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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第一章:三国志前夜
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洛陽を去る

「皇帝に会った事も無いのに、皇帝を批判している」

 曹操に言われた事を、劉亮はそういう風に解釈した。

 確かに彼は、劉備の世話ばかりして実際の人物と会っていない。

 この辺、前世の記憶がマイナスに作用しているのかもしれない。

 霊帝とは愚昧な皇帝と思い込んでいて、会う必要を感じていなかったのだ。

 劉亮の前世の歴史で、ゲームや小説、漫画で盛り上がる時代が始まるのは、現時点から八年後の中平元年(184年)、黄巾の乱からとなる。

 それ以前の歴史は「金権政治が横行し、人民が苦しめられた、乱が始まるのを待つまでの時期」としか思っていなかった。

 だが、この時代に逆行転生して思うのは、この時代も当然ながら人は生きて、苦しみながら生活しているという事。

 そこには血が通った世界が存在する。

 歴史書、更には歴史小説なんかで知った人物と、実際に会った、見知った人間は異なるものだった。

 歴史書から読める人物像から大きく外れていないのは盧植くらいなもので、兄で推しの劉備すら知らざる意外な面を持っていたのだ。


 兄・劉備は虚無を感じている。

 地方の皇族である劉備は、何事も無ければ祖父と同様、早死にした父が成れなかった県令や、更に上の郡太守を狙っていただろう。

 派手好きで遊び人、人からは「大器」と呼ばれている劉備だが、生まれ育った時期は社会が固定化していた時代。

 地方官で頂点を目指す、この時代だと監察官に過ぎない州の刺史よりも、実入りが良い郡太守にでもなれたら

「ああ、あの遊び人がよくぞ出世した」

 と褒め讃えられただろう。

 それを望んだからこそ、劉備は盧植の書生という形で洛陽に留学したのだ。


 だが党錮の禁の時代、劉備のささやかな野望はあっさりと潰される。

 劉亮は、前世の日本に置き換えて、劉備の心情を考えてみた。

 東大に入り公務員試験に合格して地方公務員になるのが夢だったとする。

 その為に予備校に通っていた。

 しかし入学する前に、東大に限らず全大学が学生運動をした結果、政府から大弾圧を受けてしまう。

 国家から地方までの全公務員試験停止が発表され、官僚になる道は閉ざされてしまった。

 そして国は政治家や企業家の推薦で、適当に金を持ってそうな奴を官僚に任命し、任命した対価として礼金を請求する。

 新しく官僚になれた俗人どもは、支払った礼金分を回収すべく、公権力を使って勝手な税取り立てをし、国庫納入分以外は懐に収めていた。

 そんな腐った国になったのに、肝心の抵抗勢力もだらしない。

 非主流派になった者たち、いわば野党はパフォーマンスをしているだけ、批判と理想論を語るだけで、何の実効性も無いのにそれで満足している。

 政府もダメなら野党もダメという状態。

 こんな体たらくを見たら、受験も諦めて地元の適当な所に就職でもしようか、でも社会人になって金を貯めたって、理不尽な税金で毟り取られるだけで何も楽しくない、俺の人生って……そう思ってしまうだろう。

 そして困った事に、自分たちは批判される国の政治家の血筋に当たる。

 他人と一緒になって国を批判すると、それは国の恩恵を受けて、人より多少良い生活を送れている自分にも跳ね返って来るのだ。

 今のは例え話である。

 そんな感じのジレンマが、劉備を鬱屈とさせるのだろう。


(だが、劉備玄徳という男はこれで終わらない。

 俺は前世の記憶で、劉備がこの先どう行動するかを知っている。

 今はこうでも、きっと英雄に覚醒する時期が来る。

 これから数年後、黄巾の乱と共に目覚めるに違いない)

 推しをあくまでも信じたい劉亮の中の人であった。


 そんな劉亮は、兄と共に盧植を訪ねる。

 帰郷したい旨を伝え、挨拶をする為である。

 洛陽に来てから真面目に仕事をしているとはいえ、小間使い程度しか出来ない劉備が帰ったとて、盧植には痛くも痒くもないだろう。

 あっさり帰郷は認められるが、同時に意外な依頼をされてしまった。


「帰るのは良いが、帰る時期は儂に決めさせて欲しい。

 その時まで、洛陽に留まられよ」

(いや、留まれって言われても、生活費とかあるんだが。

 洛陽の物価と涿郡の物価は違うから、金持ちの叔父でも負担は結構ある。

 その辺、政府の偉いさんだけあって、理解していないよなあ)

 そう劉亮は思うのだが、兄の劉備は理由も聞かず、二つ返事で応じる。

 劉備にくっついて、何をするでもなく洛陽まで来ていた従弟の劉展も同様だ。


 中の人がオッサンである劉亮は、理由も知らずに従う事を疑問に思う。

「それは如何なる理由でしょうか?

