表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第五章:袁と袁の時代
49/112

徐州継承問題

「紹介しよう。

 豫州別駕従事(州の副知事に相当)に任じた陳羣殿だ」

 劉備から新しい部下を紹介された劉亮は、内心で

(よっしゃーーー!!)

 と叫んでいた。

 劉亮の前世の記憶では、魏の名臣となる陳羣。

 世界史の授業でも習う、後漢の「郷挙里選」に代わる新しい人材登用法である「九品官人法」を考え出した人物。

 前世における史実ではこの人物、確かに一度劉備に仕えていたのだが、離れて曹操に仕える事になる。

 彼の進言を聞かず、関羽や張飛の意見を聞いていた事が離反の始まりとされる。

 まあ豫州の名士である彼が、徐州を奪われた拠点無しの群雄に仕えていられない事情もあったのだろう。

 なんにせよ、劉備陣営の似た物同士で固まる排他的な体質は問題だ。

(この男を手離さないよう、俺が努力しないと!)

 劉亮はそう決意していた。


 豫州は人材の宝庫である。

 穎川荀氏や曹操の軍師・郭嘉、袁紹の武将の郭図・淳于瓊・辛評等を輩出している。

 曹操は豫州沛国出身、袁紹・袁術は豫州汝南出身と、君主級もこの地から出ている。

 その縁か、豫州人脈は相当数が袁紹に仕え、残りは曹操に仕えている為、陳羣のように劉備が召し抱えられたというのは奇跡なのだ。

 何としても引き留めて置かないと!


 劉亮は早速陳羣と内々に話し合う。

 陳羣からしたら、徐州を無私の精神で救いに来た劉備同様に、董卓に数度逆らった気骨の士・劉亮もまた、仕えるに足る英雄であった。

(虚名も使いようだなぁ……)

 天下に轟く勘違いを一々否定するより、このまま使うのが良いかもしれない。

 二人はお互い敬意を持って討論した。


「我が兄は天下の民を救う志を持っています。

 しかし大なる方針が定まっていません」

「大なる方針とは何でしょう?」

「今上の天子は董卓に擁立されたお方。

 冀州殿(袁紹)はこれを認めていないし、左将軍(袁術)も同様です。

 故に冀州殿は幽州大司馬(劉虞)を担ごうとしていますが、左将軍はそれにも反対しています。

 翻って我が兄は?

