世の中はより混沌に……
劉亮と呂布は、共に董卓の元で騎都尉を勤めていた。
しかし会った事は無い。
中々機会が無かった事に加え、呂布が董卓の傍で重用されていた時期、劉亮は投獄中だったり自宅軟禁中だったりしたからだ。
劉亮が董卓と通貨問題について話していた時には、呂布は董卓の女官と密通していたらしい。
結局その事で董卓に処罰されるのを恐れて、王允と共に董卓暗殺を行うのだが、その時劉亮は長安を出て烏桓の地にいた。
だから劉亮は、呂布がどのような人物かを直接見てはいない。
ただ、実績だけで十分ではある。
人間性が良いか悪いかはどうでも良く、度重なる裏切りや離反の経歴を見ていれば十分「要注意人物」だと分かる。
だからこそ劉亮は青州に向かう前に、劉備に対して
「勝手にどこかを攻めない。
勝手にどこかの救援に応じない。
勝手にどこかと組まない。
勝手に危機に陥った武将なんかを迎え入れない」
と言っておいたのだ。
中の人の前世の記憶では、劉備は呂布によって徐州を乗っ取られる。
それが分かっていたから注意したのだが、あの時点では呂布はまだ濮陽に健在だった為、名指しし「呂布を迎えないように」とは言えなかった。
言っておかなかった事が悔やまれる。
劉亮は幽州で暗躍し、関羽と太史慈が青州で武名を高めた後、天下は大きな変化をする。
まず曹操が呂布に勝った。
曹操は兗州における抵抗勢力を根こそぎ倒し、州の独裁者となる事が出来た。
その一元化した戦力を使い、豫州に侵攻。
袁術軍を、袁家の本拠地・汝南郡以外から一掃した。
一方長安では、旧董卓配下の者たちが勢力争いを始めてしまった。
興平二年(195年)、李傕と郭汜の内紛が始まると、しばらくして皇帝一行が長安から姿を消す。
皇帝が行方不明になった事で、群雄の動きは更に活発になった。
劉亮を青州牧にした劉虞・袁紹・孔融の思惑も、何はともあれ劉備軍の中から劉亮だけでも自陣営に引き込もうというものである。
そして多数派工作があれば、そこから弾かれた者は敵意を抱くという反作用もある。
公孫瓚は、劉備は兎も角その弟の劉亮に対しては強い疑念を抱いていた。
劉亮は宿敵・烏桓族の娘を妻とし、政策的にも政敵・劉虞に近い。
盧植門下時代、劉備は「伯珪兄」と呼んで慕って来たが、劉亮とは特に親しく無かった。
幽州時代は同門という事で親交を深めてはいたが、あの男にはどこか誰からも一歩退いて親しくなり過ぎないようにしている部分がある。
兄の劉備に対しては妄信して忠義を誓っているが、それ以外に対しては、どこか道具のように見ている感じもする。
その一方で親しくなった者が危機に陥ると、自分が出来る範囲で救ったり、手助けしようとする義侠心みたいな部分があり、どうもそこが分からない。
董卓に対して反発して投獄された気骨の士である一方で、その董卓に対し引継ぎ資料を残すような世話焼きな部分もある。
いまだに董卓から貰ったという刀を腰から吊るしてもいる。
董卓は悪人だという評価となり、知る人は
「そんな刀は捨てた方が良い」
と忠告するが、
「誰からの物であれ、好意から贈られた物を、都合によって捨てるのはどうかと思う」
とか言って、大事に扱っていた。
戦いは苦手っぽいので、戦場でその刀を使った事はないらしいのだが。
劉亮は公孫瓚に対しても気を遣っていて、袁紹との和睦についても
「青州と幽州涿郡の間にある渤海郡を有する勢力と手を結ばねばならず、決して貴兄に対して逆意有ってのものではない。
青州においては侵攻した袁軍を撃退しているし、決して袁紹と手を組むものではない」
と弁解をして来た。
だが劉亮に対しては、公孫瓚の中に芽生えた疑惑の思いが消えない。
さて「平時のポンコツ」劉備の徐州統治は、民の慰撫中心であり、逆に何もしない事が良い方に転がっている。