 意図が分からぬと、どう支度して良いか分かりません」

 そう言い返すと、劉備が口を挟む。

「先生がそうしろと言うのだ。

 俺は従うから、お前も余計な事を聞くな。

 いかがわしい者からの依頼ではない、他ならぬ先生の命ではないか」

 劉備は思考停止で盧植に従うのではなく、盧植は信じられるし、深い考えを持っているから、それなら弟子としては黙って従うという思考に至ったのだ。

「そうだぞ、叔朗兄。

 玄徳兄と同じで良いぞ!」

……劉展は何も考えてないな……。


 盧植は儒者らしく喜怒哀楽を見せず、威厳を持ったまま言った。

「劉玄徳の師への忠は見事である。

 一方で劉叔朗の疑念もまた尤もな事だ。

 ある人と一緒に洛陽を出て欲しい、それが儂の命の意図である。

 それが誰かは、今は言えん。

 分かれ!」

(要は厄介事を頼まれてくれ、という事だな)

 劉亮は渋々理解した。

 きっと、今の段階で誰の事とか、何時とかを言うと漏れる可能性がある。

 ただ付いて来ただけの劉展はともかく、弟子である劉備と劉亮にはある程度の信を置いているようだが、それでも慎重に事を運んだ方が良い。

「分かりました」

 劉亮はそう言って依頼を承諾した。




 しばらく洛陽で何をするでもなく日を過ごす。

 劉亮の中の人は、記憶を辿って誰かに会えないか考えてみた。

 皇帝・霊帝は……拝謁するだけの身分ではない。

 金を積めばどうにかなるが、そんな金は無い。

 後の呉の皇帝・孫権はまだ子供だ。

 その父の孫堅だが、確か地方の官吏をしていた筈。

 曹操と華北の覇権を争った袁紹は、濮陽の県令だった。

 袁術は洛陽のある河南郡太守である「河南尹」に任じられていて、洛陽に住んでいたが、面会を申し込んでも断られてしまう。

「四世三公」、つまり四世代で三人の司徒・太尉・司空を出した名家ゆえ、皇室とはいえ地方の弱小氏族は相手にしなかったようだ。

 この辺、曹操が「もっと上の立場にならんと」と言った事が実感出来る。

 今のままでは、身分で判断しないような「出来た」人物でなければ相手にもされないだろう。


 その他、後の群雄は地方に居るか、現在の所在地を覚えていないので会う事が出来ない。

「後の群雄」や「名軍師・名将軍」と会ってみたいという個人的な楽しみは、それそれ時間切れだし終わりにしよう、劉亮は諦めようとしていた。

 だがそれは、向こうの方からやって来たのである。

 盧植が帰郷する日を定めた為、会いに行くとその人物は居た。

「彼は劉表、字を景升と言う。

 何も言わず、何も聞かず、彼を洛陽から連れ出して欲しい」


 劉表は党錮の禁において、宦官に対抗した人士の内「三君八俊」に数えられた。

 人物評価が大好きなこの時代、名を挙げられるのは誉れである。

 劉表は「八及」、即ち「人々を導き、宗主を追う八人」とランクされた。

 宗主とは「思想界のリーダー」の事で、一代でリーダーになれる程ではないが、そのリーダーの元に人々を導ける人材という事になる。

 この八及の中に、張倹という人物がいた。

 当時権勢を振るっていた宦官の侯覧の一族が不正を働いた為、処罰しようとして、かえって恨みを買う。

 そして侯覧によって叛乱の濡れ衣を着せられ、霊帝による追捕命令を受ける。

 この名士を匿う事は清流派の誉れとされた為、多くの者が希望して身を隠しに来てもらい、そして露見して処罰されている。

 劉表も同様であった。

 張倹の逃亡を手助けした為、追われようとしていたのだ。


「君たちは同じ劉姓だ。

 劉姓の立派な人士が城外に逃れたら、普通は怪しむ。

 だが君たちの名簿に混ざれば、部尉(城門の門番)程度では怪しむ事はないだろう。

 まだ正式な追捕命令が出ていない以上、早めに洛陽から落ち延びた方が良いのだ」

 劉表は身の丈八尺余り(約190cm)、威厳のある風貌で目立つ。

