なんでだぁぁぁ!!??
渤海郡を巡る公孫瓚と袁紹の争いは、公孫瓚の攻撃によって再発した。
元々、師・盧植の遺言という形で休戦していたに過ぎない。
その休戦を仲介した劉備が徐州牧になってしまい、もう介入して来ない。
綺麗事を言う弟弟子が居なくなった為、公孫瓚は冀州侵攻を再開したのだ。
しかし袁紹にとって、休戦期間は準備を整える時間であった。
しっかりと騎兵対策をした袁紹軍は、緒戦で公孫瓚率いる「白馬義従」の部隊を完全撃破に成功する。
すると攻勢から一転、公孫瓚は従兄弟の守る渤海を維持する守備戦に転換する。
袁紹にとって、青州に劉備が居ないというのは好機でもあった。
十万と号する軍を抱える劉備が仲介したから、袁紹も打算込みだが渋々休戦に応じたのだ。
その劉備が居ない以上、南東から冀州を攻められる青州を、自分たちで抑えてしまおう。
袁紹は長男の袁譚を派遣し、青州を攻めさせた。
これに焦った青州牧の孔融が、劉備に助けを求めて来たのである。
(よし、徐州牧の座を捨てて劉備を青州に戻す。
孔融は元々「劉備殿から預かっただけ」と言っているし、欲を出したとしても守れない州牧に用は無いから、青州牧の座は戻って来る。
すると徐州と青州の州牧も兼任出来ないから、上手く足抜け出来るな)
劉亮はそう考えていたが、劉備の指示は意外なものであった。
「叔朗、お前さんが救援に行ってくれないか?
関さんも連れて行ってさ」
「兄者は徐州を動かないのですか?」
「うん。
まだこの地は得てから浅い。
俺が面倒見ないとダメな難民も多い。
俺は動かないよ」
「そう……ですか……」
まさか自分が赴くとは思っていなかった。
だが、考えてみれば旗揚げ以来騎兵を指揮する関羽と、烏桓兵を率いる自分ならば急行が可能。
劉備の考えは間違っていない。
劉亮の不安は、劉備が余計な事をしないか、である。
劉亮は出発にあたり
「勝手にどこかを攻めない。
勝手にどこかの救援に応じない。
勝手にどこかと組まない。
勝手に危機に陥った武将なんかを迎え入れない。
これを守って下さい」
と釘を刺す。
劉備軍は分散し過ぎている。
幽州に居る一族の部曲と、青州で劉徳然が預かる留守部隊、徐州の本軍に救援部隊である劉亮・関羽軍。
劉備本隊は三万程で、周囲から恐れられて手出しされないような大軍ではないが、何も好きな事が出来ない程少ない訳でもない。
劉備が変な気を起こせば、結構色々出来るのである。
だから、あちこちに分散している今、これ以上余計な事はして欲しくない。
「分かったよ。
叔朗が事を解決するまでは我慢する。
何もしないで待ってるから、安心してくれ」
(それって、俺が事態を収拾したら行動を起こすって事かい?)
一抹の不安を感じつつも、劉亮と関羽は青州に急ぐ。
青州では、留守部隊一万を太史慈が率いて戦っていた。
袁譚の軍勢は多く、太史慈だけでは守り切れない。
袁譚軍は孔融の居城・臨淄を攻撃し、妻子を捕らえる。
孔融は逃亡してしまった。
だが平原国では劉徳然が屯田兵たちを緊急招集し、新たに二万の兵を出現させる。
約三万に膨れ上がった劉備軍に、袁譚も警戒し、戦線は膠着状態となった。
劉徳然は焦っている。
数を見れば袁譚軍五万に対し、劉備軍三万は侮れない数だ。
しかし緊急招集の屯田兵二万は数だけの存在で、籠城戦は兎も角、野戦は出来る状態ではない。
そして劉徳然自身も、統率は出来るが指揮は不得手だ。
これを見透かされては、自分の所から崩されてしまう。
どうしたものか。
そんな劉徳然に朗報が届く。
関羽と劉亮(楼煩)が一万五千の兵を率いて戻って来たのだ。
これで劉備軍は総兵力四万五千となる上に、有力な武将が二人増えた。
十分戦える。
「で、叔朗……劉亮殿はどうされた?