陶謙は揚州に手を出したり、袁紹や曹操に喧嘩を売ったりと、割と派手に動いていた。
だから
「何もするなよ」
という劉亮の忠告を、劉備はきちんと受け入れる。
本当に何もしなかった。
徐州における勢力拡大、統治の強化、城の改修等一切行っていない。
難民が困っているのに対しては
「任せた」
の一言で麋竺という大地主の食糧供与と、青州から連れて来た屯田関連の官吏に一任している。
そんな劉備だが、唯一人材登用だけは行っていた。
というのも、この時代の登用は誰かから推挙された人物を召し抱える事であり、理由も無く断ったりしたら紹介者に恥をかかせる事になるのだ。
故に高名な儒学者である鄭玄が
「この者は私の同郷の者で、孫乾と言います。
是非召し抱えて欲しい」
と言えば、
「分かりました、よろしくお願いします。」
と言って採用する。
「我が弟です。
使ってやって下さい」
と麋竺が頼み込めば、
「糜芳殿ですな。
兄上にはお世話になっております。
是非とも力を貸して下され」
と言って採用する。
「袁渙は、汝南袁氏とは違う氏族ですが、父の司徒を勤めた名士です。
今は地方官吏で、汚職追放等辣腕を振るっています」
と誰かが報告すれば
「よし、推挙してもっと偉い地位に付けよう」
と言って採用する。
「同じ劉姓です。
よろしくお願いします」
と劉琰が自薦して来れば
「分かった」
と言って採用する。
その流れで
「天下の猛将呂布殿が難儀しております。
救って頂ければ恩に感じます」
と陳宮が頼み込んで来たので
「よろしいです」
と応じて迎え入れたのだった。
(何やってんだよ!)
と文句が思いっ切りある劉亮だったが、青州の地に居ては面と向かって何も言えない。
仕方が無いから、関羽を徐州に送る事にした。
「まずは兄の断り無しに州牧に就いてしまった事を詫びます。
また長期戦にせぬ為とはいえ、勝手に袁紹と和睦した事についても謝罪します。
その旨を書いた書状を兄に届けて下さい。
次に、陳羣殿を青州に迎えたいと思います。
徐州別駕は麋竺殿だから、同じ別駕の陳羣殿はこちらに欲しいのです。
そして本題の呂布の事です。
関羽殿には思う所が有りませんか?」
その問いに関羽は
「儂はあの男を信用出来ない。
きっと張飛も同じ思いだろう。
何故玄徳殿があのような男を迎え入れたのか、不思議でたまらん。
いや、あのような男でも受け入れるのが玄徳殿の器であったな。
それでも不用心にも程があろう。
時には断る事も必要ぞ」
と不満げに言って来た。
なお、身内しか居ない場だから、関羽は劉将軍とか州牧殿とか我が殿と言わず、ぞんざいな口を利いている。
公式の場でなければ、関羽は玄徳殿とか叔朗殿、更には徳公(劉展)や徳然と字で呼んでいた。
相変わらず「単なる家臣ではない、元々対等の同盟者である」という意識の関羽だが、それだけにある意味頼もしい。
「呂布の事、髯殿にお任せしたい。
必要とあらば、貴方の判断で対処して下さい。
私では兄を制御出来ませんので」
自尊心をくすぐられたようで、関羽は満足そうに頷いた。
交代でやって来る陳羣到着の前に、劉亮は自分の事を考える。
彼は曹操、劉虞、公孫瓚から
(この男は何かを抱えている)
と直感的に悟られていた。
口に出して言った者もいる。
曹操は
「未来を読んでいる」
と言った。
劉虞は
「何か深く考えながら事に当たっている」
と分析した。
劉亮の中の人には心当たりがありまくる。
彼はいまだに、歴史をどこまで変えて良いのか悩んでいたのだ。
思えば、張純の乱までは単純であった。
自分が生き残る事に全力で、打てる布石は全部しておいた。
時々前世の社畜根性が出て、これをやって置かないと気持ち悪いと思って、やらなくても良い仕事までしたのだが。
