建安四年正月
呂布は死んだ。
徐州は曹操が制圧する。
劉亮は、ただ呼び出されただけで、所領を得る事はなく青州に帰還する。
しかし、何も得られなかった訳ではない。
呂布の死後、呂布の部下たちも相次いで降伏する。
その際、有力武将の張遼を劉亮は部下にしたいと申し出た。
彼に敗れた事もある劉備も部下にしたいと望む。
当然、そんな男を曹操が手離す訳もなく、張遼は曹操の部下とされた。
そこで劉亮は、同じく有力武将の高順を欲する。
高順は拒絶し、曹操も処刑する方針ではあったが
「州牧として仕事している者をわざわざ呼び出しておいて、土産も寄越さないのか!」
と劉亮が吠えた事で、曹操は苦笑いしながら、高順を連れて行く事を許した。
高順は自分を部下に欲しいと言っているのが劉亮だと聞かされ、態度を改める。
高順は、董卓に何度も諫言し、投獄されながらも節を曲げなかった劉亮に共感を覚えていた。
高順もまた呂布に忠誠を誓いながらも、諫言を何度も拒否され、疎んじられていた。
その上で劉亮は董卓を裏切ってはいない。
腰には相変わらず董卓から貰った刀を吊っている。
自分も呂布を最後まで裏切らなかった。
高順は
「自分は死んだも同じだ。
どう使ってくれても構わない」
と言って、青州行きを了解したのであった。
許都に戻る兄と別れ、太史慈と共に青州に帰った時、既に年の瀬であった。
劉亮は留守を守ってくれた劉徳然に礼を言うと同時に、使者の依頼をする。
場所は冀州鄴城、袁紹の元へであった。
劉徳然は袁紹派であるから、これを喜ぶ。
しかし、何の使者なのか?
「年賀の挨拶に行くという先触れです。
そのまま冀州で待っていて下さい。
そこで改めて、冀州殿に挨拶をしましょう」
劉亮は呼び出されたとはいえ、曹操と会ってしまった。
こういう時、袁紹にも挨拶しておかないと、名門の人っていうのは何かと面倒臭い。
袁紹は劉亮の事を気に入っているようだが、それでも礼儀は守らないと。
幽州と青州の飛び地になっている所領を結ぶ「渤海回廊」は、相変わらず袁紹の領土なのだし、今は敵に回したくない。
こうして冀州に挨拶に行った劉亮は歓迎される。
単に袁紹お気に入りというだけではない。
わざわざ挨拶に出向くという事は、傘下に入っているという意思表示なのだ。
幽州の一部と青州全域を支配する劉備の弟で、事実上の統治者が来たのだから、それは袁紹の声望を天下に知らしめるものなのだ。
「劉叔朗殿、わざわざの挨拶痛み入る。
兄上は息災か?」
立場的に高い位置に祭り上げられている袁紹が、威厳を示しながらも優しく問うて来た。
「は……、兄・劉備は許都に帰還致しました。
先日会った時は壮健で、冀州殿にもよろしくと伝言預かっております」
「うむ。
叔朗殿は孟徳とも会ったな?」
「はい」
「どうであった?
あ奴は相変わらずだったか?」
「はい、全く洛陽の悪戯小僧のままでした」
「ハハハ……、孟徳らしいな。
しかし叔朗殿、孟徳からは呼び出されたらしいが、私の元には自ら出向いてくれた。
その心遣い、実に頼もしいぞ」
「はい」
「貴殿の従兄弟の劉展殿も、我が愚息を助けてよく戦っておる」
「あの者は迷惑を掛けておりませぬか?」
「公孫瓚は親の仇らしいな。
先駆けて仇討ちに行こうとし、抑えるのが大変だと聞いておる」
「ご迷惑をお掛けしておりますな。
お詫び申し上げます」
「いやいや、実に結構な事だ。
易京攻略の際は、大いに暴れて貰おうぞ」
こうした会話の後、袁紹主催の年賀の酒宴に劉亮と劉徳然は招かれる。
感動ひとしおな徳然と違い、劉亮は袁紹の変化を感じていた。
(なんか覇気、生気が感じられなくなった……)
若き日の袁紹は割と短気だし、果敢な面があった。
だが、いつまでも同じではいられない。
多くの者を束ねる存在として、大人にならなければならないのだろう。
……今でもクソガキな曹操とは随分違う。
あの人、四十三歳にもなって、どうしてああなんだろう?