劉将軍からは、貴殿と劉亮の二将を派遣するという返事であったが」
劉亮の姿が見えない。
それについて問われた関羽は
「劉亮殿は別口から攻めると言われた。
自分の戦場はここではない、と。
逃げた訳ではないから、安心されよ」
そう応じる。
まあ、劉亮にしても劉徳然と同様に戦場での指揮は出来ないに等しい。
劉亮軍の強さは、烏桓兵を纏める妻の白凰姫と、執事の楼煩の戦闘力に因る。
劉亮個人が居なくても、楼煩が居るのなら問題無いだろう。
かくして関羽・太史慈の軍勢四万五千は、袁譚軍五万と対峙する。
袁譚にしたら、孔融を追い払った時点で全軍を分散し、青州全土を制圧するつもりだったのに、また全軍を集中させて戦わなければならない事にウンザリしていた。
袁譚は袁紹から
「青州を制圧したら、その地はお前に任せる」
と言われており、手柄を焦っている。
そして焦れた袁譚の方から攻撃を仕掛けた。
現時点で関羽も太史慈も、それ程勇名が天下に轟いていた訳ではない。
むしろ救援軍を率いていた劉亮の名を警戒していたくらいだ。
勇猛な武将ではないが、烏桓兵を率いる人物。
十分準備をして、公孫瓚の騎兵を潰したような戦いをしないと。
この思い込みが袁譚を縛る。
確かに劉亮が主体となって、烏桓兵を主体とした騎馬戦術を使ったら、公孫瓚を破ったように袁譚も勝利を収めていただろう。
しかしこの場の将は関羽と太史慈である。
関羽は騎兵を率いているが、別に歩兵の戦いを知らない訳ではない。
正規戦を行っている中、騎馬の足を封じる罠と、騎兵の短弓に対し優勢な強弩を装備する伏兵の存在を察知。
「徳然殿は緊急召集された農兵を率いて、足止めの罠を破壊すると見せかけてくれ。
敵が出て来たら、即座に後退して本軍と合流。
楼煩はあの伏兵を逆に後ろから攻撃せよ。
強弩は儂の騎兵が引き受けるから、それが向いていない側から攻めれば怖くない。
太史慈殿は兵を伏せておき、敵が崩れたら即座に叩いて欲しい」
「承知」
「…………(烏桓語)」
「心得た」
関羽は徐州で、曹操の戦術に何度も翻弄されて来た。
しかしそれが経験値を上げる事に繋がり、こういう伏兵戦術への対応も行えるようになったのである。
相手を見誤った袁譚軍は撃破されて後退する。
この戦いで、関羽と太史慈の個人的な戦闘力の高さも世に広まった。
矢で良し、矛を持って良しと、劉備軍に猛将有りと天下に名が轟く。
この頃、劉亮は幽州の劉虞の元を訪れていた。
「久しいな、劉叔朗……いや、もう劉亮殿と礼儀を込めて呼ばねばならぬ名士であったな」
「昔通り叔朗と呼んで下さって結構ですよ、州牧様」
「いやいや、私はもう幽州牧ではない。
大司馬なんてものに任命されたが、中央に向かわずに幽州に居座るだけの、ただの劉氏だ」
「ですが、袁紹殿は劉虞様を担ごうとしている」
「全く迷惑な話だ。
私に朝廷に逆らう気持ちは無いと言うのに」
「しかし中央には戻らない。
朝廷に従うのか、従わないのか、実に矛盾していますな」
「……言ってくれるな。
で、私に何の用だ?
イヤミを言う為に来たのではないだろう?」
「では申します。
袁紹殿の企てに乗って下さい」
「断る。
私に皇帝になる野心は無い」
「皇帝でなくても良いのです。
王になって、長安の朝廷の補佐という形で中原を守護されればよろしい」
「何だと?
どういう事だ?」
「天子様は長安におわします。
守るには良いですが、この中原の統治には遠くなりました。
それ故、影響が及ばないこの幽州・冀州・青州・并州・兗州・徐州・揚州・荊州では争いが絶えません。
第二の皇帝とは言わなくても、河北一帯を束ねる劉氏が居れば、それである程度の安定を図れましょう」
「……一理はある。
しかし、実力が無ければ何の意味も無い。
私にそんな力が無い事くらい承知している」
「既に劉虞様には、烏桓・鮮卑・匈奴が親しんでおります。
これに袁紹殿と我が兄が加われば、十分な力となりましょう」
「ほお……」
劉虞は考え込むが、結論は先送りにすると回答した。
その日、劉虞は自分の部下たちを集めてこの事を諮る。
劉虞の部下で、公孫瓚との協調路線を主張していた東曹掾の魏攸は先年病死している。
劉亮の前世の「史実」では、この魏攸の死亡で歯止めが無くなった劉虞が、公孫瓚を攻めて敗れ、捕らえられて刑死した。
劉虞が公孫瓚を攻めようと思ったきっかけは、袁紹との争いが長引いた事で、劉虞が用意した北方民族懐柔用の物資を公孫瓚が略奪した事である。
こちらの世界では、休戦が有った事で公孫瓚の度重なる略奪は、まだ起こっていない。
休戦は公孫瓚の懐具合にも都合が良かったのだ。
劉虞家臣団は、劉亮の申し出に対し意見をぶつけ合う。
「公孫瓚を刺激するだけだから、そのような立場にならない方が良い」
と言う程緒。
「袁紹と組むという、誰かに加担する事は止められよ」
と主張する公孫紀。
「それは良い事だ。
殿が河北王となれば、それに逆らう公孫瓚を討つ大義名分は何時でも立つ。
さすれば、あ奴も迂闊に逆らうまい」
とする田疇、鮮于輔、鮮于銀、閻柔、斉周、孫瑾、張逸、張瓚。
ここが多数派であった。
劉虞は部下たちの意見を聞くと、朝廷にそのように奏上して「河北仮王」の称号を求める事にする。
そう決めると、劉虞は劉亮に再度面会する。
「策士め。
袁紹の求めに応じて河北の王となる私に、袁紹と其方の兄との戦いを止めさせようと言うのであろう?