 こんな人物が都から逃げようとしたら、宦官たちの息の掛かった者に通報されるかもしれない。

 だが地方の劉氏が帰郷するのだと言えば、それは納得されやすい。

 まして周囲には、ちゃんとした戸籍の劉氏が居るのだから。


 こうして旅の一員という形で、劉表の洛陽脱出を手助けする劉備一行。

(もしかして、後に劉備が劉表の元に身を寄せた際、厚遇してくれたのはこの知られざる縁があったからか?)

 劉亮はそう思ったりしたが、何せこの世界は彼の中の人の記憶と違う部分があるから、自分が知らなかっただけか、似て非なる世界ゆえの出来事なのか判断つかない。

 それを深くは考えまい。

 とりあえず劉亮は、名士・劉表とじっくり話してみようと思った。


 そして劉亮は兄に進言し、北門から洛陽を出た。

 ここの部尉は曹操、先日会った男である。

 きっと人材への興味が凄い曹操は、劉表の名に気づくだろう。

 だがまだ正式な追捕命令は出ていなく、宦官たちが手を回している最中だから、堂々と出れば良い。

 曹操なら、まだ正式な追捕命令が出ていない者を、私的な出世心から宦官に通報はしないだろう、そういう信頼感があった。

 果たして外出の際の届け出を見た曹操は、劉表に気づいたようだが、偽名も使っていないし、堂々と

「幽州涿郡に同族を訪ねる」

 と言っている為、黙って通行させた。

 後々知るのだが、東西南北の部尉に「劉表を見かけたら通報しろ」という宦官派の役人からの、公的とは言えない指示が来ていたそうだが、曹操は堂々と無視をしたようだ。

 私的な指示は受けないという、法家ならでは判断である。

 だが曹操は、何か感じ入るものがあったようで、劉表とそれを連れ出した一行、特に先日会ったばかりの劉亮を見ると、ニヤリと笑いかけていた。

(大胆な奴だな)

 と言っていたかもしれない。


 洛陽を脱した劉表は、次の関までの間に行方を晦ます。

 劉亮は劉表と言葉を交わす。

 本来なら劉備が、コネ作りの一環として名士と語り合うべきなのだが、

「俺は先生から言われた事をするだけだ。

 劉表殿を決して捕えさせない。

 それ以外の理屈は不要だよ。

 それに、俺みたいな無学な遊び人が、劉表殿と語り合うにはまだ早い。

 俺がもっと上の立場になった時に、改めて語り合いたい。

 今は(わきま)える!」

 そんな事を言って遠慮していた。

 まあ十六歳の劉備には、三十五歳の天下に名の知れた儒家で名士の劉表との会話は荷が重いのかもしれない。

 年齢の話で言えば、長幼の序からも対等に話すなんて無礼に当たる。

 それを言ったら一歳下の劉亮は更に失礼なのだが、彼の中の人は五十歳になろうとしていた。

 劉亮は

「先生に教えを乞いたい」

 と言って、きちんと礼儀を正しながら劉表と語らう事にした。

おまけ:陳舜臣が「中国の歴史」で書いた「銅臭時代」が舞台となっています。

洛陽でろくでもない学生とかばかり書いてますが、


まともな人は投獄されたか、とっくに地方に逃げている


ので、洛陽にはこういう人しか残ってないと思って下さい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 桃園の誓いを交わした義兄弟に重きを置いて国を興し国を束ね国を滅ぼした劉備ってよくよく考えると不思議だ。異質だ。変だ。 長坂の戦いで嫁も息子も置き去りにした挙げ句、阿斗よりも趙雲を大事にしたの…
[良い点] >霊帝とは愚昧な皇帝と思い込んでいて、会う必要を感じていなかったのだ。 (中略) >だが、この時代に逆行転生して思うのは、この時代も当然ながら人は生きて、苦しみながら生活しているという事。…
[気になる点] 主人公は皇帝について何を思ってるんだろ どう考えても宦官が皇帝を支配してるのはわかり切ってるのにね
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