まあ劉亮の前世では、四十代でもアイドルに嵌まってオッカケをしていたり、ゲームジャンキーだったり、親の脛を齧って子供部屋で生活したり、そういうのはザラだったが……。
でもあの人、十万の将兵の上に立つ群雄だよなあ。
袁紹の宴席は華やかなものであった。
現在の許都の朝廷は知らないが、洛陽時代を知っている劉亮からしたら、あの時のままに思える。
百官が集い、宴会芸として詩が朗読される。
さてそんな宴席だが、袁紹の傍に座っている人物が劉亮には気になった。
「恐れながら、あの方はどなたですか?」
意図的に隣の席にされた袁隗に聞いてみた。
「ああ、あの方は淳于瓊殿だ」
「随分と席次が上ですし、冀州殿の前でも随分と大きな態度をしていますね」
「そりゃあ殿とは西園八校尉の頃の同格だし、殿が渤海の太守になられた時に一緒に下向され、我が軍の増強に尽力なさったからなあ。
ただ、いつまでも客将意識が抜けないから、皆は苦々しく思っているよ」
如何に「四世三公」の家柄とはいえ、董卓から逃げ出した時点での袁紹には、それ程の軍事力は無かった。
袁家の主流は袁術の方で、官職も後将軍を当時勤めていた袁術の方が上である。
汝南袁家の部曲は袁術の方に従っていた。
だから、同じ西園八校尉の淳于瓊が味方につき、軍事力増強に協力したとなれば、短時間で反董卓連合の盟主になれるだけの力を持った事に納得がいく。
劉亮は、劉備に対する関羽の態度を思い出していた。
関羽は表向き劉備を立ててはいるが、私的な場では対等に振舞っているし、基本今でも劉備とは対等の同盟者である意識が抜けていない。
張飛が劉備本軍に居て常に指揮を執っているのに対し、関羽は別行動が多い。
それと似たような関係なら、その態度に袁家の皆が少し眉を顰めつつも、認めざるを得ないのだろう。
袁紹軍は、三つの集団から成り立っているようだ。
一つ目は淳于瓊の軍団。
淳于瓊の近くでやはり態度がデカく振る舞っている二人は顔良と文醜だろうか。
二つ目は旧韓馥の家臣団。
沮授、田豊、審配、張郃といった者たちである。
三つ目が袁紹の元に集った名士たち。
郭図、逢紀、荀諶、高幹、許攸といった面々だ。
これらの集団は、袁紹を天下人にするという事では方針を一にするが、過程についての意見はバラバラである。
かつて劉虞を擁立し、今はその子の劉和を担いで、許都の皇帝に対抗しようという者。
許都を強襲して皇帝を奪い、手元に置こうとする者。
そして…………。
宴席では袁隗が傍に居て雑音を遮っていたが、翌日から青州に帰るまでの間、劉亮の元には来客が相次ぐ。
彼らは曹操の軍について知りたがった。
また、最新の曹操の様子も。
どうやら曹操とは早晩対立するだろうと考え、情報を集めようとしている。
方法には違いが有り、即戦派も居れば、敢えて戦わず、北から圧力をかけ続ければ良いとする者も居る。
袁隗が教えてくれたが、中には「劉備も滅ぼし、青州・幽州を完全に支配下に置こう」と考えている者も居る為、それは注意しないとならない。
いずれにせよ、袁紹の家臣たちは活発であった。
活発が行き過ぎて、派閥を作って意見を戦わせるに留まらず、相手を誹謗中傷したりもしているが。
そんな中で、劉亮の中では次第に袁紹の顔が朧げになって来た。
どうも袁紹自身が何を考えているか、よく分からない。
優柔不断というより、敢えて何も言わないようにしている感じだ。
そんな家臣たちが活発な冀州において、劉亮は気になる存在を知る。
楽隠居の袁隗はよく遊びに来るのだが、その袁隗から
「最近、公路(袁術)の元に居た袁家ゆかりの者が、こちらに鞍替えしているのを見る」
と聞かされる。
袁術が皇帝を僭称したからではない。
彼等は袁術即位には賛成していた。
単に袁術陣営がボロボロになったから、見限って優勢な方に付いただけである。
だが……
「袁家の中で、ろくに名も残せぬような下らん連中ばかりだが、一門親族には変わりがない。
あやつらは、公路の代わりに本初を寄生木にしようとしておる。
本初も同族を大事にしておるが、儂は好かん。
あやつらに本初が悪影響を受けんか、気掛かりじゃ」
と、袁隗は嫌悪感を示していた。
劉亮が袁紹の元に年賀の挨拶をした事で、袁紹陣営の内情を知る事が出来た。
しかし、それ以上の収穫は新しい出会いであろう。
「よお、義弟殿」
声を掛けて来たのは烏桓の単于・蹋頓であった。
「蹋頓殿、どうして此処に?