これが、死ぬ運命を変えた後から悩みが出始める。
既に劉亮叔朗や他の親族が生きて劉備を支援してくれる、新しい歴史を歩んでいた。
新しい歴史なんだから、もう振り切って生きてしまえば良いのに、どうにも思い切りが悪い。
開き直って思いのままやっているつもりで、どこかブレーキが掛かっている。
そして、前世の記憶「史実」に拘ってしまう。
これはある意味仕方が無い。
史実通りの方が、その先を読みやすいのである。
例えば天災とかは、人間の作為は関係無しに史実と同じ事が同じ時間に発生する。
それを知っていれば、幾らでも対策が出来る。
しかし人間の行動は、バタフライ効果とでも言うか、誰かが違う行動をすればズレが生じてしまう。
劉虞は本来ならもう死んでいる筈だ。
だが劉亮が生き残った、その献策で劉備が巨大な力を持った、その劉備が盧植の死をきっかけに公孫瓚と袁紹の争いを休戦させた、その戦いが延期された事で劉虞を怒らせる事になる物資強奪が発生していない、その結果異民族政策で対立はあっても公孫瓚と劉虞の間が修復不能な程には拗れていない、となってしまった。
この先、劉虞が生き残るのか、やはり公孫瓚と戦って死ぬのか、劉亮には読めない。
未来が分からないという事は、彼の優位性を失っている事になる。
史実から逸脱した世界では、劉亮はただの後漢時代末期の人間でしか無いのだ。
劉亮は劉備に
「この先どうしたら良いか、方針を決めましょう」
と呼びかけた。
だが、他人の事ばかり言ってもいられない。
劉亮自身の「この先どうする?」が決まっていないのだ。
前世で既に死に、その死んでいく恐怖を今でも忘れていない中の人は、寿命以外では絶対に死なないと心に決めている。
その為に歴史を変える事には、今でも躊躇いは無い。
しかし、次第に「劉亮」という存在との縁を持つ者が増えて来ている。
実際に接してみれば、それは歴史書や小説の中の「文字」とは違って、血の通った人間なのだ。
歴史上の人物と割り切りたい。
しかし、前世で散々人間との繋がりの中で、持ちつ持たれつで仕事をして来た。
知ってしまえば割り切れない。
それが袁紹の伯父を策を弄して助けたり、失敗すると分かっている董卓の通貨政策に解決策を提示したり、袁紹と公孫瓚との戦いや先日の青州での袁譚との戦いをさっさと収めてしまった根っこの部分である。
そして、そう動いた事で歴史が変わっていく。
(自分は一体何なんだ?
一体何をやっているんだ?)
と自問自答を繰り返す事になる。
「暇になるとろくな事をしない」兄とある意味似た物同士、暇になると自分の行動を思い出しては悶々とする劉亮。
「劉亮とはもうただの劉備の弟という枠では収まらず、動けば歴史を変えてしまう程に巨大化した」
と認めてしまえば色々と見えて来る筈だが、……彼はどうやら認めたくないようだった。
自分が次第に劉備や曹操、袁紹と同格になっている事を。
観客だった筈なのに、いつしか推したちと同じステージに立っているという事を……。
おまけ:
結構「主人公がじれったい」といった感想を貰っています。
自分なりに考えたのですが、歴史が好きであれば好きである程
「あの人と自分が同列?
無い無い!
あの英雄はもっと凄いし、歴史通りに活躍して欲しい!」
って思っちゃいませんかね。
相手が好きであればある程、そんな歴史上の英雄と自分は一緒じゃない、英雄が活躍する歴史を変えたくないって思い。
じゃあ今作の主人公は?
そういう面もありますし、単に生き残る事だけが行動原理な為でもありますし、もっと不穏なものもあったりします。
(小出しにして徐々に明らかにしていくやり方は、ラノベ的には飽きられて読者つかめないと聞いていますが……)