お前はそっちが目的なのに、ついでのように私をその立場に押し上げてしまった。
袁紹も自分が担ぐ事に応じた相手でなければ、停戦には応じまい。
以前は師の訃報を使った事だし、お前は思った以上の策士だ」
「私は生き残る為に必死なだけです」
実際、歴史を変える事に及び腰な割に、自分が生き残る件に関しては形振り構わないだけなのだが、周囲の目は違う。
「私にはそうは見えん。
お前は何かを腹の内に秘めておる。
必死に生き残る為の策ではなく、何か深く考えながら事に当たっているな」
「そう……見えるのでしょうか?」
「ああ。
まあそれは私の感想だ。
部下たちの多数が賛成しておるから、袁紹に担がれるとしよう。
そして確かに劉備は私に、公孫瓚ではなく私に合力するのだな?」
「誓って」
「よし、袁紹に使いを送ろう」
劉亮は青州で袁紹と劉備が泥沼の戦いに突入する前に、上手く停戦を勝ち取った。
袁紹にしたら青州は第二戦線で、主戦場である渤海郡の大半は奪還に成功。
公孫範は易県のみ死守。
渤海を南から脅かす脅威が無くなり、劉虞を担ぐという事で同志になるのなら、と袁譚を青州から引き揚げさせた。
戦況が優位なら話も違っていたのだが、既に袁譚は敗れている。
ここまでは劉亮の思い通りであり、彼の中の人はちょっと調子に乗っている。
だが、調子に乗り逃げは許されなかった。
「あの男を、引くに引けない立場にしてやろう」
劉虞はそう思った。
「兄の劉備よりも、弟の方を確実に味方にしよう」
袁紹はそう思った。
「劉備殿は徐州から抜けられんか。
ならば代わりに……」
逃亡中の孔融はそう思った。
そして三者からの推挙という事で、劉亮に
「青州牧に任ず」
という印綬が届けられる。
「なんでだぁ!!??」
劉亮は人目もはばからず叫んでいたが、そこに更に劉備からの使者がやって来る。
『天下の豪傑・飛将軍呂布殿を傘下に加えた。
呂将軍には小沛を守って貰っている』
「なんでだぁぁぁぁぁ!!!!????」」
劉亮の絶叫が虚空に吸い込まれていった。
※白馬義従を破った戦い
「史実」では界橋の戦い。
こちらの世界では場所が変わった可能性も。
鐙が無い時代ゆえの弓騎兵に対し、長射程の強弩を使ってアウトレンジ攻撃をした。
騎射は基本短弓で速射性を重視する為、射程距離では不利になる。
さらに弓騎兵は基本軽装で、鎧無しとか、精々皮の胴鎧だけって装備になる。
弓を引く肩や馬腹を締める足の可動域を確保したい。
騎馬民族なんかは皮の服を着てるだけで戦闘する。
そういった騎兵に対し、防御壁で身を守り、背後や側面からの攻撃も防ぎながら、長射程の弩で撃ち勝つ戦い方は前漢の李陵が行っている。
公孫瓚は中央に歩兵、両翼に騎兵という正統的な布陣。
それに対し袁紹軍の麴義は正面兵力を減らして対応。
侮った公孫瓚は、騎兵を迂回させて両側から十字砲火のように矢を浴びせる攻撃に出た。
これを予測していた麴義が、小回りが効かない強弩を予め騎兵進出方向に向けていた為、公孫瓚自慢の白馬義従は打ち倒された。
なお、馬上にも関わらず長射程の長弓を装備し、重騎兵のように甲冑で固めた上に薙刀持って突撃して来る「武士」っていう兵種は、変態だと思って正解でしょう。