 誰を推すのか、それとも劉の姓をもって自ら天子となるのか、決めかねております。

 まあ、最後の自ら天子というのは言葉だけの話、要するにあらゆる可能性が有りながら、どうしたら良いか分かっていないというものです」

 この年、袁術は長安の朝廷から左将軍の称号を贈られていた。

 袁術の勢力は侮り難いのである。

「そうですな、自ら天子というのは悪手でしょう。

 劉亮殿もそれは分かっておいでですね?」

「はい」

「天子を名乗る者はこの先きっと現れます。

 しかし、ある条件を満たさない限り、名乗った瞬間から各地の武将に攻められるでしょう。

 攻める大義名分を与えるものですから」

「承知しています。

 それで、『ある条件』とは何でしょう?」

「それは天子様が弑された場合、禅譲を受けた場合です。

 天子自ら玉座を譲られたら、討つ大義名分だけは渡しません。

 ただ、弑逆されて後継が無い場合や、禅譲が力づくと見られた場合、各地の将も皇帝を名乗るでしょう。

 まあいずれにせよ、力無き場合は攻められますが」

「左様ですな。

 では陳羣殿は、長安の天子様に仕えるべきとお考えですね。

 大義名分を他に与えぬ為にも。

 そしてそのまま、漢朝を立て直すも良し、それ以外も……」

 陳羣は迂闊な事を言わぬよう、慎重になる。

「ううむ……、私も確とはそう言えません。

 この地に在って、長安の朝廷に仕えるとなれば、両袁氏に攻められましょうから」

 陳羣は一息ついて、話を続ける。

「豫州牧閣下は、非常に危うい状態です。

 幽州・青州・徐州・豫州に勢力を拡大したと言えば聞こえが良いのですが、その実どこも掌握出来ていません」

 幽州は生まれ故郷の涿郡に一族と屯田兵たちが居るだけで、公式には何の統治権限も持っていない。

 青州は劉備がかつて県令を勤めた下密県が属する北海国、高唐県が属する平原国に影響力を持っているだけである。

 青州では徳のある政治をしていた為、現在の州牧・孔融と共同という形で、他の郡太守や国相を緩く纏めてはいる。

 徐州では笮融を倒した功績から下邳を任されている。

 そして豫州においては沛国小沛に僅かな影響力を持っているだけである。

「これでは一州を完全に掌握している勢力に勝てない」

 劉備は豫州牧という称号を持つだけの根無し草になっている。

 それは劉亮も危ういと思っていた。

 分散した各地に兵力を置いていても、各個撃破されるだけだろう。

 仮に連結するにしても、北は遊牧民の地に接する幽州から、南は長江を境とする徐州まで、長く厚みが無い。

「陳羣殿には悪いが、ここは豫州を放棄し、青州と幽州に集約した方が良いかもしれませんな」

 劉亮が「悪い」と言ったのは、豫州が陳羣の故郷であり、ここから離してしまう事に抵抗を感じたからである。

 だが陳羣は気にしていないようで、

「それが賢明です。

 ただそうなると、分断された幽州涿郡と青州との間にある冀州渤海郡が問題になります」

 と、青州後退を前提とした話を続けてくれた。

 ここは現在、袁紹の推挙で公孫瓚の従弟の公孫範が太守をしているが、和解目的のその人事は実らずに、逆に対立理由になっていた。

 ここを制する陣営を味方にするか、自ら領有するかしないと、幽州と青州は連結出来ない。

「私は袁冀州殿が勝つと見ています」

「同感です」

 陳羣と劉亮は意見が一致した。

 その後も方針について話し合い、まずは青州を完全掌握する事、それには渤海郡を有する勢力と手を結ぶ外交の転換が必要であった。

「こんな事を言うのも儒学的には問題が有りますが、大義の為には友情等は捨てねばなりますまい」

「陳羣殿に賛成します。

 ただ、友情とか人情に篤い故に我が兄は声望を得ています。

 中々難しいですな」

「そのようで」

 こうして劉亮と陳羣は方針を一にする。




「紹介しよう。

 徐州別駕従事の麋竺殿だ」

 劉備がまた新しい人脈を得たようだ。

 劉亮からしたら

(やはりこの流れになったか)

 と思ってしまう。

 麋竺は劉備を信奉し、妹を劉備に嫁がせたりする。

 この麋竺が中心となり、徐州を劉備に譲るべく動き出すのだ。


 早速劉亮は、徐州に来ている幹部である関羽、張飛を含めて劉備陣営の今後について話し合いを持つ。

 議題は「徐州放棄」である。

 劉亮と陳羣は、自分の足元すら固めていない劉備が無闇にあちこちに行くのに反対だ。

 しかし関羽と張飛は異なる。

「困った人が居るのだ!

 助けに行く事こそ我等の仁義だ」

「確かに分散していて不利なのは分かる。

 しかし我々は己の利の為に戦って来たのではない。

 己の有利不利で国家そのものを救わないのは、我等の義が立たん」

 そう言って反論して来る。

 劉備は

「関さん、張さんの言っている事は分かる。

 だけど、陶謙殿は今は重病とはいえ、生きているんだ。

 麋竺殿の願いは分かるが、今そんな話をするのは間違っているだろ」

 そう言って態度を保留にしていた。


「どう思われる?」

 陳羣の問いに劉亮は

「兄の事だから分かる。

 あれは、あと一押しされれば徐州を引き受けるな」

 と答えた。

 彼の判断には、多分に「実際にそうした」という前世の記憶も理由に含まれているのだが。


 そして、その一押しは意外な所から来た。

 青州牧の孔融が書状をもって、徐州牧となるよう説得して来たのである。

 更に徐州の典農校尉・陳登も劉備に徐州牧となって欲しいと説く。

 こうなると劉備は受け容れるものである。

 そういう人物なのだ。

 興平元年(194年)、陶謙は死に臨んで劉備を直接説得し、劉備はついに徐州牧の後を継いだ。

 そして就任の舞台裏では、劉亮たちと劉備とのひと悶着が発生する。




「兄者!

 豫州牧と徐州牧は兼任出来ません。

 豫州牧をどうなさるつもりですか?」

「ああ、左将軍に譲渡する」

(なんで袁術に????)