……って、此処に居る理由は私と同じですね」
「そうだ。
新年の挨拶だ。
袁王はお前より気前が良く、色々くれるからな。
ハハハ、気にするな。
お前や劉虞殿が我々が損をしない市場を開いてくれたから、袁も曹も我々と対等の交易をする。
お前の市場と比較されるからな。
北の者はお前と劉虞殿の徳を忘れてはおらんぞ」
豪快に笑う蹋頓であったが、それにしても烏桓の単于がわざわざやって来た事には違和感があった。
普通は使者を送れば済むのに。
その疑問に感づいたのか、
「たまたま并州まで来ていたのだ。
そこに、お前が冀州に来ていると聞いたのでな、義弟に会いに来たんだよ」
と先んじて語る。
劉虞や劉亮の政策の影響で、「史実」よりも北方民族が頻繁に漢土にやって来る。
時々癇癪を起こして暴れたり、自然に拉致をしようとする困った面はあるが、遊牧民たちも基本的に大人しくしている為、長城の内側でもよく見るようになった。
敵視する公孫瓚は易京に押し込められている。
後は、袁紹も曹操も騎馬民族を自軍の戦力に組み込みたい為、友好的に振る舞っていた。
劉亮のお陰と言うか、劉亮のせいと言うか、北方民族が自由に各州を歩き回っている。
それは今の所、上手くいっているように見えるのだが……。
「時に義弟よ。
義妹は達者か?」
と聞いて来る。
現在二人目を妊娠中との報告を、徐州からの帰還後に聞いたと話すと
「あれは子を何人でも産める巨体だから、まだまだ頑張れ」
と言って笑った。
蹋頓の言葉は現実のものとなる。
蹋頓はまた話題を変える。
「常々お前に会いたいって言っていた者も一緒に来ている。
袁王より先になるが、挨拶を受けてくれ」
そう言って、他の遊牧民の大人を紹介。
「お初にお目に掛かる、劉大人(劉亮)。
儂は鮮卑の魁頭と言う」
「儂は匈奴の呼廚泉だ。
曹操に従っているが、劉大人には会ってみたかった。
噂に聞いていた通り、胡族の刀を持っているな」
(単于が三人も揃うって、どういう事だよ!)
烏桓、鮮卑、南匈奴の長の揃い踏み。
ここを兵が襲撃したら、漢帝国の北方民族対策が一気に片付くのでは無かろうか。
そんな事が頭を過ぎる。
遊牧民たちはそんなの知った事じゃない。
「是非とも我々と酒を酌み交わそうぞ」
「そうだ、酒は楽しく飲まんとな!」
「馬乳酒もいけるぞ、我が義弟は」
「それは嬉しい。
我が杯を受けて貰うぞ」
「ガハハハ!
そういう訳だ。
逃げる事は許さんぞ。
帰るまで毎日付き合って貰うからな!」
自身が青州に帰る日ではなく、彼等が北に戻る日まで引き留められた劉亮は、二日酔いと迎え酒と、酔って余計な事を言ったと後悔する日々を過ごすのであった。
おまけ:
劉亮「……徐州でも冀州でも……曹も袁も烏桓も……飲まされてばかりだ。
この借りはいつか返してやるぞ……」
と伏線張っておきます。
あと劉亮の酒の件は、当時の酒の問題が相当に大きいです。
孫権たちの酒癖の悪さも、この悪酔いしやすい酒のせい……かも?
飲めば飲む程に劣化していく酒ですので。




