袁隗は袁紹の周囲を見る。

 息子たちが父に従うのは分かる。

 その他の連中の事が気になった。

 周囲には、袁術の元から先んじて逃げて来た袁氏の者たちが(はべ)っている。

 袁袁合流の交渉の為と言えば聞こえが良いが、真っ先に袁術から鞍替えしたのだ。

 その中に、易学を専門に研究している者も見つけ、袁隗は察する。


「お前らか、公路の亡霊どもよ。

 お前らは公路を皇帝に祭り上げた。

 まあ、公路自身にも欲望があったから、お前らが悪いとは言わん。

 だが公路の『仲』とかいう国は潰えた。

 だから寄生先を変えたのだな?

 先程、顕甫(袁尚)が語ったものは、お前たちが書いた筋書きであろう!

 今度は本初を皇帝とし、自分たちは辻褄合わせの立役者をとして、甘い汁を吸う気なのだろう。

 浅ましい奴等め!」

「大伯父上、当主たる父を(あざな)読みとは失礼ですぞ」

「分かっておるわ!

 公式の場ではやらんわ!

 ここは袁家の者だけの集まりだから、最年長者として振舞っても良かろう。

 お前たちこそ、儂に対する礼儀を弁えろ!」

 流石は太傅にまで上った男、楽隠居していたとはいえ、迫力は健在だった。

 そして、一方で袁紹に対する配慮も忘れてはいない。

 字呼びこそするが、この場で面と向かって袁紹に意見をしたりはしない。

「お前はどう思っておる? 顕思(袁譚)」

 名指しされた袁譚は、神妙な表情で

「私は父の意向に従うまで」

 と回答。

 袁隗は真面目な顔で

「そうしてお前は皇太子となるのだな」

 と返すと、袁譚と袁尚がギョッとした表情になる。

「何を驚く?

 本初が公路の意志を継いで皇帝となれば、袁家嫡流の養子たるお前は皇太子になる資格を持つだろう、顕思。

 それとも、自分は養子だから、もう一人の本初の正室の子である顕甫(袁尚)に太子の座を譲るのか?」

 この場に微妙な空気が漂う。

「皇帝になるとは、そういう事なのだぞ。

 袁家ですら、本初と公路の系統でいがみ合った。

 まして皇帝ともなれば、後継者問題は天下を乱す争乱の火種となる。

 それを分かって、父の意向に従う等と、分かったような事を言っておるのか?」

 袁隗がそう噛みついた所で

「伯父上、その辺にしておいて下さい」

 袁紹がやっと口を開いた。


 当主の発言に周囲は黙り、次の言葉を待つ。

「伯父上、貴方の言は正しい。

 正しいが、それを言ってどうにかなる事でもない。

 貴方は、漢の朝廷の士大夫の悪い所を出している。

 批判は結構、そして私が反逆思想を持っているのもその通り。

 そこで尋ねる。

 現在の劉家に、皇帝となり得る者は居るのか?」

「う……それは……」

 流石にこの場では「皇帝について臣下が語るな」という建前は言わなかった。

 荊州の劉表、益州の劉璋、徐州の劉備・劉亮、更に劉虞の同族の劉曄など、心当たりはあるが「皇帝となり得る劉氏か」と言えばどうだろう……。

「認めたくはないだろうが……御今上がおわす。

 あの方は、董卓による擁立という負い目はあっても、悪い方ではない」

「董卓の、次は李傕の、今は曹操の専横を許しているのにか?」

「ああ……そうだ……」

「見解の相違ですな。

 私は今でも協殿下を陛下と認めていない。

 漢朝は先帝(劉弁)で終わったのだ。

 劉虞殿を皇帝にして漢を復興させようとしたが、それも潰えた。

 劉和はその器ではないようだ。

 ならば、誰かが漢の幕引きをし、新しい世にしなければならない。

 新しい世といっても、玉座の主が入れ替わるだけ。

 幼帝が多く、宦官や外戚の跋扈を許す劉家ではなく、もっと逞しい血筋の方が世が安定する。

 顕思(袁譚)と顕甫(袁尚)の皇太子争い?

 結構な事ではないですか。

 光武帝以降の劉家で、成人した、それぞれに素質がある兄弟による皇太子争いは有ったのか?

 袁家には、この二人以外にも成人した兄弟が居る。

 この顕奕(袁煕)も、少々体が弱いが顕雍(袁買)も控えている。

 幼君しか出さぬ劉家より、余程天に愛されておると、私は思っている」


 袁隗にも反論があったが、言い返せなかった。

 袁家とて劉家のように、将来は幼君しか出せなくなるかもしれない。

 現在大人になった劉協が、多数の子を成してそれを成長させれば、袁紹の言う「幼君ばかりの血筋」から抜け出せるかもしれない。

 可能性は幾らもあるが、それを言っても、あくまでも「可能性」でしかない。


 袁隗にとって、劉家の健康状態以上に気になったのが、袁紹の事である。

 袁術という袁家の嫡流に仕えていた者が、多く鞍替えして来た。

 そして袁術の周囲にあった空気をそのまま持ち込んでしまった。

 袁紹は今、袁術の亡霊に取り憑かれているのかもしれない。

 袁術の残り香たちが書いた脚本を、滔々と朗読しているように見える袁紹には、今は何を言っても無駄なのかもしれなかった。

おまけ:

張飛夫人に聞いてみました。

「身分が低く、士大夫ではない張飛のどこが良かったんですか?」

夫人「イケメンなところ」


……案外こんな感じだったりして。

張飛に攫われたとか言われてるけど、結婚した時まだ少女だし、夏侯家自体は

「もっと身分が良い所の、戦場に行かない官僚とかにしてくれ!」

と思ったかもしれないが、本人が惚れたのと、曹操が

「まあ、何かの布石になるかもしれないし」

とか言って認めた可能性。

そんで納得いかなかった夏侯家が

「娘は野山で山菜採っていた所、張飛に攫われたんだ」

ってシナリオにしたって所で。

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― 新着の感想 ―
[一言] >荊州の劉表、益州の劉璋、徐州の劉備、更に劉虞の同族の劉曄 このメンツなら主人公の名前あがっても良いのでは? 話のキモは劉氏間での優劣だし
[気になる点] 字で呼ぶのはむしろ尊重した呼び方では?
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