「亡き陶謙殿は袁術と手を組んでいた。

 その陶謙殿の推挙で俺は豫州牧になった。

 お前が言うように、豫州と徐州の両方の州牧は出来ない。

 だったら、左将軍に譲渡するのが筋だろ?

 それに、徐州は曹操に狙われている。

 曹操を牽制する意味でも、豫州には敵対する左将軍に入って貰った方が良い」

(うう、何も言えない。

 俺が袁術に反対するのは、この先の歴史を知っているからで、現時点でそれを言っても信じて貰えない)

 意外な事に、陳羣が劉備の方針を認めた。

「豫州は曹操と袁術との係争地。

 そこに劉将軍が入り込むと、複雑な駆け引きが発生し、将軍は豫州も徐州も青州も、どれにも手をつけられなくなりましょう。

 劉将軍が豫州から完全に足を抜いた後で、袁術を主とすれば、確かに曹操は徐州どころではなく豫州で戦う事になります。

 袁術配下の孫堅が死んだ以上、曹操と袁術は互角。

 彼等の争いが長引けば、徐州は安泰となりましょう」

「袁術は自ら戦う事を好まない。

 だから兗州を乗っ取った呂布を支援して曹操を苦しめている。

 それに蝗害も酷いものになっている。

 陳羣殿はこれをどう考えますか?」

(まあ俺は、曹操が勝つと答えを知っているのだが)

 陳羣は少し考えて、

「呂布の勝つ未来が見えません。

 彼の者は騎兵を扱わせたら右に出る者は居ますまい。

 されど、統治者の顔が見えない。

 曹操は今は不利ながら、呂布に味方した太守たちを一人ずつ倒して地歩を固めている上に、兵糧の消耗を抑え、時機を計っているように見えます。

 曹操が動く時は、勝つと確信した時でしょう」


 劉亮は曹操を徐州から撤退させる際に、少しだけ未来知識を使ってみせた。

 その結果、曹操は史実よりも有利に戦っている。

 予言してみせた蝗害が現実になった為、予め集めておいた食糧を使って部隊を維持していた。

 それに対して呂布は天災には手を打てず、配下の兵が略奪に走ったまま戻って来ない等、軍が崩壊しつつあった。

 この兗州における曹操と呂布との争いが行われている期間が、劉備にとってのボーナスステージだったのだが、この間「平時のポンコツ」は何もしていない。

 周囲が徐州を譲るよう陶謙に働き掛けたり、青州撤退を考えたりしていただけだ。


 そして劉備を「平時のポンコツ」と、劉亮だって言っていられない。

 彼が画策した北方の和平は、もう破られようとしていた。

 徐州牧になるよう説得した「平時の能臣、乱世のポンコツ」こと孔融から急使が来る。

「公孫瓚と袁紹の争いが再発した。

 急いでどうにかしてくれ!」


 劉備は苦笑いして

「徐州で手一杯なのに、俺にどうしろと言うんだ?」

 と困っていたが、普段なら同じ感想で内心愚痴る劉亮は今回喜んでいた。

(よし!

 北に戻る理由が出来た!

 急いで青州に戻るぞ!)


 劉亮はラッキーと思っていたのだが、ここから混沌(カオス)は更に酷くなっていく事を、彼はまだ知らない。

おまけ:

ボーナスステージに何もしなかったと書きましたが、

「史実」の方で見ても、徐州時代、荊州時代、漢中王から崩御までで、基本内政はやってないんですよね、この人。

諸葛亮とか劉巴とかに任せるから、多分人材登用が最大の内政で、後は余計な事をしないのが劉備スタイルかと思ってます。

いや、曹操以外は全部似たようなもので、出来る内政官を登用してやらせるのが軍閥の常かな、と。

……軍政と並行して首都再建、市場の混乱収拾、登用方式の変更、流民対策を内政官任せにせずにやってた人の方が異端なんでしょうね。


次話、その人事で劉備が余計な事をやらかします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 陳羣がこのまま居てくれるならめっちゃ有り難い。今の劉備に足りないのは参謀と政治能力に長けた人ですし。軍事であれぱ関張とタイシジいますし、タイシジは孫家でなければ長生きできそうですし。
[一言] 曹操はほら、超世の傑ってやつだからね、しょうがないね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